バイパー、準備する
宿屋に戻ったバイパーは、さっそく準備を始めた。これ以上時間をかけていても仕方ない。明日、Z地区に潜入し、墜落場所に乗り込む。タンや他の連中から墜落場所への道のりは聞き出したし、既にタクシードライバーのトラビスとも話をつけた。片道分さえ払えれば問題ないだろう。もし万が一、モニカを連れ帰るという事態になった場合、タクシーで突破する。だから、片道分の十万ギルダンは帰りの分として使うつもりだ。問題なのは墜落場所にいる何者かだが……こればかりは出たとこ勝負だ。武装したギャングたちを皆殺しにした何者か……恐らくは人外であろう。ロクな武器もない、今の状態では勝ち目は薄い。だが、自力で何とかするしかない。
その時、先ほど公園で会ったビリー・チェンバーズを思い出した。奴は面倒な相手という話を聞いたことがある。もし万が一、奴が一億ギルダンの噂につられてエメラルドシティに来ているのであれば……注意すべきだろう。
バイパーはシャツを脱ぎ、拳銃の弾丸の傷痕をチェックする。弾丸は筋肉の壁で阻まれ、内臓は傷ついていない。バイパーは傷口に指を突っ込み、小さな弾丸を無理やり取り出した。あとは放っておけば治る。それにしても、あの拳銃を壊したのは失敗だった。取り上げておけば、武器として使えたのだ。今持っている武器といえば、昼間に片付けた男から取り上げたナイフだけである。どうも、刑務所にいる間に感情をコントロールすることが下手になったような気がする。
だが、今さら仕方ない。まずは……明日の朝に乗り込む。そして飛行機の墜落場所に行き、指示を仰ぐ。恐らく、モニカという女は既に死んでいるだろう。生きていたとしても……まず間違いなく、殺せという指示が来るパターンだ。バイパーはもう一度、モニカの写真を取り出して眺めた。顔の半分に青あざの付いている、暗い目をした女だ。モニカの背景は知らないが……ひょっとしたら、いいとこのお嬢様なのではないか。ポタリアという男は出所の怪しい金を大量にバラ撒き、のし上がって行ったらしい。
その金の出所が、この女だとしたら……ポタリアとしては、消えてもらった方がありがたいだろう。
そこまで考えた時、バイパーの頭に何故か、さっきの男のことが思い浮かんでいた。マットとかいう中年男……奴は痛めつけても痛めつけても、懲りずに向かって来た。圧倒的に強い自分に。あんな男に会ったのは初めてだった。
バイパーは思い出す。研究所での日々を……少年時代、彼は研究所で戦いの訓練をさせられていた。来る日も来る日も……それは細かい戦闘技能の習得などではなく、殺し合いだったのだ。
バイパーは何人も殺させられた。初めは老人のホームレスだったが、いつしか中年のホームレスになり……だんだんと成長するにつれ、相手が変わっていく。借金を背負った若き日陰者、凶悪な犯罪者、さらには死刑囚など……バイパーはその全てを殺してのけた。
そして彼は知った。
神などいないということを。死を目前にして、狂ったように神に助けを求めた者が何人もいた。だが神は現れず、奇跡も起きなかったのだ。
さらに、もう一つ知った事がある。人間は人間らしく死ねない。死ぬ間際、人間は恥を捨て、獣のように無様な表情で最期の時を迎える。
だが、あいつは……マットは違っていたのだ。
なぜ、あいつは向かって来たのだろう……。
何のために?
あの老人のためか?
それとも……あの双子のためか?
バイパーとて、人並みの恐怖心は持っている。また死を恐れる気持ちは理解できる。死を目前にした人間がみっともない振る舞いをするのはやむを得ない、ということもわかっている。
しかし、あのマットという男は……。
(覚えとけ若造……おっさんてのはな……若い娘の前でいいカッコすることに……命懸けるんだよ)
理解不能な言葉だった。そんな下らんことのために、命を懸けるというのか。マットは何を考えているのだろう……バイパーはなぜか、無性に苛立たしい気持ちに襲われた。マットよりも、遥かに強い自分……だが、マットよりも遥かに小さく思える。
もし、あのマットという男だったら、この女を殺せと言われて……殺すだろうか?
