おそうしきにて
書きなぐりました
近しい親族と仲の良い友人だけで済まされた、簡素な葬式が終わった。
一時間ほどだったが、その間泣く人間は私の隣の少女しか居ない。むしろ式場には、死んだ彼女を侮蔑し恨むような、そんな雰囲気さえあった。
かくいう私もそんな1人だった。侮蔑してはいないが恨んでいる。私1人を残して死んでしまうなんて、酷すぎる。式の途中、ポケットから取り出して飴玉を口に放り込んで舌で転がしていたが、落ち着く事はなかった。
三々五々に散った真っ黒な大人達。私もそれに紛れて式場から出ようとして――少女が1人でパイプ椅子にうずくっているのに気が付いた。立ち止まる私に大人達が迷惑そうな視線をぶつけてきたのでささやかな反抗として敢えてぶつかりながら式場に戻る。
愚痴でざわつくロビーとは裏腹に、式場は静かだった。空調の音とすんすんと泣く声しか聞こえない。
彼女の後ろの席に陣取るとパイプ椅子が喧しく音を鳴らした。
彼女は少し震える声で言った。
「皆バカにしてるんだよ。死んだのに。酷いわ」
「…人それぞれなんじゃないかしら。少なくとも私はバカにはしてないわ」
「うん…」
そう呟くなり、彼女はまたすんすんと泣き始めた。
慰めるつもりで、そうして半分の下心を持って指で髪を鋤く。長い黒髪は絡み付かず絹のようにさらさらと流れ、まるで重みがないようで。
いつか私がこの髪を切りたい。
そう思わせる髪だった。
佐田啓子が死んだのは数日前の事だ。
自殺だった。数ある方法から彼女が選んだのは最悪の方法――列車への投身だ。
駅を通り抜けようとする新幹線に向かって、彼女は奇声を上げながら飛び込む。一瞬だけ駅構内は時間が止まったように静まり返り、次の瞬間、その体は花火のように弾けて、人肉のミンチが夜の駅を真っ赤に染めた。
弾けて壁や柱にこびりついた肉片からでは個人は特定出来ず、女子トイレに置かれていた生徒手帳からようやく特定出来た。
……らしい。聞いた話だから私にはよくわからない。人が花火のように弾ける、その光景も浮かばない。ただ嘔吐した人もいるらしいから、それくらいに酷い有り様だったのだろう。
一度だけこっそり棺を覗いた。二度と見たいとは思わない、真っ赤な何かがビニールに包まれていた。あれが散らばっていたのだ。吐くのも納得だ。
厄介なのは、彼女が電車に飛び込んだ事だった。
彼女の家族は肉片の掃除に、新幹線の修理代、被害者(肉片を浴びた人とか)のケア、ダイヤの乱れによる遅延…等々、総額で数千万もの賠償金を支払う事になった。
恨まない人など、居るはずがないのだ。
葬式に来たのも、合わせて10人ほど。そして彼女の父母は来ていない。
死んでしまえばそれまで…という訳にはいかない。
結局彼女は自分が現実から逃げたいあまりに死に(私の私見だけれど)、どこまでもいつまでも他人に恨まれる事になる。
多分それは想像しうる限り、きっと最悪の結果だった。
式場からは泣き声が消え、空調の音だけが響いている。
私は重苦しい空気を引き裂くように、呟いた。
「今更だけど、私あなたの事嫌いじゃないわ。…むしろその逆ね。幼稚園の頃からずっとよ?髪だって顔だって全部そう。食べてしまいたいくらい」
「……」
「なのに酷いよ。勝手に一人で死ぬなんて」
少女は。
佐田啓子は、ゆっくりと振り向いた。
振り切れた笑顔はそれでも美しい。
死骸が肉片だなんて、微塵も感じさせないほどに。
泣き止むまでとは裏腹に、痛々しいほど明るく彼女は言う。
「私ね、ずっと一人だったの。友達だってあなた一人だった。家族は私なんて見てない。先生だって、カウンセラーの人だって私を見てないの。皆私をバカにしてるのよね。話すと分かるの。薄ら笑いを浮かべて、私が背を向けるとひそひそ酷い事を言うのだわ。あなただけが面と向かって話してくれた。優しくしてくれた。ありがとう。大好き。愛してる」
だけど、と啓子は言って、
「他の皆は大嫌い。私をバカにする人となんて居たくないわ。だから死んだ。だから大勢の人に迷惑がかかるように飛び込んだ。こんな私を産んだお父さんとお母さんに一番迷惑がかかるようにしたのよ」
狂ったように笑いながら啓子は話した。いや、きっと狂っている。彼女はいつから狂っていた。それに気付いていたら私は彼女が死ぬのを防げていただろうか。
――多分、そんな事はないのだろう。私は狂った彼女を見ていとおしさが沸くと同時に殺意が沸いた。気付いていたら私が我慢出来ずに殺していた筈だ。
だけど。
「だけど、生きていて欲しかったよ。生きてる啓子ともっと一緒に居たかった」
「あはあは。ありがとう。だけどね、生きているのは辛いの。あなたといられる幸せなんて霞んでしまうほどに辛いのよ」
啓子はそっと私の唇を撫でて、軽く自分の唇を触れさせた。目の前で涙に濡れたまつげが震える。
――啓子はそこに居るのだ。死んでも尚、私の傍に。
「甘いわ」
「…飴、舐めてるから」
「あ、そうなの」
啓子の指が私の指に絡ませられる。くすぐったいような感覚だった。
その指を見て気付いた。式が始まった頃には不透明だった彼女の体は、指先から徐々に色が薄れていく。
「私はもうすぐ誰にも見えなくなっちゃうけど、そうなってもあなただけはわたしを忘れないでね」
「…うん」
「すぐに死んじゃ駄目よ。生きて幸せになって」
「…啓子が言えた事じゃないでしょ」
「そうね。だから――」
先に行って待ってるわ、と
啓子は微笑みながらそう言って、私に深い口づけをした。
何時間にも思える長い一瞬が過ぎて目を開くと、そこに啓子は居ない。
手のひらと唇に残る温もりだけが、彼女がここに居た証だった。




