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オーレリアはまだいい。 こいつは女として生まれたのだから自分の苦痛など分からなくて当然だ。 だから踏みにじるのだ。
けれど、ジョゼフ。 こいつだけは許されない。 男の肉体のまま女として認められたからといって居直って、平気で同じ苦しみを持つはずのダイアナを糾弾する。 こいつだけは許さない。
「お前は、私と同じはずなのに!」
短剣を振りかざし、襲い掛かろうとするダイアナをきっと見返してジェシーは声を張り上げた。
「同じはずないでしょ! 私には父さんも母さんもお姉さまもいるんだから、お前なんかと同じじゃないわ!」
ジェシーには誇りがあった。 女の心に男の体を持って生まれた自分をありのままに受け入れてくれた両親、女性として淑女の在り方を教えてくれたオーレリア。 この三人が支えてくれた自分を否定して吸血鬼などに成り下がれるはずがなかった。
オーレリアは勝ち誇ったような笑みを浮かべてダイアナを見上げていた。
ダイアナは短剣を握ったまま唇を噛み締めて震えていた。
「厚化粧がひびわれていてよ、おばさま」
「くそおおおおお!」
ダイアナは叫びながら床に倒れたオーレリアの黒髪を乱暴に引っ張った。
「どうせ元々はお前の血を奪うつもりだったんだ、計画を変えたのが間違いだった……あのガキも、お前も、殺してやる!」
興奮に顔を歪めるダイアナにもはや美しさは微塵もなく、オーレリアは憐れむようにその顔を見下して、平然としていた。
「殺すなら殺しなさいよ。 お前ごときが私を殺せるものならね」
そういうオーレリアの表情はやけに冴え冴えとしていた。 馬鹿馬鹿しい芝居を前にしているような白けた目でダイアナを見つめ、そして唇を微かに微笑ませた。
「お前が自分を殺したときに、お前は自分の美しさを捨てたのよ」
オーレリアはジェシーが大好きだ。 自分と父の次に大切に思うし、手を貸してやりたいと思う。 そして、それはジェシーが自分を否定しないからだ。 どれだけ自分のありように悩もうともジェシーは男であり女であり女の好きな自分を受け入れている。
だからこそオーレリアはジェシーを愛しいと思い、彼女の為に手を貸すことを惜しまないのだ。
自分を愛さない人間が誰かに愛してもらおうなど、理解してもらおうなど思うだけでおこがましい。 そんな屑は早く死ね。
オーレリアは短剣を突き付けられたまま堂々と胸を張っていた。
「そこまでだ」
よく響く男の声が聞こえた。 続け様に狭い室内の扉が開かれた。 いや、室内だと思っていたのは使節団の荷馬車の一つだったらしい。 周囲には懐中電灯を手にした軍人たちが立ちはだかり、その中央にはヴィクトル・ソレイユが立っていた。
「レガリア侯爵夫人……いいや、レガリア侯爵リチャード。 人質を解放しろ」
短い口調ではあるが、ヴィクトルの目は怒りに燃えていた。 この目をオーレリアは知っている。
他者の命を踏みにじるものを英雄は決して許さない。 生かしておけば悲しみの連鎖を生み出す害悪をヴィクトル・ソレイユは断じて許さない。