2-3.たとえ罠でも
ナイフとフォークを休めずに動かし、黙々と食事を進める。ステーキ二枚に大盛りのライス、大盛りのサラダ。二人そろって健啖家な為、天城家のエンゲル係数はやたらと高い。
近くにあったレストランで一人遅い昼食をとりながら、綾は今後の考えを巡らせた。一通り確認し、綾一人だけ先に帰宅させてもらう事にしたのだ。他の調査員はまだ調査を続けている。
今回の会社で、アウターサイドの遺物の所在を確認したのは4回目になる。確認した後、怪しい人物などがいれば灰堂を通じてアイに連絡を取り、監視を頼んでいる。他の遺物についても、アイと警察が協力して捜索中だ。
遺物が狙われていないならばそれでよし、何者かがアウターサイドの遺物を必要としており、犯罪を行ってまで手に入れようとしているのならば、向こうからも何か反応が来るはずだ。果たして何が来るかは、来てみてからのお楽しみだ。
ふと、大はどうしているだろうと思った。出かけるところがあるという話だったが、一体何をしているのだろうか。勉強でもしているならばありがたいところだが、恐らくは――そうであってほしくないところだが――巨神の力を試しているのではないだろうか。
「もしそうだったら怒るからね、大ちゃん」
顔をしかめながら、綾は呟く。
ふと、別の席にいた客と目が合った。思ったより大声を上げていたかと思い、誤魔化すようにコップに口をつけた。
「……?」
改めて周囲に目を配った。老若男女、食堂内には様々な人がいる。周囲の事など気にせず、皆思い思いに食事を楽しみ、和やかな空気が流れている。だが、綾の肌には、針で突き刺すような視線が感じられた。監視しているように。
食事を終えてナプキンで口を拭い、立ち上がった。代金を支払って食堂を出て、駐車場へと向かった。駐車場まで歩く間、決して長い距離ではない。だが何となく、背筋に刺さるようなものを感じる。
やはり、誰かがこちらを見ている。どこから、またはどういう方法でかは分からないが、綾に監視の目を向けている。
「そろそろ仕掛けてきたってわけ……?」
綾は神経が張り詰めるのを感じた。この奇妙な感覚の主が敵の仕業という事ならば、このまま出方を待っているという事は自分から相手の策に乗る事になる。しかし向こうが行動を起こしてくれるのは実際ありがたい。
車に乗り、気持ちを落ち着かせようと片手でハンドルを撫でる。革のつるりとした感触が心地いい。
灰堂に連絡を取ろうかと考えていた時に、ふと、視界の端に見えたものに、綾の眉が寄った。レストランの向かい、小さいビルの角に、先ほど会った文野の姿が見えたからだ。壁に寄り添うようにして立ち、先ほどと同じ無表情でこちらを見つめていた。
こちらも見返すのに気付いたか、人影は建物の影に隠れて見えなくなった。
既に休憩時間は終わっているはずだ。就業中にわざわざ駐車場に来るのは珍しいし、こちらが気付くと隠れたのも怪しい。
少しでも疑問が浮かんだならば、行動を取ったほうがいい。綾は車から降りると、文野を見たところに向かって走り出した。ものの数十秒でたどり着き、辺りを見回す。そこはちょうど賃貸ビルの並ぶ間の裏路地だった。外を歩いている者は数人いたが、時間が時間な為、わざわざ近寄ろうとしなければ見つからないことだろう。
文野の姿はなかった。ただの見間違いだったのか、とも思い出す。
「どっちに行ったのかな……」
「私を探していますか」
背後からの声に、綾は弾かれるように振り向いた。文野が立っていた。その表情は調査に立ち会った時と同様に、何を考えているのか読み取る事ができない。ひょっとすると、必要な時以外は顔の筋肉を固定するスイッチか何かが、頭の中にでもあるのかもしれない。
「文野さん……」
「私に何か御用ですか」
思わず口ごもった。そこまで考えて行動したわけではない為、どう答えていいのか分からない。まさか『平日から働かなくて暇なんですか?』と聞くわけにもいかない。
「あの……そのですね……」
「用がないのであれば、こちらのお話を聞いていただけますか。ちょうど連絡を取りたいと思っていましたので」
「え?それはかまいませんが、一体何を?」
「本日お見せした、アウターサイドの遺物についてです。あれとは別のものをもう一つ、我が社は秘匿しているのです」
綾は文野を車に乗せ、はやる気持ちを抑えながら走らせた。真上にある太陽は気持ちを逸らせるように、じりじりと地面を焼いている。
