3-3.悪鬼来たり
会議と称した夕食とだべりが終わると、凜はそのままパトロールをしてまわることを提案した。パトロールと言えば聞こえはいいが、実際はちょっと街中をぶらつく程度だ。大としても今日は綾も出かけていてやる事がなく、お試しにと二人で夜の市街へと繰り出した。
しかし、いくら人間社会に超人が増加し、治安の悪化が問題になっているとはいえ、超人全てがヒーローやヴィランになるわけではないし、常に裏路地を歩くと強盗が歩き回ったりしているわけでもない。今夜の街は人混みに溢れてはいるが、混乱は見られなかった。
大通りを左右から挟むようにして建てられた巨大デパートのショーウィンドウの灯りに照らされながら周囲を見回して、凜は拍子抜けしたような顔をした。
「平和なのはいい事だけど、そうそう事件も悪党も出てこないもんだね」
「そりゃそうだ。毎日フェイタリティやヒュプノパスが通りを歩いてるわけないよ」
見回りは言い訳で、ほんとは夜遊びしたかっただけじゃないのかと思う大だった。だが凜としては空振りの見回りも、意外と楽しいらしい。二人で遊びながらも、事件が起きそうな裏路地や怪しい店、師匠譲りの知識を、大に得意気に教えてくれていた。
「確かにヒーロー活動は事件が起きた時限定のボランティアみたいなもんだし、仕事がいつもあるわけじゃない。でもね、ボクにはとっておきの秘密兵器があるからねェ」
ででーん、と声に出してポケットから取り出したのは、凜が普段使っているスマートフォンだった。ボイジャーDS9、以前に凜が最新型だと自慢していたのが大の記憶にも残っている。
「なんだ、EYEアプリか」
大はがっかりしたように言った。
アイが提供しているスマートフォン用アプリで、事件や事故について情報を書き込むと、インストールしている他の端末と警察に位置と情報が送られ、防犯ネットワークを構築する仕組みだ。おそらく凜の端末にもインストールしてあるのだろう。確かに防犯として評判のいいアプリだが、ヒーロー活動のとっておきというには少々拍子抜けの感がある。
「違う違う。ちょっと見てよ」
他人に見られないように大通りから離れ、人気の少ない裏通りまで行くと、凜は端末を掲げた。画面が青い光を放ち、葦原市内全域を模した立体映像が浮かび上がる。
「おぉ、何これ」
「確かにEYEアプリもあるけど、これは別物。このスマホを触媒にして、これまでボクが街中に刻んだ魔術刻印からデータを送られてくる、自作の防犯ネットワークさ」
大通りに緑の点が一つ、凜の所在地を示している。街中に数十とある青い光点は、おそらく凜の言う魔術刻印だろう。
「破壊行為や爆発、火事なんかが起きたりしたら刻印が異変を察知して連絡をくれるんだ。こないだのアウターサイドの遺物が出すエネルギーの波長も読み込めるし、これなら人が気付けないような魔術の事件現場もいち早く見つけて辿り着けるってわけ。すごいっしょ? 今度大のスマホにも組み込んであげるね」
「要するに魔術で街中を監視する犯罪レーダーってわけか。プライバシーとか大丈夫なのか、これ」
「別に人の私生活まで覗けるわけじゃないし、大丈夫だよ。……多分」
不審を露にして半眼で睨む大から目を反らしながら、凜は立体映像に空いている右手を伸ばした。吹けもしない口笛を吹きながらちょいちょいと指で光点に触れると、触れた光点が震えて映像が揺らめく。だが、波が収まると、前の映像と変わった所は見られずに、元のまま青い光で街を構成していた。
「今のところ事件は……特にないかな。がっかり」
「しょうがないさ。じゃあ今日は一旦お開きって事で」
「ちぇー」
凜が愚痴りながら閉じようとした時に、赤の光が二人の目を刺した。街の西部、隣の市との境界線となっている川の近くで、光点の一つが青から赤に変わっている。凜は喉の奥から興奮の声を出しながら、指で赤い光点に触れようとして、止まった。
