4-3.始まった襲撃
うずくまり震える斑目を置いて、綾と灰堂は病室から外に出た。市民病院の廊下には様々な人が通っている。回診中の医師と看護師、入院の見舞い客、患者とその付き添いの人々。彼等は今、危機が目前に迫っている事を知らない。斑目の話が全て真実ならば、ここにいる者は皆地獄を見る事になるだろう。
綾は思わず身震いした。
「どう思う、綾。さっきの話は」
隣の灰堂が尋ねた。
「正直、情報が少なすぎるわ。でも奴の言う事に間違いがなければ、私達が最近遭遇したカーシアの動きともかなり一致している」
フェイタリティとヒュプノパス、そして斑目を追ってきたアースシェイカーとレリックスマッシャーの二人組。全てカーシアの指示の下に動いていた。すべては遺物を利用し偉大なる巨神の力を奪う為。
あの邪悪の化身が巨神の力を得る等、考えただけでも恐ろしい。綾は眉をひそめた。
斑目からの聴取は既に終わった。カーシアの拠点についての情報がいくつか手に入り、灰堂はアイと警察に連絡し、更なる聴取を行う予定だ。今後はカーシアの暗躍を見ているだけではない、大規模な捜索と拠点の制圧による逆襲が行われる事になるだろう。
しかしカーシアは度々拠点を移っていた上に、ヒュプノパスの事件の際にも見せた転送技術を持っている為、捕える事は容易ではない。斑目も自分が使用していた施設は一箇所ではないと語っていた。地球上どこにでも、下手をすれば宇宙空間から月まで捜索範囲になる。
「まだ奴が勝利を得たわけじゃない。十分やりようはあるさ」
綾の心中を察したか、灰堂が言った。周囲に人がいない事を確認し、階段を降りながら話を続ける。
「恐らく、カーシアが巨神にこだわったというのは、君が狙いというのもあったんじゃないかな」
「私が?」
「カーシアは昔から君に執着していた。偉大なる巨神の力を正式に得た英雄だからだ。仮に巨神の力を得た兵士が地球侵略の尖兵になれば、それは君に対して最大の挑発と侮辱になったはずだ。そうすればティターニアは確実に表舞台に姿を現す。そして当然勝つ。満天下に君の敗北を見せ付けられる、というわけだ」
実際には綾はフェイタリティの銀行襲撃の際に、偶然居合わせた。そして大が襲われた事で、ティターニアとしての復活を遂げた。確かにカーシアにとって、この段階でのティターニアの復帰は予想外だった事だろう。それによって遺物の収集にも遅れが生じ、自分達の行動にも気付かれ、ついには重要な遺物を斑目に盗まれた。ぎりぎりではあるが、全てが相手に有利な状況というわけではない。
「君が現役復帰した事で、奴の予定にも狂いが生じているはずだ。万全に準備しての襲撃を受けてなぶり殺しにされていたかもしれないところが、現状俺達は反撃のチャンスを手に入れている。少しは運が向いてきてるって事さ」
「確かにそうね。偉大なる巨神のご加護があったと思う事にするわ」
灰堂としても楽観的に考えている訳ではないだろうが、元気付けようとしてくれているのは伝わる。持つべきものは通じ合える友だ。
かつてのティターニアとしての活動は、多くの痛みも悲しみも伴った。だが生涯の友人を手に入れた事は何物にも変えがたい宝だった。皆を思えば、苦境も乗り越えようという気力も湧いてくる。
二人は一階に降りて待合室を通り抜けて正面玄関へ向かう。ちょうど待合室で並んだソファの前を通っていると、不意にカメラのシャッター音がした。
見るとソファに座っていたセーラー服姿の女の子二人が、スマートフォンのカメラで灰堂を撮影していた。おそらく入院患者を見舞いに来たところに有名人の灰道と出会い、つい撮影に及んだのだろう。
撮影した二人は、有名人を間近で見た事に驚き興奮しているらしく、撮影対象を横目に見ながら二人で騒ぎ立てていた。
綾は口元に手を当ててくすりと笑いながら、少しおどけた口調になった。
「さすがは高名なグレイフェザー。かわいいかわいい女子高生にも大人気のご様子で。今のご感想は?」
「勘弁してくれ。友達と居酒屋に飲みに行くのも難しいんだ。時々君の身軽さがうらやましくなるよ」
「今の生き方を選んだのは貴方自身でしょう?ヒーロー稼業どころか正体まで晒しておいて、目立ちたくないなんて言っても誰も聞いてはくれないわ」
灰堂は苦笑で返した。そのまま玄関に向かい、外に出る。綾は思わず顔の前に手をかざした。昼過ぎの青空に太陽がぎらつき、耐え切れずに雲は別の所に散らばってしまっているようだ。
「なあ、綾」
背後から声をかけられ、綾は振り返った。灰堂が神妙な面持ちで、綾を見つめていた。
「何?」
「……やり直す気はないか、俺達の事」
