中編
「この人形の里には、たましいを宿した人形がやってきます。そのどれもが、元は人間のために作られたものなのです」
「人間……」
リオンがぽつりとつぶやいた。胸がしめつけられるように痛む。どうしてだろう?
「人間って、いったいなんなんですか?」
「人間とは、わたくしたちの作り主です。もともとわたくしたちは、人間によって作られた『もの』なのです。ですが、人間と暮らすうちにたましいが宿った。たましいが宿れば、記憶も宿る。この里には、そんな人形だけが来ることができるのです」
里長はすっと立ち上がった。ぼくらに手招きする。ついてこいということだろうか。
「どうする、リオン」
リオンは答えずに、里長のあとを追った。ぼくもあわててリオンについていく。里長はたたみをゆっくりとはがしていった。
「地下室があったんだ」
ろうそくに火をともし、里長は地下に続く階段を下りていった。ぼくたちもかがんで、そのあとを追う。
入り口はかがまなければ入れなかったが、中は意外と広く、そして肌寒かった。それになにか音が聞こえる。この音は、川の音?
「つきました。ここが須磨の川でございます」
「須磨の川? 聞いたことないな」
「そうでございましょう。ですが、ここはこの里にいる全ての人形に関係がある場所なのでございます。この里の人形はみな、この川を流れてきたのですから」
「じゃあ、里長が流れてきたってのは」
「わたくしだけではございません。あなたも、そしてリオンさんも流れてきたのでございます。流されるとちゅうで、川の水が人間の世界の記憶を洗い流すのです。……しかし、人とかかわりが深すぎた人形だけは、記憶は全て洗い流れることはない。人間の世界の記憶を残す、それこそが『人わずらい』と呼ばれるものなのです」
「じゃあ、わたしの記憶は」
「残っているでしょう。その記憶が、あなたに夢を見せているのです。わたくしも同じでした」
「里長さんも、『人わずらい』にかかっていたんですか?」
「そうです。おそらくわたくしが、『人わずらい』にかかった初めての人形でございましょう。そして、この里にいる人形の中で、おそらくわたくしだけが、『人わずらい』にかかったのに、この里にとどまるという選択をしたのです」
「『人わずらい』にかかったら、里を出なくてはならないのですか?」
里長は答えずに、リオンの目をじっと見つめた。リオンはたえられなくなったのか、まぶたを閉じてうつむいてしまった。
「そんなの、だめだよ! せっかくリオンはぼくたちの里になじんできたのに、どうして里から出なくちゃならないんだ?」
「普通の人形なら、それでいいでしょう。でも、『人わずらい』にかかった人形は別でございます。洗い流されることのなかった記憶は、たましいに深く深くしみついていくことでしょう。その記憶にふたをして生きていくことは、ひどく苦しいものです」
里長は顔をふせ、静かに言葉をつないだ。
「わたくしがそうでした。わたくしは流し雛という儀式により、人間たちに須磨の海へと流されました。この儀式は人形に人間たちの『けがれ』をかぶせて、海に流すというものです。わたくしは小さな川に、幼い主の手で流されました。わたくしのことをかわいがってくれた主の手で。そのときの無念さが、この人形の里へと続く、須磨の川を創り上げたのでしょう。しかしわたくしは、いまだ主のことを思い続けているのです。またあの手でわたくしをかわいがってもらいたいと」
「でも、里長さんは人間の世界には帰らなかったのですね」
「そうです、わたくしは主のことを思い続けているのと同時に、恐れてもいるのです。わたくしに『けがれ』をかぶせて、海へと流した主のことを」
リオンはなにもいわなかった。ただずっと、まぶたを閉じてうつむいているだけだ。ぼくもなにもいえなかった。なにか声をかけたら、リオンがこの里からいなくなってしまうような、そんな気がしたから。それに、ぼくは怖かったんだ。人間という言葉の響きが。胸の奥にあるなにかが、さっきからずっと悲鳴を上げている。でも、言葉にすることはできなかった。
「わたし、夢を見たときはいつも、あたたかくて、なつかしくて、胸がしめつけられるような気持ちでいっぱいになるの。きっとわたしは、主にずっと愛され、望まれていたんだなって、そう思えるの。でも、それならどうしてわたしは、主を置いて、この里に来たのかしら?」
里長はなにもいわなかった。ただ、川べりにとめてある小ぶりな船を指さした。
「きっとその答えは、人間の世界に戻れば思い出すことでしょう。ですが、人間の世界に戻るのなら、この里の記憶は忘れてしまうでしょう。それに、二度とこの里に戻ることはできません。それでも行くのですか?」
リオンのまぶたが、ぱっと開かれ、青い瞳が里長をじっと見つめた。
「そんな、二度と戻れないなんて、行かないよね、リオン」
リオンはさびしそうにほほえんだ。
「ごめんなさい、ロック。でも、どうしても知りたいの。わたしの主はどんな人だったのか、わたしはどうしてこの里に来たのか」
「じゃあ、ぼくもついていくよ、いいだろう?」
「それはだめです。『人わずらい』にかかっていない人形が船に乗れば、全ての記憶を失います。この川をさかのぼるのは、それほどまでに危険なのです」
「そんな」
リオンは首を振った。そして、今まで一度もしなかったことをした。ぼくのほおにそっと口づけをしたんだ。
「さよなら、ありがとう、ロック」
リオンは船に乗りこんだ。船は帆もないのに、ゆっくりと川をさかのぼっていき、やがて光に包まれて、完全に消えてしまった。
後編は本日1/23の17時台に投稿する予定です。