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「なに?」
それは意外な話だった。 父を敬愛しているオーレリアのことだからてっきり母親も敬愛しているのかと思っていたが、父親がアルビオン側と不仲だったとなればそれはヴィクトルの思い違いだったことが明白だ。
「え? でも、伯爵とその妻との結婚は当時は平和のカップルと言われてたんだから、それが不仲なのは変じゃないですか」
レイ中尉が言うのももっともな内容だった。
オーレリアの両親は平和のカップルだからこそ、今回の親善大使にオーレリアが選ばれた。 そうなれば当然、アルビオン側のオーレリアの母の実家とロスタン伯爵家は友好的でないとつじつまが合わない。
「でも、旅行好きのロスタン伯爵がアルビオンにだけは行ったことがないんですよ」
言われてみれば、確かに今回の旅行でもロスタン伯爵は妻の実家のあるアルビオンではなく、西方の神聖スパンダリ帝国へ向かっている。 普通に考えれば親戚のいる国の方へと足が伸びそうなものだが、彼はアルビオンを選ばなかった。
「アルビオンに何か嫌な思い出でもあったんでしょうか」
考えこむようにするレイ中尉を見ながら、改めてヴィクトルはレガリア侯爵夫人とジョージ王子の経歴を考えてみた。
レガリア侯爵夫人ダイアナ――オーレリアの叔母であり、実年齢より二十も若く見える美女だ。 若すぎる見た目とはいえ、七十を過ぎて中年に見えるボンベルメール辺境伯に比べれば普通の範疇だろう。
妙にオーレリアと親し気にしているのも彼女が妹の娘であることを思えば、親しみを感じて当然かと思っていたが、ヴィクトルはそこで腹の内に冷たいものを感じた。
やけに親切に他人に手を差し伸べる人間に心当たりがあった。
忘れるはずもない怒りの原風景。 差し伸べた手で平然と自分の腹を切り裂き、内臓を手に笑っていた男――エドゥラの吸血子爵。
「ロスタン嬢の元に向かう。 レイ中尉、悪いが確認は後程改めてさせてもらう」
「閣下! どうなさったんですか!」
レイ中尉が声をかけるも、ヴィクトルは部屋を出ていった。
杞憂ならばいいのだ。 何もなければそれでいい、自分が早とちりをしただけだと納得できる。
だから、いつものように「馬鹿な男」と笑ってくれればいい。
そんな思いを抱えながら、ヴィクトルは真っすぐにオーレリアの部屋へ向かっていった。
「何しに来たのよ」
そして、その願いは一瞬で叶えられた。
部屋着の上にガウンを纏った軽装で出迎えたオーレリアは執事のアルルにカフェオレを用意させながら呆れたような顔で息を切らして部屋へ来たヴィクトルを見据えていた。
「いや……不安になって」
「何に」