バイパー、奮闘する
後ろから聞こえてくる銃声、爆発音、そして悲鳴……妙だ。凄まじい戦闘が行われているような雰囲気なのである。瀕死のマット一人を片付けるのに、そこまでの兵力や火力が必要なのか? しかも、明らかに苦戦しているような……。
その時、バイパーは思い出した。ここはZ地区……何者がいるかわからない。あの傭兵たちをも片付けてしまうような化け物。もし、そんな奴に追い付かれたら……自分たちはおしまいだ。
急がなくては。
「お前ら急ぐぞ!」
バイパーは二人の子供たちを一気に抱え上げた。盲目の少年と片足のない少女だ。二人は驚きの声を上げる。
「いいか、しっかり捕まってろよ……あとの連中は、ちゃんと歩けるな!」
バイパーは怒鳴る。すると、
「うん!」
「大丈夫!」
「歩ける!」
子供たちの声が返ってきた。
「だったら行くぞ!」
バイパーは怒鳴ると同時に、大股で歩き出す。こうなった以上、前方に潜む者よりも後ろから来るであろう傭兵たち――あるいは、それを壊滅させた何者か――の方が脅威だ。一刻も早く、地上に出なくてはならない……。
バイパーは子供たちを抱えたまま、ひたすら突き進んだ。すると、先の方に梯子が見える。地上に通じているのだろう。
「お前ら! 梯子があったぞ!」
バイパーは怒鳴ると同時に、梯子のそばに行き上を見る。かつては地上に出られたのかも知れないが、今は何かに塞がれている……だが、ぶん殴れば障害物を破壊できるかもしれない。金属製の梯子は錆びているが、まだ昇れそうだ。
バイパーは子供たちを降ろす。そして慎重に梯子を昇って行った。
「バイパー! 気をつけろよ!」
下から、ビリーの声がする。どうやら、奴も吹っ切れ、そして追いついて来たらしい。バイパーは昇って行き、そして上の壁に触れてみる。一部、壊せそうな場所があった。バイパーは力をこめ、思い切りぶん殴る。何かが吹っ飛んでいく音、そして、穴が空く……しかし、幅は狭い。自分一人が通り抜けるのがやっとだろう。子供を背負いながらでは通れない……。
いや、マリアなら……子供たちを背負いながらでも昇れる。マリアの大きさなら、子供たちを背負いながらでもギリギリ通れるかもしれない。仮に通れなかったとしても、自分が手を伸ばし、地上から子供だけを引き上げれば……。
だが、その前に地上に出なくてはならない。自分が地上に出て、安全かどうか確かめる必要がある。バイパーは地上に出た。
バイパーが出た所は、崩れかけたビルや瓦礫に囲まれた、不気味なほど静かな場所だ。かつては人も住んでいたのだろうが、今は虫の声一つしない。地下の血の匂いが地上にも伝わってきたのだろうか。バイパーは慎重に辺りを見渡す。何かの気配がする。息を潜め、こちらを観察しているようだ。しかし、今すぐ仕掛けて来る雰囲気ではなさそうである。バイパーは一瞬、迷ったが――
「マリア、子供たちを上がらせろ! 地上は……今の所は大丈夫だ!」
マリアが梯子を昇る。背中には、両足のない少女のアリスが背負われている。マリアは梯子を昇って来たが――
「ダメである……狭くて通れないのである」
マリアの声。バイパーは手を伸ばした。
「いいかマリア、オレの言う通りに動くんだ。まず、片手で紐を慎重にほどけ。そして……アリスだったな、お前はオレの腕を掴むんだ。マリア、お前は紐をほどいたら、慎重に降りろ……そうだ、上手いぞ。よし……アリス、一気に引き上げるからな」
言うと同時に、バイパーはアリスを軽々と引き上げる。そして、地面に優しく座らせた。
「あ、ありがとう……ございます……」
アリスのおずおずとしてはいるが、感謝の思いに満ちた声……バイパーは柄にもない気持ちが湧き上がるのを感じた。しかし、今はそれどころではない。
