バイパー、再会する
古い地下鉄跡……そこでバイパーは息を殺し、ほふく前進で移動していた。子供たちは、モニカとともに隠れている。たき火は消したものの、匂いは残っていた。もし誰かがここに来たなら、人の生活の痕跡にすぐさま気付くことだろう。
さっき地上から聞こえてきたのは、間違いなく銃声だった……ここから遠くない場所で、誰かが発砲したのだ。ホークが言っていた、ポタリアを快く思わない連中が派遣した何者か……そいつらが来たのかもしれない。バイパーは階段――地上に通じる階段だ――の近くにある巨大な柱の陰に身を隠した。そして神経を集中させ、外の様子に気を配る。その時、
「ねえ……敵は何人いるんだい?」
不意に耳元で聞こえてきたモニカの声。バイパーは思わず飛び上がりそうになった。地上の方に神経を集中するあまり、他がおろそかになっていたようだ。いつの間にか、モニカが近寄って来ていたのにも気づかなかった。もっとも、魔法を使い音もなく近づいたのかもしれないが。
「モニカ……あんたは子供たちの所にいてくれ。戦うのはオレの役目……オレ一人で充分だ」
「その前に一つ聞きたいんだけど……あんた、本気であたしたちに味方してくれんのかい?」
「ああ」
「何でだい? 理由を教えとくれよ……でないと、あんたを信用できない。あたしはね、もう二度と裏切られたくないんだよ……」
モニカの表情はきわめて真剣だった。そして不退転の意志も感じられる。答えを絶対に聞き出すという意志……バイパーはため息をついた。
そして、小声で答えた。
「オレも小さい時、親に捨てられ……研究所で薬漬けとナノマシン漬けにされた挙げ句……殺し合いばかりさせられたからだ」
「……わかった」
「あともう一つ。前に知り合ったおっさんが、オレに言ったんだよ」
「何を?」
「おっさんてのは若い娘の前でいいカッコすることに命懸けるんだ、って言ってた……本当にしつこいおっさんだったよ……」
バイパーがそう言ったとたん、プッと吹き出す声が聞こえた。
「何だいそりゃあ……あんた顔の割に面白いこと言うね」
「余計なお世話だ。お前だって――」
人の顔のこと言えんのかよ、と続けようとしたが言葉を止めた。代わりにモニカの顔を睨む。モニカは恐れる風もなく、見つめ返してくる。写真で見た、無気力で幸薄そうな女はそこにはいなかった。目の前にいるのは、自分が何者であるかを理解し、どこに向かい何をすべきかを自分の意志で決めた女だった。バイパーは思わず目を背ける。彼女が眩しかった。決して美女とは言えないモニカ……だが、バイパーは彼女を直視出来なかった。
その時、何かが動く気配……バイパーの体は、一瞬にして戦闘モードに移行した。闇夜の中でも、バイパーの目は昼間のようによく見える。地上から、何者かが近寄ってくるのが見えるのだ……。
見覚えのある男だ。大柄で骨太の体、曲がった鼻と潰れた耳。間違いない、あのマットとかいう男だ。そばには小さな犬がいる……あの時、自分の足元で狂ったように吠えていたブルドックだ。マットには、こちらの姿は見えていないらしい。もっとも、ブルドックはこちらの存在に気づいているのかもしれないが。ブルドックは時おりこちらを見ては、マットに何か言いたげな視線を向ける。だが、マットは気づかない。
「おっさんよう……ここに何しに来たんだ?」
バイパーは思わず呟いていた。もし奴が、ポタリアの敵に雇われているのなら、殺さなくてはならないだろう。
マットは階段をゆっくり降りて来た。奇妙な形の拳銃を構えている。身のこなしも自然だ。訓練を受けた者の動きである。隣にいるモニカが何やら動こうとしたが、バイパーは片手で制した。まだ動くタイミングではない。奴が敵なのか味方なのか、それを確認したい。
その時、マットの後ろから近づく者がいる。バイパーの体に緊張が走った。しかし――
「マット、こんな所で何やってんの? さっさと帰ろうよ。さ、おいでロバーツ……おうちに帰ろうね」
少女――あの時、ナイフで斬りかかってきた双子の片割れだ――は大きな声でそう言うと、ブルドックを抱き上げようとする。しかしブルドックは、素早い動きでその腕をすり抜ける。そして階段を一気に走り、地下に降りてきたのだ。
