0-2.十二年前~思い出~
両親を殺されて以来、大は祖父母の家で生活していた。両親の家と祖父母の家は近かったから、引越しで学校の友達と離れ離れになる事がなかったのは大にとって幸いだった。
祖父母は優しかったし、叔父も大の状況を気にかけて、ちょくちょく顔を見せてくれていた。家族と友達、どちらかが欠けていたなら、今の大の性格はもっと違ったものになっていた事だろう。
その日、どういう流れでそういった話になったのか、詳しくは思い出せない。久しぶりに叔父が祖父母の家に帰省しに来て、大と遊んでくれていた。そんな時、ふと叔父に好きな人がいるのかと聞かれ、大は即答したのだ。
「……ティターニア?って、あのティターニアか?」
「うん。ティターニアが好き!」
大の放った一言は、叔父を硬直させるに十分な威力を秘めていたらしかった。休日の昼、透き通るような青い空のどこか遠くで、鳥の鳴く声がした。
「大きくなったら、ティターニアと結婚したい。ティターニアの気持ちがどうなのか、叔父さん、ティターニアに聞いてみてよ。知り合いなんでしょ?」
「あ、まあ知り合いっちゃあ知り合いだけど……」
大の純真な瞳に、思わず叔父も気圧されたらしい。大学では柔道サークルに所属し、毎日鍛えているからか、兄である大の父よりも体は大きく、日焼けした顔は父に似ているが目つきが鋭い。知らない人間には立っているだけで威圧感を与えるだろう。だがこの時、どう答えればいいか顎に手をあてて悩む姿は、普段より一回りは小さく見えた。
大がティターニアを名乗るヒーローに助けられてから、数ヶ月が経っていた。あの日、悪魔を思わせる集団に捕えられた大を救った強く美しい姿に、大は魅了されてしまっていた。
祖父母と暮らす中で、両親の死から大分立ち直ってきた大だったが、その陰でティターニアへの憧れが少しずつ大きくなっている事を、大は感じていた。
とは言っても、相手は正体がどこの誰かも分からない謎のヒーローだ。小学生の大には、どうやって出会えばいいのかも分からない。そんな折、叔父からティターニアを始めとするヒーロー達と何度か現場で会っているという話を聞いたのだ。
大にとってはまさに千載一遇の好機だった。これを逃せば一生彼女と関わる事はできないかもしれない。そう思い、大は恥ずかしさを上回る勇気で、叔父にお願いしたのだ。
何故かどう答えるか悩んでいる風な叔父を真剣な目で見つめ、答えを待っていると、玄関のチャイムが鳴った。
「おっと、お客さんだな。ちょっと待っててくれよ」
幸いと立ち上がり、玄関へと向かう姿を、大は眉を吊り上げて睨む。別にそんな難しい事を言ったつもりはなかったのだ。今度ティターニアと出会う事があったら、自分の事を伝えてくれればいい。簡単な事のはずだ。
叔父は大にとって、自慢の家族だった。学生柔道の大会で何度も記録を残している叔父の姿は、大にとってはヒーローと同等以上に尊敬と憧れの対象だった。その叔父なら、このくらい簡単にできる。そう思っていたのだが、ひょっとしたらとても大変な事をお願いしているのかもしれない。そう思っていたところだった。
「こんにちは、国津さん。今日はちょっとお願いがあって」
「またかい。しかしこっちにいるってよく分かったな」
「国津さんは今日はこっちに帰省してるって、尾谷さんが教えてくれました」
「やれやれ、あいつも口が軽いよな。それで、今回はどんな事件に首を突っ込もうとしてるんだ?」
叔父と話している相手が誰か気付いて、大は玄関に向かって全力で走り出した。姿を見て苦笑する叔父を無視して、靴を脱ごうとしていた客に向けて、勢いよく頭を下げる。
「こんにちは!」
「ああ、大ちゃん。こんにちは。元気だった?」
「うん!」
綾が微笑みを返した。学校からの帰宅途中に寄ったのだろう、無駄な装飾のないセーラー服姿は、スタイルのいい綾が着ていると酷く大人びて見えた。
「麦茶でもいれるよ。和室の方で待っててくれ」
「僕がいれてくる!」
挨拶の勢いそのままに、一直線にキッチンに向かう大の背中に、心配そうな叔父の声が追いかけてくる。
「おいおい、危ないだろう?大丈夫か?」
「だいじょうぶ!」
棚からコップを取り出して盆に並べ、冷蔵庫で冷やしていた麦茶を注ぐ。アヤが来ているなら、いいところを見せないといけない。なんでも一人でできる大人だと見せたかった。
叔父が彼女達と知り合ったのは、ティターニア達ヒーローが世に現れて程なくしてだ。叔父や大と同じく、ヒーローを目の当たりにして以来、彼らに興味を持ち、彼らのような超人について独自に調べているらしかった。
