灯
「何時になったら着くんだよ……」
俺は高二の秋――住み慣れた高層ビルだらけの都会から離れて、紅葉シーズン真っ盛りのカエデの木々の中を歩いていた。
「親戚の家に行くぞ」
父親がそう宣言した時から面倒だなと思ってはいたが、まさかこれほどとは予想だにしなかった。
その親戚の家はかなりの山奥にあるらしく、途中で「この先は車では行けないから歩きだよ」と言われたときは本気で帰りたくなった。
確かに三色――紅・黄・橙――で彩られたカエデのトンネル。その隙間から差す日光は煌めいて見えて、都会のイルミネーションとはまるで違う、自然の美しさというものを感じて、すごく新鮮で楽しかった。
だが、それも一時間以上同じ景色となると話が変わってくる。いい加減に飽きるし、舗装されていない山道を歩くのはスニーカーの様な歩きやすい靴であっても非常に疲れる。
「あと十分位よ」
「まだ十分もあるのかよ……」
前方を歩く母親からの返答で、もっと疲れが増した気がしてきた。しかも前方にはまだ紅いトンネルが続いていて、家らしきものは一切見えないのだから嫌になってくる。
「せめて車で通れるように舗装ぐらいはしようぜ……」
それが俺の本音だった。
スニーカーの中に熱がこもって足がアツいし、早く脱いで座り込みたいと思いながら歩き続けていると、全体的にこげ茶色をした小さな家の前に着いた。見るからに歴史がありそうで、中央には引き戸――横にずらして開閉する扉――がある。
「来たぞ~」
父親はそう言いながら戸をあけて家の中に入って行くが、俺は鍵がかかっていないことに驚いて立ち止まってしまった。
「ド田舎だから」
盗みなんて気にしないのよという母親の言葉に一瞬納得しかけたが、果たしてそういう問題なのだろうか。
「早く入りなさい」
母親に呼ばれて半ば急かされながら家の中に入った。
玄関でスニーカーを脱ぐと足がひんやりとして涼しい。ささやかな解放感を味わいながら、軋む廊下を進むと父親がグラスをあおっているのが見えた。心なしかその頬にはほんのりと赤みがさしているように思える。
――いや、気のせいだろう。気のせいだと思いたい。
「いやー、酒が旨いですなぁ」
「そうでしょう、そうでしょう! ささ、こちらもどうぞ!」
聴こえてくる会話からすると予想が当たってしまったようだ。肩を落としながら居間に入ると父親とおじさんがこたつに向かい合って座り、酒を互いに注ぎ合っていた。
――果たして帰りは誰が車を運転するつもりなのだろうか。次々と運ばれてくる酒に呆れて何も言えなかった。なんにせよ、ずっと立っているのは辛い。俺はおじさんにあいさつをするとこたつの中に足を入れた。しかし、そこにはあるべき床が無く、熱を足の上からではなく下から感じる。不思議に思ってこたつの中を覗いてみると、床が四角くくぼんでいて下に囲炉裏があるのが見えた。
「掘りごたつだよ」
笑い声と共に頭上から降ってきた言葉に頭をこたつから出すと、おじさんが“囲炉裏で下から暖めるこたつ”と教えてくれた。
……なるほど、温かい空気は下から上に行くのだから効率的かもしれない。古くからの知恵に感心しながら辺りを見渡す。
まず目が行くのは壁にかかった大きな柱時計。その針は五時を指している。普段なら夕食を考え始める時間だ。その横には古そうな黒いテレビが置いてあるが、流石に白黒テレビということは無いだろう。多分。
そんなことを思案していたらおばさんが襖を開けて隣の部屋から出てきた。その部屋の奥に女の子の写真が飾られているのがチラリと見えた。……おばさんの若いころの写真だろうか。
深夜、俺はおじさんの家で目が覚めた。理由は簡単、隣でいびきをかいている父親のせいだ。元より飲酒運転をさせるわけにはいかないし、際限なく注がれる酒を飲み続けて酔いつぶれてしまったので泊まることとなった。
もう一度寝ようかとも思ったが、いびきが五月蠅すぎて到底眠れそうにない。諦めて上着を羽織り、懐中電灯を片手に家の外に出た。