「アリス……周りをよく見ていろ。もし何か妙なものを見つけたら、オレに知らせるんだ。いいな」
そう言うと、バイパーは地下に視線を移す。次に上がって来たのは、盲目の少年のベンだ。しかし、彼は手足が揃っている上に勘が鋭いようだ。大した苦労もなく梯子を昇り、地上に出てきた。さらに、片足のないメリーが昇って来る。
だが、その時――
「クソが……」
バイパーは呻いた。全裸の男が三人、瓦礫の中から姿を現したのだ。三人とも、ニヤニヤ笑っている。明らかに人間ではない。三人とも、顔や体のバランスが著しく狂っているのだ。
そして、男たちはバイパーの目の前で変貌していく……。
巨大な昆虫の姿に。
カブトムシ、カマキリ、クワガタ……いずれも、馬ほどの大きさがある。カチカチと奇怪な音をたてながら、ゆっくりと近づいて来るのだ……。
「クソが! モニカ! ビリー! さっさと上がって来て手伝え!」
バイパーは凄まじい形相で怒鳴りつけた。次に子供たちの方を向き――
「お前ら! さっさと逃げろ……誰だてめえ……」
バイパーは絶望的な表情になった。
目の前――子供たちのすぐ横――には、紫の髪の少女がいる。鋭く伸びた犬歯、指から伸びた鉤爪……明らかに人間ではない……。
・・・
ビリーは、バイパーの声に素早く反応した。
「モニカ! マリア! それと双子は子供たちを見張ってろ! オレが上に行く!」
叫ぶと同時に、水筒を首から下げたまま一気に梯子をよじ登る。
だが、地上に出たビリーの目の前に広がる光景は……。
「何だこれ……」
バイパーの横には、紫色の髪の少女がいる。二人並んで、何かを睨みつけているのだ……。
その何かとは、巨大な三匹の昆虫だった。月明かりに照らし出された姿は、カブトムシとカマキリとクワガタ。最高に不気味な眺めだ……。
「ビリー……いいところに来た。てめえも手伝え」
バイパーは昆虫を睨みつけたまま、低い声で言う。同時に姿勢を低くし、今にも飛びかからんばかりの構えをとった。
「バイパー……横のレディは何者だ?」
「気にするな。こいつは味方らしい」
ビリーの質問に、即座に答えたバイパー。バイパーには妙に余裕がある。隣の少女に至っては、静かな様子で立っているのだ。ビリーは不思議な違和感を覚えた。昆虫の方が若干ではあるが、怯えているようなのだ。
しかし――
「ナメルナヨ……がろーどガイナケレバ、オマエナドコワクナイ」
カマキリが奇妙な発音で言葉を発する。同時に、カブトムシとクワガタが動きを見せる。横に広がり始めた。こちらを囲もうという意図らしい。
しかし――
「なめているのは、あなたたちの方なのです……ガロードがいなくても、あなたたちなど問題ないのです。死にたくなければ、さっさと立ち去るのです」
少女は冷静な表情で、言葉を放つ。同時に――
「るるっち! 来てくれたのであるか!」
上がって来たマリアが、すっとんきょうな声を出しながら少女に走り寄る。すると、少女はマリアをきっと睨んだ。
「マリア! あなたは子供たちのそばにいるのです! それと……みんなの前でるるっちと呼ぶのはやめるのです!」
「わかったのである、るるっち!」
マリアは向きを変え、子供たちの所に走り寄る。そのやり取りを見て、ビリーは苦笑いした。恐らく、この少女がもう一人の伝説、ルルシーなのだろう。となると……ガロードも近くに来ているのだろうか。
だが、それ以前に片付けなければならないことがある。
「なあ、昆虫のみなさん……オレたちは急いでいるんだよ。さっさと帰ってくれないかな。でないと……あんたら痛い思いをすることになるよ」
言いながら、ビリーはゆっくりと水筒の蓋を開け、片手でぶら下げる。そして顔を横に向け、視線をそちらに移す。
その視線の先には、巨大なくぼみがあり、その中には大量の水が入っていた。恐らく、雨水か地下水が流れこんだものだろう。プールほどではないにしろ、数万リットルはある。
