1-4.綾の日記
『――私が実に10年ぶりに、偉大なる巨神の御力を借りてから数日が経った。
ティターニアとして私が戦ったフェイタリティは、逮捕されて以降、大人しく裁判を待っている。あの男ならばそれこそ指一本でも動かせるなら、刑務所の独房から脱走だってできるだろう。それなのに、動きを見せていないのは逆に不気味だ。
罪を悔い改めたのか? ちょっとした休暇気分なのだろうか? それとも、テレビに映った時の言葉通り、私との戦いで人生に満足したというのだろうか?
どちらにしても、今の私には何もできる事がない。それよりも先に考える事がある。銀行の貸金庫から盗まれたあの遺物も気になるし、なんと言っても大ちゃんが偉大なる巨神の加護を得た事だ。
タイタナス人以外の人間に巨神が力を授ける、これはタイタナスの歴史の中でも珍しいことだ。私の影響で、大ちゃんは幼い頃から巨神の教えに親しんできた。その影響なのかもしれないが、今後どうなるかは注意深く見守らなくてはならないだろう。あの子が果たして、かつての私と同じようにヒーローとなるのか。
できればそうであってほしいと思う。正義を愛し、世の為に自分の力を使うように、私なりにあの子に教えてきたつもりだ。だからこそ偉大なる巨神の祝福が、あの子にも顕現したのだと信じたい。
そして――』
続きを書くのをためらい、綾はペンを置いた。両手を組んで、頭上に上げて大きく伸びをすると、硬くなっていた体が軽快に鳴った。子供の頃から日記を付けるのが日課としているが、これほど書き辛い事があったのは久しぶりだ。
大が綾を愛している、そう言った。突然の告白は、綾の心に衝撃を与えていた。大が自分に対して恋愛感情を抱いているなど、綾は今まで考えた事もなかった。
大はかつて愛した男の甥で、大が小学生の頃からの知り合いだ。両親を失い、家族の愛情に餓える大に対して、自分にできる事があればとできるだけ親身になって、長年接してきた。だが……。
『――そして、大ちゃんの気持ちについても。あの子とは長年の付き合いだ。弟のように愛してはいる。だがあくまで弟のように、そのはずだ。
なのに、何故私は大ちゃんにそう答えなかったのだろう?あの子を傷つけたくなかったから? それとも、私の心の奥底で、私にも同じ気持ちがあるから? もしもそうだとしたら、私はどうすればいいのだろう。
ずっとこの関係は続いていくのだと思っていた。大ちゃんはいずれ大学を卒業して独り立ちし、誰かを愛し、素敵な家庭を持つ。あの子のそんな姿を見たいと思っていた。
でもあの一言で、そんな私の気持ちが揺らぎ、別の形を作り始めている。そして、私はあの時、魔法にでもかけられたように、あの子を求めてしまっていた。
何故あんな事をしてしまったのか、自分でも分からない。自分があんなにはしたない人間だとは思わなかった。大ちゃんに求められると、まるで脳が麻痺しておねだりに応えようとしているようだ。
次にあの子があれ以上の事を求めてきても、私は断れないかもしれない。そして、どこかで私はそれを求めているのかもしれない。
何もかも分からない。私は私の心を知りたい。私はどうすればいいのだろう。どうすれば――』
取りとめもなく頭に浮かんだ思いを、ただ手を動かしてつづっていく。文章を書いても書いても、理解しきれない自分自身の心中に、ただただ戸惑っていた。
ふと、胸元で携帯が軽快な電子音を鳴らした。音のパターンから誰かは分かる。取り出して液晶画面を見ると、予想通り、ちょうど話したかった相手だ。
「綾。久しぶりだな。元気か?」
「グレイ。連絡ありがとう。こっちは絶好調よ。あなたも仕事が大変なんじゃないの?」
「友達に電話をかけて、食事に誘うくらいの暇はあるさ」
電話の向こうの相手の軽い口調に、綾は軽く笑った。グレイフェザーこと灰堂武流、昔のヒーロー仲間の一人だ。お互いいい大人になったが、そこは昔からの気の知れた仲、まるで10代の頃のような気分になってしまう。
「頼まれていた件についての調査報告だ。中央銀行の貸金庫室で、君が見たものは確かに君が見たとおり、アウターサイドの遺物だ」
「やっぱり……」
綾の声色には苦悩が滲んだ。この世とは別の次元アウターサイド、そこにはかつて人類の生み出した神話に登場する英雄・怪物・神と呼ばれる存在すらいると言う。
