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マット、治療する

 バイパーは困惑した。

 ダックバレー刑務所において、彼は数々の凶悪犯を見ている。人を数十人殺した殺人鬼、大物ギャング、元軍人……そのほとんどが、バイパーの暴力の前には無力だった。バイパーとの圧倒的な力の差を知るや否や、実にあっけなく彼にひれ伏したのだ。

 しかし今、腰にしがみついている中年男は……痛めつけても立ち上がり、なおも向かって来るのだ。


 何なんだよ、てめえは……。

 勝てないって百も承知してんだろうが。

 何で向かって来るんだよ……。

 普通の人間なら、あばらがへし折れ、内臓破裂しててもおかしくないのに。

 何で立ち上がって来るんだよ……。


 バイパーの動きが止まった。得体の知れない感情が心を襲い始める。これは恐怖ではない。だが、不可解な感情だ……。

「てめえ……何で立ち上がって来る……そして何で向かって来る……勝ち目はないって、てめえもわかってるだろうが……」

 気が付くとバイパーの口から、そんな言葉が発せられていた。

 すると、中年男はバイパーの顔を見上げた。そしてニヤリと笑う。

「んなこともわからねえのか……覚えとけ若造……おっさんてのはな……若い娘の前でいいカッコすることに……命懸けるんだよ」

「んだと……」

 あまりにふざけた答えを聞き、バイパーの心に怒りが生まれる。彼は中年男の髪を掴んだ。さらに、首めがけ肘を落とそうとする。しかし、またしても乱入する者。

 今度は……ブルドックだった。ブルドックはバイパーの足元で、狂ったように吠えまくる。バイパーがチラリと足元に視線を移すと、ブルドックはさらに吠えながら、バイパーの背後に廻る。

「ロバーツ! 何やってんだ! 逃げろ!」

 中年男がわめく。その瞬間、腕の力が緩んだ。バイパーは中年男の髪を掴み、無理やり高く上げ――

 投げ捨てた。

 中年男はまるでごみクズか何かのように、軽々と投げられる。そして地面に背中から落ち、うめき声をあげた。

 バイパーはくるりと振り向き、ブルドックを見る。ブルドックは狂ったように吠えている。バイパーの手足の届くか届かないか、というギリギリの距離で吠えている。

 バイパーが一歩、ブルドックの方に進む。すると、ブルドックはわずかに下がり、一定の間合いを維持しつつ、なおも吠え続ける――

 その時、バイパーはブルドックの意図に気づいた。この犬は自分の方に注意を引き付け、飼い主である中年男から引き離そうとしているのだ……中年男を守るために。

 そして、背中を強烈に打ち付けたはずなのに……立ち上がり、なおもこちらに向かって来る中年男。

「ユリ……ケイ……ロバーツ連れて逃げろ……」

 取り憑かれたような形相で呟きながら、生き返った死体のようによろよろしながらこちらに向かって来る……。

 殺すのは簡単だった。首をへし折るのは一秒もかからない。だが、中年男の目には明確な……そして強烈な意志があった。死んでも貴様には屈しない、という意志。その意志を前に、バイパーは怯んでいた。自分よりも遥かに弱いはずの中年男を前に、強化人間であるはずのバイパーが……。


 バイパーは突然、笑みを浮かべた。彼は敗北を悟ったのだ。自分よりも遥かに弱いはずの中年男……だが、心をへし折り、ひれ伏させることは出来なかった。バイパーの圧倒的なまでの暴力に屈せず、自分以外の者のために全身全霊を持って立ち向かう……さらに小さな犬までもが、バイパーに向かって来たのだ。飼い主を助けるために……。

 そんな姿を見て、バイパーは心を動かされた。先ほどまで彼の中にあった殺意は消え失せ、代わりに生まれたもの、それは畏敬の念であった。

 こんな法も秩序もないはずの街で、二人の少女を守るために命を捨てようとしている中年男と犬……彼らの姿は、あまりにもまぶしく、そして素敵だった。神々しさすら感じる。これまで見てきた政治家や大物ギャング、あるいは戦争の英雄などよりも、ずっと輝いている。