先ほど文野が語ったもう一つの遺物を保管している場所は、市の北部の山間部にあるという。最短距離を黙々と移動しつつ、大を待たせずに帰宅できるだろうか、とこれからの事を考える。
「しかし、どうやってアウターサイドの遺物を二つも手に入れたんですか?アイもそこまで把握していませんでしたけど」
綾は視線を正面から外さずに文野に話しかけた。灰堂からもらった資料には、オクトの保持する遺物は一つしか書かれていなかった。
「10年前、シュラン=ラガの侵略末期の事だと聞いています。偶然手に入れた装置について、調査を長年続けてきたそうですが、今まで解明する事はできませんでした。数ヶ月前、諦めかけていた時に新しい遺物を手に入れる事ができ、比較研究を行う予定だったそうです」
なるほど、と納得する。さすがのアイと灰堂と言えど、10年も前のゴタゴタまで完璧に把握する事は難しかったのだろう。
「既にアイに連絡はしています。明日にでも調査員が現れるでしょうが、その前に危険性を出来る限りの範囲で調査しておきたいのです。あなたは装置についての知識が豊富なようですので、どういった目的に使われたものか、見て確認していただきたいのです」
「責任重大ですね。出来る限りの事はさせていただきますよ」
気負わないように明るく言ったつもりだったが、少し声が上ずっていた。文野の話が事実なら、これから行く研究所に置かれている遺物は、この間のフェイタリティが探していたものと同様、シュラン=ラガの遺物という事になる。ならばフェイタリティを雇った黒幕も探しているかもしれない。
果たして鬼が出るか蛇が出るか。危険な遺物であれば敵が狙う確率も高くなるだろう。ちょうど遺物と対面すると同時に悪党の襲撃、という事にもなりかねない。アイに状況は連絡をしておいたので、そのうち追加で人員が来る事だろう。
そうこうしている内に、車は目的地にたどり着いた。思わず見上げるほどに大きなコンクリートの建物が複数建てられ、それぞれ連絡通路で繋げられている。文野の話では、工業機械の研究開発を行っており、小さいが工場も隣接しているそうだ。駐車場に面した建物の一階に、コンクリートの代わりに一面ガラス張りの一画があった。おそらくあそこが入口だろう。
広く見晴らしのいい駐車場には車がまばらに止められていた。綾が適当な場所に車を停めようとバックで車を動かしていると、助手席のドアが開いた。
「ちょ、ちょっと!」
「急ぎです。先に行っていますので、後からついてきてください」
車が止まるのを待たずに降りて早足で歩き出した文野を、綾は呆れ顔で見送った。急いで車を停めて追いかける。文野の足は速く、既に入口から中に入っていた。
所内は照明がついていないのか薄暗い。まだ定時にはなっていないのに、周囲に働く人の気配もない。
「変ね……」
「申し訳ありません、お客様がいるというのに、気がはやってしまいました」
文野が通路の角から姿を現した。少々驚きはしたが、彼女の気配のなさにはいい加減に慣れてきている。
「遺物を安置しているのはこちらです。どうぞ」
「はあ……」
釈然としないながらも、文野が手を向けるほうに歩き出した。綾の横で進む先を指示する文野の後を追う。二人は一階ロビーの奥にあったエレベーターに乗ると、文野が地下のボタンを押した。対象の遺物は地下の研究室にあるらしかった。
エレベーターで降りる間、綾は気になっていた事について疑問を口にした。
「あの、一つ聞いてもよろしいですか?」
「はい。なんでしょう」
「貴女は何故、私に遺物の調査を依頼したんですか?危険性があるかどうか、早く遺物を調査したいというのは分かります。ですが、来たばかりの私を何故信頼してくれたのですか?」
「……私、子供の頃はヒーローに憧れていまして」
「は? はあ……」
思わず素っ頓狂な声が出た。まさかこの状況で出てくるとは思わない台詞だ。
エレベーターが止まった。蛍光灯で照らされた、冷たさを感じる長く無機質な通路を、文野は真っ直ぐ歩いていき、綾もそれを追う。文野は口を開いた。その横顔は、少し口元が緩んでいるように見える。
「十三年前、私は中学生になったばかりで。今でも覚えています。神が作ったような美しいコスちゅーう、怪物と戦う凛々しい姿。当時の私にとって、彼らはどんなアイドルより、どんなスポーツ選手より魅力的に映りました」
「なるほど。気持ちは分かりますよ。私はタイタナス人ですが、当時留学生として日本にいましたからね。ヒーローの活動は色々目にしました」
