1-2.再会と変身
二人は男達に連れられて、銀行の地下へと続くエレベーターへと乗った。大と綾、そして男とフェイタリティの四人が乗ったエレベーターが、低く唸りながら降りていく。
皆無言だった。大はポーカーフェイスを保とうとしたが、できているかは自信がなかった。綾は緊張した面持ちだったが、チャンスを伺うように目を配っている。
先ほどのニュースで語っていた通り、太陽神アポロンを初めとして超人が表社会に現れて以降、世界的に犯罪は多様化、複雑化し、犯罪率も高まっている。だが、大がこのような大事件に巻き込まれるのはそれこそ十年ぶりだ。もし隣に綾がいなければ、もっと取り乱していたに違いない。
幼い頃に両親を失って以来、綾は大にとって親代わりと言ってもよかった。優しく、強く、立派な男になるように育ててくれたのだ。
今こそ借りを返す時だ。綾を守らなければ。そういう思いがあるから、大はこの場で震えずにいられた。大を心配そうに握る綾の手は、子供の頃から変わらず暖かかった。
鈴のような電子音が鳴ってエレベーターが開き、四人は外に出た。地下の金庫室の分厚い鉄扉は開いている。室内にいる強盗の仲間は、おそらく金や貴金属であろうものを袋に詰め込み、辺りに放り投げていた。
「準備はできたか?」
「問題ない。地下に穴を開けたらすぐ持って帰る」
「よし。急げよ。特にそいつは忘れるな」
金庫室の中央にある装置にフェイタリティは目をやった。水晶のような透明な球体に、金属のパイプが植物のように絡みつき、その上に薄い金属の皿が載っている。
「……!」
綾の大を握る手の力が強くなり、思わず大は顔を横に向けた。綾の横顔に写っていたものは、恐怖よりも驚愕と困惑だ。あの奇妙な形状の装置が一体何なのか、綾は知っている。
「おい、女」
フェイタリティに呼ばれ、綾は弾かれたように顔を上げた。
「日本での生活が長いんだろう。日本人らしく振舞ってるが、それでも言葉の端々にいくつか癖がある。お前はタイタナス人だな」
「……そうだけど。だったらどうだって言うの」
「そう絡むなよ。仕事を終えるまでの、ただの世間話だ」
「話が終わった後で、仕事を見たから殺す、なんて言われたくないわ」
「気が強いねぇ。安心しろ。そっちが何もしないなら、こっちも何もしない」
自嘲するように笑うフェイタリティに、綾は警戒を崩さないまま、相手の言葉に耳を傾けた。
「外見から見るに、ティターニアと同年代だろう?」
「ティターニアとは偉大なる巨神の娘。私達のような俗人とは違う神話の存在よ」
「なるほど、タイタナス人らしい模範解答だ。ただそんな話を聞きたいんじゃない。俺が言ってるティターニアは、十三年前に日本に現れた、あのティターニアのことさ」
「……」
「あの頃は楽しかった。金を稼ぐ為に体を作り替えた俺だが、自分の力を試す、楽しい敵がいた。ブルーフレイム、グレイフェザー、ティターニア。ジャスティス・アイの輝かしいヒーロー達。それが今じゃどうだ」
八つ当たりのように叩きつけたフェイタリティの鉄槌が、金庫室の壁にめり込んだ。
「ティターニアは消えた。ブルーフレイムは宇宙で働き、グレイフェザーは超人の管理だなんて言い出して事務仕事に精を出し、有象無象の超人どもがどんどん増えていく。時代は変わった。俺が愛したヒーローは消えた」
フェイタリティは大きくため息をついた。顔は見えないのに、仮面の下の退屈と落胆の顔が、大には見えたような気がした。
「悲しいもんさ。昔の知り合いに頼まれたから、久しぶりに出張ってきたはいいものの、やってる事はくだらん銀行強盗だ。なあ、あんたも昔、ティターニアに憧れた身だろう?奴が今どこにいるか、何か知ってるなら教えてくれよ」
「……」
綾は何も答えず、神妙な顔でフェイタリティを見つめていた。戦場すら遊び場として生きてきたはずの超人傭兵だというのに、その口調はまるで、一人家で親の帰りを待つ子供のようだった。
