3-6.憧れとの共闘
ガッツポーズを取ろうとしたところで目眩に襲われ、たたらを踏む。視界が歪んだ気がして、大は目を閉じながら額に手を当てた。一度に複数の幻を動かすのは、さすがに疲労が溜まった。体力と精神力が一気に削られ、長時間は行えない。
アースシェイカーは木の上に引っかかったまま、ほとんど動かない。加減はしたので死んではいないはずだ。後で警官隊が駆けつける事だろう。凜達が来るのを待って、早く帰って甘いものを食べてベッドで眠りたかった。
背後の唸り声を聞いて、ミカヅチはそう上手く事が運ばない事を悟った。振り向いた先、荒れた地の上で立ち上がったレリックスマッシャーが、その瞳を憎悪に燃やしていた。
思わずミカヅチは溜息をついていた。元から先にシェイカーを倒す気だったし、あまり期待はしていなかったが、彼の体力と耐久力は、その巨体に見合うだけのものがあったようだ。ミカヅチの蹴り一発では削りきれなかったらしい。
スマッシャーはミカヅチを睨みつけ、状況を把握するようにあわただしく首を振る。シェイカーの姿を見て、自分が気絶していた間に起きた事を理解すると、見て取れるほどに狼狽した。両手で顔を覆い、車の排気音のような音を立てて嗚咽する。指の隙間から涙らしい液体が、蛇口を捻ったように溢れ流れた。
その外見に似合わない姿に、ミカヅチは思わず手を出せず、スマッシャーを見つめていた。カーシアが作った人造生命と男は目の前の巨漢を説明していたが、少なくとも常人と同じ心はある。悪に与してはいるが、同じ側に立つシェイカーとの間には、奇妙な形の友情があったのかもしれなかった。残念ながら、ミカヅチがその詳細を聞こうにも、答えてはくれないだろうが。
涙を振り切り、スマッシャーが吼えた。両手を離した顔は天を向き、長く野太い遠吠えをする姿は、月夜に吼える狼の如き勇壮さと美があった。四肢は力が込められて痙攣するように震え、頭の触手も呼応するようにうごめき、敵に対して威嚇する。
「勘弁してよ、もう……」
ミカヅチの口から思わず弱音が出た。情けない話だが、脳内で子守唄がリピートするこの状況で、目の前の怪物を相手になどしたくない。
スマッシャーは助走もせずに跳躍した。5メートルはある距離を一気に詰め、えびぞりの体勢から両手を組み、ミカヅチに向けて一気に振り下ろす。
(やばっ!)
ミカヅチは横に転がるようにして回避した。一瞬の後、スマッシャーの拳が地面を吹き飛ばし、新たなクレーターを作る。ミカヅチの首筋に冷たいものが走った。シェイカーを倒された怒りで、スマッシャーの力が目に見えるほど上がっている。
スマッシャーが頭を振ると、触手が群れを成してミカヅチに迫る。先程より数も勢いもあり、反応して対処するだけで手一杯だ。ミカヅチは双棍を剣に変えて切り裂き、いなすが、全てを防ぎきる事は難しい。後退しようとして伸ばした足首が、地を踏みしめる前に引っ張られる。驚いて足元を見ると、地を這う一本の触手足首に絡み付き、動きを抑えていた。
「しまっ――」
逆さに引っ張られたとき、思わず舌を噛みそうになる。そのまま宙吊りでスマッシャーと目線がそろうまで持ち上げられながら、ミカヅチの全身に触手が絡み付いていく。シェイカーの援護を気にしない分、攻撃が積極的になっていた。触手の圧がどんどん高まっていく。ミカヅチの肉体を引き裂く気だ。
肋骨の下部、折れやすい骨が悲鳴をあげている。両腕の可動部が無理矢理限界を試されている。胸が締め付けられ圧迫され、息をするのも苦しい。ミカヅチの顔が苦痛に歪むのを、スマッシャーは憤怒を隠さずに睨みつけていた。
「よ、よぐも……!」
スマッシャーの仮面から、石臼を回すようなしわがれた声がした。
「よぐ、も、しぇいがあ、を……!」
(お互い様だよ、こんちくしょう)
