4-16.全ての決着
クロウは稲妻の様な軌道を描いて宙を舞い、カーシアの紫光をかわして回っていた。建物の残骸や車を紫光を防ぐ盾や障害物として利用し、何とか魔術を構成する余裕を作る事で対抗しているが、既にカーシアの周囲はほとんど更地と化していた。このまま続ければ、そのうちも不可能になるだろう。いくら壊して回っているのがカーシアだとしても、ヒーローとしてはこれ以上戦闘区域を広げるのは忍びないところだ。
「あーもう、ミカヅチの奴一体何やってんのさ!」
クロウは嘆くが返事は来なかった。道路に沿って空を飛び、賃貸ビルの間を縫うように移動する。二人のいる場所はクロウのいる位置からは死角となり、状況は分からない。
(あいつの言う策がしょーもないもんだったら、後で張り倒してやる)
心中で悪態をついていると、背後からカーシアの怒声と破壊音が追いかけて来た。巨大な隕石に空から降ってくるスピードそのままで追いかけられている気分だ。近寄れば粉砕されるだろう。ミカヅチを待っている暇はない。
「こうなったら、ボクがカッコよく決めるしかない、かな!」
体を横回転させながら急上昇して縦にUターンを決めると、ローブの端を紫光がかする。瓦礫の破砕音を無視して指と思考を忙しく動かし、高速でこれから行う魔術の術式を組み立てる。
「Beware My Order!」
呪文によってクロウの体から光が飛び散った。飛び散った光は周囲にある瓦礫を包み、次々と浮き上がった。
「行けーッ!」
クロウの胴体よりも大きな瓦礫の群れが弾丸となってカーシアを襲った。
相手の攻撃を回避しながらでは、先ほどの雷のような大技は使えない。まず小技で時間を稼がなくてはならなかった。
「小賢しい撃ち合いがしたいか?」
カーシアは左手の紫光の渦で自分に飛んでくる瓦礫を弾きながら、右腕を大上段に構えた。紫光が右拳を中心に、渦を巻き始める。
「やっば……!」
見るからに危険そうな何かをやろうとしている。クロウは術を中断して必死に別の術式を組み上げた。
「余の前ではこの程度、大海の前の小波も同然!」
「Beware My……」
地面に叩きつけられたカーシアの拳が大地を抉り、硬質化した残光の竜巻とそれが生んだ破壊物が、死を呼ぶ壁となってクロウを襲った。轟音にかき消された詠唱は、それでもクロウの目前で光り輝く障壁となって展開される。
「くっ!こっ、のっ、おぉ……ッ!」
残光と爆風を防ごうと必死に精神を集中させるが、勢いに耐え切れず、障壁が次々と破損していく。数秒耐えた後、ついには障壁は無数の小片となって砕け散った。
「ッ、きゃあーッ!」
竜巻に飲まれたクロウの体は糸の切れた凧のように荒れ狂い、廃墟と化したビル群に乱暴にたたきつけられた。激痛が意識を消し、激痛が意識を取り戻す。体を襲う衝撃が消え去ったとき、クロウは更地となった地に倒れ伏していた。
「あぅ……。ち、ちょっと失敗しちゃった、かな……」
誰も聞かない強がりを言ってはみたが、声を上げるだけで痛みに涙が止まらなくなった。障壁による数秒の防御と、秩序の法衣による霊的な加護がなければ、彼女の肉体は今以上の打撃を受け、致命傷を負っていた事だろう。
頭上で靴音がした。目を向けるとカーシアが耳まで裂けた口から嘲りの声を出していた。
「巨神の娘を守る為に命を懸けるか。心掛けは褒めてやるが、鬱陶しい蝿の相手を、いつまでもするつもりはない」
「くぅ……」
歯噛みするクロウの前で、カーシアが右手を突き出し、紫光を集中させていく。自分を敵と見ない相手に罵りの一つでもしてやりたくなるが、それでは今自分が這っている状況は変わらない。立ち上がらないと死ぬ。
「消えろ、蝿」
「うぅ……ッ!」
「待て!」