突然電子音が鳴った後、足下から伝わる振動と共に、金庫室の中央の床が砕け、大穴が開いた。
「終わった。後は持って帰るだけだ」
駆け寄ってくる覆面の男に、フェイタリティは頷いた。先ほどまでの悲しげな気配はもうない。
「ここまでだな。俺はそいつを持って帰る。他は好きにしろ」
「了解。……ん?」
男は綾に気付くと、下卑た笑いで口元を歪めると、銃口を綾の胸に突き立てた。
「へへっ。いい女だな。こいつももらっていいかい?」
「……っ」
冷たい銃口が豊満な胸を押し上げる。綾が怒りに顔を歪めた。
「よせ。下らん事に時間を使うな」
「あんたとの契約はここまでだろ。後は俺達の勝手にさせてもらうぜ」
「きゃっ!」
男は右手で綾の手首を握り、乱暴に引っ張った。痣がつきそうなほど強く握りながら、そのまま引きずり、金庫室へと向かって歩き出す。
「やめて、放し――」
「やめろ!」
考えるより早く、大は飛び出していた。綾と男の間に割り込んで男の手を弾き、綾を後ろに下がらせる。
まずい行動だった。目の前の相手はただの酔っ払いじゃない。銃器を持った強盗犯だ。頭の中では分かっていたのに、綾に手を出そうとする男への怒りが大に無謀な行動を取らせていた。
「なんだ、てめぇ!」
「やめて、大ちゃん!」
綾を引っ張っていた為バランスを崩していた男が、片手で銃を向けようとする。大はそれを右掌で弾きながら、左拳を男の顎に叩き込んだ。タイタナスの武術の基本形の一つだ。今日ほど綾から武術を学んだ事を、大は感謝した事はなかった。
「げぇっ!」
男がひき蛙のような声を出して上半身を反らしたところで、そのまま足を引っ掛けて押し倒す。後頭部を痛打した男が銃を手放し、軽い音を立てて床を転がった。大は馬乗りになって、男の顔面に鉄槌を打ち込んだ。覆面の下にある鼻の軟骨が潰れる、嫌な感触が手の奥に伝わった。
男はそのまま気絶して動かなくなり、次にどうするか逡巡した時だった。
「逃げて!」
綾の声に顔を上げた瞬間、腹が爆発したような衝撃で、大の体は後方に引っ張られた。硬い床を転がり壁際にぶつかって、大の視界に金庫室の中から出てきた別の男の姿が映った。
「嫌ぁーッ!」
綾が金切り声を上げて、大に駆け寄った。
異変を感じて金庫室から出てきた男達が、綾達を囲む。その中の一人が、銃口から硝煙をたなびかせながら、舌打ちした。
「あの野郎、騒いでると思ったら情けねえ、ガキに殴り倒されるとはよ。あんたもあんただぜ、なんで助けてくれなかったんだ」
「契約はここで終了、後は勝手にやる。そこで倒れてる奴が自分で言ったんでね」
フェイタリティは興味なさそうに答えると、綾達に視線を向けた。大の胸に穿たれた穴を、綾は両手で必死に抑えた。大の荒い息が吐かれるたびに、傷口を抑えるハンカチの色が朱に染まっていく。
「……すまんな。そのまま抑えておけ。俺達が出ていった後、病院に連れて行くまでは持つだろうよ」
「大ちゃん、大ちゃん! 目を開けて。頑張って、意識を保つの。大丈夫、絶対助かるからね!」
「おいおい姉ちゃんよ、気休めはよくねえぜ」
「そんな事よりこっちの相手をしてくれよ。あんたが俺達に優しくしてくれれば、そいつにも優しくしてやるからよ」
「よせと言っているだろう。無駄な事がやりたいなら仕事を終えてからにしろ」
男達が綾を囲み、各々下卑た笑い声を上げる。まさに悪夢だった。人の悪意が生み出す、現実に現れた暴力と殺意の幻。力なき者はただ、目の前から幻が消え去るのを待つしかない。
そう、ただの人間には。
「あや……さん」
「……大ちゃん、落ち着いて。これでしっかり傷口を抑えてて。すぐ助けを呼ぶから。待ってて」
綾が優しく微笑む。照明の加減だろうか、大には綾の体が輝いたように見えた。
綾がゆっくりと立ち上がった。綾が観念し、大の命乞いをするとでも考えたらしい。男の一人が綾の豊満な胸に手を伸ばす。
「へへっ……」
