ビリー、号泣する
銃声、そしてビリーのわめき声とブルドックのロバーツの吠え声が闇の中にこだまする。バイパーはハッとなった。子供たちも一斉にざわついている。だが、一番大きな反応を示したのは――
「びりりん!? びりりんであるな!? マリアはここにいるのである! みんなここにいるのである!」
マリアが暗闇に叫び、走り出した。バイパーは舌打ちをする。そして、すぐさま指示を出した。
「モニカ、明かりを点けてくれ! 双子は子供たちをガードだ! マリア! お前はマットとビリーを連れて来い!」
言うと同時に、バイパーは一人で前に突き進む。今の銃声、そしてわめき声は先ほど見た原始人のような奴らにも聞かれてしまったはずだ。現に今、何やら騒いでいる声やバタバタする足音のような音が聞こえてきている……バイパーは慎重に進み、そして壁に背中を付けると、ゆっくりと顔を覗かせた。すると、先ほどいた連中が全員、消えてしまっているのだ。たき火などはそのままである。どうやら、銃声や人の声を聞いて逃げ去ってしまったらしい。
そして次の瞬間――
「まっつん!」
「マット!」
「おじさん!」
後方から聞こえてくる、悲痛な叫び声……どうやらビリーは無事だったようだ。しかし、マットには何かあったらしい。バイパーの表情がさらに険しくなる。すぐに後戻りし、みんなのいる場所に向かった。
マットは生気の感じられない、虚ろな表情をして横たわっていた。どうやら、腹部を銃弾が貫通したらしい。恐らく、内臓にもダメージを与えたのだろう。バイパーは一目見た瞬間、絶望的な思いに襲われた。
だが、今はやらなくてはならないことがある。
「お前ら! 泣いてる場合じゃねえ! 前に進むんだ! 泣くのは、ここを出てからにしろ!」
そう、マットの周りでは皆が号泣していたのだ。マリア、双子、子供たち、さらにはビリーまで……急がなくてはならないのに、ここで泣かれていては先に進めないのだ。
「みんな! バイパーの言う通りだよ! さあ、前に進むんだ! バイパー、前に進んで大丈夫なんだろうね?」
明かりを高く掲げたモニカが、力強い声を出す。バイパーはうなずき、そしてビリーを見る。ビリーはまだ泣いていた。
「ビリー……いつまで泣いてるんだ……行くぞ。お前に後ろは任せる」
そう言うと、バイパーは手早くマットの傷の具合を見る。まずは血を止めなくてはならない。バイパーは着ていた囚人服を脱ぎ、腹の周りを縛りつけた。マットが苦悶の表情を浮かべ、うめき声を上げる。だがバイパーはそれを無視し、強引に担いだ。助かる可能性は……一割もないだろう。だが、ゼロではない。ならば、それに賭けてみるしかない。今、マットに死なれたら……。
自分は一生、この男への敗北感を胸に生きていかなくてはならなくなる……。
バイパーは進んだ。道は妙に広く、大きくなっている。障害物もなく歩きやすい。しかし、バイパーは肩口のあたりが、赤く染まっていくのを感じていた。マットの血だ……さらに、マットの苦しそうな息遣いも聞こえてくる。バイパーは足を早めた。早くしないと……まずは、地上に上がることだ。こうなった以上、少々の危険を犯してでも地上に出る。そしてトラビスのタクシーを呼び出し、マットを病院に連れて行ってもらう――
その時、前方にまたしても人の姿が……原始人ではない。土竜人間の方だ。見た目は人間と同じだが、目が異様に小さく、服は着ていない。四つん這いで動きながら、ギャアギャア耳障りな声で吠えている。数は十人いるかいないか……バイパーはマットの体を降ろした。
そして――
「てめえら……こっちは急いでんだよ……悪いが……皆殺しだ」
言うと同時に、襲いかかっていった――
まず、向かってきた手近な奴の頭を鷲掴みにし、ぶん投げる。そして怯んだところに襲いかかり、殴り倒していく……バイパーの一撃で、土竜人間たちは意識を奪われ、そして折り重なるように倒れていく……。