そのうちのいくつかは、地球と幾度となく戦いを繰り広げた。多くのヒーローがアウターサイドの帝国と戦った経験がある。綾にも忘れられない思い出が無数にある。銀行で見た物は、かつての戦いで地球に残された、アウターサイドのオーパーツだったというわけだ。
「遺物の所持者の名は斎藤卓。航空会社の社長だ。取得した方法はアンダーグラウンドでのオークション」
「非合法ってさらっと言うのね。どうやって調べたの?」
「何、彼が教えてくれないから、教えたくなるようにしてやっただけさ」
何をしたのかは考えないようにした。グレイがどういう男かは知っている。大体どういう事をしたのかは考え付く。ただ軽く笑って済ましていると言うことは、少なくとも合法の範囲内だろう。
「その男があんなものを手に入れた理由は?同型の遺物はジャスティス・アイも手に入れたけれど、どんなに解析しても操作方法すら分からなかった代物でしょう?」
「本人が言うには、自分の会社にアウターサイドの技術を組み込みたかったが、結局使用方法がつかめなかったので保管していたそうだ。だが、それなら個人の貸金庫に隠している必要などないからな。個人的な用途に使いたかったのかもしれん。盗まれた今となっては、どうでもいい事だがね。だが、話はそれだけでは終わらない」
携帯の向こうで、灰堂がマウスを操作する音がした。
「斎藤氏に協力を願い出たした時に、彼が参加したオークションについてのリストを手に入れた。それによると、オークションにはこれ以外にもアウターサイドの遺物が複数取引きされた。そして遺物を手に入れた実業家のうち6人が、ここ数ヶ月で死んでいる」
「なんですって?」
「事実だ。ついでに他も調べてみたが、アウターサイドの遺物を強奪される事件が、ここ一年で無数に起きているよ」
「じゃあつまり、フェイタリティを雇った奴が、地球に残っているアウターサイドの遺物を集めようとしているって事?」
「どこまで関連性があるのかは分からん。だが、数が異常だ。可能性は高いと見るべきだと思うね」
綾は口元に手をあて顔をしかめた。
この地球で、アウターサイドの遺物を使う事ができた事例は未だにない。だが、もしも使用することができたならば、現代科学を書き換えるような理論が世界中を席巻する可能性すらある。かつての敵が何か企てているのか、新しいヴィランが生まれているのか。何が起きているのかは分からないが、大きなことが起きているのは確かだ。
「グレイ。遺物を持ってる人のリストをくれる?こっちでも調べてみたいの」
「もちろん。正直手が足りてないんだ。手伝ってくれるならこっちとしてもありがたいね。メールでリストを送るから、何か分かったら連絡をくれ」
数秒も経たずに綾のPCに送られてきたメールを開き、リストを確認する。
かなりの数だ。警察の協力を得ても全て調べきるにはかなりの時間がかかるだろう。
「ところで、大はいつこっちに顔を見せに来るんだ?」
「え?」
突然の言葉に、綾は固まった。先ほどまで考えていた事のせいで、顔が紅潮しているのが自分でも分かる。
「大だよ。君と一緒に暮らしてるあいつだ。この間の銀行での事件、君は俺に一人で強盗を捕まえたと言ったが、倒れてた強盗の怪我を見ればすぐ分かる。身長170㎝前後の女性と、身長180㎝前後の男性、二人がいたんだ。そしてよほどの事がない限り、君が俺にそれを隠す理由はない。ならば理由は大だ。おそらくあいつが、君と同じ巨神の力を手に入れたんだ」
綾は唖然とした。初めて会った時から、観察力と思考の早さで、灰堂の右に出る者はいなかった。
「……流石の推理力ね」
「大した事じゃない。ハッタリ半分だ。それで、彼はどうなんだ?アイに連れてきて、訓練を行ったほうがいいんじゃないか?」
「確かにそうなんだけど、タイタナス人以外が巨神の力を授かるなんて、あまり例のない事だから。一度タイタナスの研究機関とも相談して、色々と調査してみたいの」
綾にとっても、大の力は未知数だ。不用意な行動は、大の今後の運命にも関わってくることだろう。慎重に調査をしていかなければならなかった。
綾の気持ちを感じ取ったか、灰堂は溜息をついた。
「……分かった。君を信頼するよ。ついでに、そのうち食事でもどうだ?」
「それはまた今度ね」
「……そこまですぐ拒否しなくてもいいだろう」
灰堂のぼやきを笑って受け流し、綾は電話を切った。
考えなくてはいけない事、やらなければならない事はいくらでもある。だが、それをこなす方法は一つしかない。
目の前の事を、一つ一つ片付けることだ。