握り締めようとした手を、綾の右手が阻んだ。男がふりほどこうとして驚愕の顔を見せた。まるで万力に腕を突っ込んだかと錯覚するような怪力、男の腕は一ミリも動かない。ゆっくりと、骨をきしませながら、男の腕が絶叫と共に綾の胸元から離れていく。
「こ、この女ァ!そこのガキと同じ目にあいてえのかよ!」
「フェイタリティ!」
思わず男達が震え上がるほどの怒声だった。金庫室に向かおうとしていたフェイタリティが振り向き、そして見た。
「お前は……」
「お前の会いたかった者に、嘆くほど会いたいなら会わせてやる。ただし、お前の失敗と、後悔と引き換えだ!」
そう、そこにあったのは正しく、フェイタリティと大が長年求めていた者が持っていた、瞳の輝きだった。
「世の非道を正す為、私に貴方のお力をお貸しください。偉大なる……巨神よ!」
綾の肉体が閃光を放った。室内から影がなくなるほどの光量に、室内の全員が視界を奪われる。
光が収まりだした次の瞬間、綾に腕を掴まれていた男の顔面に拳がめり込んだ。
情けない叫び声と共に、男が地面と平行に跳んだ。まっすぐフェイタリティに向かって飛び、ぶつかる直前に男はフェイタリティの裏拳を食らい、天井に飛んで跳ね返り、地面を転がった。
「おお……」
仮面の隙間から覗くフェイタリティの瞳が、喜びと驚きに濡れた。
そこに現れたのは、誰もが知る姿だった。艶かしい光沢を放つ衣が、首から下を締め付けるようにぴったりと包み、鍛えられた肉体美を引き立たせる。その上から羽織った裾の長い濃紺の戦装束の立体的で重量感のある様は、軍服や鎧を連想させる。そして両腕を包む白銀の手甲。両脚のブーツも同じく白銀の甲が固める。腰を締めるベルトの左右から提げているのは、同じく白銀に輝く双棍。そして目元を覆う、燃え盛る炎のように赤い仮面。
「ティターニア!」
「偉大なる巨神の名にかけて、外道は正す!」
裂帛の気合と共に、綾――ティターニアが走った。稲妻の如く残像を残して、瞬時にティターニアから向かって左にいた、長身の男の顔面に拳を打ち込んだ。
長身の男の鼻骨が潰れて吹き飛ぶ。その姿を見もせずに、別の男へと向かう。
「くそがァ!」
残った男達が手に持った銃を連射した。ティターニアの鋭い吐息と共に、軽快な金属音が連続して流れた。
男達の表情に驚愕と恐怖が広がった。ティターニアの両腕が瞬き、手甲で弾を弾いたのだ。十年前ならば誰もが知っていた彼女の得意技を、今男達は目にしたのだ。
最早誰も疑いはしない。そう、彼女は本物のティターニアだ。
「うわああ!」
男の叫びながらの連射を受け流し、ティターニアが走った。一度の踏み込みで2メートル近く跳び、一番ごつい体をしていた男の胸に肘を打ち込む。まっすぐ吹っ飛んで壁に激突した男を無視して勢いのまま反転し、跳躍する。
新体操の競技のように美しいフォルムの跳び後ろ回し蹴りが、男のヘルメットを粉砕した。
着地し、腰の双棍を抜いて構える。既に両の足で立っている者は、彼女以外にはフェイタリティと金庫室の奥にいる一人だけだ。
「よう、お嬢ちゃん。見違えたな。さすがに10年も経つと別人だ。気付かなかったぜ」
フェイタリティの声は弾んでいた。
「あなたは変わらないわね。ただ、まさかあなたがそこまで私にご執心だったとは、昔は知らなかったけど」
「ああ、まったく恥ずかしいところを見せちまった。言い訳のしようもねェ。だがそれもどうでもいい。運命の相手に再会した女子高生の気分だよ」
「あいにく私は時間がないの。その遺物を置いて自首してちょうだい」
「ああ、その小僧が心配か。安心しろ、銃創の位置と呼吸から見て、出血を押さえておけば2時間は持つ。おい、準備は終わったか」
フェイタリティに声をかけられて、金庫室の奥にいた男は金縛りが解けたように慌てて頷いた。
「あ、ああ。荷物は全部詰め込んだ」
「さっさと持っていけ。ほかの奴らを助けようなんて思うな。お前の分の仕事をこなしたら、後は好きにしろ」
「あ、あんたはどうすんだよ!」
「俺か?俺は少し遊んでいく」
