2-4.正面突破
「それで、どういうことか説明してくれよ」
電車から降りて改札口をくぐり、大は半眼で目の前の少女を睨んだ。
「何を?」
「だから、これから俺達は、何故、どこで、何をしようとしているのか、って事だよ」
「あれ、まだ言ってなかったっけ」
「言ってない」
大の非難の視線を笑ってかわし、凜は歩き出した。
二人の泊まった岩長駅は市内の北部にあり、会社の通勤以外で使う人はほとんどいないような小さな駅だ。
凜と公園でひと悶着あった後、大は凜から頼みを受けた。アイにつれて行かない代わりに、自分の仕事を手伝ってほしいと言う事だったが、理由については後からと適当にかわされて、結局ここまでついて来たのだった。
「事の始まりはさ。こないだキミが遭った強盗事件なんだ」
世間ではフェイタリティの言葉がニュースで流れた事により、ティターニアの復活が大々的に報道された。ティターニアの正体が綾だと知っている者は少ないが、凜はそのうちの一人だった。凜は驚き、早速綾に連絡を取ったのである。
「ちょっと待てよ。なんでお前が綾さんの事を知ってるんだ?」
「ボクのお師匠様のドクター・クロウは、ティターニアとも仲がよかったもん。大よりボクの方が、先にティターニアの正体を知ってたってわけ」
どうだ、とばかりに笑みを浮かべる凜に、大は複雑な気持ちになった。二人きりの秘密、などと気取っていたつもりはないが、こうも近くに彼女の正体を知る者がいたと思うと、少々悔しくもある。
「俺の事は教えてもらってなかったんだな」
「そこはちょっと悔しいけど、事は巨神に関わる事だし、言いたくなかったんでしょ。結局こうやってお互いを知り合えてチームを組めたんだから、問題なしさ。だろ?」
「ものは言いようだなー。ティターニアに代わってアイに俺を連れていこうとしてた癖に」
「話の腰を折らないでよ。いいからこっち、着いてきて」
凜は駅から離れ、さらに北の山道に向かって歩いていく。大もそれを追った。木々に青々と茂る葉が目に美しい。凜は歩きながら続きを話し始めた。
綾は凜にも状況を話した。大の事は隠しつつ、アウターサイドの遺物を狙う者が影にいる事。その目的と正体を探る為、独自に調査を開始するという事。
「で、状況を教えてもらった後、ボクは綾さんから頼まれたわけ。あのティターニアから、だよ? アウターサイド、特にシュラン=ラガとの遺物を調査している、あなたの力で何か分かったら教えてほしい、って言うんだ!」
「それって、凜ならどうせ隠しても勝手に調べて突っ走るから、先に教えて勝手に動かないようにしただけじゃ……」
「うるさいなぁ。なんでそんなやる気をなくすようなこと言うわけ?」
自信満々になったかと思うと不満を露に、コロコロと表情を変える。腕を組んで不満そうに鼻を鳴らした後、凜は頭を切り替えるように頷いた。
「まあいいよ。確かにみんな、ボクの実力について信頼してないのさ。実績がないかんね。だから、これからその実績を手に入れようってわけ。キミにもそれを手伝ってもらいたいんだ」
「……つまり?」
「あったま悪いなァ。これから行く先に、その遺物があるって事だよ」
ティターニアは目の前の男の拳を右に避けながら、鉄槌を男の左顎の関節に打ち込む。顎が外れながら吹き飛んだ男に巻き込まれ、数人が倒れる。それを見もせずにティターニアは腰から棍を引き抜き、右から殴りかかる男の手首に一撃、翻して膝裏に一撃。半回転してうつ伏せに床に叩きつけられながらもすぐ立ち上がろうとする男の肩を踏むと、
「シッ!」
綾は棍を刀へと変え、男の首筋目掛けて振りぬいた。
「ぎっ!」
感電したように一度痙攣すると、男は動かなくなった。