残念ながら声を出すほど、肺に空気は残っていなかった。脳内の酸素が減り始め、視界がぼんやりとしていく。黒い影にじわじわと閉じられていく視界の中で、スマッシャーが拳を大きく振り被るのが見えた。無防備な今の状態で、直撃を食らうのはまずい。だが棍もそれを握る腕もくまなく締め付けられ、動かす事すらかなわない。
(やばい……)
来る一撃に目を瞑りそうになった瞬間、二人の間に銀の光が煌いた。
突然触手から力が抜けた。重力に従ってミカヅチの身体が地に落ちる。急に新鮮な空気が入り、肺が暴れだした。咳をしながらのたうつ触手をはらいのけ、ミカヅチは起き上がり、先程の乱入者の姿を視界に捉えた。
そこにいたのは、鍛えられた肢体を青の戦装束に身を包んだ女。白銀の手甲と足甲、両手に握られているのは同じく白銀の双剣。そして目元を覆う、炎の様に赤い仮面。
「ティターニア!」
ミカヅチが声を上げた。スマッシャーの恨みのこもった視線から、ティターニアは一歩も引かず対峙していた。
「あなたがカーシアから何を命令されたのかは知らない。でも、これ以上この子に手出しはさせない!」
スマッシャーの返答は拳だった。真っ直ぐ顔面に向けて放たれた右ストレートを、ティターニアはまるで予期していたかのように身体を左に振ってかわした。そのまま前に踏み込み、カウンター気味に放った棍の突きがスマッシャーの鳩尾に突き刺さる。肺の中の空気を吐き出しながら、スマッシャーの体が浮いた。痛みと衝撃に驚いたか、瞳孔が縮まる。地に足がつき、反射的にニ三歩後ずさる。その隙に跳躍し、
「しゃッ!」
ティターニアの左足刀がスマッシャーの胸を打ち抜いた。新体操選手を思わせる優美な動きのどこにそんな力があったのかと思う威力で、スマッシャーが爆発に吹き飛ばされたように飛んでいく。
「すごい……」
状況も忘れて、ミカヅチは感嘆していた。ミカヅチがあれほど手こずったスマッシャーを、ティターニアは初見で対処している。あの動きを基準に考えるなら、確かに自分は半人前もいいところだろう。悔しくもあり、また子供の頃からの憧れが全く変わっていないのを目の前で再確認できて、妙な誇らしさもあった。
「ミカヅチ!」
一旦相手の動きが止まったのを確認して、ティターニアがミカヅチに駆け寄る。手を差し出される前にミカヅチは大丈夫、と一人で立ち上がった。憧れの相手に助けてもらってばかりはいられない。
「クロウに状況は聞いたわ。向こうは問題なく病院に辿り着いたみたい。すぐこっちに来るはずよ」
「良かった。こっちは一人は倒してる。あいつを倒せば終わりだよ。警官隊も近くに集まってるみたいだけど」
「彼らに任せるより、私が倒した方が早いわ」
ティターニアが両手の双棍を合わせ、一本の長い棍へと変える。構えた先でスマッシャーはふらつきながらも立ち上がり、暴れ馬が突撃しようと力を溜めているように足踏みを繰り返している。
「ミカヅチは下がってて。ここは私が」
「冗談言わないでよ」
ミカヅチもティターニアの隣に立ち、棍を抜いた。
「あなた怪我してるでしょう。一人でも何とかなるわ」
「怪我はたいした事ないし、一人じゃ手こずるよ。俺達で倒した方が早い。それに」
例えティターニアが自分より強くても、彼女の影に守られてばかりはいられない。男は女の前ではええ格好しいになる。傍から見ればくだらない事でも、ティターニアとできるだけ対等でいたい。
「俺は、ティターニアの足手まといにならないよ」
「……もう。分かった、行きましょう!」
スマッシャーが向かってくるより先に、二人は突撃した。迎撃したスマッシャーの太い拳をミカヅチが跳躍してかわせば、ティターニアは棍を振り、丸太のような脛を刈るように叩く。痛みに吼えながらもスマッシャーが触手で返すと、ティターニアが棍を剣に変えて切り裂き、背後からミカヅチが足刀を太股に打ち込む。
