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僕とスキンヘッドと後

 陳腐な話をされた。それもスキンヘッドで強面の男が、失恋を経験して傷心して自分の恋愛話を語り始めたのだから、僕は一体どんな顔をしてその話に相槌を打てば良かったのか今でも判らない。ただ、僕はぽつりぽつりと吐き出していくスキンヘッドを最寄の喫茶店に連れ込んで、一杯四百五十円のコーヒーを奢る事になってしまっていた。

「涼子は、本当に可愛くてな」

「そうですね」

 僕は、水っぽいコーヒーを啜った。

 店内で流れているのは雰囲気にこれでもかと言うくらい似合わない、今人気が出てきているアイドルグループの曲だった。店内は薄暗いながらも落ち着いた雰囲気で、僕は何ともなしに、これは裸電球みたいな安心感があると思っていたけれど、この曲で全てが台無しになっていた。

「アンタも可愛いと思ったのか」

「否定はしませんよ」

 僕が素直に想いを吐き出したのは、スキンヘッドの会話に興味が無かったのもあるが、喫茶店のマスターも流れている曲に顔を顰めていたのを見て、これは壮年のマスターの趣味で無い事に、変な安堵を覚えていたからだった。

「満更でもなかったのか」

 少し、棘のある声に聞こえ、僕は自分の顔が引き攣るのを感じていた。本音を言って良いものかと逡巡したが、どうにもスキンヘッドが怒り出すように思えなかった。

 まじまじと見つめたわけでもないけれど、出会った時の野性的な怖さは微塵も感じられなかった。

「きっと、貴方でなければ助けてあげようなんて気になったかもしれません」

 てっきり僕の言葉に不機嫌になると思ったのだが、スキンヘッドは柔和でくしゃくしゃな顔で笑みを浮かべた。

「そうだろうな。涼子が可愛い事に変わりは無い」

 本当に、涼子と言う少女を好いていた事を知らされた。思った以上に、スキンヘッドが純粋な男だという事がわかってきたが、解った所で僕は一体どうすれば良いのか。

 僕は少女を思い出してから、目の前のスキンヘッドを眺めてみる。似合っていないと即答出来た。まず、年齢がどう見たって違う。少女はまだ中学生か高校生くらいに見えたし、スキンヘッドは二十歳を当然越えているだろう。

 どう見たって、お似合いではないし、犯罪だとすら思えてくる。だが、僕の邪まな考えとは裏腹にスキンヘッドは、暫くコーヒーカップの取っ手を指で弄んでいた。

「アンタ、良い人だな」

 突然、スキンヘッドがそう言ってきた。

「そうですか?」

「俺は、こんな”みてくれ”で、その日暮らしのプーだからよ。ダチもそういった奴らばっか」

 どうやら、新しい愚痴を聞かされる事になったようだ。

「そんな俺も、昔は真面目だったんだよ。涼子みたいに黒髪だった。もっとも坊主だったけどよ。中学じゃ、ピッチャーで四番にキャプテンだってやってたんだぜ」

「体付き、良いですもんね」

 身長は百八十くらいありそうで、肩幅も僕より全然広かった。日に焼けているし、僕より健康的な身体で、なんだか少し悔しかった。

「だけどよ、高校で挫折しちまってな。俺より、球種が多くて、長打力があって、とにかく巧い奴が居たんだ。結局、俺はベンチを暖め続けた。頑張ったんだけどよ、誰も俺の姿を見てくれなくてな。最後には、監督に言われたよ。マネージャーになって部員と私を支えてくれって」

 スキンヘッドは泣きそうな顔をしていた。対して、僕も泣きそうだった。何で、こんな愚痴を僕が聞かなければならなくなったのか解らないし、講義にも間に合わないだろう事を、喫茶店の壁に掛けられている時計を拝見してしまい、現実を見せ付けられていた。

 全力で走っても間に合わないと判っていても、息を荒くしていた方が体裁を保つ事は出来そうだ。

「それから、俺は落ちたんだよな。今じゃ、その日暮らしで喧嘩もやれば、恐喝くらい平気で出来るようになっちまった」

 こんな事、一刻も早く終わらせたかった。

「でも」と僕は言った。

「貴方は、それを悔いている。なら良いじゃないですか」

スキンヘッドは僕を見た。叱られていた少年みたいな顔だと僕は思った。

「貴方は、偽ってるだけですよ」

「偽ってる?」

「涼子さんを好いていたのに、どうしてそんな自分の悪い話ばかりするんです?」

「それは、俺がこんな”みてくれ”で涼子も愛想を」

「違いますよ。貴方は怖かったんだ。ただそれだけです」

 スキンヘッドの瞳が揺れていた。その瞳は酷く怯えているように僕には見えた。

「何言ってやがる」

「それに、気付いていた。涼子さんが貴方を本当は好いていない事を。それに気付きながら、考えないようにしていた。だから、別れ話の拗れで僕が巻き込まれた時、貴方は怒っていた。いや、怒ろうとしていたんですよ」