だが、次の瞬間――
暗闇から現れた、巨大な何か……その何かの一撃を浴び、バイパーは後ろに飛ばされた……。
そして、後ろからのっそりと出てきた者、それは……土竜人間ともまた違う、灰色の皮膚をした巨大な男であった。大男は奇怪な声で吠えると――
凄まじい勢いで、バイパーに襲いかかって行く。さらに後ろから、土竜人間たちが集団で現れた。その数、ざっと二十……。
「クソッタレ……」
バイパーが呟いた次の瞬間、またしても大男の強烈な一撃……バイパーは意識を失いそうになる。大男の吠える声……。
だが次の瞬間、目も眩むような強い光が天井から発せられる……土竜人間たちは光に怯え、ギャアギャア叫びながら逃げ去る。大男も目を押さえ、後ろに下がって行くが……。
バイパーはその隙を逃さない。突っ込んで行って大男の喉を掴み――
一瞬で握り潰した。
「バイパー!? 大丈夫かい!?」
駆けつけてきたモニカ。バイパーは死体と化した大男の体を力任せに地面に叩きつける。そしてマットの方を見た。
「モニカ……マットがヤバい。早く地上に出よう」
・・・
前で何かが行われている。人のものとは思えない凄まじい咆哮、殴打の音、そして、不意に目の前が明るくなる……だが、ビリーにはそんなことはどうでもよかった。自分のせいで、マットが撃たれたのだ。自分のせいで……。
何でオレは……きちんと確かめなかった……。
マットは死ぬ……もうじき死んじまう……。
オレのせいだ……。
オレのせいで、マットが……。
ふと前を見る。何やら、得体の知れない生き物たちの体が折り重なって倒れている。全裸の人間のようだが、意識はないようでピクリとも動かない。そして、マットを担ぎ上げるバイパーの姿が……。
(いちいち説明しないとわからんのか? 怖くない、と言えば嘘になるよ。だがな、お前はたぶんいい奴なんだろう。少なくとも、悪い奴だったら……マリアはお前に付いていかないだろうが。オレはマリアの人を見る目を信じる。だからお前のことも信じる。それに……お前はマリアにも優しかったしな。だからオレは思うのさ。お前は下らないことで、自分の力を行使したりしない奴だろう、てな。そんな奴を怖がる理由が、一体どこにある?)
ついさっき聞いた、マットの言葉……そんな言葉を聞いたのは初めてだったのだ。どんな人間もビリーの能力を見た瞬間から、血相を変えてビリーを避けるようになる。他人からの恐れや蔑みの視線、そして腫れ物に触るような態度……それを嫌というほど見てきた自分。しかしマットは……マットだけは、変わらぬ態度でいてくれた。それが本当に嬉しかったのだ。
なのに今、マットは死にかけている……。
マット……本当にすまねえ……。
オレのせいだ……。
オレの……。
ビリーの目が涙で曇る。どうにか歩こうとするが、足に力が入らない。明るくなって歩きやすくなったせいか、子供たちはどんどん先に進んで行く。ビリーは一人取り残された。仕方なしに、ノロノロと歩く。涙を流しながら、足を引きずり……。
だが突然、何者かに肩を掴まれた。そして次の瞬間――
頬を張られた。強烈過ぎるビンタ……あまりの威力に、ビリーは吹っ飛んでいった。あまりの痛みに、声も出ないまま上を見上げると……。
マリアが鬼のような形相で仁王立ちしていた。
「びりりん! いつまで泣いているのであるか! さっさと歩くのである! 早くしないと、みんなから遅れるのである!」
そう言うと、マリアは力任せにビリーを立たせた。そして、強引に引きずって行く……凄まじい腕力だ。ビリーは思わず――
「痛え! 痛えよマリア! わかったから離せ! ちゃんと歩くから、離してくれ!」
絶叫するビリー。次の瞬間、子供たちがクスクス笑いだした。だが、当のマリアは真剣そのものの表情で、ビリーを見ている。
