ビリー、苦労する
バイパーは歩き続け、ようやくZ地区の墜落場所に辿り着いた。ここに来るまでに二回、何者かの襲撃を受けているが、両方とも返り討ちにした。襲撃者はどちらも人間だったが。Z地区は人外が支配する場所、との噂を聞いていたのだが……人間も少なからず生活しているらしい。
アスファルトと土、瓦礫と樹木。人工的な物と自然の物が混在し、不気味な光景を造り出しているこの場所を、バイパーは一人進んで行く。飛行機の墜落場所は歩いても行ける場所だという話だったが――
その時、バイパーは違和感を覚えた。足を止める。何者かが自分を見ている。息を潜めて、こちらの様子をうかがっているのだ。
バイパーはゆっくりと辺りを見回す。何者かの気配を感じる。しかも、これは人間ではない。人外の匂いだ。バイパーはこれまで数多くの人外を狩ってきた。人外の発する匂いは嗅ぎ分けられる。
もちろん、実際に匂うわけではない。あくまで感覚的なものだが。
「そこの人間……お前は何をしに来たんだ?」
声と同時に瓦礫から現れた者、それは……明らかに人間とは思えない外見をしていた。角の生えた頭。獣じみた不気味な顔。全身から生えている、異常に濃く長い体毛。長い両腕。その上、足にはヒヅメが付いている。
「ただの探し物だ。お前には関係ない。失せろ」
バイパーは答えると同時に、低い姿勢で構える。武器といえば、ポケットに入っているナイフくらいだ。これは不利である。だが、どうやら逃げられそうにもない。目の前の男――オスと呼ぶべきか――の剥き出しになった両足は、まるで競走馬のような逞しさだ。ごていねいにヒヅメまで付いており、走ることに特化していることは容易に想像できる。
「悪いが、ここは人間の縄張りじゃない。お前が失せろ……でないと、オレの夜食になってもらう」
そう言うと、男は不気味な笑みを浮かべる。口からは、肉食獣のような牙がのぞいた。どうやら足は草食獣、牙は肉食獣のようである。ふざけた合成だという考えが、バイパーの頭をかすめる。
「ほっといてくれ。オレは忙しいんだよ」
言いながら、バイパーはゆっくりと男、いや獣人に近づく。厄介そうな相手だが、おとなしく通してくれそうもない。ならば殺す。バイパーはナイフを抜き、低く構えた。
「そんなもんでオレと戦おうってのか? 止めとけ止めとけ。お前に勝ち目は無いんだよ。勝ち目が無いのに戦うのは……キチガイのすることだ」
その言葉を聞いた瞬間、バイパーの脳裏にある男の姿が浮かんだ。
「そうだよな……勝ち目が無いのに戦うのは、キチガイだよな……でも、そういうのは嫌いじゃない」
言うと同時に――
バイパーは猛然と襲いかかった。
バイパーは一気に間合いを詰め、ナイフで喉を切りつける。
だが、獣人の横殴りの一撃。それが腕に炸裂し、ナイフが手から離れて飛んでいく……さらに、横殴りの一撃が襲う。力任せの、何の技術もない攻撃ではあるが、人一人の命を奪うには充分な威力だ――
しかし、バイパーの反応は早い。力任せの大振りの一撃を低い姿勢でかわす。同時に両足めがけてのタックル……人間離れした突進力でぶち当たる。バイパーの肩の筋肉が獣人のみぞおちに当たり、打撃技と同じ効果をもたらす。息がつまるような衝撃に、顔を歪める獣人……。
だが、バイパーの攻撃は止まらない。そのまま、凄まじい腕力で一気に引き倒す。
「何?!」
獣人の口から洩れる、驚愕の叫び。だが、それが彼の発した最後の言葉となった。相手を引き倒すと同時に、既に立ち上がっていたバイパーの喉元への全体重をかけた踏みつけ……獣人はバイパーの一撃で、不気味な声を上げる。だが、バイパーは容赦しない。更なる一撃……全体重を足に乗せての一撃を見舞う。
次の瞬間、驚愕の表情を浮かべたまま……獣人は絶命した。
バイパーは冷たい表情で、かつて獣人だったものを一瞥する。そして向きを変え、歩き出そうとした。