赤色に変わる光点が増え、が変わっているのが大にも分かる。
「やばそうだね、これ」
「やばいなんてもんじゃないよ。遺物の波長を追いかけてくみたいに、事故と爆発が起きてる。こないだのカーシアとかいうおばさんと同じ奴らかも!」
話している間にも赤い光はどんどん広がっていく。誰か、または何かが誰かを襲い、被害がどんどん広がっている。
そうと分かれば大の切り替えは早かった。ひょっとしたら一刻を争う状況かもしれない。きっと綾も分かってくれるだろう、と自分を納得させる。
「見てる暇はないな、行こう!」
「オッケー!」
立体映像を消して端末をしまい、二人は裏路地の更に奥に走る。人気が完全に消えたところで、二人が叫んだ。
「来たれ、秩序の法衣!」
「巨神!」
明かりのない裏路地が一瞬大通りにも負けない明るさで光り輝いた後、二つの影が空を舞って走り抜けたのに気付いた者は誰もいなかった。
横転した車から、男はやっとの思いで這い出した。大事なケースは離さず、しっかり手に持っている。道路脇に並んだ街灯と車のヘッドランプに照らされて、倒れた車が煌いている。破損状況は酷かった。車の後部は爆発したように砕け、金属片が彼岸花のように開いている。
自分を襲っているのが誰なのか、破壊痕から男には分かった。自分が脱走した事に気付き、始末する為に追ってきたのだ。
男は辺りを見回した。先程渡ってきた河の土手沿いには、十年前のシュラナ=ラガ侵攻の慰霊碑が建てられた記念公園がある。真っ直ぐ行けばアイ本部へ向かう大通りだが、当然車も人通りも多い上に、隠れる場所がない。
男は少し考えて、公園へ向かった。街明かりに照らされていると、すぐに見つけられそうで不安だったのだ。それに相手があの二人ならば、大通りに出て人目のつくかどうかなど気にしないだろう。男を見つける為なら破壊行為もいとわない。無駄な被害が広がるだけだ。
公園は丁寧に整えられた木々が所々に配置され、隠れるにはうってつけだ。外周に並ぶ生垣の陰を、男は這うようにして移動する。
背後から断続的に、爆発音が聞こえた。人の叫び声もする。男の予想通り、奴らは邪魔なものを破壊し、なぎ倒してでも見つけようとしている。
「おいジジイ!どこに行ったんだよ!オラ、ジジイ!」
柄の悪い声が背後から聞こえた。男の予想通りの相手だった。続けて巨大な猛犬がするような唸り声がする。
「そっちか。ありがとよ、スマッシャー」
唸り声の意味が分かるのか、声は相槌を打った。唸り声と鎚で地面を叩くような足音が、こちらに近づいてくるのが分かる。男がどこにいるのか、彼らには分かるようだった。
男は身を必死にかがめ、音を立てないように体を固めた。吐く息ですら、あの悪鬼がこちらの居場所を嗅ぎ付ける材料になる気がした。
「隠れられると思ったのかよ?俺らの力を舐めてんな、ジジイ!」
指を鳴らす、軽快な音がした。瞬間、男が隠れていた木々が音を立ててばらばらに砕け、地面が爆ぜた。
「うおぉ!」
突然の事に、男の口から驚きの叫び声が上がった。足元の爆発に体が宙を舞う。遊歩道に顔面からぶつかり、ごろごろと転がると、弾けた地面が礫となって体中に降り注いだ。
「ざまぁねぇな、ジジイ」
男は痛みに耐えながら、何とか体を起こした。遊歩道との衝突によって、鼻血が止まらず、泥まみれのスーツに血が滴る。そんな男の姿を、二人の悪鬼が見下ろしていた。
車で見た時と同じように、巨漢が小柄な男を肩に担ぎ、仁王立ちしていた。深海を思わせる青黒い肌が巨猿の如き筋肉を覆い、分厚い腰布と蛇の群れを思わせる髪の束と顔を覆う鉄仮面だけをまとった姿は古代の英雄を思わせるが、奥から光る赤い瞳は悪鬼の名が相応しい。