最近は手段も動機も分からない、謎の事件が多い。そういった超人の関わっていそうな事件を見つけると、叔父に相談しにくるのだそうだ。話の内容は大には難しすぎてよく分からないが、きっとすごい難事件を追っているに違いないと感じていた。
メンバーはアヤの他に三人ほどいるが、今日はアヤ一人らしい。大からしてみれば、みんな気のいいお兄さんお姉さんのようなものだ。
大はその中で特に、アヤが大好きだった。タイタナスという国の出身で、日本人とのハーフなのだという。確かにその顔はどこか、日本人とは違った雰囲気を漂わせていた。
そしてなんと、アヤの出身であるタイタナスに伝わる神話には、あのティターニアが記されているというのだ。遥か大昔に記された神話の住人が、現代社会で英雄として活躍している。これほど少年の胸を躍らせるものがあるだろうか。ティターニアの話が聞きたくて、アヤが来るのが大は楽しみだった。
盆を持って二人のいる部屋に向かう。ドアを開けると、アヤと叔父の話し合いはかなり進んでいたようだ。
「はい、お茶」
「おう、ありがとう」
「ありがとう、大ちゃん」
教育がいいのだろう、渡された麦茶を取って飲むアヤの姿は礼儀正しく、手先の動きにもどこか気品がある。まるで茶道の達人のようだと大は思った。
「なんの話してたの?」
「ん? まあ……色々、さ。そうだ、アヤ。話は変わるんだが、大の奴はどうもティターニアに一目惚れしたらしくてな」
「お、おじさん!」
「いいから。それで、ティターニアの好みのタイプがどんな人か、大に教えてやってくれよ」
大の怒りもどこ吹く風で、叔父はアヤに尋ねた。誰にも相談できない事なのに、他に手段がないから叔父だけに頼んだというのに、恥ずかしすぎる。いくらタイタナス人だからと言っても、アヤも困っているはずだ。
そう思ってアヤの方を向くと、何故かアヤは顔を真っ赤に染めて、唇をわなわなと震わせていた。てっきり笑われると思っていたのに、反応が違っていて拍子抜けする。
「……アヤさん?」
「え?あぁ、ティターニアね。ティターニア。うん」
軽く咳払いしていつものアヤに戻るのを大は不思議そうに、叔父は半笑いで見つめていた。
「大ちゃんも知ってる通り、タイタナス神話において、ティターニア、正式には巨神の子とか、巨神の娘と呼ぶけど、それは特定の名前ではなくて、巨神の加護を得た人の事を言うの」
綾が教師のように大に優しく話しかけた。
「歴史に名を残してる巨神の娘は大勢いる。邪神カルハ・マムの侵略に立ち向かった最初のティターニアこと始原英雄サージア。歴史上初のタイタナスの国家統一を成し遂げた王の妻クトリア」
「双子のミム・ハイダルとアム・ハイダルに、最強のティターニア、タイファ・サラギク」
「よく覚えてるね。他にも大勢歴史に名を残したティターニアがいるけど、彼女達には皆共通点があったの」
大が頷く。アヤは注意を促すように、右手の人差し指を立てた。
「まず、彼女達は皆、どんなに偉くなっても自分を鍛える事を忘れなかった事。そして、他人を助ける為に自分を犠牲にして、命をかけた事。そういう自分を磨き上げる心と、他人を思いやる心を、偉大なる巨神は愛し、そういった人に力を授けてくれるの。だから」
立てた指を、アヤは大に向けて指差した。
「きっと今のティターニアも、自分の力を、どこかの誰かの為に使おうって考えてる人なんだと思う。だから大ちゃんも、偉大なる巨神に愛されるくらいに立派な人になれば、きっとティターニアも好きになってくれるんじゃない?」
「……うん!アヤさん、ありがとう。ぼく頑張るよ!」
大は素直に、感謝の気持ちを大声で口にした。アヤの受け答えは真摯かつ的確で、大は感動していた。
それまで大は、未来の自分がどうなるかなど考えた事はなかった。だが少なくともその時、綾の言葉が大の生き方に一つの指針を与えた。努力して立派な大人になる。いつかティターニアに出会った時、胸を張れるような人間になる。そう思えば努力する事も苦ではない。
「なるほどなぁ。ティターニアの好みのタイプはそういう奴なのか」
「国津さん。いい加減にしないと怒りますよ!」
叔父が愉快そうににやにや笑いをするのを見て、アヤが鋭い怒声を上げる。何故アヤがそんなに怒っているのか、大にはよく分からなかった。
当時の思い出は、大にとっていつまでも輝きを失わない宝物だった。