その時、バイパーはまたしても異変を感じた。立ち止まって周囲の様子をうかがう。すると――
遠くの方から、何者かが接近している。恐らくは人外だろう。それも一人ではない。三人、こちらにゆっくりと近づいて来ている。バイパーは舌打ちした。ここは戦う状況ではない。幸い、今回は距離がだいぶ開いている。
次の瞬間、バイパーは一気に走った。ここは逃げるのが最善手だ。いくらなんでも、この状態で三匹を相手にするのはキツい。仮に勝てたとしても、無傷では済まないだろう。バイパーはあらんかぎりの力を振り絞り、瓦礫に覆われた道を駆け抜けようとしたが――
大きな羽音。上空で何か大きなものが自分を追い越して行った気配。そして目の前に、鳥と人間を無理やり合成させたような生き物が降り立つ。鳥の頭と巨大な羽根、羽毛の生えた体……バイパーは素早く後ろに飛び退いた。
不気味な表情で、じっとこちらを見つめる獣人……いや、鳥人。そして後ろからは、こちらに迫る足音。
「このチキン野郎が……」
バイパーは低い声で毒づき、目の前の敵に襲いかかっていった。
・・・
あちこちで色々やらかして疲れきり、宿屋で熟睡していたビリー……だが、携帯電話の震えと同時に、瞬時に飛び起きた。
「どうしました?」
(お前に依頼されていた件だがな……そのバイパーという男は、ギルガメス国の実業家であるポタリアとかいう男が裏で手を回し、刑務所から出したらしい)
「ポタリア? なんでまた……」
ビリーは素早く考えを巡らす。ポタリア……ギルガメス国……バイパー……そしてエメラルドシティ……これらは、どう繋がるというのか。
(ところでビリー……噂のギース・ムーンとは接触できたのか?)
「ええ、一応は。ただ、あの男はどうでしょうかねえ……やる気というか、覇気がないんですよ。他の誰かと組んだ方がいいんじゃないかと――」
(私の考えが間違っていると言うわけか? お前はそう言いたいのか?)
「い、いや違いますよ……オレはただ、あのギースって男はどうにも――」
(こちらでもいろいろ調べたが……ギースは頭がキレるらしいし、仕事も完璧にこなすという話だ。おまけに、エメラルドシティ最強の男のマネージャーでもある。もう一度、ギース・ムーンと接触するんだ。奴と手を組めば……我々はエメラルドシティに拠点を築ける。我々の国を……能力者たちの国家を建設できるんだ――)
「はい、わかりました……あれ、電波が悪いな……すみません……電波の調子……が悪い……」
その言葉と同時に、ビリーは電話を切った。
「やれやれ……面倒くさい女だね、まったく」
呟くと同時に、もう一眠りしようと横になる。何せ、ベッドはマリアが占領しているのだ。ビリーは硬い床の上で寝ている状態である。寝心地の悪さは最上級だろう。さらに、時おり外から聞こえてくる、悲鳴とも罵声ともつかない叫び声……その度に目が覚める。この状況でぐっすり眠るには、それなりの経験と才能が必要だろう。そして幸か不幸か、ビリーにはここで眠れる才能はなかった。彼は面倒くさくなり、起き上がる。
その時、またしても震え出す携帯電話。今度は別の知り合いだ。
(バイパーがZ地区で目撃されたらしい。どうやら、飛行機の墜落地点に向かっているようだ)
「墜落地点? ああ、そんな話を聞いたなあ。一億ギルダンがどうたらこうたらとか……どうせデマだろうけどな、って……まさかバイパーの奴、その一億ギルダンが目当てなのか?」
一億ギルダン回収のため、バイパーを刑務所から出して向かわせる……いや、あり得ない話だ。バイパーが一億ギルダンを手にしたら、高飛びするに決まっている。そもそも、一億ギルダンは額としては……一人の重罪犯を刑務所から出すという、超法規的措置をとるほどのものとは思えないのだ。
となると……ポタリアという実業家にとって大切な何かが、飛行機に積んであった。が、飛行機は墜落。そこでバイパーを派遣した……大切な何かを回収するために。
(おいビリー……聞いてんのか?)