その時、携帯電話が震える。ホークからだ。
(プレストン……ちょっと面倒な噂を小耳に挟んだんだがな)
「バイパーと呼べ……面倒なこと? 何だそれは」
(実はな……ポタリアを快く思わん連中が動いてるらしい)
「何だと……どういうことだ?」
(どういうことって、そのまんまだよ。飛行機の墜落した場所に妙な連中を派遣したらしい。詳しくは知らんが……たぶん、お前みたいな荒事専門の連中だろうな)
「何のために?」
(言わなくてもわかるだろうが……オレの口から言えるのは、命令は変更する。モニカは見つけ次第、速やかに殺せ。以上だ)
電話は切れた。モニカを殺せという命令、これが来るのは予想通りである。だが、ポタリアを快く思わない連中が動いているというのは……想定外であり、かつ面倒な話だ。何者を派遣したのかは知らないし、自分の知ったことではない。しかし、先を越されると終わりだ。
それならば、急がねばなるまい。予定変更だ。バイパーは立ち上がり、すぐに部屋を出た。元より大した荷物はない。今から歩いて行けば……明日の朝には着く。
・・・
ビリー・チェンバーズは公園で、ホームレスたちと一緒に座りこんでいた。マリアは双子と一緒に水を汲みに行っている。この辺りでは、水すら満足に手に入らないのだ。エメラルドシティにおいて、電気と水道が使えるだけで高級住宅である。
「ビリー……お前、何者なんだ?」
突然、ビリーの隣に腰を降ろして話しかけてくるマット。ビリーは恐る恐る横を向き、マットの表情をうかがう。だが、怒りや憎しみや不信感といった感情は見られない。少なくとも、表情には出ていない。
「何者、って……ただのひ弱な一般人ですよ」
「あのな、この街じゃあ……一般人なんて居やしねえよ。いるのは犯罪者と被害者、そしてそれを見てる人だけだ」
マットは答える。その表情はどこか暗い。だが同時に、強い決意のようなものも感じさせる。何かを決意した男の表情だ。ビリーは視線をホームレスたちに移した。タンの周りを囲み、真剣な顔つきで何やら話し合っている。タンの統率力は大したものだ。あんな体の小さな老人が、このホームレスたちを仕切っているというのか……。
「マットさん、あの……タンていう老人は大した人望ですね。あいつこそ一体、何者なんです?」
「オレもよくは知らないが……元は大陸のギャング組織の大物だった、という噂は聞いたことがある。本人は肯定も否定もしないけどな……ただ、タイガーやジュドーはもちろんのこと、マスター&ブラスターまで一目置いてるって話だ」
「不思議な話ですね……こんな無法地帯だったら、あんな老人は一瞬で殺されると思うんですが……そこらへんの子供とケンカしても勝てないような老人が、このエメラルドシティの大物とは……」
ビリーがそう言うと、マットは首を振る。呆れた表情で口を開いた。
「わかってねえなあ、お前は……こんな街に住んでるからこそ、仲間が欲しいんじゃねえか。こんな街だからこそ、人とのつながりが重視されるんじゃねえか。人外や異能力者が蔓延るこの街じゃあ、人間は助け合わなきゃ、生きていけねえんだよ。タンは頭もキレるし、度胸もある。交渉もできる。さらに、奴は街のあちこちに情報網をはりめぐらせているからな……街を仕切ろうと思ったら、タンの存在は欠かせない」
そこまで言うと、マットは言葉を止めた。何やら、罵り合うような声が聞こえてきたのだ。マットはそちらに視線を移す。つられるように、ビリーもそちらを見た。すると、ユリとマリアが何やら大声で怒鳴りあいながら、こっちに歩いて来ているのだ。
「お前は何であるか! 妹をいじめるのは止めるのである!」
