12
「何の意味があるんだ」
「一種の慣例よ。 それに、貴族のなかにはオペラの制作に資金を出しているものも多くいるから、そういった広告ね」
淡々と告げるオーレリアはそれでも内容にいくらかの関心はあるのか、オペラグラスを目元にやって舞台を見つめていた。
ヴィクトルもそれに合わせるようにして舞台に目をやると、丁度主役とヒロイン役の女優との歌であった。
戦いに赴くという男を女は引き留められず、それでも彼女は待っているという内容だった。 いかにも、戦争が長引く現状では兵士たちを鼓舞するためのプロパガンダ染みて見える内容だったが、オーレリアは真剣そうな顔で舞台を見ていた。
案外、こういった王道の恋愛物語が好きなのだろうか、と考えながらヴィクトルが声をかけようとすると、オーレリアの手が軽くヴィクトルの袖を引いた。
なんだ、と視線を向けるとオーレリアはヴィクトルの方へと身を乗り出すようにして声をかけた。
「しっかり舞台を見ておきなさい、平民には芸術が分からない、なんて馬鹿にしようとしてる連中は今のお前を見ているわ」
「……」
舞台観劇すらも政治のうちか、と内心で息をつきながらも、オーレリアの隣に座りヴィクトルは舞台を見ることにした。
舞台の上に世界が広がっていく様は美しかった。 単純に女優は美人だったし、主役の歌声はハリがありながらも哀切に満ちて、戦うために愛する女を残すことの悲哀とそれでも戦わねばならないのだという義勇の心とがよく示されていたように思える。
しかし、ヴィクトルは微塵も感情移入ができなかった。 なまじっか、現在の地獄のような前線を知っている。 他人の血でぬかるみになった地べたの温かさを知っている。 塹壕の中のすえた空気と硝煙の臭いと自分の皮膚が汗で淀んでいく感触を知っている。
それだけにオペラの中の英雄的な活躍というものがいかに虚構であるかと感じてしまい、いまひとつ物語に没入することができなかった。
観劇を終えた後にオーレリアが一呼吸して余韻を噛み締めるように目を伏せていたことから、彼女はいくらかでも舞台に感じ入るところがあったのだろう、と思う度に自分自身の感性の乏しさを感じてヴィクトルは渋い表情になっていた。
ヴィクトルが唇を噛んでいるのを見て、オーレリアは眉を寄せた。
「そんなに思いふける内容だった? 単純な騎士道物語だったと思うのだけれど」
「いや……俺にはどうも」
「初めてオペラを観たのでしょう? いつかは楽しめるようになるわよ」
そうあっさりと言ってのけるとオーレリアは立ち上がり、颯爽とした足取りでボックス席から出て通路側へと向かっていくオーレリアの背中を見ながらヴィクトルは一度だけ静かに目を伏せてから、彼女の後を追いかけた。