第29話 襲撃?
「や、八雲さん!? 」
悲鳴に似た遥希の声を耳で捕まえた直後、テレビの電源をONにしたまま、颯は急いでソファから立ち上がる。表情には動揺が走る。
ダッシュでリビングを駆け抜け、リビングと廊下を繋ぐドアを強引に開放する。
ガタンッと音が生まれ、ドアは中途半端に開いた状態をキープする。
ドアを閉めず、無視する。ドアは颯の眼中に無い。
強引に靴箱を開け、素早く履けるクロックスを取り出す。雑に玄関の床にクロックスを投げ捨て、高速で両足に通す。
自宅のドアを勢いよく開け、外に出る。
時刻は19時を過ぎており、夕日は落ち、辺りはすっかり暗い。
「八雲さん! 大丈夫!! 」
颯の自宅の前で、遥希を発見する。遥希は2人の人間に絡まれていた。1人は男性で、もう1人は女性である。男性が遥希の右腕を掴んでる形だ。
「あ、天音! 」
戸惑った顔で、必死に颯の名字を呼ぶ遥希。顔には、弱々しさが浮かぶ。
「ちっ! またお前かよ」
舌打ちし、男性の方が振り返り、苛立ちを露にする。
「君は…」
男性の顔を認識し、颯は目を細める。より鮮明に男性の顔を認知するためだ。
「天音君。…どうして」
女性の方も、颯に視線を寄越す。こちらは動揺を隠せない。
「石井君と伊藤さん…何してるの? 」
普段のどこかパッとしない、どちらかと言えば、弱々しい? 態度とは打って変わり、威圧するように、颯は声のトーンを落とす。いつもの男性にしては高い声が失われ、低音ボイスが吐き出される。
「何って。見て別れねぇか? 話し合いだよ。話し合い。俺達3者間でな。なっ。そうだよな! 」
特に悪びれることなく、石井は淡白に受け答えする。相変わらず、颯を見下した態度で。
「ち、違う! 話し合いではない! こいつらは———」
異議を申し、石井に掴まれた右腕を、遥希は強引に振り払おうと試みる。
「おっと! まだ話は終わってないから、放さないぜ! 」
抗う遥希の右腕を、石井は力で制する。
「ぐっ…」
男女での力の差が明瞭に表れ、遥希は、石井に右腕を掴まれた状態から抜け出せない。悔しそうに歯を食い縛る。
「嫌がってるように見えるけど? 話し合いをする雰囲気ではなさそうだし」
依然として態度を崩さず、颯は石井に対して問いを投げる。明らかに軽蔑した態度も示す。
「おい! お前、ナメてんのか? 何だその態度は? 」
額に青筋を浮かべ、鋭い眼光で、石井は颯を睨みつける。颯の態度が癪に触ったようだ。
「別に。この場に適した態度を取ってるだけ」
石井に怖じけず、余裕な態度を披露する颯。
普段の学校での颯と見違え、逞しさが垣間見える。
「あ? お前うぜえな。女の前だからって、強がるなよ? 」
怒りが抑えられず、パッと遥希の右腕を解放し、石井は颯に詰め寄る。そして、ゼロ距離まで接近し、颯の胸ぐらを乱暴に掴む。
「…別に強がってるわけじゃないよ。…ただ君達に呆れてるだけ」
人が変わったように動じず、聖羅に視線を寄越す余裕を見せ、颯はあっさり返答する。胸ぐらを掴まれ、多少なりとも胸辺りに痛みを覚える。だが、余裕で耐えられる痛みだ。
「てめぇ! 陰キャでモテない奴が、スーパー陽キャでモテる俺に、そんな態度を取って、ただで済むと思うなよ。身の程をわきまえろ」
にや〜っと、いじわるで企む笑みを作り、石井は右拳を強く握り締める。ギリギリ音がなる程に。
「お、おい! やめろ!! 」
次の石井の行為を予測し、遥希は大きな声をあげる。
だが、石井は止まらない。颯の胸ぐらを掴んだ状態で、右腕を勢いよく振り上げる。
「喰らえ!! 」
力強く握った石井の拳が、颯の顔目掛けて、接近する。結構な勢いが存在する。
「はぁ〜〜。本当に子供だね…」
大きくため息を吐き、冷淡な口調で、颯は両目を閉じ、吐き捨てる。
飛んでくる素早い拳を、胸ぐらを掴まれた状態で、器用に首を右側に動かし、華麗に躱す。石井の拳は颯の顔の前を通り過ぎ、傷1つ付けられず、空を切る。
「なっ!? 」
予想外の事態だったのだろう。石井は大きく2重の目を見開く。
「先に手を出したのは、そっちだからね? 」
胸ぐらを掴んだ石井の腕を払い、颯は冷たく言い放つ。
「は? 何言って。がっ―——」
直後、まるで立ち眩みでも起こったように、石井の視界が激しく歪む。石井は何が起こったのか、分からなかった。
