「初対面」 あたしside
学校の授業なんて、ほとんどが暇で仕方ない。
国語だ数学だ、本当にそんなものが将来役に立つのか? あたしはそうは思えない。千歩譲って役に立つとしても、授業がつまらないことに変わりはない。
窓の外に視線を馳せて、流れる雲をただじっと観察する。そのうち小さな虫が空に飛んでいった。シルエットから見て、カブトムシの仲間だろう。
「……あっつ」
思い出したように暑さが体を飲み込む。扇風機くらいつけたっていいはずだ。こんな中での授業なんて拷問以外の何物でもない。
さっさと終われ。あたしがそう願った瞬間、想いが通じたのかスピーカーから待ち望んだチャイムが流れた。
「あっごめん、ここだけ説明させて」
「は?」
思わず声に出た。教室中の視線がこっちに向く。
気の弱そうな太った男性教師は、あたしを見て困った顔をしている。
めんどくさくなったあたしは、適当に手を扇いだ。どうぞ続けてください。そして早く解放してください。
だが教師は、慌てて教材をかたづけ始めた。
「でっでは、今日はここまでということで……」
「ありがとうございました」
学級委員長の挨拶で全員がお辞儀する。あたしも一応することはする。男性教師も頭を下げると、額にたくさんの汗を浮かべて教室を出ていった。
同級生のあたしを見る目が鋭くなった気がする。なぜだろうか。
「夜野さん……」
隣の女子が声をかけてきた。
「何?」
「あれはないよ……」
憐れな目を向けられた。そのままそいつは他のやつと一緒にどこかへ行ってしまった。
「……なんだったんだ」
意味がわからないが、そんなものをいちいち気にするのは性じゃない。あたしは机の脇の鞄から弁当を取り出した。
「すみません……夜野さん、いますか……?」
恐る恐るといった声が廊下側から聞こえた。扉の影に、まるで小動物みたいな男子生徒が隠れていた。
そいつはあたしを見つけると、律儀に断りを入れてから教室に足を踏み入れた。
「えっと……夜野さん、ですよね?」
無駄におどおどしている。どこかで見たことがあるような、ないような。
「……あんた誰だっけ」
「二年二組の御手洗です」
「あー……」
思い出した。いつだったか路地裏で他校の不良に絡まれていた、頼りなさそうな男子。
「で、なんの用?」
「はい。えっと……この間は助けていただき、ありがとうございました」
御手洗は頭を下げた。あたしは度肝を抜かれた。
「……まさか、それを言いに来たの?」
「はい。本当に助かりました」
「……あ、そう。変わったやつだね」
別にあたしは助けたつもりはない。たまたま機嫌が悪いときに、カツアゲなんて胸糞悪いものに出くわしたから憂さ晴らししただけだ。
「……あれからどう? 今までよりひどいことされたりしてない?」
ただ、あたしのせいで御手洗の立場が悪くなったとすればそれは申し訳ない。そう思って聞いた。
しかし御手洗は首を横に振る。
「それが、あれ以来皆さん来なくなって……気になって僕から連絡取っても『かけてくんな!』って怒鳴られて……」
「ホント、変わってるねお前」
「変わってます、かね……?」
もはや律儀とかいう枠じゃない気がする。
あたしは呆れながら弁当の蓋を開けた。
「……うげっ」
たちまち現れる赤い悪魔。こともあろうに三つも入っている。
「あんの野郎……!」
絶対あたしへの嫌がらせだ。つい舌打ちをこぼす。
「あっ……お昼にすみませんでした」
お辞儀して去ろうとする御手洗の手首をがっしり掴む。
「ひっ!?」
「御手洗くんさぁ、トマト食える?」
「……トマト?」
弁当の中身を指し示す。緑の冠をかぶった赤い悪魔三匹は、あたしを見て気味悪い笑みを浮かべている、ような気がする。
