4-11.カーシアの嘆き
灰色がかった金属板に覆われた通路に、荒い息がこだましていた。板と板の間に埋め込まれて配置された照明が、青白く冷たい光を放っている。真っ直ぐ長い通路を、カーシアは壁にもたれながら急いでいだ。
都内湾岸埋立地の更に地下、かつてターミナスが残したシュラナ=ナガの前線基地の内、誰にも知られず、機能も残っていたうちの一つだ。カーシアが見つけて以降拠点として利用し、数年かけて機能を復活させ、他所から見つけた装置を持ち込んで組み込み、ターミナスの計画を進めてきた。それが最後の最後、デスタッチの脱走で全てが狂った。
「くそっ、くそっ、畜生……!」
カーシアの息は荒かったが、口汚い罵りの言葉は止まらなかった。歩くたびに骨をハンマーで叩かれるような激痛が広がり、涙が止まらなかった。ティターニアにつけられた傷は酷く治りが遅い。ティターニアが打ち込んだ巨神の力が、カーシアの体を治癒しようとする巨神のエネルギーを阻害していいるのだ。原因は分かっている。同じ巨神の力でも、ティターニアの方が力の引き出し方、操り方が上手いのだ。
「こんなところまで、あたしとあいつの差を付けたいのか、巨神め……!」
粘ついた汗が吹き出ていた。だがそれでも、カーシアは脚だけは止めずに目的地に向かって歩き続けていた。
こんなはずではなかった。デスタッチの裏切りが想定外だったのは確かだ。既にターミナスの復活の準備を始めており、彼を残しての拠点の移動を行うの時間がかかった。
その間隠れるよりは、今までしかけて来た結界回路を起動させ、混乱を引き起こして遺物を奪う賭けに出た。遺物を奪い、ターミナスが復活すれば後はどうにでもなる。仮にこの拠点が見つけられて襲撃を受けたとしても、ターミナスと共にシュラナ=ラガへと飛べばいいだけの事だ。加えて巨神の力を操れる様になった今、ジャスティス・アイなど物の数ではない。ティターニアもシュラナ=ラガの技術によってただの女へと戻り、惨めな敗北を与えてやるつもりだった。
それがこの様だ。勝ちが見えていた賭けに気を良くし、欲を出したせいで今まで気にも留めていなかった小僧のせいで逆転され、惨めな敗走を強いられている。怒りがぶり返し、痛みにも関わらず、カーシアは鉄槌で通路の壁を何度も叩いた。怒れ、もっと怒れと自分に喝を入れる。怒りは心に力をくれる。力は勝利を呼び込む。このまま敗北を待つつもりは毛頭ない。
「ここまでずっと我慢してきたのに、こんなところで遊びを止められてたまるもんか……!」
通路を曲がったすぐ先に見えた鋼鉄の扉の前に立ち、脇のタッチパネルに番号を打ち込んで網膜認証を働かせる。認証が成功し、静かに開いた扉の先に、カーシアは足を踏み入れた。
広く天井の高い部屋の中は通路と同じく金属板が敷き詰められ、隙間に埋め込まれた照明に照らされている。部屋の奥には円筒形のガラスに蓋をされた金属製の棺のような形をした治療槽が並べられている。地球では見ない異文明を感じさせる室内のデザインだが、槽の前に大きなコンソールが置かれ、低く処理音を立てている。後から追加されたらしいそこのデザインだけが周囲から浮いていて酷く不恰好だった。
胸を押さえながらカーシアは中央の槽に近づいていった。槽にはそれよりも大きな金属と輝く鉱物の塊が複雑な形で構成され、その中程に、デスタッチが奪った遺物が組み込まれている。カーシアはほくそ笑んだ。ティターニアの力を奪った事から分かっていたが、ラースゴレーム達はちゃんと仕事をして遺物を取り戻している。
カーシアは槽の脇に立ち、見下ろした。液体で満たされた槽の中、神話の英雄を思わせる隆々たる肉体の男が眠っていた。
一見すると地球人と同じ姿形をしているように見えるが、どこか違和感があった。長い手足の先はやけに大きく、爪は分厚い。煉瓦を思わせる浅黒い赤い肌は所々が硬質化しており、そこに斧を振り下ろしても欠ける事すらなさそうだ。顎鬚に見えた灰色のものは毛ではなく、同じく皮膚が硬質化したか骨が隆起したものだろう。彫りの深く、がっしりとした顔つきからは、眠っているように見えても憎悪や敵意が染み出ているようだ。全身には無数のチューブが突き刺さり、ゆっくりと、しかし猛獣のような太い呼吸を繰り返している。チューブから捉えられた心拍、血圧、様々な情報が取得され、隣のコンソールに反応を表示していた。
「ターミナス……!」
カーシアが喜悦を混じらせながら荒い息を吐いた。カーシアの目の前にいる男こそ、この地球のヒーロー達にとって最大の宿敵。十年前にティターニアに致命傷を負わされ、カーシアが長年甦らせようとした男。異界の邪王、ターミナスだった。
「偉大なるシュラナ=ラガの王、我らがターミナス! ついに、正念場を迎える事になったわ。我らの宿敵、ティターニアがもうじきここまでやってくる。一人ならともかく、他にも二人ほど余計なものがついてきてるの。私だけじゃ厳しいわ」
友人に話しかけるような気さくさで、カーシアは槽の中の男に向かって語りかけた。息は荒く、体も痛みと疲労に震えているが、それ以上の高揚感が彼女の心を震わせていた。
