悪役令嬢が幸せになってはいけないなんて、誰が仰ったの?
『マーガレット・ステュアート! 数々の大罪を犯した貴様は、王太子妃として相応しくない! 貴様との婚約を破棄し、私は新しい婚約者をセシルとする! 大罪人の貴様には流刑を言い渡す!!』
どくんと心臓に痛みが走る。口からこぼれそうになった悲鳴を辛うじて飲み込む。
マーガレットはまだどくどくと煩い心臓を両手で抑えて、呻くように小さく声を漏らした。
ガタガタと揺れる馬車の振動が、現実を知らせてくれる。
公爵令嬢マーガレットは王太子であるカルロスから婚約を破棄され、いままさに北の果ての辺境へと向かう馬車に乗っていた。
(ありもしない罪をかぶせて王都から追放するなんて……殿下はよほどわたくしが邪魔だったのね)
セシルと添い遂げるために、公爵令嬢であり婚約者だったマーガレットが目障りで仕方なかったのだろう。セシルは聖女とはいえ平民の出であったからなおさら。
だが、だとしても、だ。
こんな仕打ちはあんまりだと感じる。
書面で婚約破棄を通達してくれればよかったものを、夜会に集まる大勢の貴族の前でさらし者にしたうえで濡れ衣を着せて追い出すなど、良識があれば普通は行わない所業だ。
(冷徹辺境伯ロナルド様……どんな方なのかしら……)
当初、マーガレットは北の果ての修道院に入れられる予定だった。
しかし、北の果ての領地に居を構えるロナルド・ボルボーン辺境伯が「修道院に入れるのであれば、我が妻として迎え入れたい」と公爵に申し入れた。
マーガレットの父も娘を修道院に入れるよりは、とロナルドの申し出を受けた。二人が古い知り合いであることも影響しているのだろう。
なので、マーガレットは王都を追放され王太子の婚約者ではなくなったが、辺境伯夫人になるのだ。
ロナルドにはよくない噂がたくさんあるらしいが、修道女になるより万倍はマシである。そう割り切るしかなかった。
(噂は存外あてにならないもの。いい人かもしれないわ)
馬車の窓から王都の風景とは全く違う景色を眺めながら、そっと息を吐く。
まだどくどくと煩い心臓を抑えて、マーガレットは視線を伏せる。
「ロナルド様……わたくしの旦那様……」
良い関係を築けるように努力しなければならない。改めてそう考えて、馬車の固い背もたれに体を預けた。
辺境伯の屋敷についたマーガレットは長距離の移動で痛む体にため息を吐き出した。
ゆっくりと馬車から降りて、公爵家以上に広い屋敷を見上げる。
王都に比べ土地が広大だからこそ、公爵家より広い敷地をほこっている。
丁寧に手入れされた庭は見事の一言だ。空からはらはらと降りしきる雪が積もって白い雪化粧となっている景色は王都では目にしたことがないので、新鮮に感じる。
御者が荷物を降ろして運んでくれるのを横目に、マーガレットは門を開いてくれた門兵に礼を伝えて慣れない雪が積もる石畳の上を歩く。
ヒールが雪に埋もれて歩きにくい。
とはいえ、脱ぐわけにもいかないので四苦八苦しながら玄関にたどり着いた。
マーガレットの歩幅に合わせてくれていた御者が玄関を叩くと、すぐに執事が扉を開く。
「お待ちしておりました、マーガレット様」
深々と頭を下げる執事に、肩に降り積もった雪の結晶を払ってマーガレットは微笑む。
「出迎えをありがとう。中に入っても?」
「もちろんでございます」
大きく開かれた扉から温かな空気が冷えた肌に触れる。室内に足を踏み入れると体を包む温度にほっと息がこぼれた。
「応接室にご案内いたします。すぐに旦那様もいらっしゃいますので、少々お待ちください」
「わかりました」
執事に先導され応接室に通される。
これまた公爵家と遜色のない調度品に彩られた応接室の皮のソファに腰を下ろした。ふかふかのソファの座り心地に強張っていた体から力が抜ける。
メイドが用意してくれた紅茶と茶請けを前に、ティーセットに手を伸ばす。
冷えた体に温かな飲み物が染み入るようだ。
ほうっと息を吐き出して、二口目を飲もうとしたタイミングで扉がノックされた。
ソーサーとカップをローテーブルに戻し、マーガレットは立ち上がる。
彼女が「どうぞ」と声をかけると、扉がゆっくりと開かれる。
「待たせたね」
「いいえ、全然待っておりませんわ」
姿を見せたのは痩躯の長身の男性。すらりとした体に品のいい洋服を身に着けた男性がゆっくりと口を開く。
年のころは二十代後半に見えた。十六歳のマーガレットからすると、十歳以上年上だろう。
だが、貴族の婚姻において年の差は障害にはならない。
「ロナルド・ボルボーンだ。そちらに座っても?」
「ええ」
主人であるというのにマーガレットに許可を求める姿勢が可笑しくて、小さく笑う。