靴音が聞こえた。けして大きな音ではなかった。だがその音は、まさに神々が、世に正義を知らしめる為に鳴らした福音めいて、その場にいた者の耳へと届いた。
カーシアが振り向いた。クロウが顔を上げて、音の主を追った。
割れて砕けた道路に仁王立ちになっていたのは、赤の戦装束に目元を覆う仮面、白銀の手甲。神話の時代より伝わる巨神を奉ずる戦士の姿。世の外道を正す為、巨神が地上に送り出した御使い。
彼の名はミカヅチ。その身に溢れる力が、白の残光となって輝き、たなびいていた。
「ミカヅチ……!」
「小僧!」
「偉大なる巨神の名にかけて、外道は正す!」
カーシアが先に動いた。クロウに向けて放とうとしていた紫光をミカヅチへと向けて放つ。
ミカヅチはカーシアにに向かって走りながら、左手を突き出した。カーシアと同じ様に放たれた、無数の白光の刃が迎え撃つ。紫と白、二つの残光が互いを喰い合う蛇のように絡まり、ガラス細工をぶつけあったように砕け散った。
ミカヅチの全身から力が湧き上がっていた。自身の体に送られる巨神の力と、ティターニアから送られる巨神の力、どちらもがミカヅチに力を与えてくれる。先程まで考えていた、自分の力が作られたものだという事実も、最早どうでもよくなっていた。今、偉大なる巨神はミカヅチの意志に応え、力を貸してくれている。そう思えた。ならばそれが間違いではないと示すだけだ。
二人は正面からぶつかり合った。拳と蹴りが放たれる度に、周囲の空気が轟音と共に震え、残った残光が兵器となって周囲を破壊していく。二人の動きはまさに神速の名が相応しい。
「お前如き虫が、私の邪魔をして!」
二人が互いの拳を掴み、手四つに似た形で動きを止めた。カーシアの荒々しい叫びと怒りに燃える瞳を、ミカヅチは真正面から迎え撃った。
「小僧が! 巨神の娘の影で震えていた虫の分際で、余を虚仮にした! お前は許さん!」
「許さないのはこっちだ!」
両手を離し、振り下ろされたカーシアの鉄槌を、ミカヅチは片腕を上げて受けた。伝わった衝撃で、地面が砕ける。だがミカヅチの肉体は完全に衝撃に耐える。骨が、筋肉が、全身を走る活力が、こんなものに負けるなと声を大にして応援してくれる。
カーシアの一撃をバネにするように、ミカヅチの肉体は力強く動き、振り上げた左拳がカーシアの顎を殴り飛ばした。
「がっ……!」
「せいッ!」
ミカヅチの左右の拳のラッシュが、カーシアの肉体に連続して叩き込まれた。拳が放つ輝きがリバース・巨神の肉体を確実に破壊していく。
「がっ……! な、めるなぁ!」
連打に押されながらも、カーシアは右手に紫光を集め、大上段から振り下ろした。直撃すれば巨神の子であっても大打撃が免れないような一撃を前に、ミカヅチは両手で腰から双棍を引き抜き、重ね合わせる。双棍は絡み合って巨大な楯へと変え、カーシアの拳を迎え撃った。両者の激突によって周囲が爆ぜ、衝撃が周囲を破壊した。
カーシアが苦悶の叫び声を上げた。叩きつけた右拳が砕け、血に塗れている。全霊の一撃をミカヅチの楯に叩きつけた結果、発生した衝撃に拳が耐え切れなかったのだ。
カーシアのうろたえる姿を、ミカヅチは楯を棍へと戻しながら睨みつけていた。カーシアを砕く衝撃でも、今のミカヅチの動きを止める事はできない。
カーシアが困惑と驚愕を滲ませながら吼えた。
「何故だ。お前も私と同じではないか。この私が認められないのに! お前のような作られた巨神の子を、偉大なる巨神は何故認める! お前は何なんだ!」
「俺はただ、巨神に、ティターニアに恥じない生き方をしたいだけだ。ティターニアを見てると、俺は正しい事をしたくなる。善人になりたくなるんだよ。お前にそういうものがあるか!」