後ろで男が慌てて穴に下りていく。そちらには目もくれずにフェイタリティはティターニアと対峙する。フェイタリティは右手で、背のアタッチメントから生えていた柄を一本引き抜いた。どうやって収納されていたのか、分厚い刃をした長刀が現れて鈍い輝きを放った。
「さあ、やろうぜ。小僧の命と、荷物が賭け金だ。見事取り戻してみな、ティターニア!」
二人が突進し、ぶつかった瞬間、空気が爆ぜた。
「くっ!」
「はぁ!」
鉄の塊が激しくぶつかり合うような音を鳴らして、二人が穴に落ちていった。
腹が酷く熱かった。傷口から全身に、大の心臓の鼓動に載せて痛みと痺れが走る。だが痛みよりも重要な事があった。目の前であった事が信じられなかった。
ティターニア。綾がティターニアだった。ずっと会いたいと思っていた相手が目の前に現れたのに、体が動かない。
「おい、一体どうなってんだ、これは!」
「どうなってやがる!」
視界の外から怒声がした。エレベーターから出てきた男達が乱暴に男達に駆け寄る。地上で人質を監視していた仲間達が、仕事を終えて戻ってきたのだ。
「くそ、何がフェイタリティだ! 大層な名前つけやがって! 傭兵だってのにみんなボロボロじゃねえか! 一人だけ先に逃げちまったのかよ!」
「そいつらはほっとけ! 奥だ! 頂けるもんは全部頂いて、さっさとずらかるぞ!」
男達が近くの札束を鞄に詰め込み、穴に駆け寄る。その中の一人が、大に気付いて見下ろした。
「おい、このガキは?」
「さっきフェイタリティが連れてったガキだろ」
「女もいただろ。あいつはどこだ? フェイタリティが連れていったのか?」
「ここにいねえなら女はほっとけ。だがまぁ、こいつには何か見られたかもな。殺すか」
吐き捨てるようにして、男が銃を抜いた。恐怖の汗は、痛みの汗に紛れて出続けている。
死ぬ。これから死ぬ。このままでは銃弾が、大の額を撃ち抜き、大は死ぬ。誰も止められない。十年以上前から、大は何度も助けられてきた。だが大を助けるヒーローは、今ここには誰もいない。
嫌だ。
ここで死にたくなかった。友人、家族、そして綾にも、ティターニアにも会えない。まだ何も言えていない。まだ何もできていない。
力が欲しい。この状況を変える力が。
「綾さん……神様……」
「神様? 残念だったな、ヒーローは見た事があっても、神様は見た事がねェよ」
「神様……イ…ン……」
大の口から、無意識にあの言葉が漏れた。綾達が、そして大も信奉する、偉大なるタイタナスの神の名が。
「タイ……タン……。……巨神!」
刹那、爆発するような閃光が大を包んだ。
細胞一つ一つが燃えるように熱を持ち、痛みが雲散霧消する。血まみれの服が、瞬きするよりも速く赤い衣装へと変わる。
「な、なんだよこれ……」
大の口から驚きの声が漏れた。この数十分間、驚きの連続だったが、これは強烈だった。
全身に溢れる力、赤い軍服に似た装束、黄金の手甲、青の仮面。この衣装、この装備、細部は違い男性的なデザインだが、これはティターニアと同じものだ。
「おい、なんだこいつ!」
「殺せ! さっさと殺せ!」
大に向けられた銃が、一斉に火を吹いた。銃弾が数発、大に向かって迫る。
全て見えた。スローモーションで銃弾が近づく。軌道から体を外しながら、かわし辛い右胸の一発、腹の一発を、黄金の手甲で弾く。
大の体を一切傷つけることなく、銃弾が後方の壁にぶつかった。男達の恐怖のざわめきが場を包んだ。ただ一人、大だけが高揚感に包まれ、体を興奮で燃やしていた。
何が起きているのか訳が分からなかったが、今言えることはただ一つ。目の前の男達に殺されない力を、今自分は手に入れている。
「なんなんだよ……お前は一体なんなんだよ!」
男達が銃を向け、混乱した顔で叫んだ。なんと名乗るべきかと思い、頭に浮かんだ名前をそのまま口にする。記紀神話にある武神、軍神の名だ。
「俺は……ミカヅチ。……偉大なる巨神の御使い。ミカヅチだ!」
力強く叫ぶと、ミカヅチは男達に向かって走り出した。