沙羅先輩
「うーん……」
研究室内。俺の頭を悩ませているのは小さいアルファベットが大量に並べられたプリントだった。とある物語の英文を訳せという課題であり、来週提出しろとのこと。結構な枚数があり、げんなりしている最中だ。
俺は、英語がとても苦手である。中学高校と学んだが未だに頭が追い付いていかない。大学に進んだ今も、外来語が必修科目とされているため戦わざるをえない強敵だ。
「しかし、今年の俺は違う!」
何しろこちらには切り札があるのだ。使い放題の切り札が!覚悟しろイングリッシュ!
『カチャリ』という静かな音。扉の開け方で分かる。切り札の登場だ。
「沙羅先輩」
沙羅先輩が銀髪をなびかせて入ってくる。
そう、切り札とは沙羅先輩のことである。本場の血が流れたハーフ、彼女の力を借りればどんな英語課題も日常会話よ!しかも一年上なので履修した経験もあるだろう。まさにチート!
「先輩、ちょっとお願いがあるんですが」
「ん」
短く応じる先輩。沙羅先輩はいつも静かで必要最低限の言葉以外は喋らないのだ。
「こちらをですね、手伝っていただきたくて」
そう言いながらプリントを見せる。
「……」
「英文の翻訳なんですが、俺の力では難しくて。いや、先輩も忙しいこととは存じておりますが可愛い後輩を助けるためと思って。何卒、何卒。お礼もしますから」
「無理」
「え」
まさかのバッサリ、一刀両断。
「無理」
聞き間違いではなかったようだ。切り札のジョーカーは気まぐれだった。とはいえ流石に引き下がることはできない。
「お願いします!ホント、英語分からないんですよ!沙羅先輩だけが頼みなんですって!」
「頼られても困る」
「一番頼れるのが沙羅先輩なんですよ!」
「英語分からない」
……えっ。
「んーと……えっ?でも先輩って親御さんイギリスの方なんじゃ」
「生まれてからずっと日本だし家でも日本語だけ」
「えぇ!?ちょ、マジですか!?でも外来語の科目必修じゃないですか!」
「ドイツ語」
「なんで!?」
「かっこいい」
「感覚が中学生すぎる!」
気持ちはわかるけどね。ボールペンがクーゲルシュライバーってもう必殺技だし。中学生だったらときめいてた。
「翻訳サイト使えば」
「とはいえこの枚数なんですよ……打ち込むだけでも相当時間かかりますよこんなの」
「学生の本分」
「はい……承知致しました……」
そんなこんなで、驚愕の真実を知った俺は自分で課題をやらなければならなくなった。翻訳サイトに打ち込んで、いい感じに調整して、書いて、と勉強というよりはほとんど作業で延々とプリントに文字を書き込むこと数日。ようやく完成した。
「あぁ~、頭には入ってないけど達成感あるな~……」
「なんだそれは」
あーや先輩と二人だけの研究室、隙間なく日本語訳が書き込まれたプリントをうっとりと眺めていた俺に先輩が問いただす。
「英語の課題ですよ。沙羅先輩に手伝いお願いしたかったけどまさか英語ができなかったとは……」
「ん?そんなことないぞ」
「え」
「だって私が履修した英語の課題全部沙羅が手伝ってくれてたし」
「え、え」
「……ぷっ!お前、沙羅に遊ばれてるな。ああ見えて結構悪戯好きなんだぞ」
あーや先輩がゲラゲラと笑いながら、沙羅先輩に翻訳してもらったという英語の教科書を見せてくる。
いつも無表情で、言葉も少ない沙羅先輩。何を考えているのかよく分からないけど、とりあえず俺が玩具の対象にされていることだけはよく分かった。