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第1話 

 魔王が侵攻を開始したのが1年と半年前。


 開戦当初、戦線から遥か西に位置し、四方を豊かな森に囲まれた、ここアドセル王国領ソノエ村にも緊張が走った。


 ――魔王の復活。


 ――魔族たちの侵攻。


 ――広がる戦線。


 ――滅ぼされた村や街。


 村の外からもたらされる不穏な噂に、開戦後しばらくの間、村人たちは漠然たる不安の中にあった。


 だがソノエ村では、なにもないまま半年が経ち――。


 それから、さらに1年が過ぎ――。


 あっという間に1年と半年が過ぎた。



 そして、この村では男達が畑を耕し羊を追うこと然り、女子供が落ち穂を拾うこと然り、

戦乱が始まる前となんら変わることの無い毎日が繰り返されてる。


 戦線が広がるにつれ、少しずつ食卓のパンが薄くなっていくことは村人たちにとっては不服ではあったが、それも戦乱が起こればよくあることだと割り切っていた。


 しょうがない――それが何度となく強いられ、押し付けられ、押さえつけられながら生きてきた彼らの出した答えだった。


 同時に幾度と無く繰り返して来た、緩やかな諦めと服従が、現実に抗い、立ち向かうことなどよりも、遥かに楽で心地よいものであるのか知ってしまった。


 そうして村人たちは自分たちの力の無さを悟ったかのように、弱者として振る舞うことを選んだ。


 この戦乱の中であって自らが争いの当事者であることを忘れられるようにと願って……





 春の陽気降り注ぐ昼下がり、ソノエ村に暮らす16歳の青年、ウィル・アレンスと同い年の幼馴染、エリー・エンフィールドは村の外れの川原に居た。


 ウィルは上半身裸になりながら滴る汗も気にせず一人、模擬戦とばかり大振りの石が転がる足場を転々と変えながら案山子相手に縦横に木剣を振るっている。 

 この辺りでは珍しい父譲りの黒い髪は邪魔にならない長さで刈りそろえられ、中肉中背の身体は畑仕事と鍛錬とで適度に引き締まっている。


 対照的にエリーは濃い影を落とす木陰の下に横たわる平坦な岩の上でにアイボリーのワンピースに薄茶色のストールを肩に巻いた出で立ちでペタンと腰をかけ古めかしい装丁の本に目を落としていた。

 サラッとした淡い金色のロングヘアが木漏れ日を控えめに受け止め輝き、肌は白すぎず健康的で、スッと通った小振りな鼻梁と灰色ががかったパッチリとした眼差し、みずみずしい唇が小さな輪郭にバランスよく収まっている。



「ねぇ、ウィル。お昼にしよ」

 読んでいた本をパタンと閉じてエリーが言った。

 ウィルは汗で張り付いた前髪ごと額を拭いながら川原の木陰から響いた声に振り向く。

 それに彼女は気恥ずかしそうな表情を浮かべながら、本を麻の肩掛けカバンにしまい換わりに籐のバスケットを取り出してキュッと胸の前で抱えた。


「もうそんな時間か?分かった。ちょっと待ってて」


「うん、ゆっくりでいいよ」


 その言葉に片手を挙げ答えると、ウィルは手早く布切れで汗を拭き最後に、雪解水が流れる冷たい小川の水で顔を洗い「ふう」と、ようやく一息いた。

 その後、脱ぎ捨ててあった半そでのシャツに袖を通しボタンを留めながら昼食の準備終えたエリーのほうを向いてに座る。


 エリーは少しうつむき、顔に掛かった薄い金色の横髪を白く細い指で掬い形のいい耳にかけた。

 ウィルは思わずその姿に息を呑んだ。


 見とれて呆けていると、ふとエリーと視線が重なる。

 

 気づけば、だいぶ長い間、見つめていたらしい。

 エリーは少し頬を染めながら怪訝な表情を浮かべていた。


「なに?」

「ああ、いや、ごめん。今日はバケットサンドか、おばさん料理旨いからなぁ。俺のうち男所帯だから羨ましいよ。いただきます」

 ウィルは気恥ずかしさを誤魔化すように、そう言いながらヒョイッとバスケットの中から二つあるうちの一つを掴み、かぶり付いた。

「どう?」と感想をきいてくるエリー。


 香ばしく焼かれたバケットに塩気の利いた少し厚めのベーコンと、しっとりとコクの有るチーズ収まり、具材に挟まれたマスタードが適度な酸味と辛味で全体の味を引き締めている。


