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その飲みかけ致死量につき。――男女比1:4の世界で普通に生活する俺が、飲みかけボトルを置き忘れた結果  作者: やっくん


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37話 そのサルワカ本、理解不能につき――女王の孤独なため息

――阿久津 魅夜 視点――


ガラガラガラッ。


ベランダの窓が、あっさりと開いた。


「ケヒャヒャ。今日も鍵かけてねぇじゃねぇか」


アタシは呆れながら、隣の部屋へするりと足を踏み入れた。


アイツはいっつもベランダの鍵をかけるのを忘れて出かけやがる。不用心にもほどがあるし。まぁ、おかげで侵入できるんだけどな。


ったくヨ。やっぱアタシがいねぇとダメだな、アイツはヨォ。



まず向かうのは、ドラム式洗濯機だ。


これはアタシのルーティンだ。


丸い扉のハンドルを引いて、中をのぞき込む。


「…………ちっ」


今日は、白シャツが入っていなかった。


ハズレだ。ドラムの中には何も入っちゃいねぇ。


アタシは洗濯機のドアを静かに閉めてため息をついた。


【豆知識:この世界では男の使用済み白シャツは、元の世界における女の使用済みパンツ相当の代物である。いや、それを頭から被って小躍りするレベルの変態行為と同等か、それ以上かもしれない】


次は、食品棚だ。


「えっと……今日のラインナップは……っと」


棚の扉を開けて、中をざっと眺める。


「ガチ堅ポテト……かっぱカニせん……レタス次郎……」


一個ずつ取り出しながら、テーブルに並べていく。


「おっ」


棚の奥に、細長い袋が隠れていた。


「サワーロールペーパーもあんじゃねぇか」


アタシはそれを掴んで、ニヤリとした。


サワーロールペーパーは、アタシが一番好きな駄菓子だ。


あいつは普段、駄菓子なんて食わない。


肉じゃがとか、野菜炒めとか、そういう真面目な飯しか作らない、つまんねぇ男だ。


だから、この棚に駄菓子が並んでいる理由は一つしかない。


(……多分、アタシのために買ってくれてんだよなァ)


胸の奥が、じんわりと温かくなった。


「……べ、別に、嬉しくなんかねぇけどなァ」


誰もいない部屋に向かってつぶやく。


アタシはサワーロールペーパーを一枚剥がして口に入れながら、ソファにどさりと寝転がった。


「あぁ〜すっぱいでうめぇ」



スマホを開いて、フォロワーへのリプライをぱちぱちと返す。


『女王様今日も最高です!』→「当たり前だろォ」

『新しい動画まだですか』→「待ってろ」

『ユウくんを嫁にください』→「やらん」

『女王様って昔と変わりましたよね』→「変わってねぇ。お前らの目が腐ってんだろ」

『女王様最近楽しそうで見てるこっちも嬉しいです』→「……うっせ」

『ユウくんの手料理食べてみたいです』→「お前らには一生縁のない話だな。ケヒャ」

『女王様に怒られてみたいです』→「じゃあ来い。秒でへこます」

『ユウくんは今日も一緒ですか?』→「……今日はまだ帰ってきてねぇよ」


送ってから、少し考える。


(まぁそのうち帰ってくんだろ。にしても今はバイトもしてねぇのにこの時間までどこほっつき歩いてんだァ?)


だがそろそろ玄関の鍵が開く音がするはずだ。


アタシはソファの上で体勢を変えながら、玄関の方向を何となく見つめる。


そわそわ。


(……まだか)


そわそわ。


(……はやくしろ)



三十分後。


そわそわそわそわそわそわ。


アタシはスマホを眺めながらもチラチラと玄関を見た。


(……遅ぇんだよぉ!)





