4-7.”巨神の娘”と”呪われ子”
アイ・タワーを出てから数分、ミカヅチは空を跳んでいた。タワーからティターニアの放つ巨神の気配を追い、一直線に走る。道路には破壊された車が所々に転がり、進行を困難にしていたが、ミカヅチにとっては公園に備え付けられたアスレチックと変わらない。
民家の屋根や賃貸ビルの屋上へと駆け上がり、強靭な脚力で建物から道路を挟んだ建物へと飛び移る。普段誰も入らない屋上はサビと汚れに満ちていた。
「こっちであってるの?」
横を飛ぶクロウが叫び気味に尋ねた。ミカヅチなら走ってもクロウの飛行と同程度の速度を出す事ができるが、やはり空を飛べるのは少々羨ましい。
「ティターニアの波長を感じる。間違いない!」
走りながら答えつつ、ミカヅチはビルの屋上の柵に足をかけて跳躍した。向かい風を受けながら宙を舞い、やがて重力を全身に感じながら落下する感覚に、背筋がむずがゆい痺れを覚えながら着地し、また走り出す。
タワーからティターニアの下へと走り出して、既にかなりの時間が経っていた。近寄れば近寄るほど波長の位置が正確に読み取れるようになったが、そうすると市の南西にある住宅地で、ティターニアが高速で動き回っているのが感じられた。
何者かと戦っているのだ。それもティターニアが本気で、長時間戦わなければならない相手と。
相手からもティターニアと似た波長が感じられた。しかしこちらはティターニアとはどこか波長がずれていて、しかも弱い。ティターニアが太陽だとすればこちらは真昼の月だ。近寄って落ち着いて見なければ、違和感程度にしか感じ取れないものだった。
(カーシアの波動かもしれない)
ミカヅチは思った。彼女の語源であるキャラクターは、巨神の神話では神の力を奪い世を乱す「呪われ子」の異名を持っている。その名を受け継ぐ彼女も偉大なる巨神の加護を得るのではなく、奪いとって自らのものにしている存在だ。その違いの為、ティターニアと違って波長を読み取りにくいのかもしれなかった。
(どっちだっていいさ。このまま倒す)
そう心に決めていた。仮にティターニアの相手がカーシアだとしても、このままティターニアの下へと辿り着けば状況は三対一だ。タワーから奪われた遺物が力を発揮する前に、ティターニアと力を合わせてカーシアを倒し、この混乱を収めればいい。
カーシアは今まで様々な人から様々なものを奪ってきた。偉大なる巨神の力を奪い、人々の命を奪い、大から伯父を奪い、綾から幸せを奪った。
ここで終わりにするのだ。これ以上、何も奪わせてはならない。
「……大丈夫? 何か思いつめた顔してるよ?」
隣でクロウが心配そうな顔を見せた。だいぶ思いつめた顔をしていたのだろう、大丈夫だよ、と答えようとしたところで、ミカヅチは全身に訴えかける何かに気付いた。
跳躍したアパートの屋上で立ち止まり、周囲の状況を読み取ろうと務める。ティターニアの波長はまだ感じる。カーシアらしき敵の波長もだ。だがティターニアの波長にどこか、先ほどと違った妙な違和感があった。
ミカヅチは一度大きく深呼吸した。全身に鳥肌が立つような不快な感覚が、ミカヅチの周囲にタールのように重く、粘りながらまとわりついてくる。
「……どしたのさ、サブリーダー」
先ほど以上に深刻な顔をしていたのだろう。クロウも茶化す気にはなれなかったらしい。この不快な感覚が、あの遺物によって生み出されているのだとしたら。もう猶予はなかった。
「急ごう。本格的にやばいかもしれない」
ミカヅチの予想が正しければ、ティターニアはこれから最大の危機を迎える事になる。
ティターニアとカーシアの戦いは宙を舞い、周囲に嵐を起こしていた。
建物と建物を飛び越え、ぶつかりあい、その余波で建物が破壊され始めるとまた別の場所へと移る。全力を込めた二人の一撃が二人以外の何かにぶつかると、それは高確率で破壊されるのだ。人型の爆弾が二つ、街中を走り回っているようなものだった。