「……?」
言われている事の意味が分からず、綾は首をかしげた。それが伝わったのか、灰堂は右手を突き出して大袈裟に振る。頬は恥ずかしさに赤くなっていた。
「いや、すまん。持って回ったような言い方だった。要するに、カーシアの事が終わってもヒーローを続ける気はないか、って事だ」
ああ、と綾は頷いた。灰堂は少し早口になりながら後を続ける。
「前から考えていたんだ。今後も超人の数は増える一方だ。アイの様な超人の管理機関の役割はますます重要になる。正しい力の扱いを教える為に、君みたいに名の知れたヒーローがいてくれるとありがたいんだ」
「アイに転職しろって?それは無理よ」
「そこまでしろなんて言わないよ。講演だとかイベントの参加とか、たまに手を貸してくれるだけでいいんだ。そりゃあ何かあればジャスティス・アイの活動まで手を貸してくれれば、なおありがたいがね」
思ってもみなかった提案に、綾は考え込んだ。偶然と流れから始まったティターニアとしての現役復帰だが、カーシアとターミナス、二人との決着をつけた後の事までは考えていなかった。
「今すぐじゃなくていい。今の問題が解決するまでに、答えをくれればいいよ」
灰堂の言葉に、リタと話した晩の事が思い出された。偉大なる巨神がまだ自分に力を与えてくれているのは、巨神を愚弄するカーシアを正す為だと思っていた。しかし果たして、それ以上の事を望んでいるのだろうか。
今の綾には分からなかった。今できるのはただ、信仰が揺らがぬよう心を定め、目の前の問題に取り組むだけだ。
「とりあえず考えておくわ。ただやるとしても当分は大ちゃんと凜がメインになると思うけれど、それでもいい?」
「いいさ。その辺についてゆっくり話そう。今度食事でもどうだ?」
「そのうちね。カーシアが巨神に拘っているなら、大ちゃんとも話しておかないと」
「確かに、大も重要になりそうだな。カーシアが動くまでの時間で、こちらがどれだけ準備できるか、だな」
二人が駐車場に止めた車に向けて歩き出した。今日は蝉の羽音が酷く大きい。
ふと違和感を覚え、綾達は足を止めた。蝉どころではない、無数の昆虫を思わせる、だが金属の羽ばたき音が空から降ってくる。
二人は顔を上げた。先程までと同じ青空に、遠くのビル群の奥から黒い影が伸びて広がっていく。よく見るとそこだけではない。東西南北、様々な方角から、蝗の群れにも似た影が空を埋め尽くすように広がっていた。
鳥か、飛行機か、いや違う。綾の眼は影の正体を捉えた。
「ラースゴレーム!」
大きさは2メートルはあるだろうか。巨大な火山岩を削りだして作ったような黒く所々角ばった肉体は巨猿を思わせる程太く、顔の上半分は炎が結晶となったような形をした岩の塊が生えている。手足や胴体は鋼色の武装に覆われ、背からは蜻蛉を思わせる羽が高速で振動し、どういう理屈か巨大な体を宙に浮かせていた。
シュラナ=ラガが作り出した人造兵士だ。稼動している姿を綾が見たのは十年ぶりだが、不発弾のように時たま偶然再起動したものが事件を起こす事があった。しかしこれだけの数が一度に、しかも規律正しく動いているとなると、残っていた生産プラントを稼動して量産し、しかも誰かが指揮を取っていない限りまずありえない。
シュラナ=ラガの地球再侵略が始まったのでないならば、こんな事が出来るのは綾には一人しか思いつかなかった。
「カーシアがもう動いたのか」
灰堂も同様の意見だったようだ。先ほどまでの穏やかな雰囲気とは違い、周囲に気を配り臨戦態勢に入っている。
「目的はデスタッチの盗んだ遺物の奪還?」
「それだけにしては数が多い。今まで隠れて行動してきたのにここまで派手に動いているという事は、後は遺物さえ手に入れれば計画が実行できると踏んで、大攻勢に出たかな」
後手に回っている事に歯噛みしたくなるところだが、このまま見ているだけという訳にもいかない。ラースゴレームの一団は既に街の至る所に現れ、急降下しようとしていた。
「綾、俺は本部に戻る。遺物の防衛が必要だし、警察消防との連携も必要になりそうだ」
「分かった。私はラースゴレームの相手をしながら、カーシアを探す。あの派手好きな女なら、必ず最前線に出てくるはず」
「気をつけろよ。本当にカーシアが黒幕なら、少なくとも勝ち目のある戦を仕掛けてくるはずだ。性格は醜悪だが、馬鹿ではない」
灰堂はポケットに手を突っ込むと、親指程の大きさをした半月状の機械を取り出し、綾に手渡した。
「通信機だ。GPS付き、こっちで現在地と身体状況も把握できる。状況が把握出来次第、増援を送る。無茶はするな」