ミカヅチの気分は昂揚していた。互いの動きについて相談もしていないのに、息がぴったりとはまってスマッシャーを追い詰めていく。二人の意識が重なったような錯覚すらあった。戦いの中、二人は確実に繋がっている。
二人の左右からの拳を防ぎきれず、スマッシャーの体が大きく揺れた。ゆっくりと前のめりに倒れようとするスマッシャーの目前で、二人が肩を合わせて拳を構える。
『せいッ!』
二条の銀光が地から天へと駆け上り、スマッシャーの顔面に突き刺さった。偉大なる巨神の加護を得た二人の剛力を受けきることはスマッシャーにも敵わず、地響きを立てながら地面に大の字になって倒れた。」
アースシェイカーとレリックスマッシャー、二人が警官隊に連行されていくのを、大と綾は野次馬に紛れて見送っていた。ティターニアの姿を人前に見せたくないと、警察が来ると綾と大は現場から姿を隠したのだ。シェイカーは人間なので拘束して救急車に載せられていったが、スマッシャーの巨体は並の車両では運ぶ事も困難な為、難儀しているようだ。拘束はアイとも連携を取って行う事になるかもしれない。
連行が問題なく行われているのを確認し、二人はその場を離れた。既に凜には状況を説明してある。結局救助に来る前に二人とも倒してしまった事に凜はかなりご立腹だったが、大からすれば遅い方が悪いとしか言えなかった。何しろこちらはもうちょっとティターニアが来るのが遅ければ、大怪我を負いかねなかったのだ。
「奴ら、カーシアについて何か言ってた?」
「駄目。そんなの聞いてる暇なかったよ」
二人は凜と待ち合わせをしている店に向かって歩き出した。男がティターニアを名指ししていた事、カーシアについて知っているらしい事、気になる事はいくつもある。凜が病院に連れて行くまでに、男の事について何か調べているかもしれない。
「ティターニアが現役復帰して、向こうも色々騒ぎが起きてるのかもね」
「そうね、それより大ちゃん」
綾に脇腹を小突かれ、大は声にならない声を上げた。先程の戦いでスマッシャーの触手に締め付けられた傷が完全に治癒しておらず、涙がにじみそうになる。
「一人で無茶しすぎ。人の為に力を使うのがヒーローだからって、自分の事も気をつけないと」
「何とかなると思ったんだよ」
「それで大怪我したら元も子もないでしょ」
でも、と返そうとしたところで、大は体を引っ張られた。肩に手をかけられ、綾の胸元に引き寄せられる。
「……綾さん?」
「その、ね。あなたが大切なの。恋人とか家族とか、私達の関係について、これからどうすればいいか分からない。でもあなたと一緒にいると幸せ。そう思う。だから、あんまり無茶されると怖いし、心配。私だけじゃない。あなたを心配してる人はたくさんいる。だから、ね」
綾が考えながら、伝えようとする言葉を連ねていく。どこか拙く、それだけに真に心がこもっている気がする。大から顔は見えないが、きっと聖母すら思わせる優しげな表情に違いない。
先程までの戦いで張り詰めていた神経が、落ち着いていくのを感じる。綾の汗と香水の混じった香りが鼻腔をくすぐった。いつも嗅ぎ慣れている匂いに、やっと戦いから日常に戻った気がした。
「うん」
「でも、あれだけ戦ったのは立派だったわ。だから少しでいいから、みんなを心配させないようにしてね」
「頑張るよ。綾さんを心配させないで済むくらいになる。綾さんを守れるくらいになる。絶対」
遠くからサイレンの音が聞こえた。通りを歩く人の群れが時々、肩を寄せて歩く二人に目を留めていた。不釣り合いな二人の関係が周囲からどう見られているのかは分からない。
だが大にとって、周囲のムードも、周囲からどう思われているかも、綾と触れ合っているという幸福の前ではどうでもよくなっていた。