そして、バイパーたちの目の前で立ち止まる。
「ロバーツ、どうした?」
上から声がする。しかしブルドックは声を無視し、じっとこちらを見ている。お前たちは何をしているんだ? とでも言わんばかりの様子で、じっとバイパーとモニカを見つめているのだ。すると突然、モニカが動いた。
「な、何こいつ……可愛い……凄い可愛い!」
いかつい顔、そして立派な体格に似合わない声を出し、モニカはブルドックに抱きついた。頭を押さえ、天を仰ぐバイパー。
「あんた誰だ……そこで何やってる?」
マットの間の抜けた声。こうなっては仕方ない。バイパーは立ち上がり、両手を上げて姿を表した。そして――
「撃つなよ、おっさん……オレだ、バイパーだ。オレのことは覚えてるだろ。オレはあんたらと争う気はない。ちょっと来てくれ」
・・・
ビリーは息を殺し、草むらに身を潜めていた。横にいるマリアも、同様の姿勢だ。
先ほど、人面犬があらぬ方向に走っていくのが見えた。恐らく、水滴が気管だけでなく鼻にも入り込み、嗅覚を狂わせたのだろう。二人の存在に気づかぬまま、人面犬はすぐそばを通り過ぎて行った。
そして銃声……かすかではあるが、間違いない。何者かが、あの人面犬を射殺したのだろう。あるいは弾丸が外れて、人面犬に食われたか……だが、人面犬が戻って来る気配はない。断定はできないが、人面犬は撃ち殺されたのだろう。
「びりりん、どうするのであるか?」
マリアの不安そうな声。そう、いつまでもこうしてはいられないのだ。マリアを無事に帰さなくてはならない。何よりもまず、状況を把握しなくてはならないだろう。ビリーはゆっくりと立ち上がり、周囲を確認する。とりあえず、月明かりのみが頼りだが……人の姿も人外の姿も見えない。ビリーはマリアに、立ち上がるよう指の動きで合図した。マリアはうなずき、静かに立ち上がる。
静かだ……ビリーは違和感を覚えた。上手く言えないが、何かがおかしい。では、どこがおかしいというのだろう? ビリーは考えた。そして気づく。
静か過ぎるのだ。いつの間にか、虫の声も消えているのだ。ビリーとマリアが立ち上がると同時に……いや、その少し前から消えていた。
どういうことだ? ビリーは辺りを見渡す。次の瞬間、ようやく異変の正体に気付いた。遠くの方から、何者かが徒党を組み、こちらに近づいて来るのが見える。距離はだいぶ離れているが、全員が異様な格好をしているのが、ここからでもはっきり見てとれる。原始人のような毛皮の服、片手には松明、そしてもう片方の手には、こん棒や石斧のような物が握りしめられていた。数ははっきりとはわからないが、少なくとも十人以上はいるようだ。
「おいおい……オレたちはいつの間に、石器時代にトリップしたんだ?」
ビリーは呟きながら、マリアの手を引き後退りする。どう見ても、歓迎してくれている雰囲気ではない。向こうもビリーたちに近づくにつれ、威嚇するかのように手にした武器を振り上げたり、何やらわめいたりしている。
「びりりん……どうするのであるか? 戦うのであるか?」
マリアが不安そうに尋ねる。ビリーは一瞬、迷ったが――
「面倒くせえなあ……戦わない。戦ってられるかよ……逃げるぞマリア!」
言うと同時に、マリアの手を引き走り出す。凄まじい勢いで、かなりの距離を一気に走り抜け――
だが次の瞬間、地面が消えた。踏みしめていた大地の感触……それが一瞬にして消え去る。そして二人は、深くえぐれた地面に落下した。
「いてて……どうなってんだよ、こりゃあ。おいマリア、大丈夫か?」
顔をしかめながら、ビリーが尋ねる。
「だ、大丈夫である……それにしても奴ら、追ってこないのである……」
マリアも立ち上がり、あちこちに付いた汚れを払いながら答える。確かに追っかけてくる様子がない。
「どうやら、ここには何か秘密があるらしいな」
ビリーとマリアは、飛行機の墜落場所に来ていたのだ。夢中で走っているうちに着いてしまったらしい。
ビリーは注意深く辺りを見回したが、バイパーらしき者の姿は見えない。あの銃声はバイパーの仕業ではないかと思っていたのだが……もしかしたら、奴は目的を果たして引き上げたのかもしれない。しかし――
待てよ……じゃあ、奴はどのルートを通って引き上げたというんだ?
