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それはヴィクトルの記憶にはない、彼女が処刑された一度目の終わりに関係しているのかもしれないが、少なくとも彼女は目下の者を区別して扱ってもことさら差別して害意をもつことはしない。
ヴィクトルを殺したエドゥラの吸血子爵とは真逆だ。 彼は親切な顔をして近付いてきて、貧民窟の孤児の命を煙草や酒のような娯楽の消耗品として扱ってきた。 ヴィクトルが怒りを覚えるのはそういった相手に対してだけだ。
オーレリアは貴族である。 誰よりも彼女自身がその義務を承知している。 だからこそ彼女は貴族以外に対しても、理想の貴族令嬢として以外のふるまいをしない。
もっとも、一度目の人生を終わらせたのがヴィクトルというせいもあってか、ヴィクトルに対してはかなりの敵意をもってあたってこられるが、それ自体をヴィクトルは受け入れていた。
レイ中尉から無理がある、といわれた婚約ではあるが、ヴィクトルはもしも貴族の娘と結婚する必要があるならば、それはオーレリア以外にいないと考えていた。
何よりも……彼女は、ヴィクトルがいなくなったとしても泣きも喚きもしないだろうという確信があった。
「ソレイユ大佐、何をしてたの」
アーニャにバレエを教えている間にすっかり女の子たちになつかれたのか、両手をそれぞれ別の少女につかまれたまま、オーレリアはヴィクトルの姿を見ていた。
黒い軍服の上着を脱いで、シャツと吊りズボンの姿になったヴィクトルは白い綿のエプロンを身に着けていた。
「食事の支度だが」
ヴィクトルはいたって平然と答えた。 子供のころ孤児院にいた時も持ち回りでシスターと共に作っていたが、今日はヴィクトルが監督役として料理を手伝っていたのだ。
「貴方、料理なんてできたのね」
「軍でも自炊くらいはするからな」
淡々とした口調で告げるヴィクトルは両手で鉄製の大きな鍋を抱えている。 手にミトンを嵌めた姿といい、これが東部戦線の英雄として不敗神話の主人公を飾っているとは到底思えない姿だった。
「ポトフだが、食べるか」
「……いただくわ」
ポトフ、というのはアウローラ王国南部の農民の食事だ。 概ね余った野菜をコマ切りにして、僅かな肉類と共に煮詰めた簡素な料理。 最近は民間料理にこった変わり者の貴族がポトフを見直し、様々な地域のポトフのレビューを書いた本なども出版されていたが、所詮は庶民の食事だ。
本来ならばオーレリアも辞退するようなメニューなのだが、今日はヴィクトルに付き合う、といった以上は彼の料理を避けるのも不義理だろうと考えたのだ。
粗末な木製のスプーンで器からポトフをひとすくい口元に運ぶと、微かに野菜の香りがした。 普段口にしているシェフたちが作る料理のような丁寧さは微塵もない。 野菜は歯ごたえなど関係なしにただくたくたになるまで煮詰めただけ、肉は安いウィンナーをぶつ切りににしただけに過ぎない。 素朴で質素な味わいだが、温かく喉元を通り過ぎていく。