「キサマ……ホンキデイッテイルノカ?」
カマキリが嘲るような口調で言う。そして横にいるカブトムシとクワガタも、嘲笑うかのようなキチキチ……という不気味な音を出した。
だが、ビリーは昆虫たちを無視し、水筒をくぼみに投げ入れた。水筒は飛んでいき、水溜まりの中に沈んでいく……。
「残念だよ……お前らみたいなバカにはやはり、証明して見せないとわからんらしいな……」
次の瞬間、大量の水が生き物のように動き始めた……まるで巨大なニシキヘビのような動きで、ひとりでにビリーのそばに這い寄って来る。どす黒く濁った水で形作られたニシキヘビ……ただし、頭と思われる部分には水筒が埋め込まれたような状態だ。
昆虫たちは明らかに怯んだ様子で、じりじりと後ろに下がって行った。それに対し、水のニシキヘビはくねくねと、鎌首をもたげるような仕草をしながらにじり寄って行く。さすがのバイパーやルルシーも、この不気味なニシキヘビには道を譲った。
「さて、あんたらはどうしたいんだ……オレはこの怪物を自由に操れる。こいつはな、あんたらくらいのサイズの虫を飲み込んで、窒息するまで閉じ込めておける。しかも……頭には硬い水筒をくっつけてやった。こいつのヘッドバットは痛いぜ。あんたらの頑丈な体も叩き潰せる……なあ、オレたちは争いに来た訳じゃない。さっさと引いてくれないかな? 餌はよそで探してくれよ。あんたらがどうしても引かないなら……オレはあんたらを叩き潰す」
涼しい顔で語るビリー……その表情には余裕があった。圧倒的に優位な状態にいる者のみが持つ余裕。昆虫たちはじりじりと後ろに下がり――
次の瞬間、三匹ともくるりと向きを変えた。そして、凄まじい勢いで瓦礫の中に消えて行った……。
「び、びりりん……凄いのである! カッコいいのである!」
マリアが感嘆の叫び声を上げる。次いで――
「ビリー……お前、大した奴だな。こんな化け物を造り出せるとは……」
バイパーの言葉にも、わずかではあるが敬意がこもっていた。ビリーはニヤリと笑い、大げさな仕草でお辞儀をして見せる。すると、ルルシーが口を開いた。
「どうやら、あなた方だけで大丈夫なようですね……では、私は行くのです。これ以上いると面倒なことになりそうなのです。この道をまっすぐ行くと、ガン地区に付きます。歩いてでも街に戻れるのです」
そう言うと、ルルシーは夜の闇の中に歩き去って行った。何か叫びながら、後を追おうとするマリア。そのマリアを追いかけて引き止めるビリー……そしてバイパーは、携帯電話を取り出した。
「トラビス……オレだ。バイパーだ。悪いがタクシーを寄越してくれ……いや……女と子供を乗せる」
・・・
そこには、怪物が棲んでいた。その怪物は今、腹を立てていた。
先ほどから、自分のねぐらに程近い場所で騒いでいる者たちがいる。自分は御主人様から言われているのだ。騒いでいいのは日の出ている間だけだと。朝から夕方……その間ならば、出歩いても構わない。御主人様の言いつけを守ると、人間を食べさせてもらえるのだ。怪物は人間の肉が大好きだった。特に子供の肉が……御主人様はたまに、人間の子供を連れて来てくれるのだ。
しかし、この前は人間の女が現れ、火の玉を打ってきたり稲妻を出したりした挙げ句、子供たちをさらい地下に潜ってしまった。怪物は追いかけたかったが、御主人様に言われていたのだ……暗い所に行ってはいけないと。だから、怪物は追いかけなかった。子供たちの美味そうな匂いは魅力的だったが、それよりも言いつけを破るほうが怖かった。だから、我慢した。
その時は、非常に腹が立った。だから、大勢の人間が現れた時、怪物はその人間たちを全員殺し、その肉を食らってやった。子供に比べると味は落ちる。しかし、量は多い。怪物は大量の人間の肉を食べ、満足した。