見たといってもテレビではなく、リアルタイムに目の前で、だが。
「ええ。あなたがそのタイタナスの関係者ですから、私はあなたに教えようと思ったんです。私の憧れのヒーロー、ティターニアゆかりの国ですから」
「ぶっ……!」
思わず咳き込んだ。
「……どうかなさいましたか?」
「い、いえ。ちょっと咳が。ティターニアがお好きなんですか?」
「ええ。凛々しく戦う彼女の美しさに、当時の私は魅了されてしまって。ファンレターまで書こうと思ったほどです。結局恥ずかしくて出せませんでしたけれど。彼女の前では同級生の男子なんて、青臭い子供でしかありませんでした」
無表情だった文野の顔が、初めて会った時よりいくらか頬を染めているように見えた。
まさかこんなところで、自分のファンに出会う事になるとは予想もできなかった。当人が目の前にいると知ったら、彼女は一体どんな反応を示すのか少し気にはなったが、そんな事を話して事態をこんがらがらせる事もない。
「それ以来、私はタイタナスという国自体にも妙な敬意を持つようになりまして。おかしいですよね。ですがそれで、私はあなたなら信じられると思ったんです」
「そうでしたか。では私も、ティターニアに恥じないように頑張らないといけませんね」
綾はどこかほっとした。どうやら文野の冷たいとも取れる冷静さは、仕事をこなそうとする真剣さから来るものだったらしい。
研究室の前で、二人は止まった。文野がパネルで暗証番号を入力すると、扉のロックが解除される音が鳴った。
扉を押して室内に入った。あたりを見回したが、高価そうな機材やPC端末は置かれているが、肝心の遺物はどこにもない。
「……?」
どこにあるのか聞こうとした時、背後で突然、回路がショートするような音がした。
「!?」
文野の顔に初めて驚愕の顔が浮かんだ。目の前で綾の肉体が痙攣して崩れ落ちる。そのはずだったのに。文野が左手に持ったスタンガンを押し付けるよりも早く、綾の右腕が文野の手首を握り締めていた。
「やっぱりこんな事だと思った」
「しゃ!」
文野が声を荒げて、空いたほうの手で目を突きに来る。外見からは思いもつかないほど洗練された動きだ。並みの人間ならば気付く間もなく目を抉られる。
綾は首を傾けて突きをかわしながら、文野の肘を左手で押していなし、そのまま袖を掴んで引っ張る。あっけなくバランスを崩した文野の腋に向けて、文野の手首を握っていた腕を伸ばして突き上げる。
「ひっ! ひぃっ!」
綾にぶつけるはずだった電流を全身で浴び、文野の全身は激しく痙攣した。数秒間震えた後、糸が切れた人形のように倒れた。
震える文野の体を壁に立てかけ、綾は周囲に気を配った。先ほどまで感じなかった人間の気配、特に殺気が満ち溢れている。どうやら関係者リストの中からいきなり当たりを引いたらしい。それもかなりの大物だ。
『面白いネ、君は』
所内のスピーカーから声が届いた。
『彼女が私に操られていると分かっていながラ、ここに来たわけダ。危険と分かってここまで来たのカ? あまりに不条理。君はよっぽどの愚か者だネ』
機械音声のように無機質なのに、どこか人を嘲るような調子が節々から聞こえてくる。
『アウターサイドの遺物にずいぶんと興味があるようだガ、あれは私が保持し、管理していル。アイだろうと容赦はせんヨ』
綾は通路へ駆け寄り、外を確認する。スピーカーの声を待っていたように、通路の左右から無数の所員が現れた。見えるだけでも2、30人。老若男女様々だが、皆目に生気がなく、とても正気とは思えない。
所員が綾に向かってくる前に、綾は室内の扉を閉めた。近くの棚を倒してバリケードを築き、携帯電話を調べる。予想通り通話不可、外部との連絡は絶たれている。
扉が勢い良く叩かれた。金属の扉が凹む。常人とは思えない腕力に、バリケードが崩されるのも時間の問題のようだ。
綾は文野に駆け寄った。突破される前にやる事がある。上着を脱がせ、体を調べる。文野や外の所員も、何がしかの手段で操っているに違いないと踏んだのだ。機械か魔法か、方法が分かればそれだけで対処のしようがある。
服には特に機械の類がついているようにも見えなかった。体にも魔術の紋が描かれている様子もない。経験上、他に考えられるものといえば――
「……いた」
文野の口を開き、躊躇わずに指を突っ込んだ。反射的に咳き込む文野を無視して数秒、一気に引き抜いた。
「うっ! うぇ! げぇっ!」