ミカヅチは勢いよく左手を突き出し、右手で弓を引くように大きく振り被った。両手に握っていた棍が形を変えて右腕全体を包む。巨大な篭手へと姿を変え、そこに全身の白光が集中し、あらゆるものを滅する輝きを放ち始める。
目の前で起きている光を前にして、カーシアの表情が絶望へと歪んでいった。ティターニアの弟子が、最も巨神に認められるべきと考えていた己よりも、偉大なる巨神の力を使いこなすという事実を突きつけられた事への絶望だった。目の前の敵への対処の仕方も忘れ、カーシアは数分前にはとても想像もつかない狼狽ぶりで後ずさる。
ミカヅチは照準を合わせた。これで終わりにする。
「よ、よせ、やめろ! やめ……」
「タイタン・ブロウ!」
光が瞬いた。異界の王ですら防げぬ神速の突進と、そこから放たれた神槌の一撃が、カーシアの胸へと打ち込まれた。
レディ・クロウの天雷すら越える閃光と爆音が、カーシアの胸から背中を貫く。カーシアを包んでいた鎧が塵となって砕け、カーシアの全身が光に包まれた。
ミカヅチは、クロウは、ティターニアは、閃光によって天に昇り、大気に混ざり合って消滅する何者かの断末魔の叫びを、確かに聞いた気がした。
閃光が消えた後、ミカヅチの拳に支えられた形で、元の姿に戻ったカーシアが虚ろな瞳であらぬ方向を見つめていた。その顔からは生気は失せ、全身からは生気が失われ、二十は歳を取ったようにボロボロになっていた。
「い……いや。そんな、これで終わりなんて、嫌、いやぁ……」
泣いているような声色で呟きながら、カーシアはそのまま糸の切れた人形のように倒れた。
戦いが終わった。そう思いミカヅチは大きく息を吐くと、全身を包んでいた光が消えた。右拳の手甲も元の双棍へと戻る。全身から力が抜け、膝が抜けそうになって必死に踏ん張った。
ティターニアから力を分け与えられるのを止めた分、その落差に体がついていけてないらしい。先程の戦いを思い返し、ミカヅチは笑みをこらえる事ができなかった。人生で感じた中でトップレベルに興奮した瞬間だったと言ってよかった。今はまるで全身に注入された興奮剤の効果が切れた気分だ。
離れていたミカヅチの下へクロウが近寄った。体中が痛いのか、声をかける気力もないのか、ミカヅチの活躍をただサムズアップで称えた。ミカヅチも体力気力共にクロウと大して変わらず、同じサムズアップで返した。
「うそよ、なんで、なんでこんなガキに……私が、巨神は、なんで……」
「あなたが否定したものを、この子は持っているから。この子が手に入れたものを、あなたは持っていないからよ」
力が戻り、瓦礫を乗り越えて姿を見せたティターニアを、カーシアは屈辱と絶望の涙を流しながら見つめていた。
「あなたの夢はもう終わり。現実から目を反らし続ける事も、いつまでも続けられないわ。ここまでよ」
「嘘よ……うそ、うそ……」
ティターニアの声も聞こえていないようで、カーシアは消え去りそうな声で何度も同じ事を呟いていた。ティターニアはただ悲しげに、カーシアを見つめていた。世を騒がせた神の名を騙る悪女の、十年かけた復讐劇が、ここに幕を閉じた。
張り詰めていた最後の気が抜けたのか、ティターニアの膝が抜け、その場に倒れそうになる。
「ティターニア!」
クロウとミカヅチ、二人の声が重なった。ミカヅチはクロウより一瞬速くティターニアに駆け寄り、倒れそうになるティターニアを支える。
「ありがとう。あなたこそ、体はなんともない?」
「気にしないでよ。俺は大丈夫。ティターニアの事なら、いつだって支えるよ」
ティターニアは微笑んだ。美しい笑顔だった。ティターニアというヒーローの戦いに、一つの区切りがついた事による解放感と、安心感がそこにはあった。
「これで、終わりだね」
「ええ。これで終わり。戦いは、終わったわ」