前編
前編、中編、後編の三部作となっております。
中編は本日1/23の16時台に、後編は17時台に投稿予定です。
どうぞ最後までお楽しみいただければ幸いです。
「夢を見たの。どこか知らない場所で、でも、なんだかなつかしいにおいがするの。それに、あたたかくって、けれども胸がかき乱されるの。帰らなくちゃならないって」
小さなティーポットから、湯気の立つお茶を入れて、ぼくはリオンに向きなおった。答えるかわりに、ティーカップをリオンに手渡す。かちゃかちゃと、陶磁器がぶつかる音が響いた。
「ありがと」
リオンのまぶたがふっと閉じられる。ぼくが一番好きな瞬間だ。人形の里に暮らす人形の中でも、まぶたを閉じることができるのはリオンだけだ。それに、ぼくやリオンのように、ビスク・ドールと呼ばれる陶磁器でできた人形は、この里の中ではとてもめずらしい。リオンは特別なことばかりだ。さらさらとしたブロンドの髪、すっきりとした顔立ち、青い瞳、真っ白なドレス……。
「ック、ロック!」
「えっ? あ、ごめん。夢の話だったね」
「本当にちゃんと聞いていたの? ぼーっとしてて、心配してくれないのね」
「違うよ、ただ、その……リオンに、見とれてたんだ」
ぱちぱちとリオンがまばたきした。
「またそんなこといって、ごまかそうって思ってるんでしょ?」
「本当だって。リオンはとてもきれいだよ。……でも、いまだに信じられないよ、リオンがぼくの家族になったなんて。ぼくなんか、髪の毛もぼさぼさだし、服もうすよごれて汚いから」
「そんなことないわ、ごめんなさい」
リオンはうつむいてしまった。リオンの手には小さすぎるティーカップを、指でいじって静かに考えこんでいる。ぼくたちは人形だから、お茶を入れてももちろん飲めない。ただ、ティーポットがあるからお茶を入れているだけだ。でも、どうしてだろうか? 考えると頭の奥がずきずきする。その痛みをごまかすように、ぼくはぽつりとつぶやいた。
「夢のこと、里長に聞いてみたらどうだろうか? 気になるんだろう」
リオンが顔を上げる。青い瞳が、きらきらと輝いて見えた。
「いいの、本当に?」
「うん。さ、そうと決まれば早くいこう。きっと今夜からはぐっすり眠れるはずさ」
ぼくはわざとおどけた声でいい、リオンの手を取った。すべすべとした感触の手も、特別の一つだ。ぼくたちはかがんで、小さなドールハウスから抜け出した。
「この里の人形たちは、みんなどこからきたのかしら?」
里長の住んでいるドールハウスへ向かうとちゅう、リオンがぽつりとつぶやいた。ときどきリオンは、不思議なことをたずねてくる。夢のこともそうだし、里のみんながどこから来たなんて、ぼくは考えたこともなかった。
「うーん、わからないな。でも、たまにふらっと仲間が増えるよね。覚えてる? リオンがこの里に初めて来たときのこと」
リオンは、くすくす笑いながらうなずいた。
「ええ。みんなが歓迎会を開いてくれたわ。ロックったら、子供みたいにはしゃいじゃって」
「いいじゃないか。だって、リオンが来るまでずっと、ぼくは一人であのドールハウスに住んでいたんだから。でも、びっくりしたな。ぼくと同じくらい、ううん、ぼくよりも少し大きなビスク・ドールがやってくるなんて」
「そんなにめずらしいことなの?」
「うん。里長に聞いたら、百年前くらいは多かったらしいけど、今はほとんど見られないんだって。骨董品だって。里長みたいに古くないのに、失礼だよな」
「里長さんは、そんなに古い人形なの?」
「ああ。正確な年は、里長自身も覚えてないらしいけど、千年以上も前にこの里に来たんだって」
リオンのまぶたが、ぱちぱちとまばたきする。
「うそでしょ、そんな長く生きられるの?」
「たましいが宿っている間は、ずっと生きられるそうだよ。壊れることもなく、永遠にね」
「それなら、この里は人形たちであふれかえっちゃうじゃない。どうしてそうならないのかしら?」
リオンが首をかしげる。
「うーん、どうしてだろう? この里がすごい広いからじゃないの、きっと。あっ、ほら、里長のドールハウスだ」
ぼくは遠くに見える、わらぶき屋根の家を指さした。リオンが不安そうにうつむいた。
「どうしたの?」
「ごめんなさい。でも、里長さんってちょっと怖いの。あの細い目に見つめられると、自分の心が全て見すかされているように感じて」
「まあね、里長もめずらしい人形だもんな。雛人形だったっけ? なんでも川に流されているうちに、この里にたどりついたとか。なんで川に流されたかはわからないけど」
「流し雛と呼ばれる儀式でしたのよ」
うしろから突然声をかけられて、思わず飛び上がってしまった。真っ黒な長い髪に、何枚も重ね着した着物。それに閉じているのか開いているのかわからない瞳は、紛れもなく里長だった。
「さ、こちらへどうぞ」
里長にいわれて、ぼくたちはわらぶき屋根の家に入る。中は畳張りになっていた。里長は大きめのいすを、かかえるように持ってきた。リオンがぼくの手を取る。安心させるように、ぼくはその手をにぎり返した。
「それにしても、久しぶりですわね」
いすにすすめられて、ぼくとリオンは腰かけた。里長もふわふわしたざぶとんにすわる。
「久しぶりって、この間もお会いしたじゃないですか」
「そうではなくて、リオンさんのことですわよ。『人わずらい』にかかった人形は、何十年ぶりですからね」
「『人わずらい』?」
リオンがゆっくりと顔を上げた。考えこむように、まぶたがふっと閉じられる。ぼくは里長をにらむように見おろした。
「なんですか、その『人わずらい』っていうのは? 変な病気じゃないですよね」
里長は答えずに、リオンに向かいあった。
「リオンさん、あなたはずっと同じ夢を見ていますわね? どこかに帰りたいという、そんな夢でございましょう?」
リオンが目を見開いた。
「どうしてそれを」
「『人わずらい』の特徴ですわ。そして、あなたが見ている夢は、あなたが失った記憶が見せている夢なのでございます」
「失った記憶?」
「そう。そしてこの話をするためには、まずわたくしたちのたましいの話からしなければなりませんわね」
里長はじっとリオンを見あげた。
中編は本日1/23の16時台に投稿する予定です。