「食べれますけど……夜野さん、トマト苦手なんですか?」
「うるせぇ。食えんなら早く食って」
隣の席に御手洗を座らせて、弁当を差し出す。御手洗は渋々トマトをつまんで口に入れた。
「うーん……美味しいのに、このトマト」
「あたしはそうは思えないけどな」
「食べてみたら、意外といけるかもしれませんよ?」
「遠慮しとく」
唐揚げに箸を突き立ててかじる。御手洗はそんなあたしを凝視してきた。
「…………なに」
「い、いえ! なんでもありません」
そして二つ目のトマトを口へ放り込んだ。
「ていうかさ、なんで敬語なの?」
「へ?」
「同学年なのに敬語とかおかしくない?」
あたしは頬杖をついて訊ねた。御手洗は途端に顔をそらした。
「それは……なんとなく、というか」
「やめた方がいいよ。また変なやつらに絡まれるから」
「そうですね……あ、いや。そうだね」
器用にヘタを摘むと、御手洗は最後のトマトを食べた。
すぐさま弁当をあたしの方へ引き寄せる。
「あんがと。助かった」
「自分で作ったわけ、じゃないよね。お母さん?」
「姉貴」
赤い悪魔が消えた弁当に箸を差し込む。
「お弁当作ってくれるなんて、優しいお姉さんですね」
「敬語」
「あっ……」
御手洗は慌てて口を塞ぶ。染み付いた癖はなかなか抜けないということか。
あたしは卵焼きを口に運んだ。
「別にいつも作ってもらってるわけじゃない。今月だけ」
「そう……なの?」
「本当は購買行きたいけど、金欠だから仕方なく」
唐揚げをかじる。あたし好みの辛味になっているのが地味に憎い。
「まぁ、ゲーセンでクレーンゲームしすぎたあたしが悪いんだけどさ」
「なにか欲しいものがあるとか?」
「フィギュア。でも全然取れないんだよな。代わりに変なのばっかり取れるし」
「変なのって?」
あたしは鞄から、ウサギとゴリラの合体物が描かれた水筒を取り出した。
「これ。こんなキャラクター、どこに需要があるんだか」
「……ゴリラビだ」
御手洗が呟いた。水筒を手に取って目を輝かせている。
「ごりらび?」
「うん。ゴリララビットでゴリラビ。カワキモいを目指したマスコットで、今地味に進出してるんだ」
「……へぇ」
キモかわいいではなく、カワキモい。つまり、メインはキモさということか。
「……それ、好きなのか?」
「うん。このキモ具合は反則だよ」
「……うちに同じ水筒たくさんあるけど、いるか?」
「え、いいの?」
御手洗の目が輝きが増す。好きなものに熱中するとき、あたしもこんな目をしてるのだろうか。
「全部やるよ。あたしは興味ないし」
「あ……ありがとう夜野さん!」
喜ぶのはいいが、そんな目で見られると食べづらくて仕方ない。ましてや慣れない弁当だというのに。
妙にワクワクした御手洗の横で、あたしは白米に箸を入れた。
「じゃあ今日うち来なよ。全部持ってって」
「……へ?」
キラキラしていた御手洗の目が点になる。
「へ? じゃない。欲しいんでしょ水筒? うちにあっても邪魔なだけだからさ」
「あ……え、えと……」
急にもじもじし出す。点になった目があちこちを泳いでいた。
「……どうしたの? 今日は都合悪い?」
「いや、都合は悪くないよ!? 悪くないんだけど……」
「じれったい。言いたいことあるなら早く言いな」
「……ううん。なんでもない」
御手洗はそっと椅子を立つと、
「じゃあ、あとで……」
と、入ってきたときと同じおどおどした調子で教室を出ていった。
「あ! 放課後教室で待ってろよ!?」
去っていく御手洗はあたしの声に頷いた。
「……なんだったんだ、いったい」
同級生といい今の御手洗といい、今日の昼休みは意味のわからないことがよく起こる。
だけどそれを考えるのは性じゃない。あたしは箸を唐揚げに突き刺した。