2-7.姿を見せた宿敵
レディ・クロウが秩序の法衣をたなびかせながら飛行し、無数の男達を蹴り飛ばす。魔術師といえどもレディ・クロウはタイタナスの格闘術を学んでいる。肉体強化の魔術を組み合わせれば、殴り合いでも負けはしない。
「Beware My Order!」
突風が渦を巻いて男達を吹き飛ばす。宙を舞って転がっても男達はすぐに立ち上がり、クロウ目掛けて突進する。
「何こいつら、しつこい!」
「クロウ、電撃!首筋についてる操作デバイスを狙って!殺さないようにね!」
「オッケー!」
ティターニアの指示を受け、レディ・クロウは高度を上げた。天井を背にして男達を見下ろして、できるだけ大勢に狙いをつけながら両手を突き出す。
「Beware My Order!」
レディ・クロウの呪文と共に、手の平から光が放たれた。魔術の電撃が幾何学的な模様を描き、男達のデバイスを的確に破壊していく。
「ギッ!」
「アガッ!」
デバイスを破壊された男達は奇声を上げて昏倒した。仮に立てたとしても、電撃による筋肉の痙攣で体はまともに動かない。
レディ・クロウが男達の相手をして確実に数を減らしていく中、ミカヅチとティターニアはロブスターへと向かった。狭い室内を考えてのスタンロッドを装備した近接戦型が腕を振り回すが、巨神の加護を得た二人の力は、倍近い巨体の機械の塊よりも強い。
「おぉりゃッ!」
ミカヅチが銀の双棍を重ね、槍斧に変えて振り回す。銀の刃が鋼の腕を切断し、槍の穂先が鎧ごと胸を貫く。そのまま抜かずにスクラップと化したロブスターを振り回し、近くのロブスターに投げつける。直撃を受けたロブスターは、解体工事の鉄球を受けたようにねじ曲がり、破壊された。
レディ・クロウが腕力では相手にし辛い洗脳された男達の動きを止め、ミカヅチが魔法では処理し辛い機械のパワーをより強力なパワーで粉砕する。
そして二人の動きで群れに開いた穴に向かって、ティターニアが疾走する。扉を通った先の渡り廊下は南北に長く続いている。ティターニアが捕まっていた部屋は上層階だったらしく、部屋の反対側には窓が並び、沈みだしている太陽の光を遮るものは何もなく、通路を照らしている。
そんな中で、ヒュプノパスは三体のロブスターを盾にして必死に逃げようとしていた。振り向いた男の顔に感情はない。焦りと恐怖で感情の表現を行う余裕すらなくなっている。
「ヒュプノパス!」
「く、来るナ!」
外に出ようと扉に向かって走るヒュプノパスだったが、ティターニアの前ではその動きはあまりにも遅い。
道を塞ごうと立ちはだかる一体目のロブスターの頭を棍で貫く。横っ飛びに壁を蹴って跳ね、一体目の肩を蹴り、跳ねてそのまま二体目を棍を斧に変えて腕を切り落とす。全身の筋肉を使ってピンボールのように跳ね、瞬く間にロブスター達を破壊していく。三体目の体を頭頂部から真っ二つに両断すると、三体目が倒れるよりも速く肩に足をかけて飛び越えた。宙から投げられた棍が太陽の光で煌きつつ回転し、男の膝裏に直撃する。
「ガッ!」
衝撃でバランスを崩し、ヒュプノパスは勢いよく前方に転がった。床に顔面から飛び込み、床が鼻血で朱に染まる。なんとか立ち上がろうと両手を床について上半身を持ち上げようとした時、ティターニアの足が肩甲骨の間を踏みつけていた。
男の首にあった瘤が、横から後ろへと動き、両目を見開いた。
「き、貴様!私にこんな事をしてただで済むト……」
「やかましい!」
ティターニアの腕が閃く。次の瞬間、肉の瘤に目とは違う切れ目が生じ、勢いよく液体を噴き出した。
「ギィィヤァーッ!」
剃刀のような切り口から紫色の血が辺り一面に降り注ぐ。返り血を浴びるのを気にもせず、ティターニアは足をどけると男の背広を掴み上げ、頭から壁に叩きつけた。
「大袈裟ね。皮一枚切った程度のはずよ。死にはしないわ」
「よ、よセ、ティターニア!この世界最高の頭脳に傷をつけるなド、人類に多大な損失を与えている事が分からないのカ!」
「悪いけど私は、その世界最高の頭脳とやらにさっきまで追い詰められてたからね。人類の損失なんて考えずに、目の前の憎い相手に恨みを晴らしてやりたい気分なの」