「うるさい! あんたみたいな、何にも知らないバカに言われたくないんだよ! 人んちのことに口を出すな!」
「うがあ! 頭にきたである!」
マリアは水の入ったポリタンクを放り出し、ユリ――と思われる方――に掴みかかろうとする。その瞬間、二人の間に体ごと割って入るケイ。
「マリアもお姉ちゃんも! もう止めてよ! 何でケンカすんの!」
ケイの目には涙が浮かんでいた。彼女は懸命にマリアを押しとどめようとしている。同時に、それを見たブルドックが興奮し、足元で吠え出した。もしかすると、犬は犬なりに争いを止めようとしているのかもしれないが、騒ぎを余計に大きくしているようにしか見えない。
「やれやれ、仕方ない奴らだな……ビリー、お前さんはマリアの方を頼む。オレは、ユリの方を何とかするから」
そう言うと、マットは立ち上がった。だが、その瞬間に顔をしかめる。痛みが走ったのだろう、あばら骨の周辺をさすりながら、マットは双子に近づいて行った。
「えー……オレがマリア止めるんですか? 双子を止める方が楽そうじゃないですか……ズルいよ」
ボヤきながらも、ビリーはマリアに近づいた。
「うがあ! あいつはひどい奴である! 妹のけいたんに、いっつも辛くあたるのである!」
マリアは烈火の如く怒り、わめき、そして地団駄を踏んでいる。怒り方が子供そのものだ。ビリーは仕方なく、作り笑いを浮かべながらなだめていた。
「いや……もういいじゃねえか。どうせ人んちのことなんだし――」
「人んちでも、いじめは良くないである! 妹に暴力を振るうのは悪いことなのである! それはでーぶいと言うのである! マリアは知っているのである!」
「いや、でーぶいって言われてもなあ……あとはマットさんに任せようぜ。マットさんなら、ちゃんと言ってくれるよ。でーぶいも止めさせてくれるだろ」
「ううう、腹立つである……今度あいつに会ったら、ハイパーヤクザキック食らわしてやるである!」
そう言いながら、マリアはそばにある遊具の残骸を蹴り始めた。ビリーはヘラヘラ笑いながら、後ろからマリアの背中を押して歩かせ、そこから遠ざける。
「ああ、そうだな……今度あいつと会った時に、その何ちゃらキックを思い切り食らわして、ぶっ飛ばしてやろうな」
背中を押しながら、ビリーは優しい口調で喋り続ける。その顔には、いつしか作り物でない本物の笑みが浮かんでいた。
「そうである! 絶対に食らわしてやるである! ぶっ飛ばすである!」
「おお、そうだそうだ。ぶっ飛ばしてやれ……ただし、今度会った時にだ。今は……宿屋に戻ろうぜ」
・・・
「何なんだよ、あのバカ女は! いい年齢して、であるであるって! 何なんだよ、あのキャラ造りは! 恥ずかしくないのかよ!」
ユリはわめきながら歩いている。その後ろから、マットとケイ、そしてブルドックのロバーツが続く。ロバーツは時おり、ため息をつくような仕草をしながら足を止め、ユリとケイの顔を交互に見ている。ケイの方は「困っちゃったなあ」というオーラが全身から発せられている状態だ。
仕方なく、マットがなだめにかかった。
「なあ、ユリ……いい加減に機嫌治せよ。ほら、拳銃をただで貰えたんだぞ。これで――」
「子供扱いするんじゃないよ!」
ユリが睨みつける。
「だいたい、あのマリアって何なんだよ! いっつも楽しそうにしてやがって! あんな奴、さっさと誰かに殺されちまえばいいんだ! あんな奴にあたしの……あたしの気持ちなんか――」
「オレは知ってる。お前の気持ちをな。オレだけじゃない。ケイだって知ってる……オレなんかよりも、ずっと。それで充分だろう。お前は一人じゃない」