 例えるなら子供の時、研究所に設置されていたテレビで観たヒーローのような……。


 こいつを殺すのは、いつでもできる。

 そもそも、オレは殺し合いに来たわけじゃない。

 いや、それ以前に……。

 オレは敗けたのだ。


「止めた……腹減ったから帰る」

 バイパーは目の前の中年男にそう言うと、足元で吠えているブルドックを無視して歩いて行った。ブルドックはバイパーの気持ちの変化を感じ取ったらしい。吠えるのを止め、中年男の足元に走っていく。

 だが、バイパーは足を止めた。そして振り返る。

「おい、おっさん……最後に一つ聞きたい。あんたの名前は?」

「マットだよ。さっさと失せろ、化け物が……」

 そう言うと、中年男は片膝を着き、息を荒げる。こちらを見つめる目には当惑の色があった。今度は、向こうの方がこちらの態度に困惑してしまっているらしい。

「マットか……覚えておこう。オレの名は、ジョン・バイパー・プレストンだ」

「長たらしい名前だな……何て呼べばいいんだ?」

「好きなように呼べ」


 ・・・


 タクシーが止まり、マリアが真っ先に飛び出して行く。次いでビリー・チェンバーズも飛び出して行ったが……。

 目の前を悠然と歩き、公園を出て行った者……それはバイパーだったのだ。バイパーは奇妙な表情を浮かべている。妙に清々しく爽やかな……野獣のような風貌が優しく見えた。

 しかし――

「お前であるか! たんたんの所で暴れた奴は!」

 マリアが怒鳴りつけ、そして詰めよっていく。ビリーは慌ててマリアとバイパーの間に割って入り、彼女を制止する。

「バイパーさん、いったい何があったんです? あなたが暴れたんですか?」

「ああ、オレが暴れた。けどな、死人は一人も出てない。一人重傷のおっさんがいるがな……オレなんかに構ってないで、そのおっさんの介抱してやれ。マットとかいう、やたらタフで強情なおっさんだ」

「何?! まっつん! 大丈夫であるか?!」

 マリアは血相を変え、公園の中に飛び込んでいく。そしてビリーはその場に立ったまま、バイパーから目を離さなかった。いや、離せないのだ。間近で感じる彼の闘気は凄まじいものがある。だが同時に、先ほどバトルリングで見た時とは違う。何と言うか……人間味のようなものが感じられるのだ。

「で、ビリー・チェンバーズさんは……ここに何をしに来たんだ?」

 バイパーの声は普段よりも明るい。だが、油断はできない。バイパーは笑いながら人を殴り殺せる男なのだ。

「いや、人違いじゃないですかね……ぼくはビリリンという名で――」

「その小綺麗なツラ、ボコボコにぶん殴って変形させてやろうか」

 言葉と同時に、バイパーが一歩前に出る。ビリーはさすがに危険を察知し、素早く飛び退く。と同時に、被っている白いハットを手に取る――

 だが、そこで動きを止めた。

「冗談ですよバイパーさん……そうです、オレはビリー・チェンバーズですが、何か」

「ビリー……お前、何でこの街に来た? ここで何する気だ?」

「いや別に……いろいろあって、大陸には居づらくなりましてね。もう、この街くらいしか居られる場所がない。だから来た……それだけのことですよ」

 ビリーは笑って見せた。だが、目は笑っていない。油断なくバイパーの動きを見ている。

「そうか……まあいい。オレも忙しいんでな。お前が何しようが知らん。だがな……オレの邪魔だけはしてくれるなよ」

 そう言うと、バイパーは大股で止まったままのタクシーに近づき――

「トラビス、宿屋まで乗せて行ってくれ」


 ビリーは公園の中に入った。中は惨憺たる状況だ。十人を超えるホームレスが倒れている。全員、顔は綺麗だ。恐らく一撃で気絶……あるいは戦意を喪失させられたのか。いずれにしても、強すぎる一撃が幸いしたらしい。