棍を剣に変えて、ヒュプノパスの目の前に突き立てる。ヒュプノパスが喉の奥で引きつった声を出した。
「降伏しなさい。ロブスターと洗脳デバイスを解除するの。あなたが何かするより、私があなたの脳髄を抉るほうが速いわよ」
「ヒッ! よセ、分かっタ! 分かったからやめロ!」
ポケットから取り出した端末を操作すると、周囲からしていた駆動音や破壊音が消えた。すぐにミカヅチとクロウが部屋から出てくるのを見て、ヒュプノパスが命令に従ったのが分かった。
「ティターニア!」
「ちょっと、大丈夫ですか?」
「尋問中よ。さあ答えなさい、ヒュプノパス。シュラナ=ラガの遺物をあなたに管理させた相手は、一体どこにいるの? あなたと組んだ目的は何なの」
「そ、それを聞いて一体どうしようト……」
返答は剣の一突きだった。瘤に突き刺した刃を回して抉り、ヒュプノパスが喉を裂かんばかりの絶叫を室内に響かせる。
「二度は言わないわ。答えなさい。切り刻まれたいの?」
「ティターニア! どうしたんだよ一体!」
ティターニアの下に駆け寄りながら、ミカヅチが驚きの声をかけた。今のティターニアの目にあるのは憎悪と嫌悪、そして恐怖だ。綾とは十年以上の付き合いだが、こんな表情をした彼女を見るのは、家族同然に過ごしてきた大でも数えるほどしかない。
「わ、分かっタ。分かったから手を離してくレ」
解放されたヒュプノパスは膝を突き、苦しさに喘いだ。その姿からは、先ほどまでの悠然とした態度を思い出させるものはない。
「奴がどこにいるかは知らン」
「へえ……?」
「ホ、本当ダ!奴とはお互いに仕事上での付き合いしかなイ。互いに指定した方法で連絡を取り合うだけダ。だガ、奴の拠点はいくつかは知っていル。奴が手に入れた金と知識を餌に人間を利用シ、計画に必要な遺物を揃えていると言っていタ」
「計画? それは一体何?」
「し、知ったところでどうにもならんゾ。奴は何年もかけて、既に地球上に残っている遺物の多くを集めていル。ここにある遺物ハ、君のように遺物を追う者を捕らえる為の罠として残しているだけダ。私の知性をも利用しテ、奴の計画は既に動き出していル」
「奴は私が一度殺した。生きていたならもう一度殺すだけよ」
剣を元の棍へと戻して腰に挿し、ティターニアはヒュプノパスの、ちょうど蛸の頭のように男の肩から盛り上がっている肉塊を掴み上げた。取り付いた男が爪先立ちになる程度の高さまで片手で持ち上げ、握る拳に力を込める。
「その体から離れなさい。あなたをジャスティス・アイに連れて帰る。知っている事を洗いざらい吐いてもらうわ」
「ジャスティス・アイにだト! あの才能の使い道を知らン、知性の欠片もない無能共に私の処置を決めさせるというのカ?」
「ついさっきその無能に正面からぶっ飛ばされて命乞いまでしてた癖に、ずいぶんな言い草じゃん」
レディ・クロウがぼそりと呟く。ミカヅチが視線を向けるとばつが悪そうに顔をそらしたが、不平のへの字口は忘れない。
「どっちにしろここであなたがやってた事はお終いよ。社員の洗脳と兵器開発、一生試験管の中に置かれるのが嫌なら少しは協力しなさい」
「悪いけど、そうさせる訳にはいかないのよね」
その場にいた全員が、背後からの声に総毛立った。
ほとんど本能で恐怖から逃げ出そうと跳躍した次の瞬間、さきほどまで三人がいた場所を閃光が通り抜け、残っていたヒュプノパスの頭部を貫く。遅れて割れた窓ガラスが床に落ちて喚き散らした。
黄金の矢がヒュプノパスと男を貫いたまま壁に突き刺さり、おぞましい標本を作り上げた。男の声帯を使って断末魔の声を出す事もできず、ヒュプノパスは血と同色の泡を吹き出して絶命した。
背後の相手に真っ先に反応したのはティターニアだった。振り返りながら棍を腰から抜き、同時に投げ斧へと変え、アンダースローで勢いのまま投擲する。
金属同士をぶつけた反響音が耳を貫いた。窓の外、宙を舞っていた相手に跳ね返された投げ斧があらぬ方向へと飛んでいく。
ティターニアの一撃を跳ね返した相手を、1テンポ遅れてミカヅチとレディ・クロウも視界に捉えた。
年齢はティターニアと同年代ろうか。たっぷりと肉がついた胸や尻、腿は男に媚びた曲線を描いているが、だらしなさを感じさせないのは、鍛えられた筋肉が脂肪の下に存在するからだ。
