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夜野さんと御手洗くん  作者: 時計座
4/4

「お邪魔します」 僕side

 頬から流れ落ちた汗が、また僕のシャツの襟を濡らした。

 天気予報によると今の時間帯が今日の最高気温らしい。なにも下校時刻に合わせて暑くならなくてもいいと思う。

 カバンを背負うと背中が蒸れて仕方がない。やむなく重たいカバンを右手にぶら下げている。

 だけど、カバンに苦しめられる僕の隣で、夜野(よの)さんは涼しい顔をして歩いていた。

「……暑くないの?」

「暑いに決まってるじゃん」

「だ、だよね……ごめん」

 よく見ればわずかにだけど、夜野さんの頬にも汗があった。汗をかきにくい体質なのかもしれない。

 申し訳ないのとカバンが重たいのとで足が鈍くなる。隣を歩いていた夜野さんと少しずつ距離が空いていった。

「……本当に体力ないんだね。もうバテたんだ?」

 僕にそう聞きつつも、夜野さんはどんどん歩いていく。

「い、いやっ、まだ大丈夫……」

「顔真っ赤にして、大丈夫には見えないけど?」

「そう思うなら、少しだけ止まってよ……」

 言うと、夜野さんは本当に足を止めてくれた。

「あ、ありが──」

「はい到着」

「え?」

 夜野さんは傍らに建つ木造建築を見上げた。それは二階建てのアパートみたいだった。

「ここが、夜野さん家……?」

「そ。佐倉(さくら)荘」

 そそくさと佐倉荘に入っていく彼女を追って、僕も中にお邪魔する。ようやく日光から逃げられるのが嬉しかった。

 玄関には新しい緑色の絨毯が敷かれていた。夜野さんはそれを踏まないように遠回りして歩いた。

「……どうしたの?」

「なんでもない」

 僕も倣うように絨毯を避けて通った。

 夜野さんの部屋は二階らしかった。階段を登り、二○二号室の鍵を開ける。

「入りなよ」

「お、お邪魔します……」

 友達の、ましてや女の子の部屋に入るなんて人生ではじめてだ。緊張しながら敷居を跨ぐ。

 八畳くらいありそうな広い部屋を見回す。まず目に飛び込んできたのは、机の上に鎮座する巨大な蜘蛛だった。

「ヒイッ!?」

 僕は思わず夜野さんの後ろに隠れてしまった。

「く、クモ!? クモがいます!!」

「……御手洗くん、蜘蛛苦手なんだ」

「クモというか、虫がダメなんです!」

 というより、どうして夜野さんはそんなに落ち着いていられるんですか。そう言いたいけどパニックでうまく口が回らない。

 しがみついた僕の手を払い、夜野さんはあろうことか蜘蛛を素手でわし掴んだ。

「夜野さん!?」

「よく見なよ。人形だから」

「にんぎょう……?」

 慎重に近づいて確認する。太い茶色の足は妙にリアルだけど、ピクリとも動かない。本当にぬいぐるみみたいだった。

「触ってみる?」

「け、結構です……」

 ぬいぐるみと分かっていても触るのは怖い。

 夜野さんは蜘蛛のぬいぐるみを、なんの躊躇いもなくベッドの上に置いた。

「あの……聞いてもいい?」

「なに?」

 僕はベッドと机から離れて、恐る恐る訊ねる。

「そのぬいぐるみは、夜野さんの趣味……?」

「そうだけど?」

 あっさり答えられた。

「本当は本物飼いたいんだけど、佐倉荘はペット禁止だから」

 ペット禁止じゃなかったら飼ってたかもしれない事実に戦慄する。

 蜘蛛のぬいぐるみに気を取られて気づかなかったけど、部屋は虫に関するもので溢れ返っていた。カーテンは蝶模様だし、デジタル時計にはなぜかカブトムシみたいな角が生えている。一見普通に見えた本棚も、ほとんどが昆虫図鑑的なので埋まっていた。

「ま、座りなって。今お茶でも持ってくるから」

 と部屋を出ていこうとする夜野さんを、僕は全力で引き止めた。

「待って! お気遣いなく! 僕すぐに帰るから!!」

「……あーそう?」

 じゃあ、と夜野さんは部屋の隅にあった紙袋を机の上に置いた。中にはゴリラビの水筒がたくさん入っていた。

「これで全部。持ってっていいよ」

「ありがとう……じゃあ僕はこれで」

「本当にすぐ帰るんだ」

 ベッドに腰を下ろした夜野さんが言う。

「少しくらいゆっくりしてけばいいのにさ」

「ごめんね……いつかお礼はするから」

 そう言うと、ぷっと笑われた。

「ほんっと、律儀なやつ……そんなもん、昼のトマトで──」

 不意に夜野さんが言葉を止めた。笑っていた顔が急激に険しくなる。

「……夜野さん?」

「静かにしろ」

 睨まれて口を閉じる。耳を済ますと、誰かが階段を上ってくる足音が聞こえた。

「アオちゃーん? 帰ってるのー!?」

 聞こえてきた女性の声に夜野さんが舌打ちした。

 なんだか雰囲気がすごく怖い。今の夜野さんを見ていると、不良の方々と対峙したあの日を思い出す。

 足音が近づいてくる。それにつれて彼女の殺気がより際立ったものになっていく。

 ドアノブが回って、扉が開いた。

「おかえりアオちゃ──」

 現れた金髪の女性の顔面に、蜘蛛のぬいぐるみが直撃する。

「ふぇっ」

 と倒れる女性。両手ほどの大きさがある蜘蛛のぬいぐるみは跳ね返って、僕へ飛びかかってきた。

「ひゃうっ!?」

 もつれる両足。たぶん僕は転けたんだと思う。気づいたら仰向けに倒れていて、目を開くと天井の代わりに茶色いものが視界を覆っていた。

 それが蜘蛛のお腹だと分かったとき、僕は盛大に悲鳴を上げていた。

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