閑話休題 side シカク -2
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それからいくつもの小さな戦闘を経て、数十分。
シカクとマルは最初のモンスターウェーブを乗り切り、川エリアを抜けると、荒れた草原との境界地まで進出していた。
吹き抜ける風は湿った匂いを帯びており、背後の川では、まだどこかで水音と遠い戦闘の残響が響いている。
現在合流できているのは二人だけ。それでも、そろそろ他のメンバーが見えてきてもおかしくない頃合いだ。そう考えたシカクは、モンスターを狩りつつ辺りを見渡しながら、ゆっくりと待機する。
やがて、一回目のフィールド収縮アナウンスが流れた。
【 ⚠ フィールド収縮開始 ⚠ 】
【 収縮範囲:山・海 】
幸い、川はその範囲に含まれていなかった。仲間たちがこちらに向かってくるなら、次はこの境界地を経由するはずだ。そう踏んだシカクとマルは、慎重にその場に留まることを選んだ。
それから二度目のウェーブを越え、再びアナウンスが響く。
【 ⚠ フィールド収縮開始 ⚠ 】
【 収縮範囲:川・森 】
「……来たね。」
マルの声に、シカクは小さく頷いた。
「どうする? シカク。」
「そうだな。みんなやられたと見て、次のエリア……中央に向かうか。 それとも、諦めず待つか。」
言いながら、シカクは視線をマルへと向けた。その目は、どこか試すようであり、同時に信頼を込めている。
「……マル、運いい方だろ?」
冗談めかした口調に、マルは一瞬だけ悩むように首を傾げ、やがてにこりと笑って中央の方を指さした。
「じゃあ、行こう。多分、もう来ないから。」
「了解。」
そうして、二人は歩き出した。中央エリアへ向かう道中、モンスターを狩り、すれ違うプレイヤーを助けながらなんとかついた、未開放エリア。
付近には未開放だというのにかなりの数のプレイヤーが集まり、ざわめきが絶えない。装備がきらめき、武器同士が擦れ、ぶつかる音、プレイヤー達の話声が響く。
皆がそれぞれに警戒しながら、門の向こうを見つめていた。だが、その中に見覚えのある顔はない。
(……誰も、まだ来てないか。)
モンスターを狩る以外にやることもなく、シカクとマルは周囲のプレイヤーたちと同じように、門の前で静かに待つことにした。
数分、数十分ほど経った頃、漸く待ちに待ったエリア解放の知らせが入った。
【 ⚠ フィールド収縮開始 ⚠ 】
【 廃都市エリアが解放されました。 廃都市エリアへ移動してください。 退避制限:10:00 】
システム通知と同時に、これまで閉ざされていた重厚な門が、軋むような音を立てて開かれる。中から吹き出した風は、どこか乾いていて、まるで長く眠っていた都市が、息を吐いたかのようだった。
一人、また一人とプレイヤーたちが中へと消えていく。シカクとマルも、その流れに続いて足を踏み入れた。
内部は、崩れた建物と瓦礫の山が広がる荒廃した街。薄く立ちこめる靄のせいで遠くは霞み、足音だけがやけに響く。
シカクはマップを開きながら歩き続ける。理由は一つ。ランキングにあるよく知る名前を見つけたからだ。きっと彼女もここへ来る。
(……やっぱり、いるんだな。)
「ナルさん、すごいね。」
「ん……? あぁ、そう、だな。」
マルも気づいたらしく、隣でそっと微笑んだ。不意に視線を読まれ、少しだけ気恥ずかしくなったシカクは、照れ隠しのように前を見て歩調を速める。その背を見て、マルは小さくクスリと笑った。
「きっと来るよ。――強いんでしょ?」
「あぁ。」
短い返答。その声にこもる確信に、マルは安心したように頷く。
二人は瓦礫を踏み越え、廃都市の奥へと進む。時折、遠くで聞こえる戦闘音が、風に乗って流れてくる。胸の奥に、何かが静かに高鳴った、その時。小さなシステム音が響き、視界に赤い文字が浮かぶ。