「びりりん……本当であるな? 本当に歩くのであるな?」
「あ、ああ……歩くよ。歩くから。お前は、オレの九番目の女のキャシーより暴力的かつ強引だな」
「そんな奴知らないのである! さっさと歩くのである!」
そう言うと、歩き出したマリア。ビリーも一緒に歩き出す……だが、足を止めた。
後方から、銃声が聞こえてきたのだ……どうやら、先ほど通って来た道、そこにあった横穴から湧いて出てきた土竜人間と、降りて来た傭兵たちが戦っているらしい。いや、戦いとは言えない。傭兵たちの一方的な虐殺となるだろうが……バイパーは足を止め、不快そうな表情で振り返った。子供たちは怯えた表情で、双子は不安そうな表情で後ろを振り返った。このままでは、確実に追いつかれてしまう……。
その時、ビリーは腹をくくった。ここは自分が食い止めるしかない。マリアの首からは、最後の水筒が一本ぶら下がっているのだ。そいつを使えば、多少の時間は稼げる。バイパーはマットを担いで行かなくてはならないのだ。モニカは子供たちを誘導しなくてはならない。あとの連中では、傭兵たちを足止めすることなど不可能だ。
いや、それ以前に……。
他の連中を危険な目に遭わせたくはない。そんなことをしたら、マットはオレを許さないだろう……。
「バイパー! 奴らが降りて来たぞ! オレが食い止めるから急げ!」
ビリーはそう言うと、マリアの首から下げている水筒を手に取る。そして――
「マリア、すまんが先に行ってくれ。お前は子供たちとマットを守ってやってくれ、いいな」
「びりりん……何を――」
「喋っている暇はない。頼むから先に行ってくれ、マリア。早くしないと、傭兵たちに追いつかれる。それに……マットを早く病院に連れていってくれ」
ビリーはマリアの両肩に手を置く。その瞳には、不退転の決意が浮かんでいた。マリアはその決意を前に、怯んだ様子を見せる。少し迷うような素振りをした後――
「約束して欲しいのである……必ず戻ってくると……約束して欲しいのである……」
「わかった、約束する。必ず戻るから……先に行って待っててくれ」
ビリーはそう言うと、バイパーの方を向いた。
「バイパー! 子供たちを連れて先に行け! 止まらないで一気に走れ! オレが時間を稼ぐ! マリアを頼んだぞ!」
・・・
今や、マットの下半身は麻痺したようになっていた……力を入れても、動かない。体の機能は、完全に停止する寸前だ。意識もどんどん薄れていく。
だが、不思議と苦痛はない。恐怖もない。間違いなく、苦痛が限界を超えて、脳内麻薬が分泌され出したのだ。
そして、視界もぼやけている。かろうじて、自分を背負っているバイパーと、そのバイパーの足元をウロウロしているロバーツが見えるだけだ。
だが、そんな中で聞こえてきた声――
「バイパー! 子供たちを連れて先に行け! 止まらないで一気に走れ! オレが時間を稼ぐ! マリアを頼んだぞ!」
今の声は……ビリーだ……。
おいおい、またしても一人で居残りしようってのか……。
お前って奴は……よっぽどイイ格好するのが好きなんだな。
けどな、ビリー。
そいつは……オレの役目だ……。
お前一人に、イイ格好させねえよ。
「バイパー……オレを降ろせ……まだ……引き金は……弾ける……銃は……撃てる……オレが……時間を……稼ぐ……」
マットの声を聞き、バイパーは立ち止まった。ここぞとばかり、マットは声を絞り出す。
「バイパー……オレは……もう……ダメだ……足が……動かん……左手も……目も……ぼやけて……もうすぐ……死ぬ……助からない……だから……オレに……やらせろ……右手は……まだ……動く……銃は……撃てる……オレを……残せ……死ぬのは……オレ……一人で……たくさん……ビリーは……助けて……オレの……最期の……願い……」
