0-3.十年前~悪夢の始まり~
嵐が来ようとしていた。その日、先ほどまで美しく星が輝いていた夜空に、分厚い雲が手を広げ、光を奪っていく。街の光が一層強く輝いて見える夜に、様々な破壊音が幾度となく鳴り響き、炎と煙が街中を染めていた。
約一年前から本格化したシュラン=ラガの地球侵攻は日に日に規模を増しており、世界中で混乱が巻き起こっていた。地球に開かれた異次元間を通り抜ける門により、軍勢はあらゆるところから現れて、戦線を拡大させていった。戦いの中で、いたる所で超人が生まれ、ヒーローが生まれ、ヴィランが生まれていた。
その日、一人の超人が指揮したシュラン=ラガの軍勢により、葦原市は戦場と化していた。ジャスティス・アイは総勢で戦いに参加した。市民を救助するもの、軍勢と戦うもの、敵の目的を探る為に潜入するもの、戦いの方法は様々だ。だが全員が人々の為に戦っていた。
戦いは長引き、大勢が傷ついた。そして戦いは終盤を迎え、閃光と女の絶叫が夜空を引き裂いた。
閃光が発した元、市東部の山の上にある神社の境内で、一人の女が倒れた。全身は傷つき、泥と血にまみれた姿で倒れたその姿を、同じく汚れたもう一人の女が見下ろしている。
「……奪ったな!」
倒れた女が叫んだ。目は血走り、体が屈辱に震え、宿敵を貫かんばかりに睨みつけるその瞳からは、憎悪に涙すら流していた。その体を包んでいた淫魔の如き衣装が、光の泡となって崩れ、消えていく。
地球が生んだヒーローの一人、ティターニア。ヴィランの一人、カーシア。二人の戦いが、まさに決着を迎えた。
「私から、また巨神の力を奪ったな!」
「もう終わりよ、カーシア。偉大なる巨神の力を盗み、これ以上何をしたいというの」
「盗んだんじゃない!」
カーシアが火を吐くかのように吼えた。衣装は完全に消え、私服の姿に戻っている。むき出しの地面の上で膝をつき、今にも倒れそうな上半身を両手で支える姿はまさに許しを請う敗者の姿だが、全身から溢れる怒りがそうではないと告げる。それを見下ろすティターニアの瞳は酷く悲しげなだった。
「あんたが私から奪ったんだ!偉大なる巨神の力は私にこそふさわしかった!私はそれを取り戻しただけだ!」
何度も繰り返したやり取りに、ティターニアの顔が曇る。
今でも思い出せる。かつて彼女は友人だった。日本に留学し、学生時代からの付き合いだ。お互い神話や伝説が好きで、それで仲良くなった。ずっと友達でいられると思った。だが彼女はティターニアに憧れ、そして嫉妬した。彼女もその力を得たいと考え、そして奪う術を手に入れた。
彼女がカーシアを名乗ったのは二年前になる。世の中に混乱をもたらす事が生きがいと言わんばかりに、彼女はティターニア達ジャスティス・アイと戦い続け、ついにはシュラン=ラガの軍門に降り、地球にシュラン=ラガの軍勢を呼び寄せた。
だがこの戦いも最後となるだろう。ティターニア達が手に入れた秘宝により、ついにカーシアの力を奪う事に成功した。人間へと戻った彼女は、世界を混乱に陥れた大罪人として名を刻む。おそらく永遠に刑務所から出る事はできまい。
「立ちなさい。あなたを拘束する」
「……嫌よ。あんたなんかに従うもんか」
「これ以上何をするつもり?」
「さあね?人生何が起きるか分からない。いつだって逆転の手はあるものよ」
怒りと憎悪はそのままに、自信と嘲笑が彼女の顔に生まれる。嫌な気配がした。彼女がこういう表情をした時は、いつも邪悪な事が起こる。
いつしか分厚い雲が空を覆っていた。先ほどまで見えていた星々も、姿を消し、風が強くなっていく。
「……一体何を考えているの」
「正義の瞳にも見通せないものなんていくらでもあるのよ。例えばあなたの人生。留学先で勉強を続けて立派な成績を残し、そこで恋人も作った。偉大なる巨神の加護を得てヒーローになって、世の人々に称えられてる。力を使って悪党と戦うって、楽しいよね?しかも戦えば戦っただけ人から褒められて尊敬されて」