「あのティターニアが、また私達を邪魔しているのよ。十年も現役を退いておきながら、その強さは全く変わってない。まったく憎たらしいったらありゃしない。お願い、今こそ貴方が目覚める時よ。私の前に、その力をお見せになって」
テンションがどんどん上がり、大仰な身振り手振りを交えて語るその姿は、まるでオペラ歌手のようだ。舞台は街全体、物語は復讐劇。だが、主演女優がどれだけ物語りを盛り上げても、男優は一向に応えないどころか、舞台に上がる素振りすら見せなかった。
「……ねえ、何故、何も話してくれないの?」
焦れたように、カーシアの右手が槽を叩いた。握られた手がこみ上げる何かを押し止めるように震え、下げられた顔の表情は、例えターミナスが目を見開いていても、うかがい知る事はできなかった。
「ティターニアに破れ、力を奪われてからずっと、私は空虚だった……。何も持たなかった。金も、スリルも、生きる喜びなんて手に入らなかった。そんな時、あなたが眠っているのを見た時の気持ちが、あんたに分かる!?」
数年前、カーシアがターミナスを見つけたのはほんの偶然だった。世間から素性を隠し、その日暮らしの毎日で、金を稼ぐ為に自分の体を使い、どんな醜く、おぞましい事でもやった。そうやって心と体を磨り減らす生活を繰り返していたある日、シュラナ=ラガの残した基地のひとつを見つけた。そしてそこで、治療槽に安置されていたターミナスの骸を発見したのだ。
確かにターミナスの死体は発見されておらず、様々な噂が伝えられていた。ティターニアが殺した際に灰となった、生き残った直属の配下がシュラナ=ラガに骸を連れて戻った。殺される直前に地球人の赤子に転生し、地球への復讐を虎視眈々と狙っているという珍説もあった。だが事実は、ジャスティス・アイとの戦いに敗れた後、ターミナスの肉体は生き残っていた拠点に転送され、わずかに残った装置が与えられていた命令に従い、誰にも知られず自動的に、細々と治療を施していた。
常人ならば、そこでヒーロー達に伝えていた事だろう。だが彼女の取った手は違った。彼女は基地に残されていたリバース・タイタン計画のデータを発見し、それを発展させて巨神の力を取り戻し、カーシアへと復活した。
ターミナスはどれだけ待っても目を覚まさなかった。ティターニア達ジャスティス・アイに負わされた傷は深く、拠点の治療装置も最小限しか稼動していない状態で放置されていた為、適切な治療が行われていなかったからかもしれない。だがその日から、ターミナスがカーシアの希望となった。シュラナ=ラガの技術を学び、必要な人材を集め、計画を推進した。
いつかターミナスを甦らせ、巨神の力を奪い地球と人類、そしてティターニアを支配する。やがては地球の王という手土産を持ってシュラナ=ラガへと凱旋し、ターミナスの片腕として、シュラナ=ラガすら手中に収めてみせよう。自分を認めなかった巨神の力で、巨神が守護するものを滅ぼす。これほど壮大で、魅力的な復讐劇があるだろうか?
「なのに、何であんたは目覚めないの!」
カーシアの両手が槽を叩いた。内部の液体が振動し、底から泡が一瞬激しく湧き上がった。
「傷はもう完全に癒えてる!いままで集めて来た遺物の技術で、巨神の力は最大まで解放してあんたに送り込んでる!これなら灰からだって甦ってもおかしくないのに! なんで! なんでなんで!」
怒りに任せた鉄槌が、槽を何度も叩いた。脱力して倒れこみ、槽の端に体を預けて顔を伏せる。漏れる悲痛な声が、次第に槽を叩く音よりも大きくなっていった。だが声は空しく、機械音にかき消されていくだけだった。
「……そう、やっぱりそうなのね」
涙混じりの嗚咽が、ゆっくりと、低く消えていった。彼を初めて見つけた時からずっと考え、だが心の奥底に押し込めていた考えが、追い詰められた今と言う状況が泡となって浮き上がっていく。
「やっぱり、あんたが目覚める事なんて、もうないのね」
ターミナスは既に死んでいた。治療槽がどれだけ傷を癒し、呼吸を助けても、それは肉体を蘇らせただけでしかない。目の前にあるものは王の抜け殻なのだ。たとえどれだけ手を加えたとしても、冥界から魂を救い出しでもしない限り、蘇る事はないのだろう。仮に冥界などというものが、どこかに存在すればだが。
いつの間にか、カーシアの喉が、カーシア自身も気付かない内に怒りの唸りを上げていた。
まさに道化だ。決して叶う事のない野望を果たす為に何年もの時間を費やし、最後の最後に全ては無駄だったと気付かされる。復讐劇は最後に喜劇へと姿を変えた。
跳ね上がるように顔をあげ、カーシアはコンソールへと向かった。手早くキーを叩いて操作し、ターミナスの入った治療層を解放させる。轟音を立てて排水が急速に行われ、上部の蓋が中央から開き、ターミナスの体が露になった。
「馬鹿みたい。もっと最初から、こうしておけばよかったのよ」
カーシアはターミナスの傍に近寄った。機械によって行われるターミナスの呼吸は相変わらず一定だ。初めて見た者なら、いつ目を覚ましてもおかしくないように思う事だろう。だがカーシアにとって、それは最早どうでもよかった。もうターミナスの復活は望まない。だが最後に、この異形が残しているものは必要だ。
「さよなら、王様。もうあんたをそう呼ぶ者はいないわ」