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私が私である理由(2)

 香水の匂いが漂う仕立て屋の試着室で、クラリッサは姿見と向き合っていた。

 ぴかぴかに磨き上げられた鏡面は頭のてっぺんから爪先までを余さず映し出す大きさだ。その前で立ち尽くすクラリッサの傍を、仕立て屋の店員が先程から慌しく行き来している。

 恰幅のいい中年女性の店員は、腕に何着もドレスを抱えては一着一着をクラリッサの前にあてがい、その度にあれこれと言葉をかけてくる。

「最新式の織り機を使ったドレスです。光沢があって素敵でしょう」

「ええ、まあ、素敵ですね」

「こちらは、刺繍に銀糸を使っているんです。凝った意匠だと思いません?」

「そ、そうですね。素晴らしいです」

「お若い方に最近人気があるのはこちら。ほら、手触りをお確かめになって」

「ええと、じゃあ……すべすべですね」

 店員の勢いに押され、仕立て屋の高級感溢れる雰囲気にもすっかり呑まれたクラリッサは、満足な受け答えすらままならない。言われるがままにドレスを撫でてみた後、店員の愛想笑いにぎくしゃくと笑みを返すのがやっとだった。

 クラリッサも着る物についてはそれなりに興味があったし、小間使いとしてメイベルの着替えを手伝う間、数え切れないほどたくさんのドレスを眺めてきた。メイベルもクラリッサの見立てには信頼を置き、着る物に迷った時は助言を求めてきた。クラリッサも夫人の求めに従い、天候や季節、外出の用件なども踏まえて的確な助言をしてきたつもりだ。

 だが自分のこととなるとどうしても落ち着いていられない。次から次へと現われる美しいドレスたちに目が眩むようだった。


 この店にバートラムと二人で立ち入り、彼がクラリッサのドレスを買いに来た旨を告げると、居合わせた店員たちは一様に驚いた顔をした。小間使いの為のドレスを仕立て屋で購入するのはやはり常識的なことではないらしく、奇妙な顔でじろじろ見られた。

 バートラムがこの買い物は主の命令であること、支払いは惜しみなくすることを丁寧に告げたところでようやく店員たちの態度が友好的なものに変わった。

 今更のように気後れするクラリッサを試着室に押し込むと、バートラムはいい笑顔で手を振り、店員が容赦なくカーテンを引いて彼の姿を隠してしまった。


 今は寝室ほどの広さの試着室に閉じ込められ、たった一人で店員から熱心な接客を受けているところだ。

「ずっとお屋敷勤めということは、まだご結婚はされていないのでしょう?」

「ええ、そうです」

 店員の問いにクラリッサが頷くと、相手はそれだけで何もかも心得たような顔をした。

「だったら尚のこと、お若い方向けのドレスをお召しになるべきです。ちょうどいいものがございますの」

 そして抱えていたドレスの中から、真っ白なドレスを選び出してクラリッサに差し出した。

 その白いドレスは柔らかく、うっすらと透ける素材でできていた。ごく薄い生地を幾重にも重ねた身頃はふんわりとしていて美しく、持っているだけでさらさらと衣擦れの音がした。袖はわざと腕を透かすように作られており、ビーズをぐるりと縫いつけた襟ぐりはかなり深く開いている。スカートの裾にあしらわれた老草色の蔓薔薇の刺繍は溜息が出るほど美しい。

「これを……わたくしが?」

 クラリッサが嘆息すると、すかさず店員が背を押してくる。

「きっとお似合いです。試しにお召しになってみては?」

「で、ですが、袖が透けているようですし、襟ぐりも深く開きすぎているような……」

「近頃のお若い方は皆こうですよ。お肌のきれいなうちは隠しておくこともないでしょう」

 生真面目なクラリッサにはそれでもなお抵抗があった。

 だがこのままでは長期戦になると見たのだろう、店員は笑顔で言い切った。

「まずはこちらから試着なさってはいかがでしょう。お召しにならないうちは、何がお似合いになるかもわからないでしょうし」

 それは確かにもっともな意見だ。うっかりと納得しかけたクラリッサに、店員が手を伸ばしてくる。

「ではお客様、こちらはお脱ぎになってくださいね」

「あっ! い、いえ、自分でできます! 脱ぎますから!」

 クラリッサは髪色と同じように真っ赤になってその手を振り払う。

 着せるのは慣れていても、着せられるのには全く慣れていなかった。


 店員の目を逃れるようにしてお仕着せを脱ぎ、代わりに真っ白なドレスへ袖を通した。店員の手助けはほとんど断ったが、サッシュを結んでもらうのだけは彼女の手を借りなければならなかった。

 それから姿見に全身を映し、その中に佇む自分の姿を目の当たりにした途端、目眩を覚えた。

 赤褐色の髪に白いドレスは実に対照的で、よく映えた。踝が隠れる程度のスカートは重ねた生地のおかげで程よく膨らんでおり、踊るように足踏みすると風をはらんで美しく揺れた。透ける袖も生地をたっぷり取っているせいか、肌の色を優雅なドレープが隠してくれ、さほど気にならなかった。

