待ち人来るがすでに遅し。
ある川沿いの、寂れたバス停に2人の男女がいた。
夫婦、ではない。
恋人、というにはあまりにも過去の話。
お互いのよそよそしさは恋人や夫婦というにはあまりにも不自然だった。
彼らが恋人と言われていたのは中学の話。15年も前のことだ。
野球少年と野球部のマネージャーというありきたりなカップルは、彼女の引越しという、子供という立場ではどうしようもない事情により幕を閉じた。
そんな2人が、ここにいた。
「・・・こっちに帰ってきてたんだな」
彼は言う。
「うん。2年前、だったかな。お父さんもお母さんも仕事、定年でね、あの街に戻ろうかって」
彼女は言う。
彼はそっか、と軽く何度もうなずき、黙った。
先ほどから2人はお互い一言二言話しては黙ってを繰り返していた。
彼が妻と一緒に乗ったバスの入り口正面の席に彼女は座っていた。
彼女は腕に赤ん坊を抱いていた。
お互い目が合ったが次の瞬間に彼の視線はその赤ん坊へと移り、同じく彼女の視線は彼の薬指へと移っていた。
彼は一番後ろの席に妻と座った。
妻は、もうドレスはどんなのにするか大体は決めてあるの、などと話していたがあまり頭に入らなかった。
「もっと早く逢えたなら・・・」
男の頭は中学以来封印していた想いと悔しさでいっぱいだった。
またしても沈黙は彼のほうから破られる。
今の空気を壊したいんだろう。
それは、何もかもに不器用な彼を表すに相応しい、不器用な破られ方だった。
「あのー…あれだ、・・・神様、っていうのは、いるとしたら、割とひどい奴だ」
「え?」
「いや、あの、こんな形で・・・君と、再会させる、なんて」
「・・・うん、そうだね。」
不器用な始まりではあったが彼は心に留めていた想いを少し吐きだすことができた。
ましてや、こんな形で君と二人きりにさせるなんて…
さらに彼はそう言いかけたが、止めた。
「あの人…」
彼女から話し始めたのは今回が最初だったため、彼は少し安堵していた気分を正した。
彼が心の内を少し見せたので、彼女も頭の中に蠢いていた塊を少し吐きだしたくなったのかもしれない。
「あの人、奥さん??」
「え、あぁ、そうなんだ」
「新婚?…あ、ほら、だって、奥さん『ドレスは決めてある』とか言ってたから」
「あ、いや、新婚って訳じゃないんだ。その、結婚した時にお金がなかったからお金がたまるまで我慢しようっつって、それで今日」
「そうなんだ」
「・・・うん」
できればそんな事彼女には言いたくなかった。
『遠くに行っても君を想ってる。』
夕暮れの公園で涙ながらにそう言ったあの頃の野球少年に合わせる顔がない。
なあ、神様よ。いるのならば、何事にも純粋だったあの時のように、もう1度だけ勇気をくれないか――。
「実はね、高校の時、夏の甲子園に見に行ったんだよ。出てるって聞いたから」
彼女はあの頃の面影を残した笑みで言った。
「観客席で、滝野君とばったり会っちゃってね、『お前なら俺らの学校の関係者席に入れてやるよ』って言ってくれたんだけど断ったの。私に会った事も内緒にしておいてねって伝えて」
「え?本当に??・・・滝野の奴…いつもは口が軽いくせに」
「ふふっ」
「でもあの時、初戦で負けて、すげぇ泣いちゃってたから、会うことはできなかったな」
「救急車」
「えっ?」
「救急車のサイレンの音、聞こえない??」
そう言われ、彼は耳を澄ます。言われてみれば微かにサイレンの音が聞こえる。
このバス停は川に沿って道が大きくUカーブした先にあるため、バス停から後ろを振り帰ると小さく救急車の姿が見えた。
「救急車が2台、消防車・・・レスキューカーかな。それが2…3台」
彼女は彼のように後ろを見ようとはしなかった。
少し、顔つきが変わったようにも見える。
例えるなら・・・母の顔に。
「私・・・母親として失格だったな。あんな小さい子供バスに置いてきちゃうなんて・・・・・・」