「うん旨い」


「そう?ホント?美味しい?」

 再びの問いかけと共にエリーは薄灰色の瞳をキラキラさせながら嬉々として地面に両手をつきグイグイと近づいてくる。

「え?ああ、はい。お、美味しい、です」

 その勢いに気おされたウィルはサンドイッチを掴んだ右手で壁を作りながら平坦な岩に左のひじを突いてわずかに後ずさった。


 エリーの柔らかい髪がズボン越しに太ももを撫でながら進み、顔は息遣いを感じるほどに近く、上目遣い気味に向けられる澄んだ瞳は真直ぐとこちらを見つめてくる。止めとばかりに、ほんの僅かに香った清涼感のあるミントのような香りが鼻をくすぐりに思わずウィルは赤面して視線をそらした。


「……な、なんだよ」

「ふふっ、ごめんごめん。それ私が作ったんだ。お母さんに見てもらいながらだけど」


 はにかみながらそう言ってエリーは上機嫌で元いた場所に座りなおすとバスケットに残ったサンドイッチを両手で掴み、その小さな口にほお張った。


 白い喉がかすかに揺れる。


 それを見てウィルも食べかけのサンドイッチに再び、かじりついた。




「――――ご馳走様でした」


「はい、おそまつさま。あのさウィル、午後なんだけど私と森行かない?」

「いいけど、薬草でも摘みにいくのか?」


「うん。最近、母さんの店、ポーションの注文がふえてきててね。で、在庫はまだあるんだけど勉強ついでにって母さんからお使い頼まれてるんだ」


「へぇ。大変なんだな」とウィルが何気なく言ったセリフにエリーはかぶりを降った。

「ううん、治癒術師はこうやって一人前になるんだもの、最近は回復系の魔法も少しだけど教えてもらってるんだから」


「そっか、それじゃ行こうか薬草摘み」

「うん。よろしくね」





――それが、どうしてこうなった。


「はぁはぁはぁはっ、くっ、エリー走れぇぇぇ!!」


「何でこんな所にゴブリンが居るのよぉ!!」


「いいから走れ、止まるなよ!!!!」


 ウィルはエリーの手を引きながら夕暮れ時、薄暗く湿った森の道をひたすら走っていた。


 走る二人の10メートルほど後ろには3匹の緑色の小人がぴたりと追いかけてきている。


 とがった耳に、つりあがった赤みを帯びた目、緑の体は1mも無い。細い四肢は、ぼろ布を身にまとっただけのみすぼらしい姿だが思いのほかすばしっこく、横一列に並びながら走るゴブリンは右から、さび付いたナイフ、簡素な棍棒、鋭くとがった動物の骨と、それぞれに何処で拾ったか分からない粗雑な武器を振り上げ時に奇声を上げながらウィルたちを追いかけまわしている。


「ギィィィ!!ギギッギ」「ギギ、グギグァァア!!」「グッグ!!」


 ひたすらに走り続ける。だがゴブリンとの距離が徐々に縮まり始めていた。


 出口を目前にエリーが地を張った木の根につまずき足をもつらせ転ぶ。肩にかけていたカバンからは本や森で摘み取った回復効果のある薬草、薄緑色の回復ポーションの小瓶が散乱しその内の数本は地面に叩きつけられ砕け散った。

 

 ゴブリンの一匹が好機とばかりに鋭くとがった骨をエリーに向け低く跳躍し襲い掛かる。


「くっそ」


 既に木剣を抜く猶予は無い。


 ウィルは反射的に踵を返し、体格差に頼った体当たりでゴブリンを吹き飛ばすと、ゴブリンは辺りに点在する石の一つに後頭部を打ち付け「ギャ!!」と短い悲鳴を漏らし、あっけないほど簡単に絶命した。


「ギ?」

「グッァァァァァア!!、ギギギ!!」

 残りの2匹がそれを見て立ち止まる。

 そして仲間がやられたことに激昂し棍棒持ちのゴブリンがその小さな身体からは想像できないほどの大きな声で咆哮をあげた。


 思わず竦みあがりそうになるが後ろにいるエリーの存在がウィルに木剣を抜かせる。

 わき腹に感じたチクリとした痛みを意識の外側に追いやり、すぐさま走り出して木剣をナイフを持ったゴブリンの頭上に降り折ろした。


 咄嗟にゴブリンもナイフを持った腕のガードするが、それを力ずくで押しつぶす。ガード越しに額を打たれゴブリンの発した短いギャッという悲鳴、同時に骨の軋む音を聞く。それでも倒れないゴブリンに対し、さらに右側面から側頭部を狙って全力で木剣を横に振りぬいた。


「グァッ」


 衝撃で『ミシッ』と軋んだ木剣を通じて骨の砕ける感触が伝わり、ウィルの肌をあわ立たせる。


 後、一匹!!


