4-5.深まる混乱
非日常に支配された街中でも、太陽だけはいつもと変わらず輝き、大地に光を与えている。だが大地はいつもとは違う戦場に支配されていた。市内南部の商業地区の一角を占める高層ビルの屋上で、ティターニアは一人でラースゴレームの群れを一人で相手にしていた。
背を反らしたティターニアの目の前を禍々しい形の爪が通り抜ける。かわしざま手に持った白銀の剣を切り上げ、肩口から腕を切り裂いた。回転しながら跳躍し、腕を押さえるラースゴレームの首筋に向けて蹴りを叩き込む。杭打ち機のような衝撃は一体の背骨を砕き、そのまま水平に吹き飛んで屋上から落下していった。
全身から力が湧き出るようだった。巨神の加護を得て十数年、これほどの力を感じたのは、十年前の戦い以来だった。どんな相手だろうと今のティターニアにとっては文字通り、物の数ではない気がした。
最後の三匹をまとめて銀の大斧で両断し、ティターニアは改めて足元を見下ろした。屋上の床一面に、様々な色を使って所狭しと描かれた文様が発光し、低く唸っている。
市内南部の商業地区は襲撃対象の施設が少ない為か比較的ラースゴレームの被害が少ない地域だが、ラースゴレームの数自体は多かった。何かを防衛しているようにまとまった群れがこのビルの周辺に固まっていたのだ。その理由がこれだった。
シュラナ=ラガの技術の一つで、結界回路と呼ばれるものだ。複雑な文様が魔方陣のように効力を発揮し、特定の現象を自在に引き起こす事ができる。この回路で、カーシアは街中にラースゴレームの群れを拠点から召喚していたのだ。
「――ふっ!」
針のように細く、しかし強く息を吸いながらティターニアは拳を振り上げ、裂帛の呼気と共に振り下ろした。打ち込んだ拳を中心として、屋上に蜘蛛の巣状にひびが入ったと思った次の瞬間、屋上は轟音を立てて崩れ落ちた。
「ふう……っ」
瓦礫の上に降り立って、ティターニアは一息ついた。屋上は完全に破壊され、空き部屋だったらしい下の階に散らばっている。建物の損害賠償がどうこうなどは言っている暇はないし、所有者がそんな事を言い出さない事を願うまでだ。
『綾、聞こえるか?』
耳元に灰堂のよく通る声が届き、ティターニアは立ち止まった。周囲に敵の姿がない事を確認しながら、耳元の通信機を押さえる。
「聞こえるわ。今奴らが防衛していた回路を一つ壊したところ。そっちの状況は?」
『君が破壊したもの以外でも三つ発見している。二つは連絡を受けて、現在攻略中だ』
ティターニアの表情が固くなる。ラースゴレームの数からして、こんな何の変哲もないビルに回路を一つ用意しただけとは思っていなかったが、少なくとも市内全域をカバーできるだけの回路が仕掛けられていると見て間違いない。
『勢いは中々収まらんな。他に回路がいくつ仕掛けられているか、見当もつかん』
「街中に襲撃の為の仕掛けがあると見てよさそうね」
『ああ。よほど長い期間をかけて、計画を練り上げてきたんだろうよ。なんせ奴が力を失ってから10年だ。罠 も恨みも溜め込む時間は十分にあっただろうからな』
「とにかく、できるだけ早く奴らを止めないと。奴らの本拠地がどこにあるか、なんとか見つけられない?」
『見つけた回路の規模からして、拠点からの転送距離はそこまで遠くはないな。おそらくこの街のどこかにいる。回路による空間歪曲の波長から位置を測定しているが時間がかかりそうだ』
ティターニアは軽く頷いた。詳細な原理を知っているわけではないが、結界回路の規模と転送距離は比例する傾向にあるのはティターニアにも分かる。探知に関しては研究しているであろうアイの科学者達に任せるのが得策だろう。