二人は跳躍し、次のリングである古臭いアパートの屋上へと着地した。
「シッ!」
ティターニアの左拳が一撃、二撃、カーシアを砕こうと放たれた。
カーシアは薄笑いを崩さずにスウェーでかわし、手を離すと後方に跳躍して距離を取った。その余裕と薄ら笑いは消えない。
「甘い甘い」
カーシアのからかうような動きを無視して、ティターニアは足刀を放つ。風を斬り裂く神速の一撃をカーシアは半身になりすり抜ける。
脚を引き抜くよりも先にカーシアは脇に抱えると、勢い良く振り回し放り投げた。
ティターニアの体は一瞬でアパートの屋上を飛び越え、体を回転させながら落ちていく。落下の感覚に襲われながら地面との接触まで数秒、常人なら絶命の予感に体を硬直させるのが精一杯の状況だ。だがティターニアは姿勢を制御して両足から着地し、両膝のバネによる伸縮と体操選手のような跳躍と回転で、完全に衝撃を吸収する。
火と煙で日常の色彩を完全に失った交差点の中央で、ティターニアは棍を引き抜いて楯へと変えた。気配を感じた次の瞬間、頭上に掲げた楯に稲妻のような勢いでカーシアの蹴りが直撃する。
「くうぅっ!」
「ハッハァーッ!」
骨まで響く衝撃を耐え、ティターニアは着地したカーシアへと向かって突進した。再び楯を棍へと変えて放つ連撃を左右に揺れてかわす。カーシアが致命の一撃を避ける度に、溢れるアドレナリンに酔っているように目を細める。右手の上段から脳天に振り下ろす棍の一撃を、カーシアは踏み込んで左手で手首を掴む。返す刀でカーシアが放った右薙ぎの一撃を、今度はティターニアが手首を掴んで防ぐ。攻めと受け、二人の剛力が拮抗し、足元のアスファルトが圧に耐え切れずひび割れた。
「もう終わりだ、カーシア! 貴様の思惑が分かっている以上、ジャスティス・アイが逃がしはしない。貴様もターミナスも、私達が止める!」
「怖い怖い。でもね、ティターニア。今の状況をよく見なさいよ。街は大騒ぎ、いたる所で破壊と混乱が起きてる。十年前を思い出すでしょう?もっとこのパーティを楽しんでからにしたらっ!」
二人は同時に手を離して距離を取ると、さらに同時に双棍を両手に構えた。
「パーティですって?」
「そう。主賓はもうじきお目覚め。かき集めたアウターサイドの技術とエネルギーが、もうじきターミナスを蘇らせる。復活したターミナスがこの地球を足がかりとしてシュラナ=ラガの王へと返り咲く。そして私は復活の見返りとして、この力とタイタナス、そしてあんたの命を頂くってわけ」
「そうはさせない」
「させるさせないを決めるのはあんたじゃない。この私よ。ティターニア、あんたが十年前に私から奪ったものの借りを返させてもらうわ!」
「やれるならやってみなさい。お前がその気なら、私はお前から十年前に奪わなかったものを、今度は全て奪ってやる!」
怒りと歓喜を爆発させて、二人はぶつかった。一撃一撃が残像も残らないほど速い剣戟でありながら傷一つつかない二人の動きに、周囲の人は達人の演舞を連想するかもしれない。だが、周囲に与えられる被害は甚大だった。風が唸るたびに足元の道路が破片となって砕けて舞い、近くにあった建物のコンクリートに裂け目が生まれる。
「チッ!」
「シャアッ!」
二人の武器が激突するたび、星屑のような閃光が散った。棍から剣、剣から斧。爪から刀、刀から槍。魔力を帯びた二人の武器が消耗すると、二人は戦いの中で瞬時に武器の形状を一新して火花を散らした。
カーシアの実力は衰えていないようだった。動きの切れは記憶にあるかつてのカーシアに優るとも劣らない。
それよりも問題なのは、二人の力が時間と共に上がっている事だった。一撃一撃がどんどん速く、重くなっていく。全身に湧き上がる巨神の加護が熱を持ち、全身が煮えるようだった。
(偉大なる巨神の加護に、何かが起きている…?)