 しかし襟ぐりだけはどうしても気になった。一切れだけ切り分けた後のケーキのように深く開いた胸元は、屈んだりお辞儀をすることを全く考慮していないように思えた。メイベルのドレスにはこんなに胸の開いている服はない。

 姿身の中のクラリッサは両手で胸元を隠し、居心地悪そうに眉尻を下げている。


「よくお似合いですよ」

 店員の言葉に、クラリッサはぎこちなく首を傾げた。

「そ、そうでしょうか」

「ええ。あなたの髪色にはぴったりでございます」

 事実、白い服は自分に合っているとクラリッサも思う。店員が持ってきた品の中には苔桃色や薔薇色のドレスなどもあったのだが、そういう色調がこの髪色には似合わないことはクラリッサも自覚している。白いドレス自体は思ったよりも悪くない。

 だがどうしても、胸元が気になる。

 姿見にしがみつくようにして自身の姿と睨み合っていると、しびれを切らしたらしい店員が言った。

「決め手に欠けるようでしたら、一度お連れの方に見ていただいてはいかがですか?」

「嫌です」

 つい、本音が口をついて出た。

 店員はクラリッサの反応に怪訝な顔をしつつも、

「殿方のご意見が意外と本質を突くということもございます。一つ伺ってみましょう」

 子供をあやすような口調で言うと、クラリッサに断りもせず、試着室と店内を隔てるカーテンを開けた。

 ランタンの光が揺れる店内で、バートラムは何か品物を物色していたようだった。

 しかしクラリッサの一回目の着替えが終わったとわかると早足で駆けつけ、そして感心したように声を漏らす。

「素晴らしい。よく似合うよ、クラリッサ」

 クラリッサは特に言いたいこともなかったので、黙っていた。できれば一刻も早く着替えがしたかった。

 しかしバートラムは吟味するようにじっくりとクラリッサの全身を眺め、棒立ちのクラリッサの肩に手を置き、ゆっくりと一回転させた。回った拍子にドレスのスカートも優雅に翻り、花が綻ぶようにふわりと広がった。

「とてもいい。降り積もった雪のような白い生地は、君の美しさ、こと髪の色の鮮やかさを引き立ててくれている」

 バートラムが臆面なく誉めてくる。

 クラリッサはその言葉を店員がどう聞くか、少し気になっていた。だが賢明にも店員はにこにこしているばかりで、いちいち反応はしていなかった。

「他のドレスも着てみるのだろう?」

「ええ……」

 問われてクラリッサは頷いた。

 このドレスを着て店の外へ出る自信はない。本当にこのような、肌を見せるドレスが流行しているのだろうか、皆は恥ずかしくないのだろうか。そんなことを思う。

 答えを聞いたバートラムはその後もしばらく、たっぷりとクラリッサの姿を眺めた後、ようやく言った。

「では、次のドレスを着たらまた見せてくれたまえ。私としてはそれも捨てがたいと思っているがね」

「わたくしはちょっと……。少々恥ずかしいような気がいたします」

「そう、恥らう君がとてもいい。それに君の白い肌を、普段は隠されている胸元を、服を着せたまま眺められるのもいい」

「……ここがお店でなければ、あなたの頬を張っているところです」

 クラリッサは眼前に立つ執事をきつく睨みつけた。

 もちろんバートラムはクラリッサに睨まれるのさえ慣れきっているようだ。全く堪えた様子もないまま、顔つきだけは一端の紳士のように微笑みかけてくる。

 そこでクラリッサは試着室のカーテンを勢いよく引き、彼の不埒千万な視線を断ち切った。そして呆気に取られている店員に告げた。

「どうぞ以後は、襟ぐりの全く開いていないドレスをお願いいたします!」

「は、はあ……かしこまりました」

 勢いに圧倒されたか、店員は口をあんぐり開けたまま首肯した。


 店員は再び店内を奔走し、クラリッサの要望通りのドレスを何着も持ってきた。

 クラリッサはそれを次々と試し、着る度に渋々ながらもバートラムに見せた。彼はクラリッサが肌を見せなくなったことを残念がってはいたが、それ以外の点については惜しみなく誉め言葉をくれた。

 張りのある素材でできた水色のドレスを着れば、

「泉のほとりに佇んで、水面に君のしなやかな身体を映したようだ」

 と言い、上に紗をかけた青いドレスを着れば、

「夜空をその身にまとったように見えるよ。星々すら君の美しさには息を潜めている」

 と言った。

 光沢のある黒いドレスを着た時は感嘆の息さえ盛らしていた。

「白も似合うが、君は黒もよく似合うな。わずかにだけ覗く君の肌の白さが際立ち、これはこれでいいものだ」

 クラリッサはそういった諸々の誉め言葉をためらうことなく聞き流した。歯の浮くような台詞を賜るのには慣れていたからどうとも思わない。


 そしてドレスを選ぶことに専念した結果――遂に気に入ったものを見つけることができた。

「こちらは添毛織りのドレスでございます」

 根気よくクラリッサの着替えに付き合ってくれた店員が、次に持ってきたのは緑色のドレスだった。

 かぎ針編みの白襟がついた襟ぐりはかろうじて鎖骨が覗く程度で、無闇に肌を見せないところがまず気に入った。ドレスの色は深みのある森の木々のような緑で、これもクラリッサの髪色にはよく合った。

