2-1.調査開始
目覚まし時計が鳴るよりも早く、大は目を覚ました。一応つけておいた時計の目覚ましをOFFにして、ベッドから降りて大きく延びをする。
大学はゴールデンウィークで連休中だ。その辺の学生ならば、積極的に惰眠を貪ろうと努力するかもしれない。だが、そんな事は大にとっては関係なかった。体調は万全なら、太陽が昇る頃には起きるように習慣づけていた。休みだからと気を抜こうものなら、綾の雷のような怒声が飛んでくる。
初夏に入り、日の光は朝から激しく降り注いでいる。部屋も熱がこもり始め、汗が吹き出てくるが、今の大にとっては、そんなものは苦にならないほど浮かれていた。
クローゼットの中、綺麗に畳まれたシャツとジーンズを取り出し、パジャマから私服に着替える。一階に降りると、焼けた魚の香ばしい香りが、大の鼻腔を刺激した。
「おはよう、綾さん」
「おはよう、大ちゃん」
朝食を準備していた綾と朝の挨拶を交わした。エプロン姿の綾が手早く調理を終えて、テーブルに料理を二人分並べる。その間に大は顔を洗い、テーブルについた。米の飯と焼き魚に味噌汁、日本での暮らしが長い事もあり、綾の作る料理は日によって和食とタイタナス料理が入れ替わる。
「いただきます」
「はい、いただきます」
テレビのニュースをBGMにして、黙々と食事をすすめる。二人で10年続けてきた、いつもの朝の光景だ。
「今日は和食にしたけど、どう?」
「美味しいよ。綾さんの手料理って最高。俺って多分世界一幸せ」
「もう、お世辞が上手くなっちゃって」
大のおどけた口調に、綾もつられて笑った。穏やかで弛緩した空気が部屋に流れる。これまでずっと続けられてきた、いつも通りの朝、いつも通りの日常だ。ここまでは。
「大ちゃん、悪いんだけど私、これから出かけるから。今日は遅くなるかもしれないの。いつ帰られるか分からないから、お昼は先に何か食べてくれる?」
食事を終えて皿を片付けた後、化粧をしながら綾は言った。隣でテレビを見ながら、大は軽く答える。
「ん。別にかまわないけど、何かあるの?ちょっと遅くなるくらいなら、俺待つよ」
「こないだの事件、あったでしょ。あれについてちょっと調べたいものがあるの。ちょっと出かけるから、お願いね」
「それなら俺も一緒にいったほうがいいんじゃない?俺だって今は巨神の子だよ。ティターニアのパートナーだ」
「もう、なに偉そうなこと言ってんの。せいぜいサイドキックでしょ。別に殴り合いに行く訳じゃないんだから大丈夫よ」
二人の日常で変わった事の一つがこれだった。綾がティターニアと判明して以来、二人の間ではヒーローの会話は日常的になっている。
化粧を終えて、綾は立ち上がった。見慣れたスーツ姿のはずなのに、あの日以来まるで別人のように艶っぽく見える。
「それじゃ、行ってくるね」
「俺も出かけるよ。今日はバイトだし」
綾が鞄を手に持ち、出かけるのを見送った後、大は大きく伸びをした。あと一時間もせずにアルバイトに精を出す事になる。
「早く綾さんに認められる男にならなきゃ……」
聞いてくれる相手のいない室内で、大はそう呟くのだった。
周囲に色も形も似たような住宅地が立ち並ぶ中、まばらに車の走る大通りを、綾は気分良く自家用車を走らせていた。気を抜くと法定速度を倍以上出したくなる。
家から目的地まで車で約30分、市の中心部から離れたに着いた。総合企業オクト、機械工学に生物化学、様々な分野に進出している大企業だ。
ビル前の大きな駐車場の真ん中に、綾は車を停めた。アイの調査員の車も何台か止まっており、調査員が数名、測定用の機材を車から出しているのが見える。
車から降りて、綾は調査員達の元へ駆け寄った。男女合わせて五人、皆二十台後半といったところだろうか。超常関連の研究の歴史は日が浅い為か、アイの職員は若手が多いと聞いていたが本当らしい。
「こんにちは。天城です」
「ああどうも。灰堂部長から話は聞いてますよ。調査に立ち会いたいそうで」
「ええ。よろしくお願いします」
さっそく館内に向かい、受付に話を通す。事前に伝えていた通り、アポは灰堂がしっかりと取っていてくれたらしい。