巨漢の肩から降りた小柄な男は、巨漢とは対照的に長い手足をレザースーツに包み、針鼠のように尖った金髪に表情の見えないマスクと、どこか一昔前のヘヴィメタルやパンクファッションを思わせる格好だ。どちらも男が知っている顔だった。
「アースシェイカー……。レリックスマッシャー……!」
男が喉奥で唸るように二人の名前を呼んだ。小男が嘲笑で返した。
「いい加減にしてくれよ、ジジイ。テメェも俺と同じで雇われの身だろ?こんなくだらねェ面倒を起こさねェでくれよ」
男の姿に、仮面の奥の瞳が小馬鹿にするように歪んだ。小男――アースシェイカーに同意するように、巨漢――レリックスマッシャーが首を振りながら唸った。
「それの中身が金になるとでも思ったのか? あのババアを裏切ると死ぬ、それくらい分かってンだろ?」
「くっ!」
男は膝立ちになりながら手袋を外し、右腕を二人に向けて突き出した。掌を十字に刻む裂け目が口を開き、アースシェイカーに向けて、鉄砲のように液を吐き出す。
液が男にぶつかるよりも、シェイカーが指を鳴らす方が早かった。目に見えない障壁が張られたように液が何かにぶつかり、弾けて周囲に飛び散る。液が触れた土や木々が溶けて泡立ち、嫌な臭いを出した。
「毒液か。歳は取りたくねェよな。そんなもんが俺に効くかも判断できなくなるとはよ」
「お前達こそ、まともな判断ができているのか?これがあの女の手に渡れば、地球がどうなるか分かったものでは」
腹に衝撃が来た。金属バットのフルスイングのような一撃が男の脇腹を砕く。続けてシェイカーが連続して指を鳴らすと空間が歪んだように震え、次の瞬間には膝、肘に同じ衝撃が伝わり、男は激痛に呻きながらうつぶせにくず折れた。
「うるせェよ、ジジイ。俺を馬鹿にする奴は許さねェ」
更に打ち込もうとしたシェイカーに、スマッシャーが隣で小刻みに唸った。シェイカーはスマッシャーの方に顔を向けると、ばつが悪そうに肩を竦めながら軽く声を出して笑った。
「悪かった、悪かったよ。ジジイなんぞと遊ぶ前に仕事しろ、だよな」
シェイカーは転がっているケースに向かった。動きに気付き、男は折れた手足を使いながら地面を這い、体でケースを押さえ込む。シェイカーは構わずケースの取っ手を掴み持ち上げようとしたが、男は必死にしがみつき、ケースを渡すまいともがく。
シェイカーの目が歪んだ。
「いい加減ウザいぜ、ジジイ。ちゃっちゃと死ぬか?」
シェイカーの指が男の首筋に向けられた。男に為す術はなかった。シェイカーの実力は知っている。動いて何かするよりも早く、シェイカーの出す一撃が男の頭を粉砕するだろう。
シェイカーが指に力を込める。その時だった。
「Beware, My Order!」
声より早く、スマッシャーがシェイカーの首元を掴んで後方へ跳んだ。シェイカーの指から放たれた衝撃波が狙いをはずれ、あらぬ方向へと飛び地面を砕く。それと同時に大地がうねり、巨大な二つの手となって突き出て、シェイカーが先程までいた空間を猫騙しのように叩いた。
「なんだァてめェ!」
遊歩道に着地し、シェイカーが声のした方向へ向かって指を鳴らす。影に向けて放たれた一撃は、もう一つの影が構えた盾によって防がれ、大砲を撃ったような音が周囲に響いた。
盾を消しながら二つの影は男の近くへと駆け寄り、影がシェイカー達二人を指差した。
「見つけたよ、悪党共! こんなところで堂々とおじいさんに手をかけるとは、天が見捨ててもこのレディ・クロウとヒーローチーム、ミシック・ハンズが許さない!」
「抵抗は止めろ! このまま暴れてても罪が増えるだけだぞ!」
男をかばうように構えるレディ・クロウとミカヅチの姿に、二人の悪鬼は敵意をむき出しにして唸るような声を上げた。