文野が咳き込み、胃液混じりの唾を吐き出す。綾の手に握られていた、文野の口から引きずり出した、朱色の肉塊が蠢いていた。イソギンチャクを思わせる繊毛が生えた触手が、軟らかい肉の塊から生えている。
昔同じものを見た事があった。人工細胞から作った触手に、シリコンの指令用チップを埋め込んだ洗脳デバイスだ。触手の繊毛が人間の肉体にへばりつき、神経伝達を操作して思考と肉体を操作する。これを好んで使う相手を一人、綾は知っていた。
「ヒュプノパス……!」
『ほウ?よくご存知ダ。タイタナスではあまり活動していないのだガ。我が知性により為した偉業ガ、広く世界に知れ渡っているという証拠かナ』
スピーカーの声に楽しそうな気配が混じる。知性を強調するその声で、綾は声の主が何者なのか、完全に思い出した。
ヒュプノパス。ある狂った科学者が作り上げた人工生命体。地球人と同等以上の知性を持って生まれたが、その知性と傲慢さから優生思想に染まり、科学者を殺害して肉体を奪った。
それ以降、自分の知性と肉体をより優れた存在にする事と、己の支配欲を満たす為に表社会に現れ、混乱を引き起こしていた。綾達ジャスティス・アイも幾度となく戦い、世界規模の事件を起こした事も一度や二度ではない。
「ん……。あ、天城さん……?」
文野がなんとか意識を取り戻したらしい。まだ苦しげに咳をしているが、なんとか体は問題なく動くようだ。
「文野さん。大丈夫ですか?」
「え、ええ……一体、どうなってるんですか?」
「話は後です、扉から下がって。私達を狙う相手が入ってきます。私が彼らを対処しますから、ここから脱出する手段を考えておいてください。それが無理なら、研究所から逃げてアイに連絡する方法を。お願いします」
状況がよく掴めていないらしいが、文野は綾の言葉に従って機材の物陰に隠れる。扉を叩く音が段々大きくなってきている。扉の破壊も広がり、このままでは数分しないうちに所員が入ってくるだろう。
それを見て、綾は扉の前に仁王立ちした。両の足をしっかりと踏みしめ、体の芯に力を込める。呼吸を整え、大地から足、足から腰、心臓、そして心臓から全身へ力が満ちるイメージを高め――。
「巨神よ!」
ドアが弾け、室内へと人が雪崩れ込むと同時に、閃光が室内を照らした。綾を襲おうとした人々も思わず動きを止める。次の瞬間、光から飛び出した拳が先頭の男を殴り飛ばした。
綾の全身を包んだ蒼い戦装束と、銀の手甲の輝きに、意識を操られているはずの所員達も一瞬たじろぐ。
「……ティターニア……! 私のティターニア、本物のティターニア!!」
綾の背後で、文野が目を輝かせながら歓喜の声を上げた。ティターニアの瞳は強い遺志に輝き、所員達を睨みつけている。
「私の声が届くなら、そのまま下がれ! 向かってくるなら容赦はしない!」
『おお……ティターニア。君かネ』
スピーカーの声色が変わった。
「こんなところにお前がいるなんてね。刑務所で一生試験官の中にいるものと思っていたけど」
『残念だヨ、ティターニア。君も私の知性を甘く見る愚か者だったとハ。私があのような場所で人生を食い潰すとでモ? もっとモ、奴の協力がいなければもう少し時間がかかっていただろうがネ』
「へえ? 協力? やってる事はここで遺物を監視する番犬でしょう?ものは言いようね」
『番犬? くだらんネ。奴は私に遺物を集めさセ、私は奴が必要としない遺物の研究を行ウ。それだけの関係ダ。私が求める物を寄越す限リ、奴が何を望んでいるかなド、私にはどうでもいい事ダ』
その言葉で、綾は自身の懸念が事実だった事を確信した。。フェイタリティ、ヒュプノパス、かつて綾達と戦いを繰り広げた悪党達。彼らを雇い、あるいは配下とした何者かが、アウターサイドの遺物を手に入れ、何かを狙っている。
『そしテ、遺物を狙う者がいれバ、それを狩って体を頂くという役得もあル。今回の君のようにネ』
スピーカーから耳障りなノイズが響く。それに呼応して、所員達が殺意を綾へと放ち始める。
『さテ、そろそろ雑談も終わりにしよウ。君なら彼らを倒す事などたやすいだろウ。だガ、殺さずにそれだけの数を皆無力化できるかネ? 彼らは皆生きた人間ダ。君に殺人はできまイ。どこまでいけるカ、せいぜい頑張りたまエ』
スピーカーが乱暴に切れると同時に、所員達が進撃を再開した。研究室へと無数の人が入り込み、ティターニアに襲い掛かる。
「チッ! いいでしょう、大怪我したい奴からかかってきなさい!」