閑話休題 side WOO/A
毎週、月曜日と金曜日に更新中!
―― side Watcher Eto
セレスタドームにて――
先ほどまで華やかな拍手に包まれていたオークション会場は、今や全く別の熱気に包まれていた。
天井の照明はやや落とされ、代わりに中央の巨大モニターと、周囲を取り囲む無数のスクリーンが戦場の光景を映し出している。
先ほどまで高価な宝を競り合っていた観客たちは、今や息をのんで戦いを見守っていた。そこに映るのは、荒れ果てた大地と、吹き荒れる光の粒子。
――そして、彼女の姿も。
「ほら、あそこ! ナルが映ってる!」
レーネが椅子の背もたれから身を乗り出す。その隣で、バルトとエトも前のめりになりながら、モニターに映る小さな光を追った。
確かに、あの髪、あの動き。あの立ち回り。見間違うはずがない。
中央の大型モニターには、今もっとも映える瞬間が次々と切り替わって映されている。にも関わらず、なぜかナルの姿がやけに多い気がする。……いや、きっと気のせいだろう。
「ふっ……あの銃、いい感じに馴染んでるな。」
バルトが腕を組み、静かに目を細めた。
彼が丹精込めて作り上げた二丁の銃――《ミラ》と《リゲル》。黒と白、攻撃と補助。対となるその二つが、まるで生きているかのように閃光を放つ。
あの銃には、現時点で施せる限りの細工を詰め込んだ。ただ一つ、命中精度の調整だけは、間に合わなかった。あれは繊細な技術を要する上、バルトがまだ手を出せる領域ではなかったからだ。
それでも、映像に映る彼女が弾を外すことはない。距離も、角度も、風も関係なく。彼女の撃つ弾丸は、まるで意志を持っているように標的を穿っていく。
「……命中補正なんか、いらなかったのかもな。」
バルトの呟きに、エトが小さく笑う。
「やっぱ、ナルってさー……NE:NEみたいだよねー♪」
レーネが楽しげに言う。その言葉に、エトも小さく頷いた。
確かにそうだ。NE:NEと同じ、あの速さ、あの直感、あの判断力。もちろん別人だとわかっている。けれど、そのポテンシャルだけは、間違いなく同じものを持っている。
「……ナル、どこまでいくつもりなんだろうな。」
モニターの中で、光の少女が銃を構える。その姿に、三人は誰も言葉を挟めず、ただ息を呑んだ。
「お、今度は中央のモニターに映ったぞ!」
バルトの声に、三人そろって中央の大型モニターへと目を向けた。そこには、モンスターから逃げてきたプレイヤーたちに向かって、陽気に手を振るnullの姿が映し出されている。
「うわっ、ほんとだ! あれ、助けてあげてるのかな?」
レーネが身を乗り出す。
モニターの中の彼女は、困っているプレイヤーたちに、何やら明るく話しかけていた。その人たちは一様に安堵の表情を浮かべ、救われたような笑みを浮かべる。
――ナルらしい。エトは心の中でそう思った。
直後、画面の向こうにいるプレイヤー達の安心は、崩れ去る。
「え、ちょっ……ちょっと!? 今の……!」
レーネの声が裏返る。画面の中で轟音と閃光が走り、モンスターもプレイヤーたちもまとめて吹き飛ばされていた。
会場に、爆笑と歓声が巻き起こる。まるでライブ会場のような熱気。
「うわぁ~、やっちゃったなぁ……!」
「はっはっはっ! さすがナル!」
バルトとレーネが楽しそうに騒ぐ中、エトは小さくため息をついた。
(……もう少し穏便に対処してもよかったんじゃないかな。でも、あの感じ……多分、あまりにもモンスターが弱すぎて退屈だったんだろうな。)
彼女の行動は、悪戯にも見えたが、あれは彼女なりの遊び心だろう。それがこの会場を一気に盛り上げる結果になるのだから、なおさら恐ろしい。
(……やっぱり、NE:NEに似てる。)
その一挙手一投足が、無意識に人を惹きつける。プレイヤー人気投票の結果を見なくても、会場のざわめきと笑い声だけで、それがわかる。
「……ま、これでまた票が動いたな。」
バルトが苦笑交じりに呟くと、レーネがケラケラと笑った。エトもつられて笑いながら、モニターの光に目を細める。そこでは、少女が煙の向こうで再び銃を構え、どこか楽しげに笑っていた。
しばらくすると、また大画面にnullの姿が映し出された。