 添毛織りの生地は毛羽が立ってふかふかと柔らかく、手触りがいい。昔、小さな頃に一度だけ触った猫の手触りによく似ていた。生地を贅沢に使ったスカートは上品な光沢があり、ドレープが作る陰影が歩く度に揺らめいた。

「素敵……!」

 クラリッサはそのスカートをわざと揺らし、ふくらんだ袖を腕をひっくり返しながらためつすがめつして見た。姿身に映る姿も普段とは別人のように優雅で、そしてドレスに恥じないだけの輝く微笑が浮かんでいる。

 自分に緑が似合うとは知らなかった。クラリッサは満足げにその姿に見入り、それから店員の顔を振り返る。

「この色、とても素敵です」

「ええ、ええ。お客様には一段とよくお似合いです」

 店員は深々と頷き、やはりお連れの方にも見てもらおうと言い出した。

 それは気乗りしなかったが見せないわけにもいかず、クラリッサは仕方なく試着室のカーテンを開ける。


 何度目かの着替え、そしてお披露目とあって、バートラムはカーテンが開くなり慣れたそぶりで近づいてきた。

 しかしあと数歩の距離で足を止めると、彼の青い目が大きく瞠られた。直後その瞳は眩しいものを見たように細められ、代わりに唇が薄く開いた。動けなくなったように立ち止まるバートラムを、クラリッサは不審に思う。

「どうかいたしましたか」

「……ああ、いや、驚いただけだよ」

 バートラムは何かを取り戻そうとするように首を振り、それからいつものように笑んだ。

「君の姿が今まで以上にとても美しいからな。その色も君にはよく似合う」

「ありがとうございます」

 自分でも気に入っていたので、一応は礼を言っておく。

 すると彼は見透かしたように続けた。

「君もそう思っているんだろう? 顔つきがこれまでとまるで違う」

 自覚はあったが、そうですと正直に答えられるクラリッサではなかった。思わず恥じ入ると、バートラムは大きく息をつく。

「恥じ入る君もいいものだが……やはり堂々としているのが一番いいな」

「そう、でしょうか」

「そうとも。君は君の美しさを誇り、常に胸を張っていたまえ」

 まるで人生の格言でも説くように、バートラムは熱っぽい口調でそう言った。


 結局、クラリッサは一目惚れした格好の緑のドレスを選んだ。

 ドレスと共に、バートラムはドレスと同じ色の帽子を見立てて買ってくれた。帽子には白い薔薇を模した花飾りがついており、触れるのがためらわれるほど美しかった。クラリッサはドレスを身にまとい、帽子を被り、ここまで着てきたお仕着せは鞄にしまって店を出た。

 店を出た直後、手にしていた鞄をバートラムの手が攫っていった。

「貴婦人はあまり荷物を持たないものだよ、クラリッサ」

 軽い口調でそう言われたので、クラリッサは眉を顰めて応じる。

「わたくしは貴婦人と呼んでいただけるような身分ではございません」

「今の君を見てそう思う者はいないだろう。どこからどう見ても、君は麗しの貴婦人だよ」

 クラリッサはその言葉に疑問を抱きつつ、帽子のひさし越しに街並みを見回した。

 店では随分と長い時間を過ごしてしまったようで、明かりには午後の眩しい日差しが溢れている。空は抜けるように青く、建物の白い壁や道に敷かれた石畳はきらきらと輝き、乾いた風はほのかに潮の香りがした。

 このドレスを着てこの街並みを歩いたら、一体どんな気分がするのだろう。

「さて、そろそろ移動しようか」

 クラリッサの鞄を持ったまま、バートラムが促してきた。

「次はどちらへ行かれるのですか?」

「では逢い引きらしく、二人でお茶というのはどうかな」

 彼の手が道の向こうにある食堂を指差す。

 小ぎれいな佇まいのその店は屋外にテーブルと椅子をいくつも並べており、そこで茶や軽い食事を楽しむ客の姿が数組見受けられた。

「長らくあの試着室にいて、喉も渇いただろう」

 バートラムの言葉は真実で、クラリッサは確かに喉が渇いていたし、空腹も覚えていた。逢い引きらしいと言われたことは気に食わなかったが、いちいち反抗するのも疲れるように思えたので、素直に頷いた。

「わたくしもちょうど、お茶でもいただきたいと思っていたところです」

「それはよかった。早速行こうか」

 二人は連れ立って、道の先にある食堂へと歩き出す。


 そんな二人を、仕立て屋の店員が扉の隙間から密かに見守っていた。

 そしてクラリッサたちが見えなくなるまで覗いた後で扉を離れ、他の店員たちと、あの二人の間柄はいかなるものかと実に楽しげに噂し始めた。

 無論、その噂をクラリッサが耳にすることはなかったが、もし聞こえていたならきっと、顔を真っ赤にして怒り出したことだろう。

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