2話 その飲みかけ、致死量につき
――魅夜視点――
アタシがまだ「女王」なんて呼ばれる前、唯一信じた男がいた。
だが、そいつはアタシを愛してなんていなかった。アタシが稼いでくる金と、アタシを慕うフォロワーを、自分のステータスにするために『優しさ』を装っていただけだった。
「お前が俺に尽くすのは、当たり前だろ? むしろ今まで優しくしてやったんだから感謝しろよ。」
――最後にそいつが吐き捨てた言葉を、アタシは死んでも忘れねぇ。
男の優しさなんてのは、すべて女を飼い慣らすための首輪だ。そんなことは、裏社会の泥水をすすってきたアタシが一番よく知ってるはずだった。
◇
「……はぁ、マジで死ねよ。どいつもこいつも、女をなんだと思ってやがる……」
暗い廊下で、アタシは重い機材ケースを引きずりながら、呪詛を吐き捨てた。
元反社の伝説的インフルエンサー、阿久津 魅夜。世間じゃ『不遜な女王』なんて崇められてるが、実態はこれだ。
男の引っ越し業者は「あー、腰やっちゃったんで無理っす」と当然のようにアタシに荷物を押し付け、男性人口が少ないという希少価値にふんぞり返って金だけ持っていきやがった。
この世界の男共は、どいつもこいつも中身は空っぽのクズばかりだ。
男であるというだけで、自分が『奉仕されて当然の立場』にでもいると勘違いし、女性に尽くされることを呼吸するように要求する。
そんな時だった。隣のボロ部屋から、あの男――結城 悠が出てきたのは。
最初に目が合った時、アタシは反射的に「あ、またあのタイプか」と思った。
整った顔立ち、育ちの良さそうな雰囲気。何より腹立たしいことは、見た目だけなら驚くほどアタシのタイプだったことだ。
だが、――だからこそ余計に反吐が出る。
どうせこいつも「手伝ってあげてもいいけど、お礼は何かな?」なんて、下卑た交渉をしてくるに決まってる。その優しいフリもどうせ演技なんだろ?
だから、アタシは全力の殺意を込めて睨みつけてやった。
「あァ……? テメェ、何様のつもりだヨォ……。安っぽい逆ナンのつもりか? ケヒャ! 笑わせんなよォ!」
だが、アイツは違った。
アタシの罵倒なんて聞こえてないみたいに、あろうことかアタシの手から機材ケースを奪い取り、まるで羽毛でも持つみたいにひょいと持ち上げやがった。
「……なっ!?」
唖然とした。交渉も、下心も、見返りの要求もねぇ。
ただ淡々と荷物を運び、筋肉のラインを無防備に晒しながら、「掃除しないと足の踏み場なくなりますよ」なんて、お節介な一言を残して去っていった。
その時、アタシは見てしまった。
荷物を支えるアイツの腕を。
腕に浮かび上がるバカみたいに力強い血管を。
この世界では貞操観念が逆転しており、男性のチラリと見える腹筋や、腕や首筋の血管は、元の世界でいう『胸チラ』や『うなじ』、『パンチラ』に相当する。
「……ハレンチすぎんだろ、チクショー。」
脳に直接突き刺さるような、最悪にエロい暴力だった。
◇
――そして数日後の、今日だ。
部屋でグラスを割り、惨めな思いで座り込んでいたアタシの部屋に、アイツは再び「侵入」してきた。
「掃除、手伝いますよ。破片踏んだら大変ですし」
(ふざけんなヨォ……。何なんだよ、一体。)
男のくせに、なんでそんなに手際よく、楽しそうに「無償の奉仕」なんて真似ができんだよ? 畳まれた服の角がピシッと揃ってるのを見るたびに、脳がバグりそうになる。
この世界の男共にとって、女が家事炊事洗濯をすんのが世の風潮だろ。なのにアイツの言動からは、そんな傲慢さが微塵も感じられねぇ……。
心のどこかじゃ分かってる。こんな男、いるはずがねぇ。どうせこれも、もっと大きな見返りを要求するための『演技』なんだろ?