「分かった。分かっている回路の攻略に手を貸すから、位置を教えて」
『了解。だがまずは少しそこで待ってくれ。何人か手伝いを寄越す』
周囲を見回すと、街の状況の全体を見渡せる。街中にラースゴレームが溢れているが、当然群れの密度が濃いところほど、結界回路が近くにあり、そこからラースゴレームが湧き出ていると考えられる。まずはそちらに向かう事になるだろうか。
「今の戦いを続けても、カーシアを止めない限り戦いは終わらないわ。グレイ、奴はどこにいると思う?」
『だから落ち着け、ティターニア。奴を追うにしても君一人では危険だ。君はカーシアにのめり込みすぎている』
「分かってる。でも私が何故のめり込んでるかは、貴方だって分かってるでしょう?」
これでも抑えている方だと、自分では思っているほどだった。目の前にいるラースゴレームの群れに怒りをぶつける事ができるだけまだましだ。仮にここで気持ちと行動を抑え、誰かが傷つきカーシアが笑う結果になれば、その方が自分を許せない。
『……ティターニア、理性と慈愛に溢れ、勇気と知性を兼備した最高の戦士である君なら分かっていると思うが』
「何それ。何かの罰ゲーム?」
『いいから黙って聞いてくれ。君なら分かっていると思うが、一人で突っ走るな。カーシアは危険だ。更にターミナスの復活と、巨神の兵士まで控えている。一人で戦うな。俺は無事な君に会いたいんだ。頼む』
ティターニアの頬が緩んだ。グレイフェザーの声には心底友人を思いやる気持ちがあった。張り詰め高ぶるティターニアの心を落ち着かせてくれる。
「ありがとう、グレイ。安心して。私だって死ぬ気はないわ。私だってあなたみたいな友達にはまた会いたいもの」
『……そうか。必ず戻って来いよ』
少しグレイフェザーの声のトーンが落ちた事が気になったが、そこは気にしていてもしかたない。きっと向こうは向こうで起きている戦いに集中しているのだろう。
「ええ。それで大ちゃんはどう?」
『クロウと一緒に遺物の防衛に就かせている。本当ならもっと安全なところにやりたかったんだが、二人が前線で戦いたがってるんでな。普段と違って戦いになると激しい奴だ。君に似ている』
「なんだかむずがゆいわね。あの子は大丈夫そうなの?」
『連絡を受けた限りでは、今のところ問題はない。周囲にはアイのヒーローが大勢いるから十分サポートもある。大は問題ないさ。それより』
突然会話が途切れ、通信機から耳障りな音がした。
怪訝に思った瞬間、プツリと通信が切れた。通信機を触っても完全に応答がない。
「グレイ? グレイ!」
「おともだちとのお喋りは、もう十分でしょう?」
後ろからの声に、一瞬で神経が張り詰めた。振り向いた先でにやついた笑みを浮かべていたのはまさしくあの妖婦。巨神の呪われ子、カーシアが同じ部屋の中に散りばめられた瓦礫の上に立ち、ティターニアを歓喜と憎悪の入り混じった瞳で見つめていた。
「カーシア!」
ティターニアは弾かれたように跳んだ。思い切り打ち下ろしたティターニアの右拳を右手で受け止めると、衝撃で瓦礫の一部が砕ける。カーシアは喉奥で細かく笑った。
「あなたが通信を妨害したの?」
「二人きりで楽しみたかったもの。あんたが欲しいのは私でしょ。私もあんたが欲しいの。他の奴らに邪魔してほしくないわ!」
怒りと笑み、対照的な表情を見せながら二人は同じタイミングで、空いた手に棍を握り振り下ろす。
偉大なる巨神の力を秘めた金銀の棍がぶつかり、衝撃と爆音が周囲に轟いた。