【 ⚠ 強力なモンスターが発生 ⚠ 】
【 ランキング上位者の現在地付近に、強力なモンスターが出現します。 】
「……シカク。」
「あぁ。さっき見てた感じ、近くに上位者は二人、少し離れた地点に一人いた。 少し離れておこうか。」
シカクの冷静な判断に、マルはすぐ頷き、二人は廃都市の奥へと進んでいった。遠くでは、激しい戦闘音と地鳴りのような振動が響いている。だが、今の二人には、その戦場へ加わる余裕はない。
自分一人なら、ある程度の危険は背負える。だが、サポート役であるマルを守りながら戦うとなると話は別だ。不用意な接触は、即ち退場を意味する。
そんな緊張をよそに、マルがぽつりと呟いた。
「私がナルさんだったらなー。シカクも思う存分戦えただろうに!」
思わず笑いがこぼれる。
「いや、ナルさんだったら、俺はついていけなかったかもな。 あの人、むちゃくちゃだから。多分、俺が足を引っ張ってたさ。 ……それに、マルがいたから、ここまで来られたんだろう? 回復とサポートがあったから、今こうして生き残ってる。」
「そう? ……じゃあ、感謝してもらおうかなぁ!」
胸を張って笑うマルを横目に、シカクは苦笑した。その笑顔が、この廃墟の空気の中でやけに眩しく見える。
二人は少しでもポイントを稼ぐため、道すがら現れるモンスターを協力して討伐していった。その間にも、遠くでは爆音と閃光が繰り返されている。ランキング上位者たちの戦闘が、まだ続いているのだ。
「ねぇ、シカク。このビル、中に入れそうだよ! ちょっと入ってみない?」
楽しげな声に、思わずシカクは振り返る。マルはすでに入口に立ち、埃っぽいガラス扉を押し開けていた。
「……おい、勝手に入るなって。何か仕掛けがあるかもしれないだろ。」
「大丈夫だってば~。ほら、誰もいないし!」
そう言いながら、マルは興味津々といった様子ですぐに中へ足を踏み入れ、仕方なくシカクも後を追う。
内部は、外観と変わらず荒れ果てていた。床には瓦礫と紙くずが散乱し、壁はひび割れて黒ずんでいる。吹き抜け構造のホールには、停止したエスカレーターが何基も並び、まるで時が止まったまま、静かに眠っているようだった。
「上には……いけなさそうだな。」
シカクが、停止したエスカレーターを見上げながら呟いたその時、少し離れたフロアの奥から、はしゃぐような声が響いた。
「シカク、こっちこっちー!」
マルの声だ。足音がカツン、とコンクリートの床に響く。声の方へ近づくと、彼女は埃まみれの机の上で何かを拾い上げていた。手にしていたのは、一枚のカード。社員証のような光沢が、わずかな光に反射している。
「それ……社員カードか?」
問いかけるシカクに、マルは得意げに胸を張った。
「たぶんね! ほら、こういうの、会社のエレベーターとかで使うじゃん?」
そう言うなり、彼女は意気揚々とエレベーターの方へ向かって歩き出す。
「マル、エレベーターは止まってたぞ?」
「うちの会社のやつもさ、これがないと動かないんだよね~」
軽い口調でそう言いながら、マルはリーダーらしき黒い端末にカードを翳した。
――ファンッ♪ 陽気な電子音と共に、長く沈黙していたエレベーターのランプが、まるで再び息を吹き返したかのように光を灯す。錆びた金属音がわずかに響き、やがて静かに扉が開いた。
「……まじか。」
思わず呟くシカクの隣で、マルは目を輝かせている。
「ほらほら、早く!」
不安など微塵も感じさせず、彼女は軽やかに乗り込んだ。シカクは小さくため息をつき、苦笑しながらその後に続く。
内部は意外にも綺麗だった。埃こそ舞っているが、壁面のランプは淡く灯り、パネルには「1」から「40」までの階層と、ひときわ目立つ「R」のボタン。
マルは迷いなくそのボタンを押す。