「答えなさい。何を考えているの!」
「そんな最高の人生も、ちょっとした事で逆転する事もある。今の私みたいにね。世の中何が起きるか分からないもの。この間まで元気だった人が、突然の事故で命を落とす、なんてよくある話だしね」
ぞわっ、と全身が総毛立った。怒りと恐怖が交じり合って、ティターニアの脳を震わせる。
「ああそうそう、あなたの恋人、元気? 名前はなんて言ったっけ? そうそう、コタロウさん。いい男よね」
ティターニアにセーターの襟首を掴まれ、片腕一本でカーシアの体が持ち上げられた。カーシアの顔は泥にまみれているが、優位に立った笑みはティターニアの怒りの目が向けられても、張り付いたように変わらない。
彼女は確かに小太郎と言った。国津小太郎。警察官で長年に渡るジャスティス・アイの協力者。そして、綾の愛する男。
「あの人に何をしたの!」
「さあ? 正直私もよく分からないのよね。あんたと戦う前に部下にちょっと命令しただけだから。どの程度の被害が起きてるのかなんて、確認してる暇もなかったし。あんたが力を奪ったから、もう命令もできないしね」
気付かない内に、シャツを掴む腕が震えていた。歯が砕けるかと思うほどに食いしばる。いつも穏やかで優しい笑みを浮かべていた、昔の彼女はもうどこにもいない。今ここにいるのは、気に入らない相手を苦しめる為にならば、どんな邪悪な事でもできる魔女なのだ。
「何故私だけを狙わない」
「いつもあんただけを狙ってるわ。あんたがティターニアの名に相応しくない、ちょっと辛い事があれば泣き喚く、その辺の小娘と同じだって自覚できるように、あんたの人生をぶち壊してやりたいのよ!」
堰を切ったようにカーシアが哄笑した。耳障りだった。彼女の声を聞くたびに、脳が悪意に染められていくとすら思う。
「お前ぇ……っ!」
「ティターニア!」
上空から聞きなれた声がした。全長2メートル以上はある灰色の大鳳が急降下し、ティターニアの横に着地する、と思った次の瞬間、大鳳は人の姿を取っていた。鳥の翼を模したコートを身に纏ったグレイフェザーが二人に駆け寄る。大鳳へと変身する能力を持ったグレイフェザーは、この戦いの指揮官だった。
今にもティターニアが相手を手にかけようとしていたように見えたのか、マスクに顔の上半分を隠されていても、その表情が焦りを見せているのは読み取れた。
「どうした。君の作戦は成功したんだろう? もうカーシアは常人だ。それ以上どうするつもりなんだ」
「グレイ、彼女から目を離さないで」
乱暴にカーシアをグレイに向けて突き飛ばし、ティターニアは二人から背を向けた。カーシアの顔をこれ以上見たくなかった。グレイフェザーにそれ以上の言葉を言わせたくなかった。そして、やらなくてはいけない事があった。
「私は小太郎さんの所に行く。そいつを拘束しておいて!」
「おい、一体何があったんだ?」
「説明してる暇はないの!」
叫んで会話を打ち切り、ティターニアは走り出した。一瞬で走る速度は時速100キロを越えて、更に加速していく。跳躍し、建物の屋根の上を走って最短距離を通って目的地へと向かう。
「小太郎さん……!」
彼の名を呟く。
最初は事件を追っての知り合いだった。手に入れた力を使って誰かを巣食う為、共に戦った。そして友人になった。ヒーローとして活動していくにつれて、彼の正義感、責任感の強さに惹かれていった。そして、これから二人で幸せになるはずだった。
聞こえるはずがないのに、耳の奥でカーシアの哄笑が聞こえている気がした。
「私こそが巨神の娘に相応しいんだ!」
「お前が幸せになんて、なれるもんか!」
「お前の幸せなんて、全部私が壊してやる!」
笑い声はそう言っていた。