4-14.天雷
ティターニアの白銀の双棍が煌く。カーシアの腕が瞬き、紫の光が薄闇を消し去る。人気のなくなり、廃墟となった街中で、二人の戦いは続いていた。
戦局は厳しかった。力、速さ、全てカーシアの方がティターニアよりも上となっている。こちらが一撃を加える間に、相手は三発の打撃を与えてくる。力の差は歴然としていた。今ティターニアがまともに戦い、立っていられるのは奇跡と言ってよかった。
胸元にカーシアの巨大な拳が迫り、ティターニアは双棍を交差して防いだ。棍を握る手首がねじ切れるかと思うような衝撃に足の踏ん張りが利かず、体が浮き上がる。数メートルほど跳んで着地した際に両脚がもつれながらも、なんとか倒れないようにして後ずさった。
その場に倒れこみそうになって、ティターニアは左手の棍を伸ばし、地面に突き刺して杖のように支えにした。ラースゴレームの出現から数時間、ずっと戦い通しだった上、カーシアとの戦いの傷は大きかった。膝が笑っている。気を抜くとそのまま意識を失ってしまいそうだった。
「どうした、巨神の娘。そろそろ限界が近いのか?」
「馬鹿にしないで。あなたこそ分かっているの?ターミナスの力を取り込むだなんて、あなたの体にも何が起きるか分からないのよ?」
「なんだと! ふざけるな!」
カーシアが突進し、足刀がティターニアの胸目掛けて打ち込まれた。衝撃を抑えきれず、ティターニアの体が飛ぶ。真っ直ぐ吹き飛んだ先にあった4WDの側面に激突し、それでも勢いは止まらず、4WDは回転して横倒しになり、ティターニアはその隣に転がった。
「くう……ッ!」
割れた4WDのドアガラスの破片を浴びながら立ち上がろうとしたティターニアの胸に、上空からカーシアが降ってくる。反射的に両腕を交差したところに、杭打ち機のような勢いで踵が落とされた。
「あぐっ!」
勢いに膝が屈し、ティターニアは背中から再度道路に衝突した。両手を交差させて防いでも、衝撃が背中まで突き抜ける。二度、三度、踵を落とす度に背のアスファルトが砕けていく。
「お前が! 貴様のせいで! こうなったんだろうが! ターミナスさえ甦れば! 余がシュラナ=ラガに帰り、王となったはずなのに! 貴様さえ邪魔しなければ!」
「あう! がっ、ぐえ……っ!」
「初めて出会った時からだ! いつも貴様と貴様の仲間は余の邪魔をし続けてきた。余の道を汚す毒虫め!」
激情に任せながらの罵声と暴力が繰り返される度、ティターニアの肉体がじりじりと破壊されていく。ようやく収まりを見せた頃、ティターニアの全身は血と傷と泥に塗れていた。全身打撲、骨も何本か折れている。息をする度に激痛が走った。
ティターニアの息は荒かった。いかに巨神の加護が強大であっても、そこに限界は存在する。十年前のターミナスとの戦いでも、その限界をティターニアは見ていた。今、それが訪れようとしていた。
カーシアは勝利を確信した顔を見せつけながら、ティターニアの胸倉を掴んで持ち上げた。
「見なさい、ティターニア。貴様等が救わんとしたこの街も、余の手によって終焉を迎える事となろう。まず貴様が最初の生贄だ。さあ、最後に言いたい事はあるか?」
「……ふふ、くくっ、あはは……」
絶体絶命、最期の時が近づいているこの状況で、ティターニアの返答は笑い声だった。目尻に涙を滲ませながらの哄笑に、カーシアが怪訝な顔を見せた。
「どうした、巨神の娘。死を目前にして狂ったか?」
「はは、は……。おかしいのはあなたよ、カーシア。あなた自分で気付いてる?あなたの口調、まるでターミナスみたいよ」
「な……ッ!」
「はは……っ。やっぱり気付いてなかったのね」
狼狽するカーシアを、ティターニアはどこか悲しげな目で見下ろしていた。
「ターミナスの力を奪ったことで、ターミナスの自我の干渉を受けたのか、そもそもあなたの言う、シュラナ=ラガの巨神の自我なのか分からないけれど。あなたは体と同じく別人になりだしている」
「違う!貴様の妄想にすぎん。私は私のままだ!」
カーシアが吐き捨てるように叫んだが、声は酷くしわがれていた。骨格から歪み、異界の住人の姿となった今でも、所々に彼女の元の姿の造形を残している。それが恐ろしく、悲しかった。彼女が本当に欲しかったものがこれだとしたら、あまりにも惨めだ。
「悲しい話ね。自分が世間に認められない事を逆恨みして、散々他人を利用して世の中を否定した結果敵だけを作って、最後には唯一認めてくれていた自分まで失おうとしてるなんて」
「黙れ! 余を惑わせる気か、巨神の娘!」
「ほら、また『巨神の娘』と呼んだ。あなたはいつも私を『ティターニア』と呼んでいたのに。私を殺すの? やってみなさい。私もあなたの最期を看取ってあげる。あなたを認める者は誰もいない。例え今私を殺しても、世界中を炎に包んでも、皆が見るのは呪われ子カーシアじゃない。シュラナ=ラガの王、ターミナスの影だけよ。そしてあなたは消えたまま。過去の関係者として、テレビのバラエティ番組くらいには載るかもね」
「黙れと言っているだろうが!」