「そ、そんなことない!君は・・・君は、最高の母親だ!!だから子供はバスに残したんじゃないか!」
「・・・・・・そうだね。ありがとう。」
彼女は何とも言えない、優しい母の顔でほほ笑んだ。
その姿に彼は、どの言葉さえかけることができなかった。
またしばらくの沈黙が訪れた。
お互いにかける言葉が見つからなかった。
彼は別の女性と結婚したし、彼女は別の男性と子を儲けた。
人生という道で酸いも甘いも辛いも苦いも知った。
彼や彼女と昔話をしたり、今でも好きだったなんて想いを言うのは、過去の自分と向き合う事に等しい。
甘さしかなかった頃の自分に向き合う事ができない。
サイレンの音が増える。
それに従って2人の気持ちも暗くなる。
「ここに2人でいるっていうのは。良い事なのかな」
彼女は小さな声で言った。
彼に言ったのではないのだろう。それは独り言のつもりだった。
しかし彼には聞こえていた。
「・・・良い事ではないよ。でも僕らは最善を尽くした。その結果がこれなら、それでも僕は良いと思う。だから、僕は君に謝りたい」
「え??」
それは彼が意図せず口に出た言葉だった。
でも言いたいと思っていた言葉でもあった。
「僕は、君に一緒にいてもらいたかったのかもしれない。だから君がここにいるのかもしれない。僕がここに連れてきたようなものなのかもしれない。だから、謝りたい。」
彼は立ち上がり、彼女に向って深々と頭を下げた。まるで試合を開始する野球少年のようだった。
「そ、そんな、しれないしれないばっかりの話で謝られても…ね。違うよ、それは。思いこみだよ」
「でも、僕が君を純粋に愛していた頃に戻りたかったのは確かだ」
「えっ」
「だから…だから…こうなってから言うのは遅すぎるけど…も、もう1度だけ付き合ってもらえませんか…」
「……」
「僕も結婚したし君にも子供がいる。それでも良い。そっちを大事にしてもらって構わない。僕も妻を大事にする。でも今だけ…僕に君を守らせてほしい」
救急車やレスキューカーで封鎖された道路を、悠然と古びたバスが走ってくる。
救急車やレスキューカーの存在を無視するかのように、バスはするりするりと車を通り抜けて行った。
そしてUターンした先のバス停で止まり、プシュー、という音とともにドアを開けた。
「お客さん、この先は結構危険だぜ。この辺りも舗装されてバスが通るようになったっていうのに、未だに無知な奴らがあの川を歩いて渡ろうとするんだ。お客さんたち、乗っていきな。あの先に行きたいんだろう??」
運転手は川の先を差す。
バス停にいた2人の男女は
「はい。そうです」
と、答えた。2人とも優しい笑みをしていた。
「よし。決まりだな。しっかし……どうやらあんた達は夫婦って訳じゃないね。見たところカップルのようだけど。私はなかなかに見所があるのさ。どうだい、合ってるかい??」
彼女は笑って答えた。
「そんなところです」
「ここで速報です。本日午前10時40分頃、○○県△△市の★★峠で市バスの横転事故がありました。この事故により、2名が死亡、6人が重軽傷を負った模様です。繰り返します。本日午前10時40分頃――」
最後まで読んでいただきありがとうございました。
またしても愚作が誕生してしまいました。
恋愛になんてとんと縁のない私がこんな話を書いてしまうなど思ってもみませんでした。
さて、この彼と彼女。私のお話には付き物の死で終わってしまいました。
だれも死なない話を思いつきたいものです。
赤ん坊や妻が生きているということは彼は夫として、彼女は母として守るべき人を守って最期を迎えたのでしょう。(できる事なら赤ん坊や妻を守るように死んでいたという描写も入れたかったですが諦めました)
そんなことが私にもできるのか…不安です。
改めましてここまでお読みいただきありがとうございました。
できればコメントで感想や修正点を書いていただけるとありがたいです。