WAVE 2の開始を告げるアナウンスと共に、彼女はその場にいたプレイヤーたちと共闘していた。
器用に周囲を観察し、周囲のプレイヤーの動きを生かしながら、流れるように戦場を支配していく。
危機に瀕したプレイヤーには即座に支援を飛ばし、誰かが前に出れば、その背を守るようにフォローを入れる。その一挙手一投足が、まるで計算された戦術のようだった。
「……普通に、尊敬するな。」
思わずエトが呟く。さっきまで悪戯と称してプレイヤーを巻き込んでいた人物とは思えない。画面の中の彼女は、まるで英雄のようだった。
waveが終わると、共闘していたプレイヤーたちが彼女を囲み、口々に感謝を告げていた。彼女もにこやかに手を振って応える。
その光景は、まるでひとつのドラマのようで、会場にはほっとした笑いがこぼれる。
(いや、いい人なんだけどね。僕たちにとっては、特に。)
そう思ったところで、映像が切り替わった。
次に映し出されたのは、このイベント開始から一度も首位を譲っていないプレイヤー、ノア=キョウ。
「……おお、でた。」
「うわ、すご……」
剣を構えた彼が、一人で群がるモンスターをなぎ払っていく。
まるで舞うような剣技。剣閃が走るたび、光の残滓が地面に軌跡を描き、モンスターが次々と光の粒子となって消えていく。剣技なのか、スキルなのかも素人目では分からない。圧倒的強者感の強いプレイヤーだった。
その表情は、驚くほど無。淡々と、正確に、まるで戦うことすら日常であるかのように剣を振るっていた。
明らかに他のプレイヤーと一線画している。nullにも負けないプレイヤースキルというものだろう。ゲームスキルとは別の、持って生まれたセンスというやつだ。
「ノア=キョウって人も、かなり強いよねー。……しかもイケメン。」
レーネが頬に手を当てながら、うっとりと呟く。バルトは腕を組みながら、面白くなさそうに鼻を鳴らした。
「まぁ、強ぇのは認めるけどな。……いけ好かねぇ。」
エトは思わず吹き出しそうになりながら、画面に目を戻す。
確かに、冷静沈着。無駄のない動き。女性人気が高いのも頷ける。だが男目線では、どうにも感情が読めない。テンションが上がるでもなく、苦戦しても焦るでもない。常に一定。まるで機械のような冷たさにみえるのだ。
(それでも、絵になるんだよな……。あの無表情が、逆に。)
同じようにすることはきっとできないと思う。どうしたって、反応は出てしまうものだから。それなのに、彼はテンションがほとんど変わらない。少しくらいその表情が変わった所を見てみたいものだ。
「あ! またナルが映ったよー!」
レーネが身を乗り出し、指を伸ばす。釣られてバルトとエトもモニターに視線を向けた。次の瞬間、三人は同時に息を呑んだ。
そこに映っていたのは、複数のPKプレイヤーに囲まれているnullの姿だった。彼女はその中心で、なぜか困ったように笑っている。背景には荒れた草原、砂塵、そして緊張に満ちた空気。明らかに危険な状況だ。
「ねぇ、これってやばくない??」
レーネが不安げにエトの服の袖をぎゅっと掴む。隣でバルトも腕を組み、真剣な表情でモニターを見据えた。
「……きっと大丈夫だよ。見て、ナルの顔。」
「あぁ。ナルがあんな奴らに負けるわけねぇ!」
エトとバルトの声が重なる。
モニターの中の彼女は、確かに笑っていた。その笑顔が、余裕の証であることを二人はよく知っている。
次の瞬間、映像の中で閃光が走る。nullが跳び上がり、雷撃と風が交錯すると画面が一瞬白く光った。
会場では観客の歓声が沸き起こり、モニターの中では、さっきまで優勢だったPKプレイヤーたちをあっと言う間に制圧してしまった。
「……ほらな。」
「ひゃー、すごっ!!」
レーネの声に続いて、バルトが満足そうに頷く。
その後、nullはあのPK集団までも巻き込み、WAVE 3 を共闘して乗り切ろうとしていた。
「……なにそれ、仲良くなってる……?」
「ほんとだ。あれ……協力してるのか?」
まさかの展開に、会場中がざわつく。
小さなサブモニターに映っていた映像は、気づけば中央のメインスクリーンへと切り替わっていた。
