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ジェシーがハンドバッグの蓋を開けると、その内側にはある文字が書かれていた。
――最愛の娘 ジョゼフへ
娘でありながら男の名前。 それはジェシー以外に持ち主のいないハンドバッグだった。
「父さん……」
ジェシーがハンドバッグを抱きしめて泣きじゃくる姿にロランはハンカチを差し出した。
「革製品に水は大敵」
微笑む辺境伯に肩を貸してもらう形でジェシーは荷馬車から降りていった。
そして、オーレリアもまた縄を解かれると手から血を流したままのヴィクトルと向かい合っていた。
怪我はないはずだが不機嫌そうなオーレリアに警護責任者として叱責を受けてもやむないとヴィクトルは頭を下げようとしたが、オーレリアは突然ハンカチを取り出し、ヴィクトルの左手に押し付けた。
「馬鹿ではないの! 刃物を握ったりして!」
それは確かに怒声だった。 けれど、オーレリアは涙を零していた。
黒曜石の瞳いっぱいに涙を浮かべて、オーレリアはヴィクトルを睨んでいた。
「この程度は傷の内にも入らない。 前線にいた頃に比べれば……」
大したものではない、と言いかけたヴィクトルを睨んだままオーレリアは声を荒げた。
「痛いに決まってるでしょう、人間なのだから!」
痛い、という言葉を言われてヴィクトルは戸惑った。
八歳の時に腹を裂かれてから、あの一度目の死から痛みはヴィクトルにとって遠い感覚だった。
無念の瞳を怒りの原風景として焼き付けた英雄は自分の中の痛みに気付かないことでただ進み続けることが出来たのだ。
それを目の前で涙を零すオーレリアが「痛い」のだと言ってくれた。
「そうだったな……痛かった」
自分がずっと痛みを遠のけて、兵器であるかのように振舞っていたことにオーレリアは泣いていた。
人間なのだから、と当たり前のことを肯定して自分のために涙を流してくれるオーレリアにヴィクトルは自分の内にある鋼が僅かに和らいだような気がした。
ジョージ王子はそんな二人を見ながら少し寂しそうに微笑んだ。
「また、私は運命に選ばれなかったままか」
まだ小さな子供だった頃、ジョージ王子は精神異常者として塔に閉じ込められていた。 何人か遊び相手として同年代の子どもがやってきたことはあったが、誰もジョージの言葉を信じてくれなかった。
「未来が見えるのだ」
そんな言葉を信じてくれる人がいるはずはなく、寧ろ不吉を告げる精神異常者として実の両親すらジョージを遠ざけた。
ジョージは自分の未来だけは見えなかった。 だから、いつこの塔に誰も来なくなるか分からなくて、恐怖心からいつも泣いていた。
けれど、ある日光が差し込んだ。