40
滑り込んだ影の正体は先ほどホールに一人残った中年の貴族であった。
「さて……若いだけにいい勢いだが、やたらと人を殺していたのでは国に誰もいなくなってしまうだろう」
男は穏やかな笑顔を浮かべながらヴィクトルの剣を下ろさせて静かに佇んだ。
王女の方は両目から涙を零して床にへたり込んだまま身じろぎも取れずにがたがたと全身を震わせ、自分の髪を両手でかき混ぜるようにして触り、嗚咽を零していた。
オーレリアはヴィクトルが王女を殺せなかったことに安堵の息を吐き出して目を細めると背筋を伸ばして国王へと向き直った。
「陛下。 王女殿下はきっと勘違いをなさったんですわ。 プレゼントを贈ったのも、茶会に来ていたのも別の令嬢。 ただ、前の茶会に私がいたものですから、私と思い違いをなさったんです」
あくまでも穏やかにほんの些細な間違いだとばかりに告げるオーレリアにヴィクトルは目を見開いて振り返った。
「何を言っている、オーレリア! お前は命を……」
「黙っていなさい、ヴィクトル・ソレイユ! いいこと……この国は王政なのよ。 王族が断罪されるなんてことがあれば国家の威信に関わるわ」
はっきりと断言をして、オーレリアは穏やかに微笑んで国王へと向き直った。
「すべては勘違い。 毒針はたまたま混じってしまった悪戯だったのでしょう……思えば、殿下にプレゼントされたものならば必ず女官たちが調べますもの。 王女殿下の身の回りの危険をちゃんと確かめているかのチェックのつもりだったんですわ」
何故、被害者であるはずのオーレリアがそれほどまでに王族をかばい建てするのかヴィクトルには理解できなかった。
それこそ、本来であれば彼女が真っ先にマルゴー王女の非を責め立てて構わない立場だというのにオーレリアはまるで、自分の命を軽んじられたことを些細なことだとばかりに優雅に笑っていた。
「そう、ですから私にもマルゴー王女にも罪はございません。 ただ、ほんの些細な勘違いと行き違いのせいで大きな騒ぎになってしまっただけで……誰も裁かれる筋はありません」
ほほ、と典雅に笑って見せるオーレリアを信じられないものを見るようにヴィクトルは黙っていた。
オーレリアは確かに典型的な貴族ではあるが、誰かの顔色を窺うような真似はしない。 保守的な考えを持ち、目下の者を蔑むことはしても無意味に強者におもねる真似も、弱者を甚振っているところも見たことは一度もなかった。