胸倉を締め付ける腕の力が高まり、ティターニアは咳き込んだ。カーシアが怒りに瞳を輝かせた。
「いいだろう、余が……私が果たして貴様の妄言の通りになるか、貴様を殺した後で確かめてやる! 貴様の首をねじ切って、地上に生きる者全てにその惨めな姿を晒してやる!」
振り被ったカーシアの右手に、紫光が収束していく。今のティターニアの体では、この一撃を正面から受ければ耐えられないかもしれない。諦めてたまるか、と気力を奮い立たせるが、ティターニアの体の動きは緩慢で、意志に対して猛烈に反抗する。
紫光がティターニアに向かって放たれようとしたまさにその時、二人の周囲を濃霧が包んだ。目の前にいるお互いの顔すらぼやける乳白色の霧にとまどい、カーシアの動きが止まる。
「これは……」
次の瞬間、漂う霧を切り裂いて、無数のティターニアがカーシアを襲った。
「何!」
驚愕の表情を見せるカーシアに、向かって右から迫るティターニアが跳び膝蹴りを顎に向けて打ち込む。
「ぐっ!」
ひるんだ隙に左から来た別のティターニアが、両手を組み合わせて鉄槌を作り、カーシアのティターニアを掴んでいた腕目掛けて打ち込んだ。カーシアは思わず手を離し、ティターニアがその場に倒れこむ。だが周囲のティターニア達は休む事なく、カーシアを襲い続けていた。
「くそっ! 何だ貴様等は! ティターニアの顔で余を誑かすか!」
倒れたティターニアから引き離すように連携を組みながら、休まず攻撃をしかけるティターニア達に、カーシアが後ずさりながら困惑混じりの怒声を上げた。
複数の方向から放たれる拳を一つはかわし、一つは左腕を上げて防ぎ、もう一つは右手で弾く。そして返す刀でもう一人残ったティターニアを、カーシアの右手から放たれた紫光の刃が上下真っ二つに切り裂いた。勢いを失い倒れたティターニアが辺りに血と臓物を撒き散らすと思った次の瞬間、ティターニアの上半身と下半身は形を失い、水に流した角砂糖のように霧に溶けて消えていく。
カーシアの輝く瞳が驚愕に見開かれた。
「な……」
「ティターニアから――」
背後からの声に二人が向いた次の瞬間、カーシアの顔面に堅いブーツが突き刺さった。
「――離れろーッ!」
ミカヅチの勢いをつけた流星のようなドロップキックが、カーシアの顔面に叩き込まれる。カーシアはそのまま勢いよく吹き飛び、道路を挟んで向かいの建物へ頭から突っ込んだ。
「……あ……」
突然の出来事だった。カーシアと戦っていた他のティターニア達も幻のように消えていく。ティターニアがふらつく頭で状況を把握しようとしていると、いつの間にか近づいてきていた男に体を抱き起こされていた。
「やっと追いついた。もう大丈夫だから。俺達がついてる」
「ミカヅチ……」
思わずティターニアは、ミカヅチを抱き締めていた。目の前の男に対する感謝の気持ちに、今回は体は反抗しなかった。心臓の鼓動を聞くたび、先程までの苦痛や弱気が嘘のように消えていく気がした。
「小僧ォーッ!」
叫びと同時に紫の光が輝いて崩壊した瓦礫を吹き飛ばし、瓦礫の立てる音をかき消す程の怒りの絶叫が二人の耳をつんざいた。屈辱からか、瓦礫から現れたカーシアの全身からは紫光が竜巻めいて渦を巻き、周囲に破壊の爪痕を刻んでいく。ミカヅチの剛力が直撃しても、たった一撃ではカーシアを止めるには至らなかったらしい。
「カーシア……ッ」
ティターニアは臨戦態勢を取る為、ミカヅチから手を離した。両脚で立ち、構えようとするが、全身に走る激痛に、足が震えて言う事を聞かない。
それでも戦う為に歩き出そうとしたところで、背後からミカヅチが肩を掴んだ。
「その体じゃ無茶だよ、ティターニア。俺達がやる。ここで休んでて」
ティターニアは驚いて振り向いた。ミカヅチの言葉は嬉しく、頼もしいが、今のカーシアを相手にするにはミカヅチ一人では勝ち目はない。
「無理だって思ってるでしょ?」
ミカヅチはティターニアに微笑み、カーシアからティターニアを護るように仁王立ちした。カーシアの怒りのこもった唸り声にも真っ向から対峙する。
ミカヅチに反論しようとしたところで、ティターニアは周囲の空気の異様な気配に気付いた。空気が何か禍々しい力に従って流れを作り、どこかに集まろうとしている。
「さっき言ったろ? 俺達がついてる、って」
ティターニアは流れの先、上空へと目をやった。さっきまで星もちらほらと見えていた夜空が、嘘の様に濃く厚い積乱雲へと変化し、あちこちで火花めいた放電を見せている。そしてその乱雲の下、レディ・クロウが光輝に包まれながら、天翔る大鳳の如く両腕を広げていた。
「あれは……」
「伏せて!」
「Beware My Order!」
よく通るレディ・クロウの声でカーシアが気付いた時、彼女の大魔術は発動した。
太陽が出現したかと思うような眩い光と共に、極大の雷が天より降った。真っ直ぐ落ちてくるその残像は大神が落とした怒りの槍を思わせて、カーシアを轟音と共に貫いた。
瓦礫が更に砕けて周囲に飛び散る。熱気と衝撃が10メートル近く離れたティターニア達の肌を震わせた。