――ゴウン。 エレベーターがゆっくりと動き出す。古びた機構のはずなのに、揺れも音もほとんどない。ただ静かに、ゆっくりと上昇していく。
(……まさか、動くとはな…。)
シカクの胸中に、小さな違和感が生まれる。そのまま数十秒後、再び――ファンッ♪ 同じ電子音が鳴り、扉がゆっくりと開いた。
目の前には、分厚い鉄の扉。塗装が剥げ落ち、錆びついた取っ手が冷たく光る。押してみたが、びくともしない。鍵がかかっているようだ。
「開かないな。」
そう言って振り返ると、マルが得意げに笑った。手にしたカードを軽く掲げる。
「これこれ~♪」
そう言って、マルは鉄扉の横にあるカードリーダーへ社員証を翳した。
――ガシャンッ。 重々しい音が鳴り、錆びたロックが外れる。マルと顔を見合わせると、彼女は嬉しそうに頷き、手で「早く開けて」と合図を送ってきた。
「……ほんとに開くのかよ。」
小さく呟きながら、シカクが扉を押し開ける。次の瞬間、ビューッ――と強い風が吹きつけた。押し返すような風圧に思わず身体を踏ん張り、何とか扉をこじ開けると、そこには。廃都市を一望できる、壮大な景色が広がっていた。思わず、二人とも息を呑む。
誰もが灰色の世界を想像していたはずだ。けれど眼下に広がっていたのは、崩れたコンクリートの隙間から芽吹いた緑と、自由に飛び回る小鳥たちの姿。
長い時間をかけて、自然が都市を取り戻しつつある、そんな静かな生命の息吹だった。
「うわぁ……すごい!」
マルが声を上げ、風に髪をなびかせながら、嬉しそうに屋上を駆け回る。
シカクも、少し遅れて手すりに手を置いた。眼下には、遠くで戦っているプレイヤーたちの姿が小さく見える。モンスターの群れと、それに挑む人の影。まるで、ひとつの巨大な戦場を俯瞰しているようだった。
「……これは、意外といいかもな。」
そう呟きながら周囲を見渡していると、少し離れた場所からマルの声が響く。
「シカク! シカク、見て! あそこ!!」
マルが指さす先。そこには、一人のプレイヤーが、何人ものプレイヤーに囲まれていた。
「……囲まれてる?」
「うん。あの人、今のランキング一位の人みたい! 名前はね――ノア=キョウ、だって。」
マップとランキング表を見ながらマルがそう言うと、シカクの眉が僅かに動いた。
「ノア=キョウ……一位狩ねぇ。 上位者ってのは、目立つ分だけ、狙われやすいんだな。」
「上位者……ナルさん、大丈夫かな……?」
心配そうに見上げるマルに、シカクは少しだけ考えてから、手をひらひらと振った。
「大丈夫、大丈夫。あの人、そういうの得意そうだから。」
安心させるように笑ってみせたが、その目は笑っていなかった。
シカクの視線の先。そこにいたノア=キョウは、剣を片手に、モンスターだろうがプレイヤーだろうが構わず薙ぎ倒し、まるで風のように戦場を切り裂いていた。
その動きには一切の迷いがない。だが、囲む敵の数が、あまりにも多すぎる。
(……あの数は、さすがに厳しいか。)
鉄の手すりに肘をつき、戦況を見下ろしていたシカクは、ふと、目の錯覚かと思うほどの一瞬――、ノア=キョウと視線が交わったような気がした。
(……いや…まさか…な?)
苦笑して一歩下がる。
その時、ノア=キョウの背後から、砂煙を上げて数人のプレイヤーが駆けてくるのが見えた。また増援か?と目を凝らすと、シカクはその人物を捉えた。
「マル!」
シカクの声が低く、鋭いものへと変わる。
「下に行くぞ!!」
「えっ? ――あ、う、うん!」
驚くマルの手を掴み、シカクは強引に屋上の出口へと向かう。
風が二人の髪を荒々しくなびかせる。マルは腕を引かれながらも、名残惜しそうに手すりの向こうへ視線を戻した。
地上ではまさに、プレイヤー同士の戦いが始まろうとしていた。
次回:呉越同舟 -1