「考え事してる暇あるのかッ!」
意識が思考に向いた一瞬、カーシアの右膝が脇腹に決まった。体が宙に舞い、背後にあったパチンコ屋の窓を粉砕し、更にいくつかの台を倒して破壊したところで止まった。
痛みが腹から背中に突き抜ける。腹の中で焼けた鉄の塊が振動している気分だが、目の前の危機に立ち向かうのが先だ。追撃をかけに迫るカーシアを前に、両手で体を跳ね上げ、後方に回転しながらティターニアは棍をナックルガードに変化させる。
着地すると拳を腰溜めに構えた。自身を包む巨神の力を一点に集中し、拳に乗せて打ち出す。
「タイタン・ブロウ!」
「タイタン……ブロウ!」
跳躍からのカーシアの右の打ち下ろしを、ティターニアの右拳が迎え撃った。二人の拳が激突した刹那、周囲の空気が一気に爆ぜた。
「あァッ!」
「くゥッ!」
拳から送り込まれる力の奔流がぶつかり合い、爆発の渦となって拡散する。爆風と衝撃が周囲の物体を砕き、弾き、吹き飛ばす。パチンコ台の喧騒は破壊音に取って変えられ、華やかな店舗の内外装は店内側から吹き飛び、瓦礫の山となって辺りに飛び散った。
「くっ……」
上に乗った瓦礫を押しのけて、ティターニアは立ち上がった。辺り一面、完全に瓦礫の山と化して人の気配もなく、静かなものだ。奇跡的に破損を免れたパチンコ台が数台、どこかコンクリートの山の下から、場違いな電子音を鳴らしていた。
ティターニアは気忙しく周囲を見回した。自分と互角以上の力を持つカーシアが、先ほどの衝撃で動けなくなるとは思えない。
「一体どこに……?」
一旦状況を把握しようと動き出した瞬間、背後で突然瓦礫が弾け、ティターニアの背を雷撃が襲った。大地と平行に放たれた雷光と鳴動が、周囲を奮わせる。
「くあぁ――ッ!」
「さすが、偉大なる巨神に愛された女は違うわね」
肉が内から裂けるような痛みがティターニアの全身を痙攣させる中、ティターニアは視線を光が発せられる先へと向けた。瓦礫の陰にいたカーシアがゆっくりと姿を現した。
タイタン・ブロウの打ち合いによる被害は大きかったのだろう。体を包む衣装は所々が破れ、美しかった肌の数箇所から血が滲んでいる。ティターニアとの拳のぶつかり合いにひび割れた手甲に覆われた手には棍の代わりに、雷光を放つ水晶と金属で構成された杖が持たれている。
「どう?集めた遺物を組み合わせて作った杖、あなた用に調整したんだけど効くでしょう?もう少し遊びたかったんだけど、もう腕がボロボロよ。やっぱり殴り合いで貴方に勝つのは厳しそうね」
カーシアは杖から雷電を発しながら、常人なら歩く事すらままならない瓦礫の上を飛ぶように走り抜ける。そのまま右手でティターニアの首筋を掴み、電撃を与えながら残っていた柱に、ティターニアの頭を叩きつけた。
「ぐう、うぇっ!」
「あなたの弱点は昔から変わらない。巨神の加護は圧力に熱、あらゆる力に対して超人的な耐性を人に与える。しかし、電撃に関しては他よりも耐性が低い。この間ヒュプノパスにも指摘されたでしょう?」
「うぅ……!」
「タイタナスの学者共はそれを神話の描写になぞらえて考察したりしていたけども、何の事はない。ただタイタナス人が巨神と呼ぶエネルギーによる肉体の強化の限界だというだけ」
痛む体をティターニアは体を回転させて腕を弾いた。左手の棍でカーシアの杖を弾き飛ばし、その反動で右拳をカーシアの顎へと向けて振り上げた。
必殺の一撃は完璧な角度で直撃した。だがティターニアの顔には驚きがあった。カーシアの顔には歓喜の笑みが浮かんだ。
力が消えた。偉大なる巨神の力がティターニアの体から完全に消えている。ティターニアは驚きながらも、更に追撃を繰り出した。しかし全身から湧き出るような無敵の力が消えた今、カーシアの体には何の打撃も与えられなかった。
「遺物の設定が完全に終わったの。もうあなたの力は私の許可なしに引き出せない」
「な……」
カーシアの手がティターニアの首を掴み、体を持ち上げた。先ほどまでならいくらでも振り払えたのに、今は酸欠の苦痛に必死に喘いでいるのが信じられなかった。
「あんたのその顔が見たかったのよ、ずっとね」
額が触れるかと思う程、頭を近くに寄せて、カーシアの濡れた瞳が妖しく輝いた。