 重傷と思われたマットにしても、骨が折れたり、内臓が破裂したりはしていないようだった。

「おい、ビリーとかいったな……お前は何者なんだよ……」

 双子に手当てされながらも、ビリーを睨み付けるマット。どうやら、ビリーのことは未だに信用していないらしい。ビリーは苦笑し、目を逸らす。正直、このおっさんは苦手だ。自分とは対極の位置にいるタイプだろう。うっかりすると、また手を握り潰されかねない……。

 その時、ビリーの頭に疑問が生じた。確かにマットはタフなおっさんだ。しかし、バイパーとは比べ物にならない。バイパーがその気になれば、ここにいる全員を素手で殺すこともできたのだ。

 なのに、全員が生きている。殺すのが目的ではなかったにしろ、抵抗する者には容赦しないのがバイパーという男だ。マットは相当、抵抗したらしいが……。

 なぜ、生きている? 一人も死んでいないのはどういうわけだ? 

「ビリー……お前、さっきから何キョロキョロしてんだよ」

 マットの声。明らかに不審そうな目で、こちらを見ている。ビリーはひとまず、マットの機嫌をとっておくことにした。何があったのか、まだはっきりしていない。双子の娘は初めて見る顔だが、妙に思い詰めた表情である。何か聞き出せる雰囲気ではない。

「マットさん……何がどうしたんです?」

「あの……ジョン・バイパーとかいう奴が暴れたんだ……とんでもねえ奴だよ、あれは……拳銃を壊されちまった」

「ジョン・バイパー……あいつがそう名乗ったんですか?」

 ビリーは思わず聞き返した。バイパーは余程のことがない限り、本名を名乗らない男だ。強化人間は本名を名乗らないよう教育されているという噂を聞いたことがある。バイパーという名も、本来はコードネームのはずだ。

 もっともバイパーの場合はそれが高じて、他人にもバイパーと呼ばせるくせがついてしまったらしいのだが。そんなバイパーが、自分から本名を名乗る……妙な話だ。

 ビリーは黙りこみ、思案する。

「ビリー……お前、あいつのこと知ってんのか? 何者だ?」

 今度はマットが質問してきた。

「脱獄した囚人らしいんですがね……どうもワケわからないんですよ」

「ワケわからない、ってのはどういう意味だ?」

「奴の居たダックバレー刑務所ってのは、民間企業が運営する刑務所でしてね……大物ギャングや大量殺人犯なんかが行くところなんですよ。警備は厳重で、脱獄できるとは思えないんですが……」

 そうなのだ。

 なぜバイパーがこの街にいるのか……まず、それがわからない。どうやって、この街に来たのか……ただ、自分がこの街に来た直後にバイパーが現れた。この偶然は、自分に味方するのか害をなすのか……。


 ・・・


 マットはビリーの態度に不審なものを感じた。妙にキョロキョロと周りのケガ人の様子を見ていたかと思うと、一転して黙りこむ。そして何やら考えている様子だ。

「おいビリー、お前は一体何を――」

「マット……お前のおかげで助かった。礼を言う」

 言いかけたマットだったが、突然タンが割り込んで来た。ヨロヨロしているが、命に別状はないらしい。マリアの肩に掴まりながら歩いて来る。マリアは鋲打ち革ジャンを脱いでおり、タンクトップ姿でタンを支えながら歩いて来た。

「タン……歩いて大丈夫なのか?」

 言いながら、マットは立ち上がりかけた。そのとたん、全身に激痛が走る。たまらずマットは片膝を着いた。もしかしたら、骨にヒビくらい入っているのかもしれない。あのボディーブローは本当に強烈だった。並みの人間だったら、内臓がイカれていただろう。中年になって付いてきた腹まわりの脂肪……それが幸いしたのかもしれない。

