ビリー、驚愕する
マットがユリを連れて奥に行き、二人で何やら話し合っている間、バイパーは一人で地べたに座り、子供たちを見ていた。手製のランタンの明かりの下、モニカは子供たちと一緒になり、はしゃぎながらブルドックのロバーツと遊んでいるのだ。がっちりした体格のいかつい中年女が猫なで声を出しながらブルドックと戯れる姿は、非常に滑稽である。バイパーの顔に、思わず笑みが浮かんだ。
「一人で何笑ってるの?」
不意に声が聞こえた。マットと一緒にいた双子の片割れだ。確か、ケイと呼ばれていた。マットと話し合っているユリの方は、生意気な態度の娘だった。しかし、目の前にいるケイは子供たちとすぐに打ち解けたのだ。そして子供たちとロバーツを遊ばせたのもケイだ。同じ顔なのに、性格はまるで違う。
「あんた、凄く強かったね……どうしたら、そんなに強くなれんの?」
ケイは好奇心に満ちた表情で聞いてくる。この少女も、公園でバイパーにぶっ飛ばされたはずなのだが……まるで根に持つ様子がない。
「なりたくてなったわけじゃねえ。無理やり強くさせられたんだ……強くならなきゃ、殺される……そんな場所で育ったんだよ」
そう、研究所では殺し合いの記憶しかない。ひたすら人を殺すだけの日々……そして気がついてみると、殺すことに何のためらいもなくなっていた、はずだったのだが……。
なぜオレは、奴らを殺さなかったのだ?
けど、殺さなくて良かったよ……。
わんわん吠えながら、はしゃぐロバーツ……そして奥でユリをなだめ、励ましている様子のマット。この二人……いや、一人と一匹は圧倒的に強いはずの自分に向かってきたのだ。叩きのめされても屈することなく……バイパーは生まれて初めて、本物の闘志を見た。そして、自分の小ささを知った……。
もしあの時、一人と一匹を殺していたとしたら……モニカや子供たちの、あんな楽しそうな表情は見られなかったのだろう。
そして自分は、一生マットへの敗北感を胸に抱いて生きることに……。
「ねえ、あんた強化人間なんでしょ? あたしも強化人間になれる? あたしもあんたみたいに強くなりたい!」
ケイは無邪気な顔で聞いてくる。バイパーはじっとケイを見つめた。彼女の瞳は澄んでいる。これまで何人もの命を奪ったと聞いたが、心根はまだ染まっていないらしい。強者に対する、あまりに純粋な尊敬の念……ただバイパーは、それを自分に向けて欲しくなかった。
「オレは難しいことは知らねえ。だが、オレの今まで出会った男の中で、一番強いのはマットだ。あいつに付いて行け。そして……あいつから学べ」
「マット?」
「そうだ。あいつは……オレなんかよりもずっと強い男だ」
「えー? だって、あんたマットのことボコボコにやっつけたじゃん! マットはあんたのこと、凄く強いって言ってたよ」
ケイは不思議そうな顔で、バイパーを見る。
「おいガキ……一つ教えてやる。オレは自分よりも強い者に出会ったら、お前らを見捨てて逃げる。だが、マットは逃げない。マットは……自分より強い者が相手でも戦う男だ。オレに立ち向かってきたようにな。お前らを逃がすためなら、どんな奴が相手でも戦うだろうよ……本物の強さってのは、そういうことだ」
「……うん」
「はあ、はあ……疲れたよ……ロバーツ、あんた元気だね……」
モニカは息を荒げ、地面にへたりこんだ。さすがのクメンの魔女も、体を動かすのは苦手らしい。するとロバーツはモニカに飛びかかり、顔をペロペロ舐め始め――
