4-13.巨神の娘の帰還
ミカヅチはぶつかった槽に背を預けたまま数秒、二人の影を茫然と見つめていた。
初めての経験だった。国津大からミカヅチとなり、ティターニアと行ってきた訓練、これまでの戦いでの経験すべてが、今目にしたカーシアとターミナスの力に叩きのめされていた。
立たないといけないのに、立つ気力が湧かなかった。足がすくんでいる。ただ恐怖があった。十四年前に自分を連れ去られた時に見たターミナスの幻影を、ミカヅチはカーシアに見た。あの時に自分はターミナスの道具として作られ、永遠に逆らう事は出来ないと魂に傷を残されていた事を、ミカヅチは実感していた。
最早ティターニアでも、ターミナスの力を奪ったカーシアに勝てないのではないか。そう思った。どう体を動かせばいいかも分からない。頭の中でぐるぐると暗闇が溶けて渦となって回っていた。
「ミカヅチ!起きろミカヅチ!」
突然の声に、耳元で雷鳴が轟いたかと錯覚した。
気付いた時には目の前にクロウの顔があった。カーシアに殴り飛ばされた痛みに顔を歪ませながら、ミカヅチの襟首を掴んで持ち上げる。
「休んでんじゃないぞ!ティターニアがカーシアと戦ってるんだぞ!ボク達も一緒に戦わなくてどうするんだよ!」
「クロウ……」
目がくらくらした。だがクロウの言葉は、何よりの一撃だった。
槽の端に手をかけて、痛みに耐えつつ立ち上がる。先ほどのカーシアの一撃が痛む。骨にヒビでも入っているのではないかと思ったが、先ほどの震えよりはましだった。
この場の空気と突然のカーシアの変貌に、思わず反応していた。つい先程ティターニアに落ち着けと言われたというのに情けない。ヒーローならまだやる事がある。
「ボク達チームだろ!リーダーが命令してるんだ! 根性入れろサブリーダー!」
「当然だろ……!」
ティターニアの気配を探ろうと目を閉じると、すぐに二つの巨神の力の反応があった。激しく動き回り、戦いの真っ最中だという事が分かる。反応が大きく、動きが激しすぎて、感じ取ろうと集中しているだけで偏頭痛がするほどだ。
「二人ともここから外に出てる。街中で戦ってるよ」
「ちょっと、結局ここから出ちゃうの?ここに来たの意味ないじゃんかァ」
「しょうがないだろ。さっさと行くぞ」
ぶつぶつと愚痴りながら部屋の外に出るクロウを追いかけようとして、ミカヅチは手をかけていた槽に目をやった。開いた槽の中にはターミナスが、胸にカーシアが作った黄金の剣を突き刺し、倒れている。まだミカヅチの心の奥底は震えていた。だがそれは、しまいこめる程に小さくなっていた。
治療槽の機能が解除され、カーシアに力を奪われた今、落ち着いて見てみれば最早、ただのやせ細った枯れ木のような死体でしかない。だがこのどこか哀れさすら漂う死体はかつて、何万という人々を傷つけてきた。そして死してなお、この死体の為に何人もの人間が動き、何百人、何千人という人が犠牲になった。
もしも十三年前、ほんの少し運命が違っていれば、今自分はどの立場にいたのだろう。ミカヅチはそう思わずにはいられなかった。だが少なくとも、今の立場よりいいとは思わない。
「俺はミカヅチ。俺は偉大なる巨神の御使い。俺は、お前が造ろうと思ってたようなものにはならない」
かつて異界の王だったものに宣言し、ミカヅチはクロウと走り出した。
太陽が遠くの山々に隠れつつあるこの時、地上のヒーロー達の戦いは既に終局を迎えつつあった。夕焼けの赤に町全体が染められる中、アイの超人達は休む間もなく活動していた。襲撃を受けた施設の鎮火、破壊されたインフラの回復、混乱する人々の救助に整理。様々な仕事を警察、消防と連携して行っている。ラースゴレームの出現箇所は全て特定され、群れは超人達に抑えこまれようとしていた。事件発生からたった数時間の間に街は多大な被害を受けたが、それもようやく終息の気配を見せ始めていた。
「皆さん、ご覧いただいていますでしょうか。街中いたるところがシュラナ=ラガの兵器によって破壊されています。ところどころから火も出て、煙の匂いもしています」
薄闇の中でも映える、眩しい真っ赤なスーツを着た女性レポーターが、マイクを持って街中を歩き回っていた。生放送の最中だ。カメラマンやその他撮影メンバーを引き連れて、市内の様々なところを映像に収めていく。久々に起きた大事件の報道を行う緊張から頬を紅潮させつつも、彼女は破壊された車と瓦礫の林を抜けて、周囲の惨状を努めて冷静に伝えていた。
