4-8.カーシアの愉悦
はやる気持ちを抑えつつ、ミカヅチは走っていた。
数分前からティターニアの気配が消え、ミカヅチ達は危うくティターニアの気配を見失う所だった。ティターニアの戦いは激しく、高速で動いていたため、確認が酷く難しい。先ほどから感じていたティターニアと戦う別の気配がなければ、ミカヅチは完全に目標を見失っていただろう。
だが果たして、自分の行動に間違いはないのか、正直に言って不安があった。謎の気配の正体がティターニアと戦っているカーシアだと踏んで追いかけているが、ティターニアの気配が消えたという事はティターニアの身に何かあったという事だ。遺物によって力を奪われたのか、ミカヅチでも探知できない場所に連れ去られたのか。最悪、既にティターニアの命は奪われて、ミカヅチが目指す先にはティターニアがいない事すら考えられる。
(そんな訳あるもんか)
思考からネガティブなイメージを追い払い、集中しろ、と自分に言い聞かせる。今ティターニアを迫る危機から守る事ができるのは、同じ偉大なる巨神の子である自分だけだ。
「ミカヅチーッ!」
上空からクロウの叫び声がして、ミカヅチは顔を上げた。周囲の状況を確認する為に高空を飛んでいたクロウが、大慌てで前方を指差している。
「見つけた! 斜め右! 交差点のとこ!」
ミカヅチはクロウから目を切ると大きく体を沈め、溜め込んだ力を放つように跳躍した。近くで最も高い建物だったデパートの屋上に向かって、一気に着地する。
屋上から見た先に、クロウの言っていたものが見えた。
デパートに面した大通りは北から南に向かって真っ直ぐ通っている。クロウが指差していた方を見ると、その先では無数の破壊の痕が残っていた。道路には隕石が落ちたかのような大穴がいくつも開き、その周囲には、あるものは潰され、またあるものは真っ二つに切断され、様々な末路を辿った自動車が散乱している。建物の壁にはぞっとするような破壊の爪痕が残り、一部は粉砕されたような跡も残っている。街中に無数の爆弾が放り投げられ、そこかしこで爆発したかのようだ。
そしてその破壊の終点、ミカヅチがいるところから数キロ程先にある交差点の角、大きなパチンコ屋の建物の一部が砕け、瓦礫の山と化しているのが見えた。そしてその中で、二人の女が争っているのを、ミカヅチの両目は捉えた。
一人は赤い装束を纏い、青い装束のもう一人の首を掴み、瓦礫の上を悠々と歩いている。掴まれた女はまともに動く事もできず、されるがままだ。
交差点に、女は掴んでいた女を投げ捨てた。車にぶつかったままうごけなくなっている女の姿に、ミカヅチの顔が歪んだ。
今まで大が一度も見た事がない、あのティターニアが宿敵を前に倒れた姿だった。
カーシアは片手でティターニアを掴み、力任せにティターニアを放り投げた。ティターニアの体は宙を舞い、その先にあった自動車にぶつかった。大通りの交差点、その中央で乗り捨てられた車のフロントガラスからボンネットをクッションにする形で、ティターニアは倒れた。動こうとすると先ほどまで感じもしなかった激痛が全身を貫く。
痛みと疲労に息を荒くするティターニアの視線の先で、空が辺りから出た煙に汚されていた。普段ならば人の出入りが絶えない住宅地だというのに、今日は完全に廃墟と化していた。
「くっ……!」
立ち上がろうととしたところに、カーシアの姿が視界を遮った。分厚いブーツの踵で車を蹴りつけると、車が横に回転しながら道路を滑って飛んで行く。その勢いについていけずに取り残され、ティターニアはその場で回転しながら落下して、地面に背から落ちた。
痛みに耐えて全身が硬直した次の瞬間、上からカーシアの踵がティターニアを踏みつける。ティターニアの胸元を踵で擦るように足をねじり動かしながら、罪人を断頭台にかけた処刑人のようにティターニアを見下ろして、カーシアは満足そうに言った。
「どう?あんたの信じる巨神の力に叩きのめされる気分は?」
「い、一体、何をしたの……!」
「何をしたって?見ての通りよ。あなたの力を奪ったの。あなたの言う『偉大なる巨神のご加護』をね」
踏みつけられて呼吸もままならず、断続的に咳のような息をしながら、ティターニアの思考は現状の把握に務めていた。だが考えれば考えるほど、状況は最悪だと結論づけられる。
ティターニアとは逆にカーシアの声は、どんどん興奮の度合いを高めていった。
「所詮巨神とはエネルギーの塊にすぎない。地上の神? 偉大なる巨神の加護? 実態は高次元のエネルギーにアクセスする事のできる異能種の血族と、古代の信仰が結びついただけの事よ。偉大なる巨神が選ばなかった私でも、アウターサイドの技術力をもってすれば、こうやってその力を使いこなす事ができる!」
恐らくティターニアがカーシアと戦っていた間にラースゴレーム達によってタワーが攻略され、保管していた遺物が奪われたのだろう。そして遺物はカーシアの拠点に運ばれ、デスタッチが語っていたシュラナ=ラガの設備が完全に稼動した。どういう理屈かは知らないが、カーシアは確かにティターニアに与えられていた巨神の力を操作している。
グレイフェザーは間に合わなかったのか。果たしてタワーの防衛に当たっていた者はどうなったのだろうか。大はどうなったのだろうか?