そうなのだ。ビリーとマリアは最短距離を通ってここに来たはず。なのに鉢合わせしていない……つまり、バイパーはまだこの近辺にいるということか、あるいは、わざわざ遠回りをして街に戻ったか……いや、何のために遠回りをするというのだろう。やはり、バイパーはまだここにいる……そう考えるのが自然だろう。
ビリーは飛行機の残骸の中に入り、腰を下ろした。マリアも入って来て、隣に腰を下ろす。なぜマリアが付いて来るのか、ビリーには未だにわからない。そもそものきっかけは、食堂でのバーニーとの会話だった。ギース・ムーンという男と会ってみたいとの思いが生まれ……そして店を出たとたん、マリアが付いて来たのだ。そして一緒に行動するようになっていた。
その後、マリアのお陰でギースとの接触に成功した。しかも、なぜかギースに気に入られてしまったようだ。さらに、ガロードとも会うことができた。
全ては、マリアがいてくれたからだ。
「マリア……お前には本当に世話になったな。ありがとう」
「び、びりりん……何を言って――」
「オレはびりりんじゃないぜ、ビリーだ。なあ、呼んでみてくれよ。ビリー、って」
「し、知ってるである。でも……呼びたくないのである」
マリアはもじもじしながら目を逸らした。マリアのそんな表情を見るのは初めてだ。一見、照れているように見える。だが、ビリーには分かっていた。
「なあ、マリア……ここは研究所じゃない。お前はもう自由なんだ。人にあだ名を付けて呼ぶ必要もない。お前は――」
ビリーは言葉を止めた。そしてため息をつく。今ここで、無理に呼ばせる必要はない。今はまず、ここから無事に生還することだけを考えよう……。
・・・
「つまり……一億ギルダンの話は……デマだったんだね……」
悔しそうな表情で、言葉を絞り出すユリ。拳を握りしめ、体を震わせる。今にもバイパーに殴りかかりそうな雰囲気だ。マットはさりげなく、二人の間に入った。
「そうか……それにしても、まさかこんな場所で生活してる子供たちがいようとはな……」
そう言いながら、マットは子供たちの方を見た。子供たちは、ブルドックのロバーツと楽しそうに遊んでいる。ロバーツは走り回ったり、腹を見せて寝転んだりと大はしゃぎだ。子供たち――それにケイも――は楽しそうにキャッキャッ笑っている。
「子供たちのあんな表情見たの初めてだよ。それにしても、あの犬、本当に可愛いね……」
目を細めながら、呟くモニカ。心ここにあらずといった様子だ。今すぐ話を切り上げ、自分もロバーツと遊びたい……そう思っているのが、はたから見ていてもわかる。いかつい骨太の体をうずうずさせている様は滑稽で、マットは笑いをこらえながらバイパーを見た。バイパーは困った顔をしながら、モニカを見ている。
「なあバイパー……お前さんに一つ聞きたい。お前さん、雇い主を裏切る気なのか?」
「ああ、そうなるな……」
「なんでまた、そんなことを?」
「……さあな」
プイッと横を向くバイパー。すると、モニカが口を挟む。
「こいつ、あたしに惚れたんだってさ。あたしのために雇い主を――」
「んなわけねえだろ!」
睨みつけるバイパー。確かに、モニカはお世辞にも美女とは言えない。彼女のために、それなりの権力を持つ雇い主を裏切るとは思えないが……。
いや、裏切るかもしれないな。
マットは、バイパーと言い合うモニカの顔を見つめた。右半分を青あざに覆われた、いかつい顔は美しいとはいえない。しかし、こんな人外の蠢く場所で、身一つで子供たちを守り、子供たちに頼られてきたモニカの表情からは、自信と器の大きさが感じられた。単純な美醜を超えた、人間としての魅力があった。マットはふと、エメラルドシティの半分を治めているギャング『虎の会』のボスであるタイガーのことを思い出した。直接会ったことはないが……タイガーも、ひょっとするとこんなタイプなのかもしれない。
そしてマットは、子供たちに視線を移した。全員、体の一部がないのだ。片腕がない子、両足がない子、目に布を巻いている子……全員、人外の餌にされるために、Z地区に捨てられたのだという。何者が始めたしきたりかは知らないが……哀れな話だ。マットは口を開いた。
「なあモニカ……ここは子供たちが生活するには、良い環境とは言えない。みんなで引っ越さないか? ガン地区とかだったら、暮らせる場所はあるはずだ」
「それができりゃあ苦労しないよ……見てよ、あの子たちの体を。あれでガン地区まで歩けると思うかい? この人外だらけのZ地区を抜けて……無理だね」
「今はバイパーがいるだろう。オレたちも手伝う。みんなで街に行こう――」
「ちょっと待ちなよ。マット、あたしは手伝わないからね。金にもならないのに、何でそんなことしなきゃならないんだい」
不意に口を挟むユリ。そのとたん、モニカの表情が険しくなる。
「ガキは黙ってな。誰もあんたにゃ頼んでないよ。ガキはおうち帰って、お人形遊びでもしてな」
「んだと! 殺されたいのかババア!」
ユリが罵声を返す。その言葉に反応したのは、意外にもバイパーだった。低く唸ると同時に立ち上がる。しかし、マットが間に入った。
「おいおい、待て待て……ユリ、ちょっと来い。二人で話し合おう」
「あたしはやらないよ! そんな金にもならないようなこと、何でしなきゃならないんだい!」
ユリは恐ろしい剣幕で怒鳴りつける。マットは彼女をなだめながら、どうやって説得しようか考えていた。ユリは今まで、あの街でさんざん騙されてきたのだろう。仕事はしたものの報酬はなし、なんてことは……エメラルドシティでは、よくある話だ。
そんな目に何度も遭ううちに、金にシビアになった……それもまた、エメラルドシティではよくある話である。さらにユリの場合、若さと女であるという理由から、さんざんバカにされてきたのだろう。結果、ナメられまいと肩肘張って生きるようになってしまったのだ……マットはため息をついた。そして――
「だったら……オレがお前らを雇う」
「はあ!? あんた一文無しじゃないか! どうやって金払う気だい!」
「金は無いし、払うこともできない。だが、その代わりに……オレがガロードを殺す。それでどうだ?」
「……何言ってんだよ。あんたにガロードを殺せるわけが――」
「ああ、難しいだろうな。だが何年かかろうとも、オレが仕留める」