「ウィル、上!!」


 エリーの声に促され、上を向き視界に棍棒を振りかぶったゴブリンを捕らえる。反射的にガードを取るも、それを邪魔するように痛み出したわき腹に一瞬、反応が鈍った。


 振り下ろされる棍棒の一撃。

  

 木剣はその一撃を受け止めることが出来ず、軋みを上げ砕け散る。そして勢いを殺しきれなかった棍棒の打撃が左側の鎖骨にめり込み鈍い音がウィルの鼓膜を内側から鳴らした。


 手ごたえありとばかりにゴブリンの顔がニタリとゆがむ。


 それに無性に腹が立った。

「くそったれ、なめるなぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!」


 ウィルは折れた木剣を手放し、空中で身動きの取れないゴブリンの細い首を鷲掴みにすると、そのまま力任せに地面に叩きつけ馬乗りになる。反撃しようと棍棒を持ち上げようとするゴブリンの腕を左膝で押さえつけ右手に力をこめ続けた。


 ゴブリンは自らの首に回った手に爪を立てバタつくが、それにウィルは更に力をこめる形でこたえ、ゴブリンはその赤い目が飛び出さんばかりに見開いたままパタリと動かなくなった。




 ウィルは息を荒げ3匹のゴブリンの遺骸を一瞥すると、震える手で負傷した左手を押さえながら、へたり込んだままエリーの下へと歩き両膝を突いてしゃがみこんだ。

「エリー、大丈夫か?」

 するとエリーは急にぽろぽろと涙を流し始める。明らかに動転していた。膝からは結構な量の血が流れ出ている。転んだときにすりむいたのか。

「すごい血が出てる、それじゃ死んじゃう」

「……大げさだよ転んだだけじゃないか」


「違う。私じゃないよ!!ウィル、直ぐに手当てするからね」


 エリーの視線を追いウィルは自分の腹に手を当てた。


 生暖かなヌメリ気を感じる右手……。


 考えないようにはしていたがやはり最初の体当たりの時、ゴブリンの持っていた骨でザックリ刺されていたようだ。


「ああ、やっぱり……」


 そんな言葉がフッと口をついて出た。

 ウィルはそのままエリーにもたれかかるように倒れこんだ。

 

「今、回復魔法で!!」

 ウィルを抱きかかえるエリーが叫び、それに「ああ……」とウィルは短く答えた。


 夕暮れの時の朱に染まる空を仰ぎながらウィルはまぶたが重たくなっていくのを感じていた。

 

「起きて、寝ちゃダメ!!」

 ああ呼んでいる。エリーが俺を……


 意識が遠のき視界は狭くなる一方だというのにエリーの声だけが消えないでいた。





「やだ、駄目!!ウィル起きて!!」


 エリーはすぐさまウィル横にして、その傷口に覚えたての初級治癒魔法『ヒール』を唱えた。


 両手がポウッと薄緑色の光に包まれ傷口を癒そうとする。


 だが、それだけでは少しだけ出血が緩やかになるだけで治癒には至らない。


「……血が止まらない」


 もっと強く。


 1回で足らないならもっと多く。


「ヒール、ヒール!!!!……ヒール!!!!」


 森の中に、エリーの悲痛な呪文が響き続けた――――。




「止まれ……止まれ!!止まれ!!止まってよ!!」


 そして死力をこめ、残り僅かな魔力を搾り出して唱えた16回目のヒールの緑の明かりが消えたとき、ウィルの傷口は不恰好だが確かにふさがっていた。


「やっ…た……」

 エリーの身体から力が抜けていく。


 魔法を使いすぎたのだ……。


 強い疲労感は、抗いがたい猛烈な眠気へと変わり、エリーはウィルに重なり合うように倒れこんでしまった。



最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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