nullはモンスターの群れを蹴散らしながら、次々と指示を飛ばしている。その姿は、まるで戦場を統べる指揮官のようだった。
結局すんなりとWAVE 3 も乗り切ったnullは、ポイントをかなり稼ぎ、結果ランキングをグッと上げていた。
「みてみて! スコア表!! ナル、二位だよ!!」
「流石だな!!!」
バルトとレーネが声を合わせ、立ち上がって喜ぶ。周囲の観客までつられて拍手と歓声が湧き起こった。
そんな二人を横目に、エトは小さく笑いながら呟く。
「……うん、流石だよね。――僕たちの広告塔。」
「……あっ!! そうだった!!」
「そういや、そんな話だったな!」
二人が顔を見合わせて笑う。
どうやら、宣伝モデルとしての立ち位置をすっかり忘れていたらしい。きっと友人の勇姿を純粋に楽しみ、応援していたのだろう。
(……ほんと、性格がいいというか、単純というか。)
きっと二人だけなら、ナルに良いように使われていたに違いない。ここはもっと自分がしっかりしなくては。そう思いなおすエトだが、やはり彼も純粋に彼女を応援するのだった。
エトは肩をすくめて、再びモニターを見上げた。
画面の中では、光の粒子の中に立つnullが、どこか満足げに笑っていた。
***
―― side Observer Serephiel Luvann
セレスタドームの観覧席。
煌びやかな照明が降り注ぎ、ざわめく会場の熱気とは裏腹に、セレフィール・ルヴァンは優雅に椅子へ腰掛けていた。
その指先には、繊細な装飾が施された銀の扇。扇の影に隠すように視線を上げると、大画面に映る二人の姿が目に入る。
――プレイヤー、nullとノア=キョウ。
「……ふふ。あれが、噂の。」
貴族ルートを進めている自分にとって、本来なら交わることのない冒険者ルートのプレイヤーたち。
だが、公式が仕掛けたこのイベントで、まさか彼らの名を目にすることになるとは思ってもみなかった。偶然ではない、むしろ意図的だろう。
運営の思惑を感じながらも、セレフィールは興味深げにモニターを見つめ続けていた。
「ルドウ。……あなたは、彼らをどう思って?」
センスを軽く揺らしながら、背後に控える執事へと問いかける。
まだ年若く、整った容姿を持つ執事ルドウは、落ち着いた所作でティーポットを傾け、琥珀色の液体を静かにカップへと注いだ。
「はい、お嬢様。お二方とも、実に秀でたセンスをお持ちです。 どちらも人の目を惹く容姿と、印象的な戦闘スタイル。 特にnull様は、ご自身の見せ方をよくご存じのようですね。 一方でノア=キョウ様の強さは、恐らく全プレイヤーの中でも頂点に近い。……必要であれば、お調べいたしましょうか?」
「……そうね。」
唇に微かな笑みを浮かべ、彼女は一口、紅茶を含んだ。
「ええ。調べてちょうだい、ルドウ。……私、少し気になってしまったの。」
「かしこまりました。」
ルドウが静かに一礼する。
セレフィールはそっとセンスをたたみ、優雅にティーカップを傾けると、琥珀の液面がわずかに揺れ、香り立つ紅茶の芳香が広がった。その柔らかな甘みに、彼女の表情がふっと和らぐ。
「やっぱり――あなたの入れたお茶は、美味しいわ。」
「恐縮です、お嬢様。」
わずかに微笑を返した執事の瞳に、一瞬だけ光が宿る。
セレフィールは視線を戻し、再びモニターの中の戦場を見つめた。
「……さて。あの二人、どこまで魅せてくれるのかしらね。」
指先がそっと、興味深げにカップの縁をなぞると、紅茶の琥珀が、光を受けて静かに煌めいた。
セレフィールは再びモニターへと視線を戻す。その眼差しは、ただ戦場を見ているのではない。
周囲の貴族プレイヤーたちの表情や、下階で騒ぐ冒険者プレイヤーたちの反応。会場全体の空気の流れを読み取るように、静かに観察を続けていた。
彼女はこのイベントを純粋に楽しむことはできない。画面の映像に歓声を上げる彼らとは違い、セレフィールはこの場で情報を集めなければならない立場にあった。
最近、貴族ルートの上位層ではある噂が囁かれていた。
「騎士団長の嫡男、グランヘイル卿と、宰相の息子アルセイド小公爵。 彼らのルートが、まったく進行しなくなっている」と。