「現在我々のいる現場は一応の安全が確保されておりますが、いまだ予断を許さない状況です。周囲に耳を傾けると、爆発音が遠くから聞こえ、消防車や救急車のサイレンも、鳴り響いております。各方面で救助に当たっているヒーロー達の姿も周囲に……」
突然、遠くから落雷を思わせる轟音が鳴った。その場にいたレポーターやカメラマンだけでなく、テレビ越しの視聴者すら思わず背を震わせた。
「い、今の聞こえた?」
カメラを前にした演技も忘れ、レポーターがカメラマンに尋ねる。それに応えるように、続けて同じ音が響いた。二度、三度、不規則に音が続くに連れて、レポーターは恐ろしい事に気付いた。音が次第に大きく、空気の震えも次第に強くなっている。
「な、何か危険が迫ってるようです!わ、私達は一旦ここから…」
破壊音がレポーターの声を掻き消すと同時に、まだ残っていたビルの壁が砕けて飛び出してきた何かが、レポーターの後ろを弾丸のように飛んだ。何かは道路を挟んだ家屋へと突撃し、瓦礫に埋もれて見えなくなる。
カメラマンが目の前で起きた映像を追おうとした時、レポーターがテレビ映りなど忘れた金切り声で叫んだ。
「ちょっと、やだ! あ、あれ、あれあれ! うそ、やだ!」
レポーターの指差す先をカメラが追い、それはテレビに映った。
灰の肌と黒い鎧のコントラストで構成された巨大な肉体が空から舞い降り、轟音と共に瓦礫の上に降り立った。ダークブロンドの長髪が別の生き物のように蠢き、全身から煙のようにたなびく紅い残光が、触れた瓦礫を砕いていく。人間の骨格から外れたどこか歪な体型は、十年前の事を詳しく知る者ならば、今のカーシアの姿にシュラナ=ラガのターミナスを重ねる事だろう。
レポーター達は金縛りにあったように動けなかった。体が竦んで動けない。脳と体の神経が遮断されたようだ。魔獣の前に裸で放り出された気分を、レポーター達は味わっていた。
カーシアが首だけを動かして、レポーター達に目を留めた。
「テレビ局?ハッ、残念ね。もうちょっと遠くにいれば、最高のスクープが撮れたのにさ!」
嘲笑と共に、カーシアがレポーター達に向き合った。両腕が踊るように開き、全身を包んでいた残光が双眸へと集まっていく。
「ちょっと、逃げ……!」
レポーター達が行動する前に、巨神の双眸から紅の光線が放たれた。
目を灼く輝きと死を前にした本能で、皆が目を閉じ、体を丸める。だが、身構えていた体には痛みも熱もどれだけ待っても現れなかった。
「……?」
恐る恐る、レポーターが目を開けた。
まさに彼女達の目の前で、青き聖なる衣と白銀の手甲に身を包んだ、女戦士が仁王立ちし、巨大な白銀の盾を構えて熱線を弾いていた。
「あ……ああ……」
レポーターは声を失っていた。先程カーシアによって吹き飛ばされた彼女が立ち上がり、瞬きほどの一瞬でカーシアとレポーターの間に立ちふさがり、自分達の命を救ったのだと、レポーター達が気付いたのはずっと後、カメラによって撮影されていた映像を見てからの事だった。
熱線の衝撃と熱が消えたのを見計らって、盾が収縮し、双棍へと変わる。盾の影から姿を見せたカーシアの顔に、嘲笑と苛立ちが見えた。
「ハハッ、あがくじゃない。いい加減この私に、跪いて許しを請うたらどう?」
「あなたこそ、もう逃げ場はない。手駒も策も尽きているでしょう。これ以上暴れても無意味よ」
「あんたを引き裂ければ十分よ!」
カーシアが打ち下ろす巨大な拳を、ティターニアが棍で弾く。ティターニアの棍をカーシアが手甲で受ける。先程レポーター達が感じた落雷のような音がレポーター達の目の前で連続して鳴り、周囲を震わせた。
「まだ終わらないわ。あんたの腸を引き裂いた後、私がターミナスの後を継ぐ。私が地球にシュラナ=ラガ以上の王国を築いてやる」
「例えあなたが神になろうが悪魔に落ちようが、私の為すべき事は変わらない。偉大なる巨神の名の下に、外道は正す!」
「黙れ! 三流神の分際で!」
格闘を繰り返しながら、レポーター達から離れるようにティターニアが跳躍し、カーシアもそれを追う。
二人の姿が消えるまで、カメラは二人の姿を捉えて続けていた。時間にして三十秒にも満たなかったが、消えたはずの英雄の帰還を告げるには十分だった。
自分の使命を思い出したように、レポーターは感極まった声で、カメラに向かって叫んだ。かつてテレビで見て憧れた、強く凛々しきその姿に翳りは全く見られない。
そして今、今度は自分がカメラの向こうにその勇姿を伝える使命に、全身が打ち震えていた。
「皆さん!今の姿をご覧になりましたか!私達を救ってくれたあの姿を!ティターニアです!ティターニアが今この地上に戻り、地上を乱す悪魔と戦っています!」