くすりと肩を震わせた彼女の対面のソファに腰を下ろしたロナルドに、厳しい王太子妃教育で身に着けた優雅なカーテシーを披露する。
「マーガレット・ステュアートにございます」
ドレスの裾を持ち上げ軽く頭を下げる。彼女の所作にロナルドが感嘆の声を上げた。
「見事だ。――座ってほしい。これからの話をしよう」
「はい」
促されて座りなおしたマーガレットに、ロナルドは優しげな面立ちに真摯な色を乗せて告げる。
「君との婚姻を強引に進めてしまったことを謝罪したい」
「いいえ、そんな。とんでもありません。こちらこそ、婚約破棄をされたものが転がり込むなど、ご迷惑をおかけしてしまい……」
小さく頭を下げて謝罪するマーガレットに、ふわりとロナルドの纏う空気が軽くなる。
「頭を上げてほしい。君の父君には世話になったんだ。遠慮なく暮らしてくれ。寒い土地だから、風邪にだけ気を付けてほしい」
「はい」
ゆっくりと頭を上げると、ロナルドは柔和に微笑んでいる。
人当たりのいい優しげな人に思えた。だからこそ、マーガレットの心には疑問が残る。
(どうしてこの方が『冷徹辺境伯』などと呼ばれているのかしら)
内心の疑問は口には出さない。世の中には聞かなくていいことと、聞いてはいけないこと、そして聞かれたくないことがあるからだ。
そのあたりを弁えている彼女は、ただ静かに微笑んだ。
北の果て、ボルボーン領での生活にも少しずつ慣れた頃。
ロナルド自ら雪が舞い散る北の土地での過ごし方を教えてもらい、執事やメイドたちに親身なってもらいながら領民たちとの交流を行っていった。
すっかり辺境伯夫人として振る舞うことに違和感を覚えなくなった頃合いに、その手紙は彼女の手元へと届いた。
「『聖女は偽物であった。よって、マーガレット・ステュアートの罪を無罪とし、王都への帰還を許す』――なんて、身勝手な」
届いた無礼な手紙の一部を読み上げて、彼女はため息を吐き出した。
王太子カルロスの署名が入っていることを確認し、もう一度深く息を吐き出す。
文面に謝罪の言葉は一つもない。
恐らく、王太子妃教育も受けていない平民出身の聖女には、王太子の婚約者の荷が重かったのだろう。
セシルが様々な問題を起こしているらしいことは、北の土地まで噂が届いていた。
「君は王都に戻りたくはないのか?」
夫婦の寝室で手紙を手に憤っているマーガレットに、ロナルドが慎重に問いかける。
彼女は今すぐ手紙をゴミ箱に投げ捨てたい衝動をこらえながら、困惑を露わにするしかない。
「王都には確かに様々なものがあります。けれど、わたくしはこの土地での生活を好きになったのです。いまさら、わたくしに冤罪を着せて追放した方の伴侶になりたいなどと、思えるはずがありません」
貴族の結婚は政治の意味を持つ。個人の感情など蔑ろにされがちだ。
それでも、捨ててはいけない矜持がある。
カルロスからの手紙と同時に届いた父からの手紙には「お前の判断に任せる」とだけ短く綴られていた。
公爵である父がマーガレットの味方なのだ。その上、彼女はすでにロナルドの伴侶となった身である。
王太子であろうが、婚姻を引き裂くことは出来ない。
「そうだな。野暮なことを聞いた」
眉を八の字に寄せるロナルドは、もしかしたらマーガレットがいなくなることを危惧していたのかもしれない。
この屋敷で暮らすようになって、最初こそぎこちなかったけれど、二人の間には確かに愛が育まれている。だからこその懸念。
「けれど、これは命令なのですよね……」
手紙はマーガレットに対する王都の王城へ顔を出すように、という命令の意味を持っている。
無視することができないわけではないが、ロナルドの辺境伯という立場を考えれば、王家と事を構えるのは得策ではない。
ため息を吐き出して「荷造りをさせなければ」とメイド長を呼ぼうとしたマーガレットを止めたのは、だれでもないロナルドだった。
「少し待ってほしい。私に考えがある」
「旦那様?」
「任せてくれ。君の旦那様は、案外できる男なんだ」
にこりと笑ったロナルドの強気な言葉にぱちりと瞬きをする。
いまでは誰より信頼するロナルドの言葉なのだから、任せようと判断して彼女は「はい」と素直に頷いた。
▽▲▽▲▽
マーガレットがカルロスからの手紙を受け取って十日が経った頃――ボルボーン領が隣接する隣国と国境争いのいざこざが起こった。
すぐにロナルドが仲介に入れば大した被害も出ることなく収まるようないざこざをあえて放置した。
最初は国境を守る兵士同士の小さな喧嘩だったものが、やがて国を巻き込む大事に発展し――そして王太子自らが戦場に出向くことになる。
戦争に発展した最後の止めは元聖女の無神経な一言だ。
『あんな野蛮人ども、皆殺しにすればいいんじゃなーい』