「ちょ、ちょっと何すんのロバーツ! ちょっとダメだったら――」
「子供の前で変な声出すんじゃねえ!」
バイパーの一喝。ロバーツは慌ててモニカから離れた。そして笑って見ていた子供たちも、一斉に黙りこんでバイパーを見ている。和やかな空気を、一瞬でぶち壊してしまったことを感じたバイパーは、仕方なく笑顔を作る。しかし子供たちの顔はひきつった。何せバイパーはもともと野獣のような風貌である。黙っていても顔は怖い。しかも、バイパーは普段、めったに笑わない男なのだ。笑顔を作るのは下手である。結果、変質者が笑っているような顔になり――
子供たちは、今度は一斉に怯え出す。
「ちょっとあんた! 何て顔してんの! 子供たちが怖がるでしょ! あんたは笑わなくていい! 普通にしてて!」
今度はモニカが怒鳴りつけ、バイパーは仕方なく下を向く。すると、マットがユリを連れてやって来た。妙な雰囲気に戸惑いながらも、口を開く。
「おいおい、何があったんだ? それより……モニカ、そろそろ荷物をまとめてくれ。あと、子供たちを早く寝かせろ。明るくなったら出発だ」
「それは……止めた方がいいね。出かけるなら夜の方がいいよ」
「どういうことだ?」
訝しげな表情になるマット。バイパーも、その言葉には疑問を感じた。人外どもが蠢くのは夜のはず。現に自分も、先ほど人外どもや原始人のような男たちの襲撃を受けたのだ。子供たちを連れているのならば、人外がおとなしくしている昼間の方がいいはずだ。
しかし、モニカはため息をついた。
「この辺は……夜よりも昼の方が危険なんだよ。昼間には……とんでもない奴がうろついているのさ。たぶん、そいつの仕業なんだよ……ここに来たギャングどもが戻らないのは」
・・・
ビリーの耳は先ほどから、妙な物音を捉えていた。かすかにではあるが、誰かが話しているような声や笑っているような声が聞こえるのだ。恐らく、ここから数メートル先に見える大きな穴……そこからではないかと思われる。目を凝らすと、階段らしきものも見える。ビリーは身を低くし、息を潜め、じっとしていた。間違いなく、何者かが穴の中にいるのだ。それも複数……ビリーはふと、墜落場所での様々な噂話を思い出す。多数のギャングたちが戻っていないのだ……この声の主は、ギャングたちを全滅させたものなのかもしれない。ビリーはひとまず、どう動くべきか考えた。おとなしくして朝を待つか、あるいは強行突破するか……いずれにせよ、危険は伴う。
「び、びりりん……どうするのであるか?」
耳元でマリアが囁いた。ビリーは周りを見渡し、水筒の中身を一口飲んだ。緊張で、口の中が渇ききっていたのだ。すると、マリアもつられて水筒の蓋を開け、水を飲み始める。ごくごくとおいしそうに飲むマリアを見て、ビリーは苦笑した。水筒の中身は、武器として用いる予定だったのだが……。
「びりりん、どうしたのであるか?」
「へ……何が?」
「何か……楽しそうである……ニコニコしてるのである」
「いや、そういうわけじゃないんだが……」
言いながら、ビリーは外を見る。特に異常は見られない。だったら、今のうちにずらかるのが最善手だろう。さっきの松明を持った連中の気配はない。外も静かだ。何者かの笑い声や話し声は時おり、かすかに聞こえてくる。だが、そんなのはビリーの知ったことではないのだ。速やかに引き上げる。
そして……マリアと一緒に、静かにのんびり暮らしてみるとしようか。
ガロードのように。