しかし、遥希と聖羅の目には、はっきりと映った。颯の右拳が、石井の左頬にクリーンヒットする光景が。
ドシャッ。
コンクリートの地面に、石井が背中から倒れ込む。
「いてぇ~。いてぇ~~」
顔と背中を押さえながら、コンクリートの地面の上で、石井は激しく悶える。実に痛そうだ。
「はぁ~い。ここ住宅街だから、大きな声出さないでね」
遥希と聖羅が呆然とする中、痛みに耐えるために、大きな声を上げる石井の口を、右の手の平で、颯は平然と無理やり塞ぐ。
「むぐっ。な、なに。しやが。いたた…」
颯の手を振り払おうと試みるが、背中の痛みが生じ、石井は即座に両手で、背中を押さえる。地面に背中を打ちつけた痛みは、多大な苦痛なのだろう。想像に難くない。
「どうしたの? こんな時間に。今は夜よ? 」
迷惑そうな顔で、颯の隣に住む女性が、自宅から顔を出す。颯はこの女性の家族を目にした経験があった。5人家族だ。結婚もしており、良く学校帰りに、買い物から帰宅する姿を目にする。自宅で仕事に従事していなければ、おそらく主婦で間違いないだろう。
どうやら、石井の大きな声は、近所迷惑だったようだ。そのため、隣に住む女性が、姿を現したのだろう。
「すいません。こいつが、地面で足を滑らせて、背中を強打したんです。だから、大声を出してしまって。近所迷惑になってしまい、申し訳ございません」
女性の目を見て、軽く会釈する颯。
「んー。んー」
不満げに、何か言いたげな石井。だが、颯の手が、強く石井の口を塞ぎ、上手く喋れない。当然、女性にも、石井の声は伝わらない。
「そ、そうなの? 大丈夫なの? シップでも持ってこようか? 」
颯から事情を聞き、女性は心配そうな顔を向ける。
「いえいえ。大丈夫です。こいつ若いので、すぐ復活すると思うので」
石井に確認を取らず、作り笑いを浮かべ、颯は丁寧に女性に対応する。石井は何か言っているが、颯の手によって、妨害される。絶対に石井に声を出させない。
「そう? ならいいけど。もし何か必要だったら、ドアフォンを押してね。出来ることは協力するから」
「はい! ご気遣いありがとうございます! 」
この場を乗り切るために、自身ができる限界の好印象の笑顔を形成し、颯は立派な好青年を演じる。流石に、先ほどの正当防衛に関する話を、石井から語られるのは面倒だ。
もしかしたら、捏造するかもしれない。そうすれば、女性からあらぬ疑いを受ける。流石に、その面倒ごとは避ける必要がある。そのための、先ほどの偽った言動だ。
女性は納得し、自身の自宅に戻る。その事実を伝えるように、女性の自宅のドアが、閉まる音が、その場の全体に行き渡る。
「さて。これで話ができるね」
女性の自宅のドアから視線を切り、未だに痛みによって顔を歪める石井に、颯は視線を向ける。
「今度、八雲さんに手を出したら、どうなるか分かるよね? 」
石井を見下し、無表情で、颯は脅しを口にする。先ほどの女性とやりとりを交わす間に、考えて思い付いた脅しの言葉だ。
「ヴ~。ヴ~。ヴ~」
颯の手の平に口を塞がれた状態でも、完全に怖気づいた様子で、機械のように、石井は何度も頭を縦に振る。もちろん地面に転がった状態で。
「よし。じゃあ、約束守ってね♪」
ご機嫌に声を漏らし、石井の口から、颯は手を放す。石井の口は、晴れて自由の身になった。
「はぁはぁ。…はぁ」
しゅぱっと素早く立ち上がり、息を大きく荒らし、必死な形相で、石井は颯の元から退避する。身体と両腕が大風に吹かれたように左右に揺れ、醜い、ぐちゃぐちゃで汚いフォームで、歯を食い縛りながら、ダッシュで颯から逃げる。
遥希と聖羅には目も暮れず、横切り、背中だけが遠くなる。
「えっ。えっ…」
聖羅だけが、取り残された形となる。状況は一変し、石井が一目散に逃げ出したことに驚くばかりの聖羅。颯と遥希がいる場所で、挙動不審に視線を彷徨わせ、聖羅は戸惑いと疑念が入り混じった表情を浮かべる。
当然、颯も遥希も声を掛けない。無言の圧を掛けるように、両者共に聖羅の顔を見つめる。颯は冷たい目で凝視する。
「ちょ、ちょっと待ってよ~。石井君~~」
この場の状況に耐え兼ね、石井の辿った後を、聖羅は駆け足で追い掛けた。