本来なら進行するはずのイベントが動かない。誰かが隠しフラグを踏んだのか、それとも別のルートが発生したのか。あるいは、オンラインとオフラインで分岐条件が異なっているのか――。
貴族プレイヤーたちの間では、その話題でもちきりだった。しかし、どれだけ情報を集めても、原因は掴めない。
(……不自然。きっとあの中に犯人がいるに違いないわ。)
セレフィールは薄く笑う。その笑みは、上品というよりも、どこか鋭い。
貴族ルートで最も進行度が高い自負がある彼女は、もしかすると冒険者プレイヤー側の動きが影響しているのではないかと考えていた。
だからこそ、このイベントでnullとノア=キョウを目にした瞬間から、その直感が確信に変わりつつあった。
(……やはり、無関係ではないわね。)
セレフィールは、会場のざわめきの中で静かに微笑んだ。
次々と挨拶に訪れる貴族プレイヤーたちへ、上品な笑みで応じながらも、意識だけはモニターから決して離れない。
カップを置く音さえ、静寂の計算に組み込まれたように洗練されていた。細やかな仕草ひとつ取っても、彼女の余裕と支配の美学が滲む。
そして、その傍らで控える執事ルドウもまた、穏やかな微笑を保ったまま、下階で喜ぶ三人の冒険者プレイヤーを見据えていた。
その眼差しには、主と同じく、確かな興味の光が宿っていた。
***
―― side Overseer/Architect ???
「本当に……これでいいんですか? 社長。」
「あぁ。――これでいい。」
男は、二っと口の端を上げ、満足そうに頷いた。
漸く始動した大型イベント《幻月の英雄》。この一夜は、今後のストーリー展開に深く関わる。だからこそ注目プレイヤーを明確にし、彼らの存在を観客に焼きつける必要があった。
運営チームでは、戦場の各地点に設置された無数のカメラの映像を解析し、リアルタイムで「魅せる」プレイを抽出・編集していた。
無論、ひいきなどはない。建前としては、だが。とはいえ、観客を惹きつける存在となれば話は別だ。面白い者、華のある者、そして想定を越える者は、自然と映される。
「途中から一つのモニターはノア=キョウ、もう一つはnullを固定にしてたか?」
「はい。いい展開の際には、大画面にも切り替えて映し出していました。」
「ふむ、いい判断だ。」
男は肘掛けに体を預け、モニター群に映る戦場を見渡した。
複数の光点が動き、激突し、散っていく。その中で、ひときわ鮮やかに光る二つの存在。
「さて、どう転ぶかな。……今のランキングとスコアを。」
「はい。すぐに表示します。」
キーボードの軽い打鍵音が室内に響き、中央モニターが切り替わる。リアルタイムで更新されるスコアボードには、明確な偏りがあった。
「……ノア=キョウ。 ちっと稼ぎ過ぎじゃないか?」
苦笑しながら、男は口角を上げる。
設計段階で「誰にも易しくない」難易度に調整したはずだった。それでも、彼はあっさりとポイントを重ねている。
「まったく……想定外ってのは、こういうことを言うんだな。」
小さく笑う声に、背後のスタッフたちは顔を見合わせる。だが、男の瞳は既に別の場所を見ていた。画面の隅、ノア=キョウの後ろに立つ少女――null。
「……もう一人の想定外も、な。」
口の端に再び笑みが浮かぶ。
その表情は、まるで舞台の幕が上がる瞬間を見届ける演出家のようだった。
――本来なら、誰もここまで到達できるはずがなかった。
苦笑と共に口角が上がる。
部下たちに「社長、難しすぎます」と何度も止められたはずのイベントだ。それでも、こうして突破してくる者が現れる。
「やっぱり……もう少し難易度、いじっても良かったか…。」
軽口めかして呟いた瞬間、隣のスタッフが思わず声を荒げた。
「ば、馬鹿言わないでください社長! WAVE 1の時点でプレイヤーの一割が脱落してるんですよ!? WAVE 2じゃ三割ですよ、三割!」
その勢いに、社長はふっと肩を揺らして笑った。
「……そうか。じゃあ、あの二人が規格外ってわけだ。」
背もたれに深く身体を預けながら、指先で机を軽く叩く。モニターには、ノア=キョウとnull、二人の姿が鮮やかに映し出されていた。
(スキルの使い方も、判断の速さも、群を抜いている。……下方修正、か。)