首筋から綺麗にそぎ落とした触手が刃の上で泥のように溶けていき、完全に機能が停止する。文野の口内にあったものと同じ、ヒュプノパス謹製の洗脳デバイスだ。ここにいる全員に、それと同じものが取り付けられている。これを破壊するか、洗脳された人を殺害しない限り、例え全身の骨を折っても動こうとするだろう。
左右から別々にくる男の拳を手甲で防ぐ。骨まで痺れるような感覚があった。洗脳デバイスが人間の筋力を限界まで強化している。
目の前には不死身の軍勢、後方には守るべき一般市民。状況は不利、この場に留まればジリ貧、ヒュプノパスの思う壺だ。状況を変えるしかない。
太鼓を叩くようにリズミカルに棍を使い、男達の膝を叩く。行動不能になった男達を蹴り飛ばして壁にしながら、ティターニアは文野の下へ跳躍した。
「ティターニア!」
「話は後。ちょっと静かにしていてください」
文野を下がらせ、綾は壁に向き直った。男達が来る前に拳を握り締め、大きく息を吸い、構えると
「……はっ!」
床にヒビが入る程の、爆発的な爪先からのエネルギーを全身で増幅させ、拳を壁に叩き込んだ。
トラックが正面衝突したような衝撃が拳から壁へと伝わる。同心円状のヒビが入ったかと思うと、壁は無数の瓦礫となって崩れ落ち、外の通路へと繋がる大きな穴が開いた。
「すごい……!」
「しっかり捕まって。ちょっと走りますよ!」
慌て半分興奮半分の文野を両手で抱え上げ、綾は壁の穴から走り出した。
通路の先にも数人、いたるところに洗脳された所員があたりを歩き回っている。まるでゾンビ映画を見ているようだ。
目の前にいる男二人に向けて助走をつけてから跳躍し、開脚しての跳び蹴りで左右の男の胸板を撃ちぬく。後ろから襲いかかってくる相手の向こう脛に下段の足刀、返す刀の上段足刀が顎の骨を割った。並の人間なら激痛に動けなくなる。だが倒れた男はもがきもせずに、あっさりと立ち上がった。
「ちッ……」
思わず舌打ちした。殺さない程度に手加減をしてはいるものの、これだけの数を対処するのは一苦労だ。
周囲を見回しながら、現在の戦況を考える。
地の利は向こうにあり。物量差はこちらが不利。文野はさすがに置いていくわけにはいかないし、護衛対象が一人。完全に不利だ。
「文野さん、ここの出口は?」
「え? えっと……ここは研究所の地下20メートルにある危険物保管庫です。出入口は中央にあるエレベーター一つだけです」
「つまり、地上に出るには入ってきたのと同じ、エレベーターを通らないと駄目って事ですね……」
状況によっては全ての壁をぶち抜いて外に出る事も考えていたが、いくら巨神の加護を得ているといっても、ティターニアもさすがに20メートルの厚さの岩盤は砕けない。となると後はできるだけ敵を避けながらの強行突破、それしかなさそうだ。
ティターニアは文野へと目を向けた。文野は目の前の状況をまるで理解できていない。先ほどまで操られていたののに、目を覚ますといきなり同僚に襲われているのだ。気が動転してもおかしくない。
できるだけ落ち着かせようと、ティターニアは微笑みを文野に向けた。
「私が必ず貴女を助けます。少し揺れますから、しっかり捕まっててください」
「は、はい……!」
林檎のように顔を真っ赤にして、文野は頷いた。鼻息を荒くしながらティターニアを抱き締める。少々積極的にすぎる気がするが、興奮していればこんなものだろうと思い直した。
軽く息を吐き、ティターニアは走り出した。
さっそく目の前に現れた男のに向かって跳躍し、長い脚を伸ばし蹴りを放った。踵が男の鎖骨に直撃し、回転しながら倒れた。
常に走り捕まらないようにする。襲ってくる相手の手足の骨を折り、与える被害は最小限に。本気で殴り飛ばせば男達など挽肉にできる力は加減する。様々な事柄に注意を払いながら、エレベーターまで走り抜ける。
文野がしっかり抱きついてくれるおかげで片手が使えるようになり、ティターニアは腰から白銀の棍を引き抜いた。
「シッ!」