タワー内で起こっている異変にいち早く気付いたのはミカヅチだった。巨神の加護により強化された五感が、ラースゴレームとの戦いによるものとは別の破壊音を聞きつけた。気のせいかと確認をとろうとミカヅチは背後のクロウに声をかけた。
「クロウ! 今いいか!」
「よくない!」
ミカヅチがクロウの方に目をやると、白い光の楯を両手の前に生成し、二体のラースゴレームの斬撃を必死に防いでいる。
ミカヅチは跳躍した。ほとんど助走もなしに体は4メートル近く上昇し、クロウとラースゴレームを跳び越える。空中で体をひねりながら回転し、双棍を手斧に変えてクロウは着地の勢いのまま斧を二体の頭に振り下ろした。
二体とも頭頂部から首まで両断され、二度三度痙攣した後、糸の切れた人形のように倒れた。パイプから噴き出た体液を顔から胸元に浴びて、クロウが嫌そうに手で汚れをこする。
「あ~、キモい。なんかベトベトする」
「それはどうでもいい! お前の通信機、タワーに連絡つくか?」
ミカヅチは自分の耳元を指差しながら、混乱の中でも聞こえるように大声で伝える。アイ所属のヒーローは非常時に連絡を行う為に通信機をそれぞれ配布され所持しているのだが、ミカヅチはまだアイに存在を明かしていない為使えないのだ。
クロウは両手から四方に光弾を放って周囲を牽制しながら、怪訝そうに言った。
「いきなりどうしたのさ」
「タワー内で何か変な音がするんだ。どこかからタワーに侵入されたのかもしれない」
「まさかァ。こんなにボク達が頑張ってるのにさ」
クロウはそうぼやきながら右手で耳元の通信機を操作する。だが反応に眉を寄せ、何度か操作をやり直すが、眉間の皺は深まるばかりだ。
「ダメだ。全然応答がない。ほんとに何かヤバい事になってるのかも」
「他の皆にも確認してみよう。まず状況を把握しないと」
ミカヅチの言葉は頭上でした轟音に打ち切られた。頭上に目を向けるとタワーの中程が爆ぜたように砕け、そこから吹き飛んだガラスとコンクリートの破片がシャワーとなって、ちょうどミカヅチ達のいる駐車場に降ってくる。
「やば!」
ミカヅチが棍を大きな楯にして、傘のように掲げた。クロウと合わせて二人分が収まる範囲に落ちた破片がぶつかり、小気味いい音を立てる。
「サンキュー、サブリーダー!」
「いいって!」
楯を棍に変えながら、ミカヅチとクロウは再度頭上に目をやった。タワーの外壁が砕けて開いた穴の内から、天井に頭をこすりながら影が姿を現した。頭から生えた蛇を思わせる触手に鉄仮面、そしてのあの巨大な肉体は遠目に見てもすぐに分かる。
「レリックスマッシャー!」
「ちょ、なんかたくさんいるんだけど!」
クロウの驚きの声の通り、穴から現れた影は複数あった。肌も頭の触手も同じだが、仮面のデザインの違いでなんとか判別できる。
周囲のヒーロー達も突然の状況の変化に驚いているようだった。ラースゴレームとの戦いもおざなりに、思わず見入っている者も何人かいる。
「あいつあんなに兄弟いたんだ」
「バカ、デスタッチがあいつは人造人間だって言ってただろ。多分カーシアが同じやつを何体も作ったんだよ。そんな事より問題はタワーの中がどうなってるかだろ」
ミカヅチの疑問に応える者はおらず、代わりにスマッシャー達が吼えた。各々がタワーから勢い良く飛び降り、着地した先の地面を砕きながら思い思いの相手に襲い掛かっていく。
まずい状況だった。どうやってタワーの内部に侵入したかは不明だが、こうやってタワー内部から姿を現したという事は、おそらく既に遺物は奪われた後だろう。加えてレリックスマッシャーが十人以上現れ、相手をしている歴戦のヒーロー達も苦戦を強いられている。
