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これで父を巡って母と美しい姉に諍いがあったならロマンス小説のようだろうが、生憎と父も見た目は凡庸、中身も横領を働いてしまうような小悪党。 ロマンスが発展する要素はないだろう。
しかし、執事のアルルだけは少し表情を固くしていた。
「お嬢様……もしかして、アルビオンの吸血鬼を知らないんですか?」
その言葉にヴィクトルは表情をこわばらせた。
「何よ、それ」
「アウローラ王国ではほとんど話題になりませんけど、二十年くらい前に起きた女子の連続誘拐殺人事件ですよ。 犯人は捕まらずじまい、見つかった死体は血抜きをされていて、吸血鬼が出たって当時アルビオンは騒然としてたそうです」
二十年前となると丁度母がロスタン伯爵家に嫁いだくらいではないだろうか。
オーレリアはそんな話は聞いたことがなかった。 アルビオンでそんな事件が起きたなど、小説や舞台でも題材にされていなかったはずだ。
連続誘拐殺人事件が起きた、などという事件がどうして知らされなかったのか、ヴィクトルがそう問おうとしたとき、アルルは強張った表情のまま呟いた。
「当時は平和のカップルたちの結婚ブームだったそうですし、私も父に聞いただけですが……アルビオンへ嫁ぐ令嬢たちに不安を与えまいと緘口令が敷かれたそうです。 ただ、旦那様はお嬢様を溺愛していましたからね……万一のことを思うとアルビオンへは連れていけなかったんでしょう」
そのせいで事件はほとんど世間に流布することなく、また犯人が逮捕されなかったということもあって立ち消えのように話題に上がらなくなっていったとアルルは告げた。
合わせるならば、当時はアルビオン国内でもエドゥラの吸血子爵事件があったせいで皆、隣国の不幸よりも自国の猟奇殺人事件に目が集まりやすくなっていたのだ。
ヴィクトルはやはりなんとも言えない感情があった。
自分自身がそういった猟奇殺人の犠牲者となった経験もあり、万一にもオーレリアの身に危険が及んだときのことを考えてヴィクトルは歯噛みをした。
本来であれば自分が直接オーレリアについていられればいいのだが、生憎と警護すべき対象は他にいる。 第一、二十年前の事件はアルビオン国内で起きたことで、アウローラ王国での事件とは違う。 アウローラ王国に出た吸血鬼は既にヴィクトルがこの手で殺しているのだから。