呼気と共に振った棍が鞭のようにしなり、目の前の男の脚を狙う。脛を痛打した後、鞭は男の脚に巻きついた。
そのまま腕を振り上げると、男の体は浮き上がり、隣の男に激突する。
「ふっ!」
「危ない!」
文野の声より早く、左足を背後に振り上げる。美しく伸びた脚が、叫びながら背後から掴みかかろうとする男の顎を打ち抜いた。
「きりがない……!」
たとえ今のまま全員を殴り飛ばしても、大本であるヒュプノパスを倒さない限り終わりはない。囲まれないように走って突き当たりの角を曲がり、やっと視界にエレベーターを捕らえた。駆け寄って昇降ボタンを押し、エレベーターが降りてくる機械音を耳に捕らえて一息をついた。
「あの……文野さん?ひとまずは大丈夫ですから、降りていただけますか?」
「え?あ、ごめんなさい」
こけたりしないように、足から優しく文野を下ろす。文野は顔を真っ赤にして、先ほどまでの感触を忘れまいとするように、胸元で両手を組み合わせていた。
ちょうど通路奥から、エンジン音と機械音が鳴った。通路から現れたものを見て、ティターニアは両の棍を引き抜いて構えた。
3メートルほどの大きさの、二足歩行の機械人形だ。逆関節の脚に支えられた巨大な胴体と繋がった首のない頭、蛇腹状の金属の鎧を身に纏っている。頭頂部からは長い二本のアンテナがカーブして後方に伸びていた。
10年以上前に、ティターニアは似たデザインを見た事があった。その姿からロブスターとヒュプノパスが呼んでいた無人兵器だ。当時よりも洗練されたデザインと動きから見て、改良されて性能が向上しているのは間違いない。
両腕につけられた機関砲を向けられるよりも早く、ティターニアは兵器に向かって突進した。
走りながら双棍を重ねて巨大な盾に変える。機関砲から放たれた無数の弾丸が、盾に弾かれて火花と高音を生む。
「はぁ―ッ!」
展開した盾をそのままにして、ロブスターへと激突する。数トンはありそうな鋼の塊が浮き上がり、通路のコンクリート壁を破壊してめり込んだ。
装甲が凹み、異音を立てながらもロブスターは手足を動かし、盾を押しのけようとする。
それよりも早く、盾は消えた。ロブスターのカメラアイに写ったティターニアが半身で構えていた。盾から戻した棍でロブスターを押さえつけ、右拳を岩のように強く握り、弓を引くように腕を縮め、
「タイタン・ブロウ!」
一気に放った。閃光が放たれたかと錯覚するような一撃が、ロブスターの胸を文字通り貫く。
装甲も内部の機械も破壊され、貫通した先のコンクリートまで大穴を開ける一撃が、地下全体を揺るがす。大きく息を吐いて構えを解いた時、ロブスターの残骸が音を立てて床に落ちた。
「すごい! すごいすごい!」
「いいですから、エレベーターは?」
「あ、もう来ました!」
開いたエレベーターに急いで入り、一階のボタンを押す。ドアがスムーズに閉じ、低い振動音と共に上昇していく。
ティターニアは肩の力を抜いた。体は自分の思い通りによく動く。偉大なる巨神は彼女に以前と変わらぬ力を与えてくれている。
「ティターニア」
隣で文野が言った。その名を呼ぶだけで嬉しいらしい。しなを作り、恥ずかしげに両手を口元に当てる仕草や目の色はまるで恋する乙女を思わせる。
「もう少し頑張ってください。ヒュプノパスは頭の良さに比例してしつこい奴です。おそらく一階にはさっきのロボットや操られた人達が集結している事でしょうから」
「はい。あの……本当に貴女がティターニアだったなんて。なんて言ったらいいかその、こんな状況ですけど私、本当に嬉しくて……」
「私もですよ。私にも誰かを助けられる力がまだあった。それがとても幸せなんです。だから、あなたも助けたい」
「ああ……!」
感極まったように文野が目を潤ませる。ティターニアはなんだかむずがゆくなって目をそらした。階数表示を見ると、エレベーターは特に妨害もなく、滑るように上昇していく。止まれば壁を登ってでも這い上がり、外に出るだけだ。
