マット、脱出する
バイパーは今の光景に舌を巻いた……ビリー・チェンバーズはやはりただ者ではなかったのだ。そう言えば聞いたことがある。水を操る、恐ろしい能力者がいると。まさか、ビリーがそうだったとは。しかし、これからどうするか……。
その時、外から声が――
「おい……そこにモニカって女はいるかい? いるなら、さっさと引き渡してくれねえかなあ」
どうやら拡声器を使っているらしい。それにしても、この口調からすると……相手は傭兵なのではないだろうか。確かに、国の一大事というわけではない。特殊部隊を派遣するわけにもいかないだろう。だからこそ、金で雇える傭兵をよこしたのだ。
そして、奴らの目的はモニカを連れ帰ること……。
「早くしてくれないかな……こっちはあんたらと殺り合う気はないんだよ。モニカさえ渡してくれれば、余分な死人が出るようなことにはならない。だがな、もしあんたらが駄々こねるようなら……全員死ぬことになるんだぜ。よく考えてみな」
声は一旦、途切れる。バイパーは地下の柱に身を潜めながら、地上の様子を観察した。かなりの数の傭兵が地上で待機しているようだ。これでは全滅させるのは無理だろう。地下から逃げるしかない。
バイパーは振り返り、モニカの様子を見た。その途端、心臓が口から飛び出そうになる。モニカが平然とした顔で、こちらに歩いて来たのだ。まっすぐ階段に向かっている。バイパーは前に立ちふさがった。
「お前! 何する気だ!」
「あたしが行けばいいんだろ……あたしが行けば、みんな助かる……こうなりゃ、洗いざらいぶちまけてやるよ。ポタリアがどうなろうが、知ったことじゃないしね」
モニカは虚ろな笑みを浮かべてみせる。彼女はバイパーの横をすり抜け進もうとするが――
バイパーに腕を掴まれ、引き戻される。
「ふざけるな……ガキ共はどうなる! あいつらにはお前が必要なんだぞ!」
「あたしを殺しに来たくせに、今さら何言ってんだい……悪いけど、子供たちのこと頼んだよ――」
「オレじゃ無理だ。あいつらに必要なのは母親……その役割ができるのはお前だろうが。それにギルガメスに帰ったら……お前は確実に処刑されるぞ。ポタリアを潰すための証言さえ取れれば、お前は大量殺人犯として裁かれる。クメンに引き渡されるか、死刑になるかだろうが」
バイパーの言葉を聞き、モニカは下を向き黙りこんだ。肩が震える。顔を歪ませ、嗚咽が洩れ――
「ごめんよ……あたしのせいで……あんたらに……まで……」
「泣き言は後だ。とにかく、今は逃げる。だが、地上から逃げるのは無理だ。地下を行くしかない。この地下通路はどこに繋がっている?」
「わからない……けど、この通路の先には土竜人間みたいなのが棲んでるんだ。光に弱いけど、おっかない奴らがね……あたしたちは、光と闇の境……ここに住むしかなかったんだよ」
「何だと……」
バイパーは周りを見渡した。マットは拳銃を構え、地上に通じる階段を見張っている。その後ろには、ビリーとビリーの連れの銀髪娘。あの三人は戦える。だが、柱の陰で震えている双子……あいつらはダメだ。凄まじい銃撃を目の当たりにし、すっかりビビっている。ナイフを使う殺し屋だと言っていたが……しょせん、ナイフでは銃に勝てない。となると……使えそうなのは、オレ、モニカ、マット、ビリー、そして銀髪娘の五人か。いや、モニカはガキを仕切らなくてはならない。となると四人だ。たった四人では……。
だが、その時に閃いた。
「おい、お前がさっき言っていた化け物は……そろそろ起きて来るんじゃないのか? その化け物ならば、上にいる連中を皆殺しに出来るかもしれないんじゃないか?」