「ああ、聞いてるよ。しかし、どうも引っ掛かるな……オレも、その墜落地点に行ってみよう。なあ、その墜落地点まではどうやって行けばいいんだ?」
ビリーは早速、準備を始めた。手早く着替え、荷物をまとめる。そして、音を立てずに扉へ向かう。マリアを連れて行くつもりなど元よりない。マリアは部屋に置いて行く。
はずだったが――
「うがあ! ムカつくである! 妹をいじめてはいけないのである!」
いびきをかいて眠っていたはずのマリア……だが、声と同時に飛び起きた。寝ぼけ眼で辺りを見回す。そして、荷物を持ち扉から出て行こうとしていたビリーと目が合う。
そのとたん、マリアの目付きが変わった。表情も険しくなる。
「びりりん! こんな夜中にどこに行くのであるか?! 危ないのである! 夜は寝る時間なのである!」
「い、いやあ……ちょっと急な仕事でさあ……」
「仕事とは何であるか? マリアも行くである」
そう言うと、マリアは寝起きとは思えない身軽な動きで、ピョンと立ち上がった。そして身支度を始めだす。
ビリーは天を仰いだ。まさか、こんなことになろうとは……だが、そんなビリーの思いをよそに、マリアは着替えた。そして……いきなり歯を磨き始める。ビリーは一瞬、この隙に一人で行ってしまおうかと考えた。Z地区にマリアを連れては行けない。下手をすると……バイパーと殺し合う可能性もあるのだ。正直、バイパーを相手にしたら勝ち目は薄い。しかも、バイパーはマリアだろうが誰だろうが、容赦しない男のはずだ。
しかし、そこで思い出したこと……それはかつて、ジュドーとその部下たちがギャングの事務所に殴り込みをかけた時の話だ。マリアはあっちこっち駆け回り、ジュドーとその部下たちを探し続けたのだという話を、先ほどアンドレから聞いている。
もし自分が姿を消し、マリアが探しに出たとしたら……非常にマズイ。マリアは何をしでかすかわからないのだ。もし自分が原因で、マリアに何かあったとしたら……。
マットに殺されるかもしれない。いや、殺された方がマシだと思うような目に遭わされるかもしれない。マット……奴は口にしたことは、必ず実行するタイプの男だ。
・・・
マットは慎重に進んでいた。辺りは暗闇に覆われている。人外の活動する時間帯だ。できれば、こんな時間にうろつきたくはなかった。しかし、ユリがどうしても行くと言ってきかなかったのだ。放っておけば、一人でも行きそうな雰囲気だったため、マット、ケイ、そしてロバーツの二人と一匹も来ているのだ。ケイは黙ったまま歩いている。ロバーツもまた、静かに付いて来ている。ロバーツは黙っていろと命令されたら、ずっと黙っていられる犬なのだ。そうでなかったら、とっくに誰かに食べられていただろう。
突然、マットは足を止めた。死体を発見したのだ。全裸の中年男である。首と鎖骨の辺りに、何か強烈な一撃を食らい、砕かれた痕がある。
「何なんだい、このオヤジは……」
マットの耳元で、近寄って来たユリが囁いた。
「こいつは……人外かもしれん。死ぬと、人間に戻る奴がいるらしいからな」
「ねえ、これ誰に殺られたんだろう?」
「恐らく、あのバイパーとかいう奴の仕業だろう」
「あいつが? 何でそんなことわかるの?」
ユリは驚愕の表情を浮かべ、マットに尋ねた。
「この傷は一見、鈍器か何かで殴られたものに見えるが、恐らくは人の足……蹴りによるものだ。人外を蹴り殺せるなんて奴はバイパーくらいのもんだろう。しかも、殺した後にまっすぐ墜落地点に向かっている。バイパーの仕業と見て間違いない」