だが、その時……月明かりに反射し、草むらの中に何かが光るのが見えた。それは一瞬の出来事だったが、ビリーにとってひどく気になるものだった。ビリーとマリアが居るのは、飛行機の残骸の中である。墜落の衝撃で、この辺りだけ地面が沈んでしまっていて、まるで窪地のようになっているのである。そして今の光は……岸壁のようにそそり立っている地面の上の方で見えたのだ。これは妙な話だ。
「びりりん――」
何か言いかけたマリアの口に、ビリーは手を当てて黙らせる。同時に姿勢を低くするようジェスチャーで指示し、そしてマリアの首にかけてある水筒をさりげなく外し、手に取った。そして耳元で囁く。
「静かにしろ。また悪そうなのが来た。いざとなったら……オレが食い止める。お前は走って逃げろ」
ややあって、上の草むらがわずかに揺れる。同時に、低い姿勢で立ち上がった者が一人……だが、かなりの数の者がしゃがんだまま、草むらに潜み待機しているのがわかる。フルフェイスのヘルメットを被り、防弾ベストらしき物を身に付けている。よく見ると、ヘルメットの目の部分にはゴーグルのような物も……そして、手には自動小銃。明らかに、エメラルドシティをうろつくギャングどもとは違う雰囲気だ。ビリーは自分の不運を呪うばかりだった。ほんのわずかな好奇心……そのために、あんな妙な連中と殺り合う羽目になろうとは。そもそも、自分はこんな場所に来る必要などなかったのに……。
だが、今さら泣き言を言っても仕方ない。とにかく、マリアと二人でここを突破する。
フルフェイスの一人が進み出て来た。自動小銃を構えながらゆっくりと崖を降りてくる。そして、ビリーとマリアの潜む飛行機の残骸に近づいて来た。ビリーの体に緊張が走る――
その時、またしても声が聞こえてきた。何やら怒鳴っているような声……女の声だろうか。
フルフェイスの者は、その声に素早く反応した。銃を構え、ゆっくりと声のした方向に進む。進みながら、片手を上げ、何やら合図を送る。
すると、上の方で待機している者たちも、何やら合図を返す。降りてきたフルフェイスは、声の正体を探る気にでもなったのか、そちらの方に進む。
すると、今度は男の声だ……かすかに聞こえてきたその声に、マリアが反応した。ビリーの腕を掴み、耳元で囁く。
「今の声、まっつんなのである。助けて欲しいのである……」
「何だと……」
ビリーは水筒の中身を静かに地面にこぼす。そして精神を集中させた。
すると、こぼれた水がひとりでにフルフェイスに近づいて行き――
体を上がり、フルフェイスのヘルメットをすっぽり覆う……。
フルフェイスは何が起きたのか把握できず、銃を捨て水を払おうとする。しかし、水は執拗にまとわりつく。やがてフルフェイスの隙間から鼻や口に侵入し始め――
その隙に、ビリーとマリアは一気に動いた。フルフェイスの脇をすり抜け、あらんかぎりの力で走る。マリアは地面の穴めがけ走り、ビリーがその後を追う。後ろから銃声が聞こえてきた。サイレンサー付きの銃から放たれたらしく、音は静かだが数発が足元の土をえぐる。そして一発が肩のあたりをかすめたが、ビリーのスーツは特製の防弾仕様である。弾丸を弾き、体には傷一つ付けていない。そしてマリアは叫びながら、階段を駈け降りる。
「まっつん! 大変である! 悪い奴が表に来ているのである!」
・・・
いきなりの大声、そして地上から階段を駈け降りて来たマリア……マットは、事態を把握できずに唖然としていた。
おいおい……。
何でマリアが……ここにいるんだよ?