そう、先ほどモニカが言っていた化け物……主に昼間、飛行機の墜落場所を縄張りに活動しているが、何故か地下には降りてこないという不思議な生物。調査に来たギャング共を皆殺しにしたのだという。そいつが起きるまで、ここで粘ればいいのではないか……。
「いや、まだだね……早くても九時にならないと起きてこないんだよ。あたしもはっきりとは見たことないんだけど……あと五時間はかかるね」
モニカの言葉自体は、バイパーの希望を打ち砕くものだった。しかし、その口調には自信が戻っている。どうやら戦い抜き、そして子供たちと共に生き延びることを決めたらしい。
その時――
「なあ、お前ら、いい加減にモニカを引き渡してくれよ……でないと、全員殺しちゃうよ。こっちは一人殺られてんだぜ。あと五分待ってやる。さっさと出てこい。こっちはな、モニカが死体になっても構わないって言われてんだよ」
バイパーは愕然となった……連中はやはり、モニカがどうなろうが知ったことではなかったのだ。そう、モニカの証言はあるに越したことはない。だが極端な話、彼女はクメンの魔女だという事実だけでも充分なのだ。ポタリアという実業家を追い落とすスキャンダルとしては。
仕方ない。ここは地下通路を行く。土竜人間の巣を突破する。
「バイパー、モニカ……どうするんだ?」
マットの声。ビリーとマリアも、こちらに注目している。モニカも不安そうに自分の顔を見ている。
「仕方ねえ……地下通路から逃げるぞ。モニカ、ガキどもをまとめとけ……出発だ。オレがここで、奴らの注意を引き付ける。その間に逃げろ」
・・・
ビリーは、バイパーの想定外の発言を前に言葉を失っていた。一体、何を考えているのだ? ビリーの知っているバイパーは、笑いながら人を殺す男だったはずだ。事実、昨日試合会場で会った時には、何のためらいもなく対戦相手を素手で殺していた……。
それが何をトチ狂ったのか……オレが注意を引き付ける、だからお前らは逃げろときた。そんな映画の死にキャラみたいなセリフが最も似合わない男であるはずなのに……。
「わかった。しんがりはお前さんに頼もう。ビリー、それにマリア……今すぐ出発だ。ユリ、ケイ、さっさと子供たちの所に行け。モニカさん、すまんが双子を子供たちの所に連れて行ってくれ」
てきぱきと全員に指示を出すマット。指示を出しながらも、地上への警戒は怠らない。改造拳銃を構え、じっと上を見ていた。ビリーはこんな状況にも関わらず。疑問を感じて立ち止まる。マットはなぜ、エメラルドシティなんかに来てしまったのだろうか? どう見ても、この街には似つかわしくない。それに、あの双子とはどういう関係なのだろう?
「びりりん、何をしているのであるか? 逃げる準備をするのである。一緒に手伝うのである」
マリアに腕を掴まれ、ビリーは我に返る。マリアに腕を引かれ、ビリーは奥に向かった。
ビリーはその光景を前に、ただただ圧倒されるばかりだった。片手のない少年、両足のない少女、両目に布を巻いた少年など……そんな子供たちの真ん中でモニカは仁王立ちし、てきぱきと指示を出している。さらに、隅の方で妙におとなしく、みんなの様子を見ているブルドックまでいるのだ。
「トム、あんたはベンの手を引いてあげて。ベンは目が見えないんだから、ゆっくり歩くんだよ。アリスはあたしがおぶって……いや、マリアとか言ったね、あんたなら大丈夫だろ。おぶってあげて」
「わかったのである! びりりん、これを持っていて欲しいのである!」
モニカの言葉に、マリアはうなずく。同時に鋲打ちの革ジャンをビリーに預けると、両足のない少女に背中を向け、しゃがみこむ。ビリーは少女をそっと抱き上げ、マリアの背中に乗せた。そして、落ちないように紐で縛る。
「アリスちゃん、だったね……苦しくないかい?」