本当に元聖女本人が口にしたのかどうかは、すでに問題ではなく。
一時は王太子の婚約者であった元聖女の口から零れ落ちたという噂の方が問題視された。
そんな噂が出回るほどに、元は聖女であったセシルの求心力は落ちていた。あるいは彼女を陥れたい何者かがいた。
その火消しとして、すでに婚約は解消されていたが王太子が戦場に直接赴き――命を落とした。
(無能な上官が部下に刺されて死ぬなど、戦場では間々あることだ)
王太子カルロス戦死の報を自陣のテントで聞いて、ロナルドは内心で嗤う。
彼の大切な宝物を貶めた罪は大きく、許されざるものだ。
(私は冷徹辺境伯――その意味をはき違える愚か者など、どのみち、国には必要ない)
ロナルドが『冷徹辺境伯』などと呼ばれるのは、敵対する勢力に対して容赦しない姿勢への畏怖が込められている。
それを『三十を前に婚約者もいないのは性格に難があるからだ』ととらえ間違いを真に受けて背を預けるなど愚かとしか言いようがない。
もちろん、カルロスに手を下したのはロナルドではないし、彼の身内でもない。
婚約者であるマーガレットを冷徹に切り捨てたうえでありもしない罪でつるし上げた王太子に敵がいないはずもなく。
彼を恨む『誰か』が彼を排したい『誰か』に唆されたとしても、不思議ではない。
(これでやっと、彼女は私だけのものだ)
うっとりと口角を上げて、ロナルドは思い出に浸る。幼い頃、父について勉強で訪れた王都で出会った幼い女の子。
敏くて聡明で、大人びていて、誰より美しくて――欲しい、と強く願ったけれど、その時には彼女は王太子カルロスの婚約者だったから、諦めざる得なかった。
そんな彼女が北の果て、ボルボーン領のさらに北の修道院に入れられると聞いて、真っ先に名乗り出た。
『どうか、私にお任せを。悪いようには致しません』
交流のあった公爵は『いずれ娘を王都に呼び戻す準備が整うまで、預かってくれ』と言ったけれど。
もう、王都に返してはやれない。彼女自身がこの土地を選び、彼が彼女を手放すことなど、考えられないから。
(彼女に掛けられた冤罪は、戦争が終わり次第清算させよう)
カルロスがマーガレットに擦り付けた罪状はどれも不自然極まりない。少し捜査をすればカルロスとセシルの陰謀だとすぐに気づくようなものばかりだ。
今まではカルロスが権力で黙らせていたのだろうが、もうこの世にはいないのだから、捜査の手を邪魔する者はいない。
「無実の証明に手段など選ばないさ。私は『冷徹辺境伯』だからな」
ひとりごちて、ロナルドは決してマーガレットには見せない悪い顔で笑ったのだった。
▽▲▽▲▽
カルロスが戦死した戦争は一年に及んだ。
王太子の座はすぐに弟王子に譲られ、カルロス亡きあと、戦場を継いだロナルドが出立して十一か月がたつ。
先日ようやく戦争が終結し、ロナルドも屋敷に戻ってきた。約一年、過酷な戦禍に身を置いた体を休めるように、彼はこんこんと眠り続けている。
そんなある日、マーガレットの元に王宮からの使者がやってきた。彼らは国王からの手紙を一通携えていた。
「……無罪、ね」
使者を応接室で待たせ、私室に戻り手紙を開く。そこには国のトップである国王からの謝罪の文字と共にマーガレットの無罪をを証明すると綴られていた。
なんでも、カルロスが亡くなったことで彼の部屋を片付けていたところ、日記が見つかったのだそうだ。
その日記にはマーガレットが邪魔だったこと、陥れるためにセシルと手を組んで罪を捏造したことなどが書き残されていた。
(あまりに展開ができすぎているわ。……考えすぎかしら)
とはいえ、無罪になったことに対して異議をとなる気はない。引っかかる点はあるけれど、謝罪は受け入れるしかないのだ。
結果論にはなるが、マーガレットはロナルドという伴侶を手に入れて幸せに暮らしている。カルロスの妻となり王太子妃となっていれば、手に入らなかった幸福を掴んだのだ。
「ふあ……マーガレット、それはなんだい?」
「なんでもありませんわ、旦那様」
昼はとっくに過ぎて、すでに夕方に差し掛かっている。
のそのそとベッドから起き上がるお寝坊さんに微笑みかけ、マーガレットは手紙を折りたたんだ。
死んだ相手の悪口を言う気にもなれないし、生きている元聖女セシルには厳罰が下るとも書かれていたから、それ以上のことは望むまい。
「旦那様、おはようございます」
「ああ、おはよう。マーガレット」
穏やかに微笑むロナルドが裏で何をしていようが、マーガレットには関係ない。
だって、彼が暗躍するのは彼女を守るためだと知っているから。
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