そして今も、大勢の人間の匂いがする。しかも、自分の住みかの近くで騒いでいる。お陰で眠れない。しかも、血の匂いもぷんぷんしている。食欲を刺激する匂いだ……。
迷っていたが、怪物は立ち上がった。眠れないのは奴らのせいだ。だから殺す。全員殺し、肉を味わう……自分が悪いのではない。奴らが悪いのだ。
暗闇の中、怪物は歩いた。血の匂いがする場所を目指して……。
やがて、地下に降りる穴が見えて来た。怪物はゆっくりと進み、地下に降りようと――
その瞬間、怪物はブレーキをかけられたような車のように、いきなり立ち止まった。
まず、感じたのは異変……今までにない、奇妙な匂いを嗅ぎ取る。次いで背筋に痺れが走る……これまで生きてきて感じたことのない、何か。怪物は混乱した。自分に何が起きたのか、まったくわからない。こんな気持ちは初めてだ……。
いや、初めてではない……似ている。御主人様の前にいる時に似ている……。
足音が聞こえてきた。足音はまっすぐこちらに向かって来ている。大量の屍を乗り越えて歩いて来る。それと同時に、人間の肉の匂い、そして血の匂いに混じり、まったく別の匂いが漂ってきた。自分の心と体に異変を与える何か……その源となるもの。まったく嗅いだことのない匂いだ。怪物の体はひとりでに震え出していた。未知の感情が、怪物の体を侵食していく……。
これまで、怪物は何者にも敗れたことがなかったし、何者も恐れたことがなかった……人間だろうが獣だろうが人外だろうが、向かって来る者は全て殺し、貪り食らった。おかげで、人外共は寄って来なくなった。もっとも、御主人様には言われている。人外とは争うな、と。向こうから仕掛けて来ない限り、人外を殺してはいけないと……。
その自分が……。
やがて、匂いの主が現れた。人間の男……のようにしか見えない。自分よりもはるかに小さな体をしていて、人間の死体を担いでいる。だが、発している匂いは人間のものではない。人外のものとも違う……初めて嗅ぐ匂いだ。そして匂いは告げている。
自分よりも、はるかに強い存在だと。
怪物は思わず後退っていた。呼吸が荒くなる。生まれて初めて感じる恐怖……怪物は戸惑っていた。この感情をどう扱っていいのかわからない。
その時、男が言葉を発した。
「あんたと戦う気はない。すまないが、どいてくれないか」
怪物は人間の言葉を理解できる。だが、喋ることが出来なかった。御主人様は言ったのだ。お前は喋る必要がない、なぜなら強いのだから……と。
だが、こいつは喋れるくせに、自分よりも強いというのか……。
怪物の心を、恐怖とはまた違う感情が支配していく……自分は強いのだ。それだけが生きる理由であり、誇りだった。なのに、自分の強さまで否定されてしまっては……。
自分には、存在する理由がなくなる。
目の前の者の正体はわからない。だが、自分よりも小さい。しかも、爪も牙もない。以前、人間の女に火の玉をぶつけられた時はさすがに驚いたが……その時ですら、軽い火傷を負っただけだ。
自分が負けるはずがない……。
怪物は何もわかっていなかった。彼の鼻は、驚くほど正確に情報を伝えていたのだ。にも関わらず、彼はその情報を信用しなかった……。
さらに、怪物の知らないことがもう一つあった。
目の前の者は、普段はとても優しい。しかし、大量の血の匂いを嗅ぎ、今はひどく苛立っていたことを……。
怪物は襲いかかった。鉤爪の生えた手を、男の頭めがけ打ち下ろす。
だが次の瞬間、怪物は奇妙な感触を覚えた。何かが、自分の体を貫いている……そして痛み。
「オレは今、急いでいる。気分も悪い。すまないが死んでもらう」
次回で完結となります。よろしければ、最後までお付き合いください。