信じちゃいけねぇ。
結局アイツは、磨き上げた蛇口の輝きだけを残して、風みたいに去っていきやがった。
――静まり返った部屋。
アタシは床に座り込んだまま、テーブルの上を凝視していた。
そこには、一本のペットボトルがポツンと置かれていた。
表面には、アイツの部屋から持ち込まれた冷たさが残る、結露の水滴。
中身は半分ほど減っている。
「……ハッ。何なんだよ、これ。何かの『印』のつもりかぁ……?」
乾いた笑いが漏れる。
この世界の常識に照らし合わせれば、男が女の部屋に『飲みかけ』を置いていくなんて、正気じゃねぇ。
男の飲み口に触れる『間接キス』は、元の世界で公衆の面前でディープキスと同義か、それ以上にエロい最高潮のシチュエーションだ。
本来なら、一生を添い遂げる誓いを立てた伴侶にだけ、数年ごしの愛の末に許される聖域のはずなんだよ。
それを、こんな初対面に近いアタシの部屋に、無防備に放り出していくなんて……。
アタシは、見た目や口調のせいで経験豊富だと思われがちだが、実際は男の身体に指一本触れたことすらねぇ。キスの経験だって、画面の中の作り物しか知らねぇんだ。
「アイツ、まさか……確信犯か? アタシがこれを見て、どう反応するか想像して楽しんでやがんのか……?」
一度開封され、少しだけ緩んだキャップ。震える指先で、ボトルのキャップへ指をかける。
これを口にすれば、アタシの清純は、正真正銘ズタズタにされる。
わかっているのに、アイツの唇が触れたであろう飲み口の感触を想像しただけで、下腹部が熱く疼いて止まらねぇ。
「……あ、あァ……。もう、どうにでもなれ……ッ!」
イライラしているはずなのに。どうしようもなく、胸の鼓動がうるさい。バクン、バクンと、肋骨を内側から叩き割るような衝撃が止まらねぇ。
視界がペットボトルの飲口から離れない。
アイツの口がついた、飲み口。
一度でも口をつけちまったら、アタシはもう、以前のアタシでいられなくなる。そんな予感がする。女王として二度と戻れなくなる。
わかっているのに。
吸い込まれるように、ボトルの口を自分の唇に当てた。
「――ッ!!!!!!!!!!!!!!」
液体が、喉を通る。
冷たいはずなのに、内側から爆発するような熱量を感じる。
悠がさっきまで触れていた、あの生身の温度。彼の存在が、直接アタシの体内へと染み渡っていく。
「は……ははっ……キクっ! トんじゃう……これ……ッ!」
膝から力が抜け、その場に突っ伏した。
視界が白む。頭の中が、快楽とも恐怖ともつかない、過剰な興奮でパンクしそうだ。
何だよ、これ。
アタシという器の中に、『アイツ』の成分が強制的に注ぎ込まれたような、圧倒的な汚染――いや、浄化。
「アハハハハ! 最悪だねェ……! 最ッ高に、狂ってる……ッ!」
涙が出てきた。
自分の信じられないほどの脆さに、笑いが止まらなかった。
あれほど男を嫌悪していたアタシが、隣に住む得体の知れない男の『飲みかけ』一本で、こんなに興奮してるなんてヨォ。
……その時。
ふと、隣室から微かな物音が聞こえた。
アタシは吸い寄せられるように壁に這い寄り、耳を押し当てた。
薄い壁の向こう側から、アイツの、あの惚けたような声が聞こえてくる。
「……あ、やべっ。ボトル、隣に置き忘れてきちゃった」
……は?
心臓が凍りつくような音がした。
アイツ、今、なんて言った……?
置き忘れた……?
嫌がらせでもなく、アタシへの誘惑でもなく……ただの、うっかりだと?
「……ケ、ケヒャヒャ! 嘘だろ、なァ……?」
アタシは空になったボトルを握りしめ、震えながら笑った。
もしアイツが本当に『無自覚』にこれをやったのだとしたら。
アタシが今、一人で壁に耳をつけて、こんなに悶え苦しみ、狂わされているこの時間は、一体何なんだよ。
◇
――翌日。
アタシがどんな顔をしてアイツと会えばいいか悩んでいた時。
廊下で鉢合わせた悠は、昨日と変わらない、あの気の抜けた、それでいて眩しすぎる笑顔でこう言いやがった。
「あ、魅夜さん。すいません、昨日飲みかけのボトル置き忘れちゃって。汚いですよね、あれ。適当に処分しといてもらっていいですか?」
……処分?
アタシが昨夜、自分の宝物みたいに大切に、泣きながら飲み干したあのボトルを、ゴミとして捨てろってのか……?
「……あァ、そう。処分、ねェ……」
アタシの口から出たのは、自分でも驚くほど低く、ねっとりとした声だった。
悠。テメェ、本当に……『そのキャラ』のまま、どこまでアタシを弄ぶつもりだ。
昨日アタシが、どんな思いで、どんな顔をして、テメェの残滓を胃に流し込んだと思ってる。それを「汚い」から「捨てろ」だと?
「分かったよ。……処分、してあげるよォ……」
嘘だ。捨てるわけねぇだろ。――アタシの専用の宝物庫(金庫)の中に、永久保存してやるよ。
ケヒャヒャ! 面白れぇ……。テメェのその仮面の裏、アタシが徹底的に暴いてやるよォ。テメェのしてることがホンモノの『優しさ』なのか、それとも、ただのフリでアタシを狂わせるための最悪な『詐欺師』なのか……」
悠。テメェのその演技、いつまで続くか、アタシが一生かけて試してやるよォ……。
まずはテメェの生活、交友関係、すべて。
アタシという女王の力を使って、丸裸にしてやるからなァ。
覚悟しとけよ、なァ?
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