ビリーは優しく問いかける。アリスは微笑み、うなずいた。
「ねえ、びりりんとかいう人……あんたも手伝ってよ―」
「ごめん、オレには他にやることがあった。マリアを頼む」
モニカの言葉を遮り、ビリーは階段に向かった。そう、自分には他に出来ることがある。幼い時から、ずっと忌々しく思っていた、自分の異能……しかし今、生まれて初めて異能の存在に感謝した。正直、事情はまだよくは飲み込めていない。それでも、わかったことが一つある。
モニカは、子供たちにとって必要な存在だ。
「バイパー、それにマット……すまないが、ありったけの水をここに持って来てくれ。オレが奴らを何とかしよう。あんたらは子供たちと一緒に行ってくれ」
ビリーの言葉に、顔を見合せる二人。
「冗談言ってる場合じゃねえ。オレが残る。お前みたいなひ弱な奴に――」
「バイパー、いざとなったら、子供たちを担いで歩けるあんたの馬鹿力は大切だよ。早くしてくれ。でないと……奴ら乗り込んで来るぞ」
ビリーの口調には、有無を言わさぬ迫力があった。普段の軽薄さがまるで感じられない。バイパーは黙りこみ、ビリーの目を見つめた。その時、マットが口を開いた。
「バイパー……オレはここで見張る。お前は早いとこ、ありったけの水を持って来てくれ。ビリーの言ってることは間違ってない。子供たちの移動に、お前は必要だ。行ってくれ」
「……いいだろう」
言うと同時に、バイパーは早足で奥に行った。ビリーは腰を降ろし、水筒の蓋を開ける。これからやろうとしていること、それは……かつて能力者による同時多発テロで数十人の犠牲者を出したものなのだ。永遠に封印するつもりでいた。もう二度と、人殺しには関わりあいたくはなかった……しかし、どうやら自分は平穏無事に生きられない運命のようだ。ビリーは一瞬、自分の運命を呪った。だが、すぐに気持ちを切り替える。精神を集中させ、水筒の中に手を入れた。そして水をかき回す。
「おいビリー、これだけしかないが……足りるか?」
バイパーの声。と同時に、目の前に水の詰まったポリタンクが四つ置かれる。
「ああ、大丈夫だ。ありがとう、バイパー。それとマット……できるだけ早く出発してくれ」
・・・
マットは、ビリーの様子にただならぬものを感じていた。ビリーの表情は暗い……それも、ただの暗さではないのだ。底知れぬ闇を感じる。かつて見た職業軍人たち。人殺しに慣れてしまい、地獄を見過ぎてしまった者たち……今のビリーからは、同じ匂いがするのだ。
マットの目の前で、ビリーはポリタンクの蓋を開けた。その中に、水筒の中の水を少し注ぐ。そして別のポリタンクにも、同じことを――
「マット……すまないが早く出発してくれ。あんたらが残っていたら、オレは思うように戦えないんだ。早く行ってくれ」
ビリーの声はひどく乾いていた。感情の抑揚がまるで感じられない。マットはため息をつき、立ち上がった。そしてビリーのそばに行き、顔を近づける。
「ビリー、後は頼んだぞ。だがな、必ず生きて戻れ。マリアはお前のことを気に入っているらしい。マリアを泣かすような真似をしたら……お前を絶対に許さねえぞ」
「わかってる……マリアには、後で必ず行くと伝えてくれ」
マットとバイパーは、モニカの所に行く。既にマリアは、一人の少女を背負っていた。さらにユリとケイも、子供たちの手を握っている。その中心には、モニカが腕を組んで周りを見渡している。モニカの足元では、ブルドックのロバーツが偉そうな表情で座っていた。
「モニカ……行くぞ。地下通路を抜ける。早く行かないと、奴らが来るぞ。バイパー、先頭を頼む。オレは最後尾に付く」
「待ちなよ。あたしも先頭を行く。二人で行こう。行くよ、みんな」