寒い。外に出ると冬かと思うような寒さに身震いした。辺りに光などないので真っ暗だ。昼間に感じた色彩豊かなカエデの木々もただの闇と化し、代わりに空には満月と、都会とは比べ物にならない量の星が輝いている。ふと視線を戻すと、カエデの木々の中に人のような何かがボンヤリと見えた気がした。俺はそれに招かれるように林の中に入って行った。
「あっ」
木の根に躓かないよう懐中電灯で足元を照らしながら注意して歩く。一人の少女を見つけた。その手には明かりの類は無い。こんな暗闇でどうしたのだろうか。
「こんばんは」
綺麗なソプラノボイスだ。……じゃなかった。
「こんばんは。こんなところで何をしているんだ?」
「散歩」
散歩か。なるほど、それなら納得……できるか~と思ったが、俺も散歩している一人だということを思い出した。
「あなたも散歩……?」
その質問に頷くと、彼女が考え始める。
やがて何か思い付いたのか、手を叩いた。
「そうだ、私のお気に入りの場所に連れてってあげるよ!」
早く行こう。そう言って彼女が俺の手を引いた。寒さのせいか彼女の手は冷たく、まるで死人の様にさえ思える。
少女に連れられていくと、かすかに水の流れる音が聞こえてきた。
「ここの川に住んでいるの」
彼女が手を離すと前に歩いていく。暗いせいでとても分かりにくいが、すぐそこに川があるようだ。
「何が?」
「蛍」
微笑む彼女の周りに無数の黄色い光が集まってきている。こういう光景を幻想的というのだろうか。俺は懐中電灯の光が安っぽく思えて、懐中電灯の電源を切って座り込んだ。
人工の光が消えると、辺りは黒の中に黄色い灯りが点々とするだけになった。
「ねぇ」
それに何か思うことがあったのだろうか、彼女が話しかけてきた。
「この子たちがどうしてここに居られると思う?」
蛍は水が綺麗なところにしか住まないのだから、それが理由だろう。
……だが、彼女の答えは違った。
「私はね、人が来ない場所だからだと思うんだ」
顔がはっきりとは見えないが、その目は上を向いてどこか遠くを眺めているように思えた。
「人が踏み荒らしちゃいけない領域……ここもその一つだと思ってる」
だからこの辺りに車道がないんだよ。そう語る彼女の言っていることが、辺りに広がる灯りを見ているとわかるような気がしてきた。
どれぐらい時間がたったのだろう。気が付くと東の空が明るくなってきた。
「もう時間だね……」
じゃあね。そう聞こえたと思ったら彼女の姿が無くなっていた。どれだけ探しても見つからない。帰ったのだろうか。
家に戻ると父親が車に荷物を積んでいる脇で、母親とおばさんが何か話し込んでいるようだった。
「どこ行っていたんだ?」
「近くの川で女の子と蛍を見てた」
「蛍? 今は秋だぞ?」
寝ぼけているのかという顔の父親と裏腹におばさんが納得顔だった。
「あかりに逢ったんだね」
そこへ頷きながらおじさんがやってきた。
「あかりは本当に蛍が好きで、よくあの川に行っていたんだよ」
「死ぬ間際まで、そこにいたぐらいだからねぇ」
「今でも蛍を見ているんだろう」
二人ともどこか嬉しそうな顔をしていて、俺は何も言うことができなかった。
帰りの車内で後ろに座ってボンヤリと今朝の事を考えていた。彼女はあそこで何か俺に伝えたかったのだろうか?
「良いんじゃないの?」
そんな俺を見た母親が助手席から顔を出して、声をかけてきた。
「カエデの花言葉は『大切な思い出』なんだから」
綺麗な思い出として取っておけばいいのよと言ってくる母親に、どうして突然そんな話になったと言い返したかったが、それも一理あるのかもしれない。
「明日からは勉強生活に戻るんだから」
「うわっ!?」
自分の気持ちに整理をつけていた俺にとって、それは死の宣告と同義だった。
そして両親に笑われながら、珍しい体験の二日間が終わった。
――本当にありがとう。蛍、綺麗だったよ。
背後の綺麗なカエデの山に向かって、お礼を言った。
読了ありがとうございます。
この作品はホタルを幻想的に描きたいなぁと思いながら書いたものです。
少しでも、なにか何か思うものがあってくださいましたら幸いです。