その豊満な肉体を、血で染めたような妖しい色気のある紅色の装束がぴっちりと包み、手には黄金の棍と手甲が、沈みだして赤く変わりかけた陽の光を浴びて血で濡れたように輝いている。
世の男の性欲を焚きつけ、破滅へと導くため、淫魔が人に化けているかのようだった。彼女に一言でも愛を囁かれれば、どんな男も命をかけることだろう。
「カーシア!」
「久しぶり、ティターニア」
ティターニアの顔が色を失った。ティターニアの呼んだ名に、ミカヅチも驚く。彼女の事はミカヅチも知っていた。
カーシアとは巨神の神話に登場する、様々な登場人物を煙に巻くトリックスターの事だ。だがこの場合、その名はティターニアのかつての宿敵を意味していた。
彼女はかつてティターニアに憧れ、嫉妬と傲慢さから偉大なる巨神に選ばれる事はなかった。だがそれを逆恨みし、禁忌とされていた呪術に手を出し、ティターニアと同等以上の力を手に入れた。
それ以来彼女はカーシアと名乗り、名前の通り世界中を混沌に巻き込もうと度々行動を起こし、ティターニアと幾度も争いを繰り返したのだ。
「何故ここにいるの。あなたは十年前に、力を失ったはずでしょう」
「十年も経てば人は変わるわ。確かに私一人でここまで力を取り戻すのは不可能だったでしょうけどね。あなたのように、私にも協力者がいたの」
ティターニアの奥歯が噛み締められて、憎憎しげに鳴った。
「悪いけど今日のところはあなたに用はないの。私の用事はそこで汚らしく這ってるお喋りを殺してそれでお終い」
カーシアが手をかざすと、ヒュプノパスに突き刺さっていた矢が引き寄せられていく。風を裂いて飛びながら矢は棍へと形を変えて手元に戻る。
「この十年の苦しみを吐き出すのに、こんなくだらない仕事のついでにだなんて、許せない。あなたとのお喋りはもっと相応しい場所でね」
「そんな事させると思うの?」
「何もできないわよ、あなたには」
「ふざけないで答えなさい! 奴は、ターミナスはどこなの!?」
「ターミナス!?」
完全に置いてけぼりにされていた二人から素っ頓狂な声があがった。
ターミナス。アウターサイドの帝国、シュラナ=ラガの支配者。超人が生まれ、善と悪の戦いが始まったその時から今に至るまでで、地球に最も大きな傷痕を残した。この世で最も悪名の知られた男。そして、ティターニアがヒーローとして活動していた時に、ただ一人殺した宿敵。
まさにこれこそ、ティターニアが血眼になって敵を追っていた理由だった。
カーシアの返答は意味深な微笑みだけだった。
「それじゃあね、ティターニア。きっとすぐ会えるわ」
「待て!」
残ったもう一つの棍を鎖に変えて投げつけるが、カーシアが左手に握っていたスイッチを起動させる方が早かった。一瞬早くカーシアは光に包まれて掻き消え、打ち込む相手を失った鎖は重力に負けて落ちるところを、元の棍へと戻される。
「くぅぅ……うああぁ――ッ!」
怒りと無念の叫びが、ここにいた全員の耳を貫いた。
これも、綾と出会って十年、聞いた事のない声だった。
数時間後、綾が呼んでかけつけたアイの職員と警察に後の事を依頼し、三人は文野と共に研究所を後にしていた。
日は既に暮れかけており、空も研究所も、周辺に散らばった瓦礫も、消えかかる夕日によって赤紫に染まっている。
「これでお終い? 俺達、あの建物をぶっ壊した分の損害賠償を支払う事になったりしないよね?」
「今回は大丈夫。ヒュプノパスがこの研究所を私物化して人体実験をしてたのは事実だし、何より『か弱いタイタナス大使館職員』を拉致監禁しようとしてたんだからね。レディ・クロウとその協力者の行動は正当と認められると思うわ」
「か弱い……?」
「か弱い……」
「何よ。何か文句ある?」
「いや、別に……」
黙る二人を見やった後、綾は文野に目をやった。既に彼女は元のスーツを身にまとっている。だがその姿は最初に見た感情を見せないクールな面や、先ほどティターニアを襲おうとした欲望に燃えて興奮した面でもない、どこか怯えた少女のような趣きがあった。申し訳なさそうに肩を落とし、俯いて小さくなっている。