モニカはそう言うと、落ちていた棒きれを拾い上げた。そして、何やら奇妙な言葉を発する。すると次の瞬間、棒きれの先端が光り始めた……モニカは松明のように光る棒を高々と掲げて、力強く歩み始める。まるで、昔の神話における地母神のように……その横にバイパーが付いて歩き、双子やマリアに誘導された子供たちが後を付いて行く。そしてロバーツがマットの足元に擦り寄ってきた。何やら言いたげな様子で、マットの顔を見上げる。
「ロバーツ……子供たちに付いて行ってやれ。お前も、子供たちを守ってやるんだ」
マットはそう言いながら、双子の方を指差す。ロバーツは少し迷うような素振りを見せたが、わずかな間の後、双子の方に走って行った。
マットは改造拳銃を構え、ゆっくりと後退する。ちらっとビリーの方を見ると、ビリーは柱の陰に隠れたまま、じっと地上を見上げていた。思い詰めたような表情が浮かんでいる。マットは一瞬、自分も残るべきなのだろうかと考えた。しかし思い直す。自分は所詮は、ただの人間なのだ。一方、ビリーには力がある。強力な異能の力が……彼は言っていたのだ。お前らが居ては力が使えないと。ビリーがここで何をしでかす気なのかは知らない。だが、邪魔になるのなら……立ち去るしかないのだ。
マットは子供たちに気を配りつつ、声をかけた。
「ビリー・チェンバーズ! 明後日の夜八時に、バー『ボディプレス』で待ってるぞ! 飯おごってやるから、必ず来いよ!」
マットは子供たちの後から、ゆっくりと進む。ただでさえ、子供たちの歩みは遅い。その後ろを、少しずつ歩くしかないのだ。
そして……先ほどから感じる、鼻につく匂い。どうやら、エメラルドシティの地下に広がり、無数に枝分かれしている地下道に通じているようだ。エメラルドシティの地下道は……マットは入ったことがない。しかし、奇怪な連中が棲んでいるらしい、とは聞いている。
その時――
「止まれ! 何かいるぞ! 円陣を組め!」
バイパーの声。マットはすぐさま反応した。
「ユリ! ケイ! マリア! 子供たちを囲め!」
言いながら、マットは素早く動いた。ユリ、ケイ、マリアの三人と共に子供たちの周りを囲む。そして改造拳銃を構える。バイパーとモニカも、その円に加わった。モニカは松明代わりの棒を高々と掲げる。
明かりに照らし出されたもの……それは四つん這いになって蠢いている、得体の知れない者たちだった。全裸の人間のように見えるが、髪の毛は一本もない。肌の色は不気味な白さである。ギャアギャアと奇怪な声で威嚇しながらも、光に怯んで近づけないようだ。
「てめえら! 死にてえのか! 失せろ!」
バイパーは怒鳴りつけ、同時に襲いかかる。不気味な者たちも、バイパーに飛びかかっていくが、バイパーの強さは桁外れだった。手近な奴を捕まえ、片手で持ち上げてぶん投げる……使うのは格闘技でも何でもない、純粋な腕力のみだ。手近な奴を捕まえては、群れめがけて投げつける――
次の瞬間、不気味な者たちは奇怪な声を発した。そして一斉に逃げ始める。それを追おうとするバイパー……マットは怒鳴った。
「バイパー! そんな連中に構うな!」
バイパーの動きが止まった。野獣のような表情で戻って来る。呼吸は全く乱れていない。本当に、桁外れの身体能力だ……マットがそう思った直後――
「ちょっとあんた! 子供が怖がるでしょ! 暴れる前に一言いってよ!」
今度はモニカが怒鳴りつけた。確かに、子供たちは怯えた表情をしている。バイパーは困った顔になり、謝り始めた。それを見て、マットは苦笑する。全く恐ろしい女だ。まさに女傑である。自分を子供扱いしたバイパーを怒鳴りつけるとは……。
だが、バイパーの表情が変わる。今来た道を振り返り、そして――
「銃声が聞こえた……奴らが降りて来たぞ……」