(大ちゃん……)
胸を踏みつけていた足が動かされ、カーシアは更なる屈辱を与えようと嬲るように靴底を擦っていく。痛みが思考を奪うが、視線を動かして何とかカーシアを視界に入れる。彼女の顔は十年来の宿願を達成した事で感極まり、まさに邪悪そのものとなっていた。
「どう?ティターニア。あなたが今まで信じてきたものが崩れた気分は」
「あ、あなたは間違っている……!」
「事実を認めなさい。私は巨神の科学を解き明かして力を得た。そして今、私が上であんたが下にいるの」
動こうとするティターニアの体を、カーシアが押し止めた。カーシアの踵とコンクリートに挟まれて、ティターニアの胸が更に締め付けられる。
「あぐ!ぐっ、うぐぅ……!」
「あんたは私を認めなかった。タイタナスの学者たちも、神官達も、両親さえも!あんたがティターニアであることを褒め称えながら、私を認めなかった!偉大なる巨神も、私に加護を与えてくれなかった!なら私が、あんた達を認めなくて何が悪い!」
「偉大なる巨神があなたを、認めなかったのは、あなた自身のせい。自らを律し、高めようとする心がなかったからよ……」
「黙れ!全て奪ってやる!あんたからも、巨神からも!あんたには何も残さない。偉大なる巨神の娘の栄光を、あたしの手で地に堕としてやる!」
口から吐き出されるカーシアの恨みと憎悪は暗く、深かった。かつての戦いの後、彼女が育んできたものは自己愛と承認欲求と、それが満たされない事への怒りだけだ。かつての友の醜い姿に、思わずティターニアの瞳に涙が滲んだ。
おどけたような口調でカーシアがティターニアに語りかけた。
「いかがいたしますか?ティターニア。偉大なる巨神の娘は無様な敗北の後、どういう末路を辿るのがお好みですか?シュラナ=ラガの下層奴隷達の慰み者にしてあげようか? 変態貴族共相手の情婦がいい?安心しなさいよ、あんたの愛しの坊やも同じ道を辿らせてあげるから。あんた達二人、仲良く同じ道を辿らせてあげるからさぁ!」
「ふざ、けるな……! そ、そうは……させない……!」
搾り出すようなティターニアの声に、カーシアの動きが止まった。紅の仮面から覗くティターニアの意志の瞳が、カーシアを突き刺ささんばかりに輝いた。
それだけは許せなかった。今の状況は最悪だ。力を奪われ、体もまともに動かない。逆転の目など欠片もない。だが大を守る為ならば、例え次の瞬間に最期を迎えるとしても、這ってでも戦ってみせる。
燃えるティターニアの瞳の色に、カーシアの目が不快そうに細められた。
「よく覚えてるわ。十年前と変わらない目をしてるのね、あなた。強くて美しくて、虫唾が走る瞳。全然変わってない」
吐き捨てるように言うと、カーシアは右腕を天に掲げた。手に握られた黄金の棍が、蛇のようにとぐろを巻いてうねり、見ただけで切り裂かれそうな程鋭い剣へと姿を変えた。
「決めたわ。まずその目を片方抉ってやる。それからあんたの大事なものを全て壊す。最後の一つまでぐずぐずに壊れていく様を、残った方の目で見届けるのよ。その後残った方も潰して、あんたの肉をあの小僧に食わせてやるわ」
カーシアが剣先を下に向け、柄を両腕で握った。これから行おうとしている事の結果を想像しているのか、カーシアの全身が武者震いに震え、歯の根が合わずにガチガチと音を鳴らした。
カーシアの体を跳ね除ける事もかなわず、ティターニアはただ睨みつけるしかできなかった。
そして、刃は突き下ろされた。