「くだらねぇ」

 スキンヘッドの視線は泳いでいるけれど、顔はしっかりと僕の方に向けていた。顎が少しだけ下がり、上目遣いのような目に僕は、酷い頭痛に苛まれる。

「貴方は、愛されなかった事を自分の姿と過去の出来事の責任にして逃げようとしただけだったんですよ」

「もういい」

「貴方は、涼子さんを助けた。それは何故です? きっと、戻りたかったんですよ。中学校の頃へ。あの頃の自分へ」

「黙れ」

「だから、純粋に真っ当に生きようともした。けれども、涼子さんは貴方を好いては居なかったし、その場凌ぎに利用されただけだとも自覚してしまった。その事に怒ったけれど、同時に諦めたんだ」

「やめろ」

「やっぱり、俺は駄目なんだ。俺なんかが戻れるはずが無い」

「喋るな」

 スキンヘッドの声は弱々しく、僕に縋ってきた。もう、何も言わないでくれと。これ以上、苦しめないでくれ。そう懇願されているように思えた。

「最初に、言いましたよね。それで良いんですよ」

 スキンヘッドは、ぼーっとした表情で僕を見ているように感じる。けれど、スキンヘッドは僕を見ていない気もした。

 僕は構わず話を続ける。

「貴方はそれで良いんですよ」

「……良いのか。俺は、これで良いのか」

 僕は、コーヒーを口に含んだ。もう、温くなった水っぽいコーヒーだったけれど、逆にその温さが心地良かった。

「貴方は、ずっと昔のまま」

 スキンヘッドは惚けたような顔をしていた。その顔はもう、強面でもなんでもない。何処にでも居る純粋な少年だった。皆と楽しい事がするのが好きで、運動する事が大好きで、褒められると凄く喜ぶ。何処にでもいる少年だった。

「何も変わっていないんですよ。貴方は、ずっと変わっていなかった」

「ずっと……」

「だから、戻れないのではなく、戻る必要すらなかったんです」

 入店を知らせるベルが自己主張をしてから二人の男女が入ってきた。僕はそれが仲の良いカップルだと一目で判った。何の事は無い、手を繋ぎ合って身体を寄せ合っている二人のその顔は、心から楽しいと思えたからだった。

 視線を戻すと、スキンヘッドも同じように入ってきたカップを見つめていた。

「なりたかったな」

 スキンヘッドはぽつりと呟いた。

「そうですね」

「俺は、どうすれば良かったんだ?」

 僕に向き直ったスキンヘッドは、相変わらず僕を見ていなかった。小さく、僕はため息を吐き出すとスキンヘッドは、怯えたように身体をビクつかせた。

「別れ話をされた時、きっぱりと受け入れれば涼子さんの受け取り方も違ったかもしれませんね」

「そんなもん、なのかな」

 例え、僕の言った通りに行動しても、事態が進展したとは考えられなかったが、可能性と思えばゼロというわけではないと思いたかった。

 スキンヘッドの男は、力無く笑いもう冷めてしまっている水っぽいコーヒーに口をつけて、苦い。と呟いた。

「押して駄目なら、引いてみろ。って言葉がありますからね」

「そっか。あぁ、失敗したな」

「人生は失敗の方が多いものですよ」

「痛いミスだぜ、九回ワンアウト。ランナーは一、三塁でバッターは俺だ。一打サヨナラの場面」

 例え話なのかは知らないが、何にしても長くなりそうな出だしだと思えた。それでも、僕は素直に聞き入る事にした。

 スキンヘッドの顔を見ていると、僕はなんだかやるせない気分にさせられてしまったからだ。できるならば、この夢見る少年に一角の幸福が訪れる事を、信じてもいない神に祈ってみた。

「ツーストライク、ツーボール……アイツは振りかぶった。ランナーが居るにも関わらずに。向かってくる球はしっかりと捉えていたさ。タイミングはバッチリだった。なのに、ゲッツーでゲームセットだ」

 スキンヘッドは泣いていた。

「アイツのカーブは、縦に大きく落ちるんだもんな」

 それが、スキンヘッドが自分を見失った始まりだったのだろう。それを最後に、スキンヘッドはテーブルに顔を伏せた。

 僕は、綺麗さっぱり水っぽいコーヒーを飲み干すと、伝票を持ちレジへ立って二人分のコーヒー代を出した。

 店内で流れている曲は、いつのまにか雰囲気に合う落ち着いたジャズっぽい曲になっていた。音楽に詳しくは無いが、この喫茶店にえらく合っている。気になって、辺りを見回すとカウンター席の隅っこに、さり気無く古いCDラジカセが見えた。

 僕の視線に気付いたのか、会計を済ませたマスターは照れ笑いを浮かべながら僕に会釈をして戻っていった。

 店外に出れば、いつもと変わらない学生通りがあり、若者がどこかを目指して歩いていく。

 僕の携帯が鳴っている。バイブレーションにしているから振動で判った。きっと、教壇に立っていない事を誰かが知らせたのだろう。

 ふと、先ほど聞いたベルが鳴った気がして、僕は何気なく振り向いた。

 後ろには、何も変わらない光景が広がっている。視線を少し下に向ければ坂の傾斜に合うように道がずっと続いていくのを這うように見ている気分になった。

 僕は、足を坂上に向ける。腕時計に目をやれば、すでに三十分も遅刻しているのが判ったけれど、急ごうと足早に進む気にはならなかった。

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