「しかし珍しい事もあるもんですね。タイタナス人、それも大使館職員が調査に同行するって、今まで仕事してきて初めての経験です。部長から聞かされた時はびっくりしましたよ」
応接室へと向かう途中で、一番の若手らしい女性調査員が、綾に声をかけた。胸元の社員証を見ると、坂本とある。
確かに、綾とティターニアの関係と、先日の事件の内容について知らなければ、筋の通った回答を導き出すのは難しい。綾はあらかじめ考えておいた事を話し始めた。
「我々タイタナスは超常管理について、アイと協力関係にありますので。ご存知の通り、我々タイタナスは10年前、シュラン=ラガとの戦争で多大な被害を被りました」
シュラン=ラガ、アウターサイドの国家の一つだ。かつて地球に侵略を行った事もあり、綾達ジャスティス・アイの面々とも関係の深く、彼らの被害に苦しむ人は今でも多い。綾にとって因縁のある相手も多くいる国だ。
「知ってます。日本も侵略の拠点になって、葦原市一帯も酷い目にあいましたから。当時学校が廃墟になって、茫然としたのを覚えてますよ」
「ええ。それ以来、我々はアウターサイドの遺物について関心を抱いているのです。それに今回、私も個人的にシュラン=ラガとは縁があるもので。今回の遺物に参加させてもらったのも、その件に関係しているかどうか、個人的に調べたかったのです」
大事なところはできるだけぼかしながら、説明を行う。アウターサイドの遺物にタイタナスが関心を寄せているのは確かだが、調査員を送るにしても大使館がやる仕事ではない。もっとも、上司には事前に話を通しているし、灰堂からの協力を得ての行動なので、もし誰かが疑問を持って確認を取ったとしても、ティターニアと関連付けて考える者はまずいないだろう。
ひとまずは納得してくれたらしく、坂本は頷いた。
「分かりました。ただ、調査は我々が行いますから。不用意に触れたりしないでくださいね。機能が止まっていたとしても、何が原因でどんな事が起こるか、見てみないと分かりませんから」
「もちろん。調査自体はそちらにお任せします」
応接室で調査の件について伝えた後、綾達が通された先は、オクト社内にある機材保管庫の一つだった。あまり使われていないのか、薄暗くほこり臭い室内に、新旧、大小、様々なものが几帳面に整理されている。
「どうぞ、こちらです」
冷たいとすら感じる声で、綾の前を歩く女性が声をかけた。
社内の案内人として紹介された、文野と言う名前の職員だ。その眼鏡の似合う面長な顔には表情がない。外部の人間に応対するのも重要な仕事の一つだろうに、これでいいのだろうかと余計な事を考えてしまう。
「これが当社で保管されている、アウターサイドの遺物です」
文野の指差した先、保管庫の隅にそれはあった。
保護用だろう、強化アクリルのプレートに四方を囲まれて、その中に置かれた金属片を複雑に組み合わせたキューブが、光を受けて瑠璃色に煌いていた。銀行で見た遺物と同系統のデザインだ。10年前に見た事のある兵器に積まれていたものと同じものだろう。
しかし、装置自体は破損しているのか機能を停止しているのか、作動しているような素振りは全く見られない。
「よし、さっそく始めるぞ」
調査員達の中でリーダー格の、戸田という男が声をかける。皆手持ちの機材を組み立て始め、準備を行いだした。邪魔にならないように少し後方に下がり、綾は遺物をもう一度眺めた。
「あなたは調査に参加しないのですか?」
出し抜けに文野から声をかけられ、綾は驚き、びくりと肩を震わせた。
「え、ええ。私は調査に同行させてもらっただけなので」
「科学者以外で、遺物に興味のある方がいるとは思いませんでした」
「個人的なことです。それより、何故これはこんなところに置いているんですか?かなり高いお金を出して手に入れたでしょうに、宝の持ち腐れでは?」
「まだ手に入れたばかりですので、技術開発、研究に使用する為に、いくつか調査を行いたいと思っていたそうです。ただ予算がなく、どうするか計画を立てていたところに、あなた方からご連絡が来たようで」
「なるほど。では調査の手間が省けましたね」
意外な返答だったのか、ジョークを言われると思っていなかったのか。綾の言葉に文野は一瞬きょとんとした顔を浮かべた後、口元を押さえて喉の奥で小さく笑った。