 いや、その前に……。

「タン……あのバイパーとかいう奴は、あんたとどういう関係なんだ?」

「何の関係もない……そもそも、会ったのは今日が初めてじゃよ。あんな奴、見たこともない」

「何だと……だったら、奴は何が目的でこんなに暴れたんだ?」

「飛行機の墜落した場所について詳しく知りたがってたんじゃ。その近辺には何がいるのか、といったことを。だが、儂が知るわけなかろう。そもそも、興味もない。だから儂は言ったのじゃ。知らん、と……すると奴は暴れ出した。まるで猛獣のように……」

 タンはそこまで言うと、その場に座りこんだ。首の周りをさすり、顔をしかめる。

「飛行機、だと……すると奴も一億ギルダンが目当てか」

 マットは誰にともなく呟くと、ホームレスたちの傷の手当てに当たっているユリとケイの方を見た。二人は実にしおらしく、包帯らしきものを巻いたり、濡れた布切れで患部を冷やしたりしている。家での悪ぶった様子が嘘のようだ。さらに、いつの間にかビリーもその輪の中に加わり、双子のフォローに回っている。案外、悪い奴ではないのかもしれない。

 その時、マットはここに来た本来の目的を思い出した。

「タン、すまんが銃を一挺用意できるか?」

「銃? できんこともないが……なぜ儂に頼む?」

「あいつに……バイパーに壊されちまったからな……あの野郎、雑巾絞るみたいに拳銃捻り潰しやがったんだ」

 そう言いながら、マットは苦笑する。バイパーの怪物ぶりを、改めて思い出したのだ。小口径とはいえ、拳銃の弾丸を食らってもビクともしない強靭な肉体……さらに、あの恐るべき腕力。野生のゴリラそのものだ。しかし、奴もまた一億ギルダンを狙っているのだとしたら……。

 奴を殺せる銃が必要だ。

 タンは一瞬、迷うような素振りを見せたが……。

「マット……儂はお前には命を助けられた。だから、これをやろう。持っていくといい」

 そう言って、タンは背中に手を回す。そして、小さく痩せた体には不釣り合いな、かなり大きめの拳銃を抜いた。それをマットに手渡す。

「これをお前に渡そう。これなら、あの男が相手でも撃ち殺せる」

 マットは拳銃を受け取り、眺めた。こんな形の銃は見たことがない。恐らく改造されたものだろう。大きさの割には軽い。さらに、よく手入れされている。マットは構え、狙いをつけてみた。悪くはない。だが、弾丸は特殊な物のようだ。

「弾丸は十発ある。無くなったら、ゴドーの店で買うといい。少々高くつくがな……」

「わかった。ありがとう、タン。しかし、こいつは変わった形だな。どこで手に入れたんだ?」

「かつて、この街にクリスタル・ボーイというバカな薬の売人がいた。その男が使っていた物じゃ」

「クリスタル・ボーイ?」

 マットは思わず聞き返していた。クリスタル・ボーイと言えば、ヤクの売人であると同時に、カンジェルマンとキティアラの二人を始末した殺し屋チームの一員であるとも聞いている。その後、この街を揺るがした三年前のギャング同士の抗争に巻き込まれ、命を落としたらしいが。

「そうじゃ、あのクリスタル・ボーイじゃ……ユリとケイの仇のな。ついでに言っておくと、奴は今も生きておる……大陸の病院で、植物状態のまま。じゃが、その事はあの二人には内緒にしておいてくれ」

 タンはそう言うと、向こうでケガ人の治療に当たっているユリとケイの方に視線を向けた。

「儂はここで、いろんな人間を見てきた……何人もの仕事屋たちの末路も。マット、お前の力であの二人を助けてやってくれんか……人を殺し続ければ、その報いを受ける。たとえ生き長らえたとしても、その者は決して幸せにはなれん。お前にもわかるじゃろう……体に染み付いた血の匂いは、どんなに洗っても、落とすことができん」






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