不意に、ティターニアの背を暖かい感触が包んだ。胸元に両手が回り、相手が文野だと気付く。
「あの、文野さん……?」
耳元に荒い吐息がかかる。文野の柔らかい頬が、ティターニアの首筋を舐めるように撫でた。
「ティターニア……。貴女にまた助けられるだけじゃなくて、貴女を抱き締める事までできたなんて、私、本当に幸せです。ずっとこのままでいられたらいいのに……」
「あ、あの、文野さん。すみませんがこのままじゃいざという時に動けないので、一度離れてもらえませんか?」
「嫌です。離れたくありません」
文野の手の動きが次第に激しくなっていく。服に締め付けられながらも主張を止めない豊かな胸を、両手で包むようにして揉みしだく。
「んっ……あ……っ、ちょ、ちょっと……」
ティターニアの口から甘美な喘ぎがこぼれた。
何かがおかしかった。こんな愛撫ひとつで、快感が体の奥を炙っていくる。久しぶりの変身が肉体の感度まで向上させているのか、それともこの異常な状況の為だろうか。
考えをまとめる前に体を引っ張られ、壁に押さえつけられる。止めようとする前に、文野がティターニアの唇を奪った。
閉じた口に無理矢理舌をねじ込み、歯ぐきを執拗に嘗め回す。舌が触れるたびに、脳に電流が走り、体温が一度上がるような錯覚を、二人とも感じていた。
「ん!んぱっ!んん……ぷはっ!」
「だ、駄目……んっ、やめて……くださ、はぁっ!」
エレベーターが地上に到達した電子音を鳴らす。文野の顔越しに見たドアの先に、ロブスターが群れをなして集まっていた。
「!」
「駄目、私を見て」
一気に変わった空気に臨戦態勢を取ろうとした瞬間に、文野が体に絡みついた。反応が遅れる。
「この時をずっと待ってたの……」
カチリ、と背後で音がした瞬間、綾の肉体を電撃が貫いた。視界に星や火花が飛び散り、激痛が全身を襲う。
「あぁああーッ!!」
全身の激痛と痙攣に、原因が何かと意識を向ける事すらできない。落雷かとすら思う出力の電撃が骨まで震わせた。
「ひ、ひひひっ! ひひっ!」
ティターニアの肉体を通して感電し、文野がひきつった笑い声のような悲鳴を上げる。彼女を支配していた触手は外したはずなのに、などと考える暇はなかった。痙攣する体を何とか動かして文野を引き剥がして張り倒す。文野の手袋が破れ、放電用の端子が見えていた。
モーター音がして、ティターニアは振り返った。ロブスターの銃口が、ティターニアと文野を狙っている。盾の展開は間に合わない。
「くッ!」
銃口から無数の弾が放たれた。両腕の手甲でできるだけ弾くが、電撃で震える体に加えて背後の文野を防ぎながらでは完全に防ぎきるとはいかない。数発の弾がティターニアの体に撃ちこまれ、弾頭に溜め込まれていた高電圧が肉体を焼く。
「あっ、あぐ、うぁあぁッ!」
『君の肉体は一見無敵だガ、弱点もあル』
目眩と耳鳴りで頭が踊る中、スピーカーからヒュプノパスの余裕に満ちた声が届いた。
『君の体を物理的な衝撃を与えて破壊するのは困難ダ。だが他に比べて、電撃に対しての耐性は低イ』
萎えそうになる脚を何とかして踏ん張りエレベーターから外に出ようと歩を進める。電撃を浴びる度に散る力を何とかして溜め込む。
『この状況からの逆転は不可能だと思うがネ』
「タイタン……ブロウ!」
スピーカーの声を無視して、ティターニアはロブスターの一体に向けて突進した。胴体に直撃を受けたロブスターが装甲と内部機械を砕かれつつ吹き飛び、強化ガラスの窓を割って外へと飛んだ。
その間にも他のロブスターからの銃弾がティターニアの肉体を傷つけていく。
『よく頑張っタ、ティターニア。だがここまでダ。これで君の体は私のものダ』
そこからろくに考える事もできず、ティターニアの意識はそこでぷっつりと切れた。