「ありがとう、心配してくれて」
「いつもの事だろ。初めて会った時から君は走り出したら止まらない。そういうところが君らしさだ」
耳に通信機を取り付けながら、綾は頷いた。その瞳は目前に迫る戦いに臆する事なく、静かに燃えている。
「先に行くわ。もう一つ、我がままを聞いてもらっていい?」
「何だ」
「大ちゃんの事。お願いだから、あの子が無茶しないように、少しでいいから気にかけてて!」
灰堂の答えを聞く前に、綾は走り出した。綾の知る限り、灰堂は地上でも有数の男だ。きっと上手くこなしてくれるだろう。
「巨神よ!」
戦意と使命感に満ちた心と身体を閃光が包み、綾はティターニアへと姿を変えて跳躍した。
スマートフォンで手短に今後の連絡を取りながら、灰堂は停めている車に向かって走った。いっそ空を飛んで行くか、とも考えるが、無数のラースゴレームを相手に飛んでいくのは骨が折れそうだった。こうなるとラースゴレームの百や二百をものともしない、ティターニアのパワーが羨ましい。
全く、と思わず灰堂は苦笑混じりの溜息をついた。綾にとってカーシアが因縁の相手だという事は灰堂にも分かってはいるが、ティターニアが突っ走って周囲の皆がフォローをするのは昔から変わらない。
「綾、お前のフォローができる奴ってのは貴重なんだぞ。分かってるか?」
独り言を呟きながら車を探す。襲撃の規模の大きさから、タワーまでの間には多くの障害がある事だろう。恐らくかなりの時間がかかる。このまま全速力で車を走らせても、最悪途中で車を放棄する事になるかもしれなかった。
「お前の戦いは大抵的確だ。しかも美しいよ。だからって突っ走ってばっかりじゃ危険だって、いい加減分かるだろ?それなのにお前は大の面倒まで見ろって言うんだ。お前の弟子だろ?そりゃあ見るけどさあ。弟子を取るくらいになったんだから、お前も少しは落ち着けって言うんだよ……」
仕事の関係で身についた口調や態度も段々と砕け始め、独り言はどんどん続いていく。愚痴が混じり始めたが、顔は笑っているのが分かった。
久しぶりにティターニアと共に戦っている。それが灰堂を興奮で熱くさせているのだ。アドレナリンが脳と心臓の動きを激しくさせているのが感じられた。
「ったく、そういう所が好きなんだ」
やっと見つけた車に駆け寄ろうとしたところで、上から黒い影が降ってきた。セダンのボンネットからルーフにかけて塊に踏み潰され、周囲に部品とガラス片が飛び散る。思わず灰堂は両腕で顔を防いだ。
車を押し潰した張本人、ラースゴレームの一体が、人間で言う口の辺りから石を乱暴に擦り合わせるような声を出した。羽を畳んで前傾姿勢で構え、目の前の獲物を威嚇する。右手の指が次第に伸び、一つにまとまって巨大な剣と化していく。
「おい。高かったんだぞ、その車……」
灰堂は苦々しげに呟いた。保険がどの程度効くか、思わず考える。
ラースゴレームは灰堂の訴えなど気にする事なく、右手を大きく袈裟切りに振り回した。剣が灰色の影を切り裂き、勢い余って地面に突き刺さる。
「!?」
驚愕したか、ラースゴレームがまた石を擦る音を出した。目に残像として残っていた姿が消え、どこに行ったのかと周囲に目を向ける。
唸るラースゴレームの顔前で、灰色の羽が空を舞い高速で降りてきた。
「!」
顔を上げるよりも回避行動を取るべきだったと気付いただろうか。ラースゴレームの視界が灰色の鳳の姿を捉えた次の瞬間、巨大な鳥の爪が頭を掴んだ。そのまま勢いは止まらない。
「ふっ!」
気合と共に勢いをつけ、グレイフェザーは体を回転させながらラースゴレームの頭を地面に叩きつけた。
勢いをつけた急降下からの一撃はラースゴレームの頭とアスファルトの地面を砕き、回転によって首をねじ切った。ラースゴレームは一度二度、痙攣した後、動きを完全に止めた。首の断面からはいくつかのパイプが黄緑色の液を垂れ流している。
地面に着地すると、グレイフェザーは翼を軽く震わせた。スーツは体と一体化し、灰色の巨大な翼と怪鳥の爪へと姿を変えている。肉体を鳥へと姿を変える自分の能力も、戦闘技術もデスクワークで衰えてはいないようだ。
グレイフェザーは周囲を確認した。どうやら空を飛んでいた群れの一部が散開し、破壊活動を行い出しているらしい。
ラースゴレームの群れはどこまでいるのだろうか。仮に市内全域にまで広がっているのだとしたら、タワーの防衛どころではない。
「手間がかかりそうだな、これは」
グレイフェザーは姿を完全に鳳へと変えた。
どうやら結局、空を飛ぶのが最短ルートになるようだ。カーシアに車の弁償をさせられたらいいのだが。