一瞬、そんな考えが脳裏をよぎるが、すぐに首を振る。
強いプレイヤーの装備を下方修正したところで、真に面白いゲームになるわけではない。現時点で、調整が必要なスキルも武器も目立って、ない。であれば、彼らのプレイヤースキルが高いのだ。そこは修正のしようもない。
部下たちは顔を見合わせ、黙ってモニターに視線を戻す。
「それで? WAVE 3では、どのくらい脱落した?」
「25%ほどです。」
「ほう……。優秀じゃないか。」
モニターの一角には、生存者リストが並ぶ。確かに、ここまで残ったプレイヤーは皆、スコア上位者ばかりだった。WAVE 3では試験的に強めのモンスターを数体混ぜたはずだが、想定よりも生き残りが多い。
「現在の生存者数は?」
「……103名です。」
「やはり……多いな。」
「いえ、それでも十分少ない方です。 このあとボス戦が始まります。 ……恐らく八割、いえ九割はここで脱落するでしょう。」
困ったように報告する部下を横目に、社長は無言で思考を巡らせた。
この数値は想定外だ。本当に、これでいいのか。難易度を上げるべきか。いや、それでも手を入れなかったのは、観客投票によって選ばれたボスモンスターなら問題ないと判断したからだ。
「ふむ。いいボスを選ぶじゃないか。」
満足げに笑う社長に、周囲のスタッフが思わず顔を見合わせる。中には、合掌する者まで現れた。
「――お前らが作ったんだろうが…。」
小さくぼやくと、スタッフたちは苦笑してそれぞれの端末に戻る。
「……社長。本当に大丈夫でしょうか? 到底、倒せるとは思えないのですが。」
不安げな声に、社長はわずかに片眉を上げた。
「彼らを見ても、そう思うか?」
指先でモニターの二人を示す。ノア=キョウとnull――光と影のように対照的な二人。
片や、現時点で最強と呼ばれる剣士。片や、本来のメイン武器ではない銃を手に、即興戦術で戦場を掌握するプロゲーマー。この二人が共闘するというのだから、もはや多少の強敵など些細な問題だろう。
部下たちもその辺りは理解しているらしい。押し黙り、「……確かに」と頷くしかないようだ。
「社長、ボスモンスターの詳細データをお出ししますか?」
別の席から声が上がる。彼は頷き、背もたれに身を預けた。
「頼む。」
「こちらです。」
壁面の大型モニターが切り替わり、無機質な青のUIが浮かび上がり、中央に描かれたボス《アストラ・ヴォルテクス》のホログラムモデルが、ゆっくりと回転した。周囲には数値とアルゴリズムが滝のように流れ、攻撃パターン、行動AI、耐久値、弱点情報が次々と更新されていく。
「……アストラ・ヴォルテクス、か…。」
低く呟いた声が、室内の静寂を揺らす。
その瞳には、データではなく結果のさらに奥を見据える光が宿っていた。
(このボスで、どこまで盛り上がるか。 あの二人と、どれほど噛み合うか…。)
一瞬の勝負で倒されれば興ざめだ。だが、強すぎれば、プレイヤーは挫け、ゲームが冷める。その境界線の上にこそ、最高のドラマがある。
(あくまでゲームだ。楽しんでもらうことを、何よりも優先されなければならない。)
「……ふむ、いいだろう。」
椅子をわずかに回し、部下たちを見渡す。
「ボスの配置座標を最終確認後、予定通りシステムアナウンスを流せ。」
「承知いたしました!」
号令と同時に、室内の空気が一変する。社員たちは慣れた動きで端末に向かい、画面を切り替え、コマンドを叩き込み、複数のラインが同時に起動する。
キーボードの音が雨音のように鳴り響いた。
この部屋にいるのは、誰もかれもが選ばれた手練れたちだ。だが、その誰よりも速く、誰よりも深く、世界を見通しているのが、この男だった。
「さてさて……楽しませてもらうとしようか。」
満足げに背もたれに体を預け、画面の向こう――戦場の光景を見据える。そこには、勇敢な挑戦者たちの姿がある。
たった一夜のイベントのために、半年という歳月を費やした舞台。
「……半年かけて作った世界だ。盛大に、暴れてくれよ。」
ニヤリと笑いながら、彼は囁くように画面の向こうにいる二人のプレイヤーへと語りかけた。
次回:禍福はあざなえる縄のごとし -1