「あの……ティターニア」
「文野さん。ます。私の事はティターニアじゃなくて、天城と呼んでください。今回は緊急だったので仕方ありませんが、正体をできるだけ明かしたくはないので」
「は、はいッ。その、今回の事は本当に申し訳ありません」
さらに小さくなる文野を見て、綾は慰めるように声をかける。
「気にしないでください。文野さんも当分はお仕事にならないかもしれませんが、どうか気を落とさないでくださいね。私にできる事でしたら相談に乗ります」
「はい……。……あの、天城……さん」
「はい?」
「私、その……本当に申し訳ありませんでした。あなたにあんな事を」
「よしてください。もう過ぎたことです。それに、悪いのは全てヒュプノパスですから。あなたは奴に操られていたに過ぎません」
「いえ、操られていたんじゃありません。あのヒュプノパスが言っていた通り、私も望んでいたんです。私はあなたにまた会いたかった。あなたに私の想いを伝えたかったんです。あなたに会えて本当に嬉しかった。
「文野さん……」
「許されることではありません。でも、それだけは本当です。信じてください」
妙に気恥ずかしくて、綾は頬をかいた。あんな歪んだ形での想いの発露がなければ、この告白も違ったかもしれない。
なんと答えたものかと思い、思わず目を泳がせていた綾だったが、とりあえず一番重要な事を伝える事にした。
「あの、文野さん。特にお願いしたいんですが」
「はい?」
「あの時の、あなたが私にしようとした事。あれは特に、二人だけの秘密にしてください。ね?」
「……は、はい!」
顔を真っ赤にして去っていく文野を見送り、綾は後方で待つ大の方を向いた。
「それじゃ、帰りましょうか。凜も車に乗っていく?」
「はい!乗ります乗りますお願いします!」
凜が車に向けて走るのを横目で見ながら、大は綾の隣につきながら車に向かった。
「綾さん、レディ・クロウとも知り合いだったんだ」
「そりゃあね。ティターニアは引退しても、ジャスティス・アイとの人達とは時々会ってたから。あの子にタイタナスの格闘術を教えたのも私なの」
「ずるい。なんかのけ者にされた感じだよ」
「しょうがないでしょ?そんなにぺらぺら話されても困るしね」
「そんな事しないよ。ただちょっと、気になったっていうか。さっきの人も知っちゃったみたいだし、そのうち世界中にティターニアの正体がバレちゃうんじゃない?」
腕を組んでむくれる大を見て、綾は可笑しそうに微笑んだ。
「どうしたの?さっきからぶーたれちゃって」
「別に、なんでもないってば」
「……ああ、妬いてるんだ」
大が弾かれたように綾のほうを向いた。その顔は先ほどの文野と同様に真っ赤に染まっている。
「ちがう、違うよ!別に俺はそんな」
「気にしなくていいのよ?文野さんみたいに私のファンが沢山いるって、大ちゃんも改めて気付いちゃったんだよね。私が大ちゃんだけのティターニアじゃないって思ったんでしょ」
綾がいたずらっぽく微笑みを浮かべる。必死に否定しようとするが、半分以上事実なので否定にも説得力がない。
「俺はただ、綾さんがティターニアだって知ってる人がたくさんいるって分かって、その、俺が知らない事が色々あるんだなって思っただけで、その……」
情けないほどにしどろもどろだ。言葉がまともに形をなしてこない。
「あはッ。大ちゃん。落ち着いてよ。誰が知ったって私は変わらないわ。それに」
ぎゅっ、と、綾が大の腕を胸元に抱き締めるように握った。突然の事に思わず体を硬直させる大の耳を湿らせるほど近くで、綾の唇が動いた。
「ティターニアの最初で最高のファンは、大ちゃん、あなたよ。でしょ?」
スーツ越しでも感じる綾の暖かさが、大の腕を包む。
これが室内で二人きりならば、大は我を忘れて綾に飛びかかっていただろう。普段の綾ならやらないような大胆な行為に、大の全身が硬直した。
「綾さん……ちょっと、なんか今日積極的だけど、どうしたの?」
「さあ? さ、帰りましょ。凜もそこで待ってるわ」
さっと手を離し、何事もなかったかのように綾は車の前で待つ凜に手を振った。
「やっぱり綾さん、ずるいよ……」
呟きながら、綾の後を大は複雑な気持ちで追っていった。