マットの混乱をよそに、マリアは真っ直ぐ自分の方に走って来た。そして――
「まっつん! 上に悪い奴が大勢来ているのである! 早く逃げるのである!」
さらに、後ろからビリー・チェンバーズが付いて来る。
「マット! ヤバいぞ! 軍隊みたいな妙な連中が来てる……何だこりゃあ……どうなってんだ?」
ビリーは言葉を止め、ポカンとした様子でマットの背後を見つめている。マットが振り向くと、バイパーとモニカが険しい表情で立っていた。そしてバイパーが声を発した。
「モニカ、子供たちを連れて奥に行ってくれ。お前らも奥まで下がれ。恐らく、ポタリアの敵対勢力がよこした奴らだ……クソ、うかつだったぜ……こんなに接近されるまで気づかなかったとは……」
バイパーは毒づきながら、地上を見上げていた。すると何者かの足音が、マットの耳にも聞こえてくる。それも一人や二人ではない。十人は超えている。マットは拳銃を抜いた。そして構えながら声を発する。
「ビリー……ちょっとややこしい事になってるが、説明は後だ。バイパーは仲間だよ……今の所は。モニカと子供たちをここから逃がす。生き延びたいなら協力しろ。まず身を隠せ」
言いながら、マットは柱の陰に隠れる。ビリーとマリアも、マットの後ろに身を隠す。モニカは子供たちとロバーツを連れて、奥に避難した。そして……双子も、数メートル離れた太い柱の陰に隠れ、地上の様子を窺っているのだ。
「お前ら何やってる! モニカの所に行け! 子供たちを守るんだ!」
マットは怒鳴りつける。しかし――
「冗談じゃない! あたしだって戦える!」
ユリが言い返し、そしてナイフを抜いて地上を見上げる。マットは立ち上がった。ユリとケイを引きずってでも連れて行こうと、そちらに向かおうとするが――
銃弾が足元に炸裂し、コンクリートが削れる。マットは慌てて、元いた柱に身を隠した。暗闇だというのに正確だ。今のは、完全に運に救われた……果たしてこの後、どれくらい幸運が続いてくれることか……。
「言い忘れてたがな、奴らフルフェイスのヘルメット被ってたが、ゴーグルみたいなのが付いてたぞ。恐らくは、暗闇でも見えるヤツだろう」
ビリーが耳元で囁く。マットはため息をついた。
「そういうことは、もっと早く言ってくれ……絶望的な気分をどうも」
言いながら、マットは拳銃を両手に握りしめた。弾丸は残り九発。はっきり言って心もとない。ポタリアというのは政治家をも視野に入れているほどの実業家らしい。となると、その対抗勢力も相当な権力者だろう。そんな権力者が雇った連中……。
その時、銃弾が柱をかすめた。そして、立て続けに柱の表面に炸裂する鉛の弾丸……マットとビリーとマリアの三人は、柱の陰で小さくなっていた。双子も同様に、震えながら小さくなっている。
やがて、銃撃が止んだ。マットが横を見ると、双子は震えながら抱き合っている。あれだけの銃撃を経験したことはなかったのだろう。一方、ビリーとマリアは落ち着いた様子だった。二人とも大した度胸だ。
さらに横を見ると、バイパーがいる。一番階段から近く、そして細い柱に身を隠しながらも、野獣のような表情で地上を見上げているのだ。マットはほっとした。バイパー……敵に回すと恐ろしい。しかし味方にすると、これほど頼もしい男もいないだろう。
次の瞬間、バイパーの表情が変わる。地面の石ころを拾い上げたかと思うと、凄まじいスピードで投げつけた。
硬い物が柔らかい物に当たる、鈍い音……そして地上で何やらうめき声がしたかと思うと――
階段から何か重たい物が転げ落ちてくる音。そして二メートルほど先に、フルフェイスのヘルメットを被り、自動小銃を持った者の姿が……どうやら、意識はないようだ。そして胸には石がめり込んでいる……マットはこんな状況であるにも関わらず、笑ってしまった。石を投げて武装兵を仕留める……なんというデタラメな男なのだろうか。バイパーに武器は必要ないのかもしれない。身一つあれば、小さな国の大統領くらいは暗殺が可能なのだろうか。
「マット……何笑ってんだよ……笑ってる場合じゃないぜ。これからどうするんだよ……」
ビリーの呆れたような声。確かにその通りだ。笑っている場合ではない。まずは、ここからの脱出の手段を考えなくてはならない。幸いなことに、今の一投のおかげで向こうもこちらの手強さを理解したらしい。妙に静かだ。
いや、これは?
「みんな逃げろ!」
マットが叫ぶ。次の瞬間、転がってくる金属の固まり。恐らく爆弾だ。マットはとっさに、マリアを抱えて走る。しかし、ビリーだけは微動だにしなかった。落ち着いた表情で、水筒の中身をぶちまける。中の液体は生き物のように爆弾を覆い、ボールのような形になる……。
次の瞬間、水のボールに包まれた爆弾は、ひとりでに地上に飛んでいき――
破裂した。
「ビリー……今のは、お前がやったのか……」
呆然とした顔で呟くマット。まさか異能力者だったとは……。
「説明はあとだ。マット、これからどうする?」