「てことは、あのゴリラはだいぶ先に行ってるってこと?」
「ああ……そうなるな」
「だったら早く行かなきゃ! ぐずぐずしちゃいられないよ! 早く追いつかないと!」
言うと同時に、駆け出そうとするユリ。だが、マットが腕を掴み、強引に引き戻す。
「待てよ……このまま行こう。バイパーに先行させておくんだ」
「何でだよ?!」
「バイパーが綺麗に掃除した後を、オレたちが歩けるからさ。そうすれば、オレたちの危険は最小限で済むだろう? オレたちは……最後に一億ギルダンを手にすればいい」
「なるほど……マット、あんた意外と頭いいね」
感心した様子のユリ。だが、マットは心底からそう思っていたわけではない。マットの目的は一億ギルダンではなく、双子を無事に生還させることだ。そのためには、何よりもまず慎重に動かなくてはならなかった。
一行は慎重に進む。途中、さらに三人の死体を発見した。三人とも全裸で、素手による攻撃で命を奪われたような痕跡がある。マットは、バイパーという男の恐ろしさを痛感した。人外を四人、素手で殺したというのか。もはや人間のレベルを超えている。あの男なら、成長しきった白熊ですら、素手で首をへし折ってしまえるのではないだろうか。
だが、別の痕跡も発見した。血だ。どうやら、人間の血痕らしい。さすがのバイパーも傷つき、血を流しているようだ。
ならば……自分たちにもチャンスはある。いくらバイパーでも、人外四人と殺し合いをした後では……無傷では済まないだろう。傷は深くないかもしれない。だが、疲れは相当なものだろう。動きも多少は鈍くなっているはず。今なら、鉛玉をぶちこめば殺せる。
マットは改造拳銃を取り出した。軽い。だが、軽すぎるわけでもない。ちょうどいい重さだ。銃身は長く、弾丸も大きい。さらに、弾丸は独特の形状をしている。前の持ち主であるクリスタル・ボーイが特別に造らせた物らしい。この拳銃なら、バイパーが相手でも殺せるだろう。
マットは拳銃を構え、前に進んだ。タンの話が正しければ、そろそろ墜落地点に着くはずだ。この辺りのはずだが……などと思いながら進んでいくと、突然、数メートル先の地面が消えていることに気づく。飛行機の墜ちた衝撃により、地面が大きく削れて、崖のようになってしまったのかもしれない。
マットは少しずつ進み、消えている部分をのぞきこんだ。
下に見える光景……それは悲惨であった。かつては旅客機だったはずの物が、巨大な鉄屑と化してバラバラになり、禍々しい姿を晒している。様々な物が散らばり、転がり、腐り、そして自然の生み出したものに覆われ……呑み込まれていた。
さらに、白骨が転がっているのも見える。肉食獣と虫の共同作業のなせる技なのか、綺麗に肉や内臓が剥がされ、まるでどこかの骨格標本のようだ……だが、死体と呼べそうなものは、その一体くらいしか見当たらない。
「妙だな……死体はあれだけか?」
マットは思わず呟いていた。この場所には、タイガーが武装した者たちを差し向けたと聞いた。そしてマスター&ブラスターも、部下を差し向けた、とも聞いた。その結果、一人も帰らなかったとも……では、その連中はどこに行ったのだろう? 仮に、その全員が死んだのであるならば、それをもたらしたのは何者なのだ?
そしてバイパーは……今どこにいる?