その言葉を聞いたバイパーは、凄まじい形相で動きを止めた。だが次の瞬間に向きを変え、すぐさま引き返した。そして、マットを地面に降ろす。さらに改造拳銃を右手に縛りつけた。
そんなバイパーの行動を見て――
「バイパー! てめえ何考えてるんだ!」
ビリーが食ってかかったが、バイパーはいきなり鳩尾を殴りつけた。腹を押さえ、うずくまるビリー……しかし、
「冗談じゃない! マットを置いて行けるか」
「絶対に連れ帰る!」
今度は双子が叫ぶ。マットは弱々しい声を出した。
「ユリ……ケイ……オレは……もう……ダメだ……ロバーツを……頼む……先に行け……」
その言葉を聞き、顔を歪める双子。そして、マットのそばで顔を見上げるロバーツ……その時――
「来やがったぞ! 早くしやがれ!」
バイパーの叫びと同時に、轟く銃声……バイパーはとっさに、意識を失い倒れていた土竜人間たちを持ち上げ、凄まじい腕力で次々と投げつける。土竜人間たちはボールか何かのように軽々と投げられていき、道に積み重なっていく……土竜人間たちは障害物と化し、道をふさいでいった。
さらにバイパーは、灰色の大男の死体を引きずり、壁にもたれているマットの前に置いた。弾除けとして使え、ということなのだろう。
「おっさん、オレたちは行くぞ……先に地獄で待っててくれ」
バイパーの言葉そのものは素っ気ない。だが、態度には悔しさと哀しさがにじんでいる。そしてビリーとマリア、ユリとケイとロバーツ、そして子供たちが涙を流しながら、周りを囲んでいる。
その時、モニカが険しい表情で通路を睨み、同時に右手をかざした。すると右掌にボール大の火の玉が出現し、そして通路の先めがけて飛んでいく……。
次の瞬間に火の玉は着地し、爆発した。
「みんな今だよ! 早くしな! マットの命を無駄にする気かい! さあ行くんだよ!」
モニカは子供たちを怒鳴りつけ、そしてマットの顔を見た。
「マット……あんたのことは……忘れないよ」
モニカはこみ上げてくる何かをこらえるような表情で言うと、子供たちの手を引いて進んでいった。
「まっつん……ざよならである……びりりん……いぐのである……」
マリアは泣きながら、ビリーの手を引いて歩いて行く……。
「くそ……あんたのせいで、とんだ……とんだ大損だよ……この貸しは……地獄で取り立ててやる……行くよケイ……ロバーツを連れて行くんだ……」
ユリとケイはロバーツを抱き上げ、歩いて行った。そして最後に――
「おっさん……あん時、あんたを殺さなくて良かったよ……だがな、地獄で遭ったら……必ずあんたをぶっ飛ばす。この先、オレは一生あんたに負けたままだ……」
バイパーは吐き捨てるように言うと、マットの右手――改造拳銃が握られている――を上げ、弾除け代わりの大男の死体にのせる。
「あとは……引き金を弾くだけだ。じゃあな……」
バイパーは足早に去って行く。
マットは霞む目を凝らし、通路を見ていた。視界がさっきよりもぼやけてきている上、右手の感覚もなくなってきている……ギリギリまで動いてくれるよう、天に祈った。奴らを一人でも多く道連れにしてやる……。
目の端で何かが動いた。マットは引き金を弾く。外れた。だが、威嚇にはなっただろう。あと……何発残っていただろうか。もう忘れてしまった……。
何か動くものが見えた。マットは引き金を弾こうとする。だが、指に力が入らない。このタイミングで動かなくなるとは……マットは再度、引き金を弾こうと試みる。すると、わずかに指が動いた……轟く銃声。相手は慌てて引っ込む。次は撃てないかもしれない……。
だが、その時――
傭兵たちが騒ぎ出した。轟く銃声、そして爆発音……続いて聞こえてきたのは悲鳴。
そして薄れゆく意識の中……マットは見た。
大柄で鋭い顔つきの若者が、こちらにゆっくりと近づいて来るのを。