一時間後。


ガタガタガタガタガタガタガタガタ。


ソファの上でそわそわが貧乏ゆすりに変化していた。


「……おっせぇなァ!」





二時間後。


「いい加減にしろヨっ!!!」


アタシはソファから跳ね起きた。


部屋の中をうろうろ歩き回る。


「なにやってんだよあいつ。どこほっつき歩いてんだァ?」


誰かに向かってブチギレたかったが、ブチギレる相手がいない。


「……ちっ」


アタシは仕方なく本棚に向かった。


イライラを紛らわすものを探して視線を走らせる。


本棚をざっと眺める。


料理本。実用書。なんかよくわからない分厚い本。


「……んだよ、地味な本ばっかじゃねぇか」


そんな中で、一冊だけ妙なタイトルが目に入った。


「……『サルでも分かるトランプマジック入門』?」


なんか、ちょっとだけ気になり手に取った。


そして都合よく同じ棚に紙トランプが一箱置いてある。


「……ケヒャ。やってみっか」



最初のページを開いた。


「基本のシャッフル技法……カットとリフルシャッフルの組み合わせで……」


トライしてみたが、カードが盛大に床に散らばった。


「……」


拾い集めて、もう一回やった。


また散らばった。


「次、ダブルリフトの基礎……親指でトップカードを……」


「……どこが親指でトップカードなんだヨ」


イラストを見ながら真似してみるが、手の形がそもそも違う気がする。


「これ、指の長い人間を前提にしてねぇか?」


次のページ。


「サムパーム……手のひらにカードを隠す技法です。慣れれば自然にできます」


「どこが自然なんだよっ!」


カードが、またあさっての方向に飛んでいった。


次のページ。


「ここまでマスターできたら、あとは応用するだけです」


「何一つマスターできてねぇわ!!」


そして、最後のページ。


ニコニコ顔のサルのキャラクターのイラストと共に、こう書いてあった。


『ねっ、サルでも簡単にできたでしょ?』


「…………」


バシィィィン!


本もろともトランプを思いっきり床に叩きつけた。


「あたしはサル以下ってことかァ!? あぁん!??」


カードが部屋中に散らばったが、そんなこと知ったこっちゃねぇ。


「ふざけんな! サルにできてアタシにできないわけねぇだろォ!! もう一回やってやる!!」



さらに三十分後。


「……ダァッ! ダメだ!全然できねぇ!」


床のカードを拾い集めながら、アタシは怒鳴った。


とっくに帰ってきていい時間だ。


もうとっくに、とっくに、帰ってきていい時間なのに。


「どこ行ってんだよ……っ」


結局、拾ったカードをぐちゃぐちゃのまま棚に詰め込む。


ソファに戻って、どさりと倒れ込んだ。


天井を見上げる。


アイツの部屋の天井は、うちの部屋と同じ高さで、同じ形で、でも何か違う気がする。


なんか、少しずつ落ち着いてきた。


「……ケヒャ」


怒りが、じわじわと引いていくのがわかる。


その代わりに、なんか違うものが、胸のあたりに溜まってくる。


「……はやく帰ってこいよぉ」


誰もいない部屋に、そんな言葉が零れ落ちた。


誰もいないし、誰も聞いていない。


だから、止まらなかった。


「……一人じゃ、つまんねぇだろォが。はやく帰ってこいってぇ……」


天井に向かってつぶやく。


声が、静かな部屋に溶けていく。


その瞬間。


ピロリン。


スマホが鳴った。


アタシは秒で起き上がって画面を見た。


RINEの通知。


結城 悠。


(……やっと連絡よこしやがった)


スマホをタップした。


そして、画面を見た。


一秒。


二秒。


三秒。


『魅夜さん、今まで隣に住んでていろいろありがとうございました。引っ越しが決まったので、もうそちらには戻りません。お世話になりました』


「…………」


アタシはスマホを持ったまま動けなかった。


もう一回読み返す。さらにもう一度。


引っ越し?


戻らない?


お世話になりました?


「…………ケ、ヒャ……」


笑おうとしたけど、声が上手く出なかった。


結局その夜、悠は帰ってこなかった。

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