防衛戦は失敗だ。次はどうすればいいか、落ち着いて考えたいがそんな時間を敵は与えてはくれなかった。
スマッシャーの一体がミカヅチ達を見つけ、軽く唸った。腰を落として低い姿勢になると、そこから勢いをつけて跳躍する。両腕を組んで振り下ろした一撃を、ミカヅチとクロウは跳んでかわした。スマッシャーが立ち上がるより早く、左右に分かれて跳んだ二人目掛けて触手が伸びた触手を、ミカヅチとクロウはそれぞれの手段で対抗する。
ミカヅチは棍を剣に変えて振り回すが、相変わらず触手に対する切れ味は鈍い。油に濡れた布団を棒で叩いているような感触だ。そればかりに気を取られていると、背後からラースゴレームが突撃してくる。
跳び越えて後頭部に足刀を打ち込み、ラースゴレームを蹴り飛ばす。蹴り飛ばされた先にいた触手の壁に、ラースゴレームの顔、胸、腹が貫かれ、乱暴に引き裂かれた。強烈な破壊の痕に思わず息を呑む。前回の戦いでティターニアが助けに来てくれなければ、自分も今のような最期を迎えていたかもしれないと思うと、さすがに震えがきた。
「もう、ほんとなんなのこいつ!」
クロウは触手への対処に苦しんでいるようだった。光弾を放ち、光の楯で防いで対処はするが、触手を弾く事はできても破壊するのはひどく困難らしい。魔術に対して耐性のあるスマッシャー相手に、クロウは役に立ちそうもない。こちらでどうにかしなくてはいけないが、先日の戦いと同様、一対一の殴り合いでは正直分が悪い。
(何とかして近寄らないと)
対処法を考えるより先に、クロウの切り裂くような叫び声がした。クロウの手足に伸びた触手が巻き付き、四方に引っ張られるようにしながら宙に持ち上げられる。
「離してよ、このッ!」
「クロウ!」
助ける為近づこうとするが、ここぞとばかりに触手とラースゴレームが集まり、ミカヅチの邪魔をする。触手が首に巻きついた。フードとマスクに隠れていても、クロウの日焼けした口元と白い歯から苦悶の表情を浮かべているのが見えた。
「どけよ、くそ!」
ミカヅチの燃えるような怒声も敵には届かない。目の前で友人に訪れる死の焦りと恐怖に背筋が痺れる。一体どうすれば――
突如、空を裂いて風切り音がした。
瞬間、スマッシャーの頭に灰色の矢が突き刺さった。膝をつき触手の動きに専念していたスマッシャーは、衝撃に耐え切れずにアスファルトに額を叩きつけられる。仮面にひびが入り、スマッシャーが肺から吐き出すような唸り声を上げて動きを止める。
クロウとミカヅチを襲っていた触手の動きが止まった。触手が緩み、支えを失ったクロウは地面に落ちる。苦しげに咳をしながら必死に離れるクロウに、ミカヅチはラースゴレーム達を殴り飛ばして駆け寄った。
「大丈夫か」
「よ、よゆーよゆー」
「クロウ、身の安全を第一に考えろと言っていただろう」
ミカヅチとクロウは改めて声がした方を見た。長身を灰色の鳳を思わせるスーツに包み、禍々しさすら覚える足の巨大な爪でスマッシャーの頭を掴み踏みつける姿は、日本人ならば誰もが知るヒーローの姿だ。
「グレイフェザー!」
「グレイフェザーだ、グレイフェザーが来たぞ!」
グレイフェザーの出現に、他のヒーロー達も沸き立つ。グレイフェザーは状況を確認するように周囲をぐるりと見回した。その戦場とは思えない穏やかな動きにミカヅチは思わず、敵も味方も誰もが注目し、動きを止めたという錯覚すら覚えた。
「状況を立て直すぞ。指示の通りに動いてくれ」
グレイフェザーは低く、だがよく通る声で仲間達に伝えた。先ほどまでの戦いの苦しさや不安が嘘のように消え、闘志を沸き立たせる声だった。