言いながら、マットはユリの横を歩き続けた。その時、ユリはなぜマリアを嫌うのだろうかという疑問が浮かぶ。過去に何かあったのだろうか。マリアは街のあちこちに顔を出しているのだ。過去に双子と何らかの接点があったとしても不思議ではない。
「なあユリ、お前……マリアと何かあったのか?」
「あるわけないでしょうが! あんな奴、話したくもない!」
ユリの吐き捨てるような言葉を聞き、マットはようやく理解した。ユリは、マリアの天真爛漫な部分に苛立っている。ケイに対してもそうだった。
ユリは無意識のうちに、そうなりたかったもう一人の自分……をケイやマリアの天真爛漫さの中に見いだしているのではないだろうか。もし、カンジェルマンが死ななければ……ユリもケイのように朗らかな雰囲気を持つ少女に育っていたのかもしれない。
だが、父親代わりのカンジェルマンと母親代わりのキティアラは死んだ。そしてユリは……復讐を誓い、暗殺者となったのだ。マットは目の前の少女に、例えようのない深い憐れみを感じた。幼い心に刻み込まれた地獄の光景……ユリは責任感の強い少女だ。だからこそ、復讐という行為に心が凝り固まってしまっている。
その反面、ケイやマリアのように生きたかった……という思いも、心のどこかに――本人は絶対に認めないだろうが――残っているのだ。だからこそ、天真爛漫を人の形に固めたようなマリアを見ると……感情が激しく揺り動かされてしまう……。
復讐などという行為に人生の全てを費やすのは、今すぐにでも止めさせたい。
だが……マットは知っている。
復讐は何ももたらさない無意味な行為だ、などと口で言うのは簡単なことである。しかし、それは人間というものの本質をわかっていない者の言葉だ。人間は損得勘定や道徳観念だけで生きているのではない。人間の本質は……負の感情でできているのだ。少なくとも、人間には表と裏の両面がある。
仮に自分が今、どんな言葉を並べたてて説得したとしても……ユリは復讐を止めようとはしないだろう。いや、言葉を並べれば並べるほど、ユリは意地になるだけだ。そして自分を敬遠し、さらには自分抜きで無茶なことをしでかして……結局は底なし沼のような闇の世界に堕ちていくのではないだろうか。
ならば、せめて自分が付いていてやりたい。カンジェルマン……かつての親友が、地位も名誉も捨てて守った双子。その双子の命だけは守ってやりたい。
「しかし、あいつは強かったな……ゴリラみたいな力だったぜ」
そう言いながら、マットは自分の背中に触れてみる。まだ痛みが残っているのだ。その時、タンの言葉を思い出す。
「そういや、あいつも飛行機の墜落した場所のことを聞いてたらしい――」
「何だって!」
声と同時に、ユリが立ち止まる。マットはうっかり、ミスを犯してしまったことを悟った。あのバイパーが一億ギルダンを狙っているかもしれないことを知ったとしたら、ユリがどんな反応を示すか予測できたはずなのだ。
まずい。
「こうしちゃいられない! 今すぐに行くよ! 先回りするんだ! あのゴリラよりも先に行かなきゃ!」
そう言うとユリは向きを変え、タンの元へと歩き出した。
そして、大声で尋ねる。
「タン、飛行機の墜落した場所を教えて!」
マットはため息をついた。あの様子では、すぐにでも出発だと言い出しかねない。ケイもうんざりした顔だ。しかし、放っておいたら……強情なユリは一人でも行くだろう。
「ケイ……どうやら出発することになりそうだ。オレのせいだ。すまん」
「いいよ、あんたのせいじゃない……」
ケイは切なそうな顔で答えると、タンと話をしている姉の元へと歩き出す。
その後を付いていくロバーツ。そして、マットが続いた。